第4話

 デートまで後、二日。

 俺はいつもと同じように朝早くから、学校に登校していた。

 まだ八時前だというのに、既に空は明るくて夏が近づいてきたことを一層感じる朝だった。

 俺は不意に教室の窓辺から、グランドに目を向ける。

 グランドでは、サッカー部が朝練を行っていた。

 そこには新城の姿もある。

 朝っぱらからサッカーだなんてよくやるなぁとか思いつつ、新城の動向に着目する。

 サッカーのビブスを着た新城は、同じくビブスを着ている味方からパスを綺麗に受け取ると、相手のゴールにボールをシュゥゥゥート!!超エキサイティング!!!

 それから暫くしてホイッスルがなり、サッカー部の部員達は給水ボトルがあるところに集まって休憩を始める。

 そこにはジャージを着た相浦の姿もあった。

 ボトルを新城に手渡した相浦はそのまま仲睦まじく会話を繰り広げている。

 四階の教室から眺めているだけなので会話の内容は聞き取れないが、相浦がニコニコと楽しそうに新城と会話している光景を観て少し心が傷んだ。

 俺は明後日にこの光景をぶち壊す張本人になるのだから・・・・・・まぁ元凶は新城なので、そこはしっかり彼女にも理解してもらいたいところではある。

 すると、俺の背後で教室の引き戸が開かれる音がした。

 おっと、誰か来たようだ。

「詩衣くん?」

「―――涼鈴!?」

 神速のスピードで後ろに振り返る。

 扉の前にいたのは、長い黒髪を靡かせた俺の知る美少女・・・・・・ではなく、黒髪ロングヘアのカツラを被り、うちの学校の女子制服に身を包んだ宏樹だ。スカートから伸びる脚のすね毛がとても印象的だ。

「詩衣め、引っかかったな?」

 宏樹はニヤニヤしながら、こちらの顔を伺っている。

「お前、何してんだ?」

「太宰さんかと思って振り返ったら、俺だったドッキリ」

「そのまんま過ぎるだろ」

 ため息を漏らし、宏樹の意味わからん行動にほとほと呆れていると、宏樹がグイッと詰め寄って来る。

「驚いた?ドッキリに掛かって嬉しかった?」

「驚いてもねーし、嬉しくもねーよ。今の俺をどう見たら嬉しがっているように見えるんだ?」

 俺は両手を広げて、俺を見てみろとジェスチャーを送った。

「ツンデレですね、分かります」

「なんも分かってねぇよ!どうしたらその考えに到った!?」

 今日の宏樹はどこかおかしい。いや、宏樹はいつもおかしいのだが、今日に限っては群を抜いてだ。何かあったのだろうか。

「今日のお前なんか変だぞ?もしかして、何かあったのか?」

 俺がそう尋ねると、宏樹はクククと笑いだす。その笑い方キモいからやめろ。

「実は劇場版進撃のお義姉様の先行試写会が抽選で当たったのだよ!」

 宏樹はそう言って俺に向けて指を差した。

 進撃のお義姉様ってなんだよ、初めて聞いたわ。

「へー良かったな。というか、なんだ?その・・・・・・進撃のお義姉様って?」

「御存知ない?」

 あたかも進撃のお義姉様が世界の常識であるかのように尋ね、「まさか知らないわけがないよねぇ?」と呟いて威圧的な瞳でこちらの眼を覗き込んでくる。

「一ミリも聞きたことありませんねぇ!」

 素直に答えてやると、宏樹は雷に撃たれたような衝撃に襲われていた。

「馬鹿なっ!?あの超神傑作のアニメ、進撃のお義姉様を知らないなんて・・・・・・お前はそれでもオタクの端切れかっ!!」

「いや、知らんもんは知らんて!」

 しつこ過ぎて思わず、関西弁が出てしまった。

 関西人じゃなくてもたまに関西弁が出ちゃう時ってあるよね!え、ない?・・・・・・俺だけか。

「はぁー、進撃のお義姉様知らないか〜お前、オブラートに包んで言うけど、ゴミカスだろ」

 全然オブラートに包んでない。むしろ剥き出しまである。

 こいつどんだけ進撃のお義姉様好きなんだよ。

 宏樹は窓辺に近づくと、口を開いた。

「そういや、さっきまで窓の外見てたみたいだけど、なんか面白いことでもあったのか?」

 不味い、宏樹の前で新城のことはタブーだ。この間の新城が教室に訪れた時だって宏樹は自分のことをかなり抑えていたからな。

 そして何より宏樹に相浦と新城の関係を気づかれたくはない。

 もし気づいたら、こいつは復讐心に駆られて暴れだし、計画に支障が出る。

「別に、ただボーっとしてただけ」

 適当に誤魔化そうと、試みるが宏樹の足は止まらない。

 そして、宏樹は窓の淵に手をかけて身を乗り出した。

 宏樹は外の景色を一望するかのように眺めていると、ふと動きが止まる。

「あ、VBいるじゃん!」

 ―――まずい、バレた。

 宏樹は「よっ」と着地すると、俺に手のひらを差し伸べた。

 なんだこの手は?

「詩衣、黒板からチョーク持ってきて」

「は?チョークなんか何に使うんだよ・・・・・・というか、自分で取りに行けよな」

 俺は愚痴をこぼしつつも持ち前のパシられスキルを発揮し、黒板からチョークを一つ手に取ると、それを宏樹に投げ渡した。

「何に使うかって?決まってんだろ」

 宏樹はチョークを持ったまま、大きく振りかぶった。

「虎崎直伝!弾丸チョーク粉砕砲!!」

「いや、お前・・・・・・直に教わってないだろ」

 俺のツッコミなど露知らず、宏樹は腕をムチのようにしならせてチョークをぶん投げる。

 宏樹の手元から離れたチョークは、万有引力の法則に従ってその速度をどんどんと加速させていく。

 いくら宏樹の身体能力が秀でているからと言っても、四階からグランドにいる新城をピンポイントで当てるなんて不可能だ。

 俺は窓の外を眺める宏樹を横目で見つめながらも、席に座る。

 すると、目の端に捉えていた宏樹が大きくガッツポーズをした。

 そんな・・・・・・まさか、この距離で新城を当てたのか!?

 俺は興味本位で恐る恐る窓を覗くと。

 それは酷い有様だった。

 先程までの相浦と新城が愉しげに会話をしていた光景とは一変し、新城は白目を剥いて倒れ、そんな新城を見た相浦は血相を変えて新城に声を掛けている。

「ふふっ、あはははははっ!ざまぁないぜ!」

 宏樹は机の上に立ち、魔王の如く高らかに歓喜の声をあげていた。

 これでは、どちらが悪者か分からないな。

 もう一度と宏樹を見上げる。そこで背筋が凍る様な感覚を覚えた。

 それは今も笑い続けている宏樹の目が冷たく寒々しいものに見えたからだ。

 やっぱり、まだ宏夏さんのことを引きずっているんだろうな。だが、こればかりは宏樹の心の問題だ。俺にはどうすることもできない。

「おい、パンツ見えるぞ」

 俺は話題を変えるために、冗談交じりで呟いた。

 実際にパンツが見えた訳ではないが、宏樹はただいま絶賛女子制服着用中だ。そんな状態で机の上に立てば、パンツが見えてしまうのは道理である。

 だが、宏樹はそんなことを気にもとめずに机の上で動きまわる。

「今の私はとても気分が良い!好きなだけ見ていいぞ」

 そう言って宏樹はスカートの裾をチラッとめくった。

「お前のパンツなんぞ誰が見るか!」

 そこで教室の引き戸からレールの上を車輪がスライドする音が耳に届いた。

 誰か来たのかなと思い、教室の引き戸に顔を向ける。

 そこに立っていたのはクラスメルトの・・・・・・名前は知らんがとにかく女子だ。女子生徒が引き戸を掴んだままこちらを見ている。

 その女子生徒は目を見開き、視線を俺と宏樹の間で行ったり来たりした後、何故か汗をピュッピュッピュと飛ばし、

「ごめんなさい、教室間違えたみたい」

 そう言って勢いよく引き戸を閉めると、彼女は全速力で教室を後にした。

 じわぁと脇から二の腕にかけて、汗が垂れる。

「おい、宏樹・・・・・・俺達なんかあの子に勘違いされてる気がするのだが・・・・・・気のせいか?」

「間違いなく詩衣が俺に女装させて、パンチラさせているヤバい奴だと思われてるだろうな」

「冤罪だーーーーっ!!!ちょっとキミ待ってー!教室間違えてないから!ねっ!ねっ!」

「ひゃっ!?きゃあーーーーーー!!」

 俺は罪の潔白を証明しようと、必死に叫びながらその女子生徒を追い掛けた。だが、それが余計に彼女を怖がらせてしまったようで、逃げ足が劣るどころか更に速くなった。

 ホームルームには戻ってきてくれることを信じよう。




「いよいよ今日からテスト期間が始まる。一週間後の期末テストで痛い目に遭いたくない人はちゃんと勉強しとけよ」

 担任である大倉が教壇の前に立ち、重要な要件をクラス全体に談話を交えて説明する。

「クラスの中には部活に入ってて、普段からあまり休めてない人もいると思うが、羽目を外したりするんじゃないぞ。特にみんなで東京に行くなんて以ての外だ。あれは悪の権化、人類から金という金を搾取する為に作られた無法地帯だ・・・絶対行かない絶対行かない絶対行っちゃダメだ」

 なんだ大倉の奴、東京に両親でも殺されたのか?

 まぁそんなことはどうでもいい。

 最近色々あり過ぎて忘れてたけど、一週間後の英語のテストでもし90点以上取れないと大倉に俺の好きな人が涼鈴だとバラされてしまう。

 これは俺にとって重要な案件ではあるが、それよりも今は相浦を助けることが最優先課題だ。

 今更だが、ちゃんとできるかどうか不安になってきた。

 ゆっくりと息を吐き出す。肩の力が抜けると、俺はあることに気づいた。

 もう既にホームルームが始まっているというのに、宏樹はまだ女子制服を着たままであったのだ。

 コイツなんで着替えてないんだよと心の中で愚痴りつつ、他人の目が気になって少し首を巡らしてみる。

 大抵の人はしっかり前を向き、担任の話を聞いているか、机に突っ伏した状態である。

 しかし、何人かは宏樹が女子制服を着ていることに気づいたようで、近くの友達とコソコソ話しては「やば」や「キモ」等言いたい放題であった。

 さすがにみんなそういう反応になるわなぁ。

 ・・・・・・今日一日は関わらないでおこう。

 心の中で今日だけは宏樹と関わることをやめようと心に誓ったその時。

「なぁ、詩衣」

「なに?」

 やらかしたぁあああああああああっ!!

 いつもの癖でつい反応してしまった。あ〜クラスメイト達から奇異な視線を注がれている。

「よくあんなヤバい奴と口聞けるよな」

「もしかして・・・・・・あのふたりデキてんじゃね?」

「今夜のオカズは褐色ロリにしよう」

 ―――おい最後、なんか一人ヤベー奴混じってんですけど!?

 いったい誰だよ、変なこと口走った奴は。

 クラス全体を眺め、見渡していると、一人だけ違和感を覚える人物がいた。

 そいつは制服に身を包む褐色女子小学生が描かれた薄い本を執拗に頬っペでスリスリと擦りつけていて、擦りつけられた薄い本はもう既にヨダレでベチャベチャに濡れていた。

 一体どこのどいつだよと思い、ちょうど他の生徒の頭で隠れたその人物の顔を覗こうとする。

 あれ?確かあそこの席って・・・・・・。

 頭の影から見えたその人物は修二だった。

 ―――お前かいっ!?

 俺は反射的に握っていたシャーペンをへし折った。

 いくらなんでもキャラ崩壊し過ぎだろ。それと、なんで誰もアイツの奇行に気づかないんだ。

 宏樹と修二を除いた他のクルスメイト達を観察することにした。

 彼ら彼女らはみんな、宏樹の容姿に釘つけになってコソコソと会話をしていた。

 宏樹が大胆な恰好しているおかげで、修二の奇行は大きく眩い光の影となり、気にもとめられなかったというわけか・・・・・・俺からすれば修二の方が目立たない訳が分からんが、アイツは元々ボッチだからなステルス能力も高いのだろう。

 まぁそんなことは今は置いておこう。修二が影である以上こちらには何の影響もない。問題があるとすれば、

「今日の放課後・・・・・・話がありますわよ」

 人差し指を咥え、体をモジモジさせながら遊びに誘って来る宏樹だ。

 くそ。つい癖で宏樹には返事をしてしまったからな。こうなってしまっては関わらないようにするのは難しくなる。どうするべきか・・・・・・。

「ちゃんと話聞いてんのか?」

 急に喋り方、戻すなや。

 俺はふいっと顔を右に向けて静止する。

「いま涼鈴を見ていて忙しい」

 すると、宏樹がげんなりした表情を浮かべた。

「そこからだと一つ隣の席の人に被って涼鈴は見えないだろ」

 確かに俺は隣の席にいる女子生徒が涼鈴ともろ被りしていてその姿を見ることができていない。

 完全に論破されてしまったので、俺は仕方なく顔を正面に戻す。

「そのときまでにはちゃんと着替えてこいよ」

「了解しましたわ」

「その喋り方、キモイからやめい!」

 これで話は終わりかと思い、外をぼんやり眺めているとあることを想起する。

「修二も誘うか?」

 そう宏樹に尋ねると、彼は首を横に振った。

「いや、今日は二人で頼む」

「分かった」

 いつもの宏樹だったら、絶対に修二を誘うと思ったんだけど・・・・・・何かあるのか。

 そんなことを考えていると、朝のホームルーム終了のチャイムが黒板上に設置されたスピーカーから流れだした。

 そのチャイムに合わせるように大倉がクラスの出席名簿を一回トンと叩くと、教室を後にした。

 いつの間にか大倉の話も終わっていた様だ。

 俺は鞄から一時間目の授業である化学の教科書類の準備をしている最中、横から声が掛けられた。

「ねぇ詩衣くん・・・・・・」

 頭に響くまるで初春の雪解け水のような透明感がある声。

 振り向かなくても誰だか分かる。いや、分からなきゃいけない人の声。

 俺の横に立っていたのは、涼鈴だった。

「涼鈴、どうしたの?」

「今日もうちに来るかなって・・・・・・思ったんだけど」

 まさかの涼鈴直々のお誘い。好きな子に「お家来る?」と言われて断らない人などいないだろう。

 無論、俺もその一人だ。

 当然、この俺がマンネリ化などするはずも無く、涼鈴のプライベート空間に一生居てもいいというのが本心である。

 だが、今日の先約は宏樹だ。

 この前のようにバックレればいい話なのだが、これでも一応俺も人間だ。良心が痛まない訳では無い。それに今日の宏樹はいつもと感じというか何かが違う気がする。

 これでも宏樹は大事な親友だ。宏樹に何かあったら助けてやるのが親友である俺の役目でもある。

「ごめん、涼鈴。今日はコイツと用があって行けないんだ」

 そう言って俺は宏樹を指さした。

「そうなんだ。・・・・・・じゃあ、仕方ないね」

「ほんとにごめん」

「あ、いいのいいの!そんな気にしないで」

 そんなこと言われても、せっかくの涼鈴の誘いを断って気にしないなんてことは俺にはできない。

 涼鈴は何か思い至ったかのように自身の手のひらを合わせた。おててのしわとしわを合わせてしあわせというやつだろうか。

「あ、そうだ!・・・・・・詩衣くん、ちょっとスマホ貸して」

 涼鈴はそう言って右手を差し出してきた。

「良いけど」

 俺は不思議に思いつつもスマホのロックを外すと、スマホを手渡した。

 その際、涼鈴の手と俺の手がちょっぴり触れて、ドキッとする。

 俺のスマホを手にした涼鈴は自身のスマホも取り出すと、二台のスマホを両手で同時に操作し始めた。

 彼女はいったい何をしているのだろうと思考に耽っていると、あることを思い出しだ。

 ―――あっ、アルバム!!

 画像フォルダに一枚だけ存在する秘蔵写真。

 涼鈴と初めて会った時に思わず、撮ってしまった彼女の写真が残したままであった。

 もし見られたら、涼鈴とのフラグがポッキリ折れてしまうかもしれない。

「―――ちょまま!?」

 慌てて彼女からスマホを取り返そうと、右手を伸ばす。

 しかし、涼鈴がひょいとスマホを持ち上げたことで、俺の手は空を切った。

 それから涼鈴は満足がいったように「うん!」と頷くと、俺にスマホを返してくれた。

「はい、終わったよ!」

 そう言った涼鈴はにこにこと晴れやかな笑顔を浮かべている。

 ・・・・・・彼女はいったい何をしたのだろうか。

 そう思い、返されたスマホの画面を見やる。

 スマホの画面を見た瞬間、俺は固まった。

 俺が目にしたのは、俺が入れているSNSアプリの友達一覧。

 そこには新たに太宰涼鈴の名前が追加されていた。

「涼鈴・・・・・・これって・・・・・・」

「うん、追加しちゃった」

 涼鈴は少しだけ頬を朱に染めると、後ろで手を組み、照れくさそうに身体を揺らしていた。

 おお、神よ。貴方様は私にこれ以上ない贈り物私にお与えてくれました。そんな貴方様に心から感謝を込めて、アーメン。

 心の中で神に祈りを捧げていると、涼鈴が口を開いた。

「私、色んな人と連絡先を交換するのあまり好きじゃないだよね」

「クラスのSNSグループに入らないのはそれが理由?」

 尋ねると、涼鈴は自身の肩を抱く様にして小さく頷いた。

「昔は良くメアドとか交換してたんだけど、なんだかな・・・・・・みんな時間が経つに連れて返信とかしてくれなくなっちゃって・・・・・・疎遠になっちゃう感じがあまり好きじゃないんだよね」

 きっと涼鈴はみんなに対して優しい子なのだろう。でも、そのみんなが涼鈴に対して優しくなかった。いや、正確には彼らにとっての涼鈴を含むみんなに優しくなかったのだ。

 そのことが涼鈴にとっては気に入らなかった。

 だから、彼女は間接的に人と関わることを辞めていたのだ。

「俺も一応、クラスのグループには入っているけど・・・・・・大抵の奴は追加するだけして、それっきり。話さないなら追加しなければいいのにっていつも思うよ」

 マジで話さないくせに、追加だけするのほんとやめて欲しい。

 追加してから一ヶ月経っても何も話さない人は問答無用でブロックしているまである。

「だから、連絡先の交換は私にとって大事な人とだけって決めてるの」

 涼鈴にとっての大事な人とだけ・・・・・・ん?待てよ。

「じゃあ、俺と交換したのは・・・・・・」

「詩衣くんは、私にとって・・・・・・大事な人ってことだけど」

 大事な人ってことだけど、大事な人ってことだけど、大事な人ってことだけど、大事な人ってことだけど・・・・・・。

 涼鈴の言葉が頭の中でぐるぐるとループしている。

 涼鈴からこんなにも素敵な言葉を贈って貰えた俺は幸せ過ぎてキュン死しそう。これもう俺のこと好きなんじゃね?

 ということは、いま告白すればオーケー間違いない!

「涼鈴、俺と付き合っ・・・・・・」

「というのは建前で、ほんとは日曜日に連絡を取るために交換しただけなんだけどね」

 これがアメとムチ。・・・・・・涼鈴さん、ちょっと感情の起伏が激しすぎません?

「あ、ごめん。何か言った?」

「いえ、なんでもありません」

 涼鈴は「そっか」と答え、一歩後ろに下がった。

「じゃあ、私は席に戻るから・・・・・・また日曜日にね」

「うん」

 彼女は手を振ると、数メートルしか離れていない隣の隣にある自席に戻って行った。

 それから俺は視線を前に戻す。

 視線の先にいる宏樹は笑いをこらえるのに必死なようでプルプルと震えていた。

 いつまで笑っていられると、こちらとしても不愉快極まりないので、声を掛けることにした。

「おい、いつまで笑ってんだよ」

 宏樹はゆっくりと振り返り、こちらに人差し指を向けてきた。

「ぷっ!くふふ・・・・・・フラれてやんの」

「フラれてない」

 俺は即答で切り返す。すると、宏樹は首を傾げた。

「いや、今のはフラれてたって・・・・・・」

「フラれてない」

 またしても即答で切り返してやった。宏樹は更に首を傾げたが、諦めたように肩を落とした。

「そういうことにしといてやるか」

「なんで上から目線なんだ?ムカつくな」

 確かに涼鈴によって告白を遮られた様な気もするけど、遮られただけだ。断られてはいない。

 それから宏樹は俺の方に体ごと向き直すと、口を開いた。

「話を戻そう。で、その話についてなんだが・・・・・・」

 宏樹がそこまで言ったところで一時間目開始の鐘が鳴った。

 教室の前方の引き戸から白衣を着た薄らハゲが登場する。

 どうやらお話はここまでのようだ。

「やっぱ細かいことは全部、後で話すわ」

 宏樹はわざわざそう言い直してから、姿勢を正し、しっかり前を向いて授業を聞き始めた。

「お、おう」

 俺は返事になっていないような声を発した後、すぐに先生が何か黒板に書き始めたので、ノートを取ることに専念した。




「―――今日の授業は以上となります。皆さん明日からはテスト週間なので、しっかり勉強しておくように」

 現国の女教師、杏子は笑顔でそう告げると軽やかなステップを踏んで教室を後にした。

 これから合コンにでも向かうのだろうか。

 とはいえ、これで六時間目まであった授業を全て消化し終えた。

 後は帰るだけなのだが、今日はそうもいかない。

「詩衣、行くか」

 落ち着きのある聞き慣れた声が耳に伝わる。

 顔を上げ、俺の前に佇む人物を確認する。

 目の前には既に鞄を背負い、準備万端といった感じの宏樹の姿があった。

「おう」

 俺は急いで必要最低限のものだけを鞄に詰めると、宏樹に続くようにして歩き始めた。

 涼鈴の姿を後ろから眺めつつ、歩みを進める。

 やはり今日も彼女の傍に相浦の姿はなく、独りぼっちだった。

 彼女の背中には、哀愁が漂っている様にも見えた。

 同情するわけではないが、きっと彼女は寂しいのだろう。

 そして、ちょうど彼女の後ろを通り過ぎた瞬間だった。突然、涼鈴の首が回り、俺と彼女の視線が重なった。

 ―――まずい、涼鈴のこと見てたのバレた!?

 これだけバッチリ目が合っていれば、言い訳の仕様がない。

 涼鈴は口を小さく開けたまま、決して瞳を逸らそうとはしなかった。

 焦りと緊張で動けずにいると、涼鈴の左手がゆっくりと上がる。

 なんだ、ビームでも飛んでくるのか!?

 そう思い一歩後ろに下がるが、当然そんなことはなく、涼鈴は手をこちらに向けて振った。それから彼女は口パクで何かを伝えようとしてくる。

 俺には「バイバイ」と言っているように見えた。

 なので、俺も同じ様に手を振って口パクで「バイバイ」と言ってそれに応えた。

 彼女は俺からの返事を受け取ると、小さく微笑んだ。

 なんかこういうの青春っぽくって良いな。

 涼鈴から手を震ってもらい、悦びの余韻に浸る。

 それから先に教室を出てしまっていた宏樹を追いかけようと身体を反転させたその時、どこかから視線を感じた。何かと思い、教室を見渡してみると黒板前にいる相浦と目が合った。相浦はじっとこちらを見つめている。先程、感じた視線は彼女のもので間違いないだろう。

 もしかして涼鈴とのやりとりを見られた?

 相浦は俺の視線に気がつくと、すぐに鞄を抑えて教室の外へ走り出した。

 そこで不意に声を掛けられる。

「おい詩衣、どうかしたのか。置いてくぞー?」

 いつまでも後を着いて来ない俺を心配してくれたのか、宏樹が教室まで戻って開きっぱなしの引き戸から顔を覗かせる。

「あ、ちょっと待って」

 俺は宏樹を追いかけ、そのまま教室を後にした。

 教室のある四階から一階まで降りて、下駄箱で靴を履き替えてから昇降口を出る。

 授業中はずっとエアコンの効いた教室にいたせいか、外はより一層蒸し暑く感じてしまう。先程までいた教室が恋しくなる程に。

 俺は宏樹と並んで石甃を踏み、校門までの道のりを歩いて進む。

 時刻はもう既に三時を過ぎているが、まだ太陽は高く位置している。もう七月ということもあって日が落ちるまではそれなりに時間が残されているように感じた。

 正門をくぐり抜けて、ちょうど赤から青に変わった目の前の信号を渡り右に進路を変えた。

 宏樹が向かっているのは駅方面ではなく、俺ん家側のようだ。一体何処へ向かうというのか。

 それよりも前に一つ気になることが、

「お前なんでまだ着替えてないんだよ」

 朝から放課後になった今まで・・・・・・宏樹は未だに女子制服を身に纏っていた。

「え?」

「『え?』じゃねーよ!着替えとけって言っただろうが」

「お前は馬鹿か?普段の制服が無い今、家に帰らずに直接現地へ向かっている俺がいつ着替えられると思ってんだよ」

「後先考えずに女装してきたお前の方だろが!」

 なぜ真っ当に生きている俺が馬鹿にされなきゃいけないんだ。

 宏樹といると退屈はしないが、その分かなりの体力を持っていかれるな。

「そういやこの辺か?詩衣が太宰さんの猫を助けた場所・・・」

「あ?ああ、そうだけど。・・・・・・急にどうした?」

 急に質問されて、一瞬戸惑ってしまった。

 それにしてもこの質問にはどういった意味が含まれているのか、まるで分からない。

 俺はちょうど斜向かいに見えるシズクを庇った場所に目を向けた。

 シズクを助けたのはついこの間だというのに、遠い昔のように感じられる。

 そう感じられるというのは、それだけ涼鈴と過ごしていた時間は濃縮されたものだったということだろう。

 宏樹は「いや」と零すと、後頭部をガシガシ引っ掻いて顔を逸らした。

「今朝、せっかく太宰さんの方からお前を誘ってくれてたのに俺の所になんて来ちゃって良かったのかなと思って・・・・・・」

 なんだそんなことか。

 宏樹はたぶん一日中俺が涼鈴との誘いを断ったことを自分のせいだと思って独りで気にしていたんだろう。

 まあ確かに宏樹のせいで断ったのは事実であるが、断ったことそのものは俺の意志だ。

 宏樹が気を負う必要なんて一ミリもない。

「俺と涼鈴はそれはもう丈夫な見えない赤い糸で結ばれているんだ」

「なんで見えないのに赤色だと分かるんだ?」

「ちょっと黙ってろ」

「え〜」

 宏樹は「そんな理不尽な」と言いたげな膨れっ面を浮かべているが、知ーらないのー。

「この程度のことで俺達の赤い糸が引き裂かれることなど、まず有り得ないから安心しろ」

 俺は胸を張ってそう言うと隣を歩く宏樹は吹き出し、声を高らかに笑いだした。

「そうだよな!お前なら大丈夫だよな!」

「・・・・・・お、おう」

 ここまではっきりと言われてしまうと、少し反応に困ってしまう。

「それにしてもやっぱり詩衣は優しいな」

「気持ち悪いこと言ってんじゃねぇよ。俺は優しくなんてないぞ!優しくないからなあ!」

 そうこうしている内に、どうやら目的地に到着したようで宏樹の足が止まった。

 宏樹が連れてきた場所は、街路樹並ぶこの通り沿いに面した位置に存在する近所の公園だった。

「なんだよ、家の近くの公園じゃん」

 一日中、目的地を明かしてもらっていなかったため、一体どんな凄いところに連れてってもらえるのだろうと期待したら、コレである。

 鉄棒とすべり台、砂場にジャングルジムにベンチ。

 公園としては及第点といったところの何の変哲もないただの公園だ。

 この公園の名前は確か『こども南公園』だった気がする。名前にこどもが付くだけあって高校生である俺にはどれもが小さく見えてしまった。

 まさか高校生にもなってこんな場所に訪れるとは思いもしなかった。

 いつまでも入り口に立っているだけでは仕方がないので公園に足を踏み入れる。

「詩衣、ちょっと待て」

 公園に入った直後、宏樹からすぐに呼び戻された。

「なんだよ」

 訳も分からず呼び止められて若干不機嫌になりつつも振り返ると、宏樹がとある方向に指を差していた。

 指が向けた先を見やる。

 宏樹の人差し指は、今いる位置から数メートル先の道路沿いに位置する赤いボディをした自動販売機を指していた。

「付き合ってくれた礼だ。一本奢ってやるよ」

「お前の彼氏になった覚えはないぞ?」

 そう言った俺は、自動販売機に向かって歩き始めた。

「ちげぇよ。そういう意味で言ったんじゃ・・・・・・」

「俺、レモンティーにするわ」

 宏樹とすれ違う瞬間、彼の言葉を遮るように飲みたいものをリクエストした。

「話聞いてねぇし」

 宏樹は肩を落とし、愚痴を呟きながらも俺の後に着いてくる。

 俺は先に自動販売機の前にたどり着くと、レモンティーがあることを確認してから宏樹が小銭を投入する瞬間を待った。

 宏樹も自動販売機の前に到着してポケットから長財布を取り出すと、次々と小銭を投下していく。

 デジタルの数字が160を表示したところで、俺は上の段に並べられた黄色いパッケージのすぐ下に位置するオレンジ色に点灯したボタンを押す。次の瞬間、ガシャコンと音を立て、ペットボトルの容器に入ったレモンティーが落下してきた。

 俺はレモンティーを回収するべく、自動販売機の前にしゃがみ込んだ。

 宏樹は続けて小銭を投下し、自身の分であろうつめた〜い微糖缶コーヒーのボタンを押した。

 ここで大人ぶって缶コーヒーとか買っちゃう人よくいるよね!一周まわって子供っぽい気がする。

 俺がレモンティーを取ろうと手を伸ばすと、レモンティーの上に缶コーヒーが振ってきて、危うく手を挟まれそうになった。より一層取りずらくなったレモンティーを見事回収すると、宏樹の分の缶コーヒーも取ってあげる。

「おう、サンキューな!」

「どいたま」

 それから俺たちは公園に足を踏み入れる。

 塗装された道路とは違い、公園内の地面は砂や砂利が混合したものだった。こういった場所では制服が汚れやすいので注意しなければならない。

 さーて、これから何の話が始まるのやら。

 公園でお話といったらベンチかブランコでするのが定番だが、どっちかな。

 そう思い、俺は何となくブランコの方に歩いて行こうとすると、宏樹は鉄棒の方へもう既に向かってしまっていた。

 まさかの三つ目の選択肢だとぅ!?

 心の中でアホみたいなリアクションを取りつつ、進路変更して宏樹を後に着いて行く。

 宏樹は鉄棒を掴むと、「せーのっ!」と言って鉄棒の上に座った。

 俺は一つ隣の鉄棒を掴むと特に何も言わず、鉄棒の上に座る。

 宏樹は鉄棒に座ったまま手にしていた缶コーヒーをタブで開けると、口をつける。

 俺もペットボトルのキャップを回してレモンティーを開けると、喉に流し込んだ。

 乾いた喉を冷たい水の爽やかな香りと甘味で満たしてくれる。

「うめぇ!」

「にげぇ」

 俺と宏樹からは、それぞれ別の言葉が吐かれる。

「俺もそっちにすれば良かったなー」

 宏樹が物欲しそうな顔でこちらを見ている。

 レモンティーを一つ口あげますか?『NO』か『いいえ』・・・・・・どっちもいいえじゃねぇかよ。

「仕方ないなー」

「おー神よっ!!」

 宏樹はそう言って手渡されたレモンティーを一口貰うとこちらに缶コーヒーを差し出してきた。

「いや、要らねーから」

「そうか」

 若干渋るように宏樹は缶コーヒーを下げるとレモンティーを返してくれた。

 ・・・・・・コーヒーどれだけ口に合わなかったんだよ。

「それで話ってなんだよ宏樹」

 唐突に話題を切り出すと、宏樹は缶コーヒーを一点に見つめたまま口を開いた。

「詩衣、俺に隠してること何かないか?」

 涼鈴が帰った後、誰もいない教室の中で彼女が先程まで座っていた席に頬っぺたをスリスリと擦りつけて温もりを感じていたことかな。

「いや、特にないが・・・・・・」

「それは本気で言ってんのか?」

 宏樹は勘繰るようにしつこく問てくる。

 実際、隠していることはある。それは相浦と新城のことだ。だが、このことについては涼鈴に他言しないと約束したのだ。なので、口を割るわけにはいかない。

「じゃあ逆に聞くけど、お前は俺が何を隠してると思ってるんだ?」

 尋ね返すと、宏樹が俺の耳元で思いっきり叫ぶ。

「質問に質問で返すなーっ!」

「うるせぇよ!急に騒ぐな!・・・・・・それにさ、まさか何の根拠も無いのに疑ってる訳じゃないよな?」

 宏樹は一瞬黙り込むと、俺の目を見てゆっくりと口を開く。

「VB・・・・・・それと相浦のことだ」

 こいつは凄いな。

 荒城は一応・・・・・・ほんのちょっぴりだけれどイケメンではある。それでいて女子からの人気も決して少なくはない。

 そんな新城が誰かと付き合っていると知れ渡れば、クラスの話題程度にはなるはずだ。だが、そんなことも起こりはしていない。

 そもそも新城は付き合っていることを広めたくないはず。幾つもの女を捨ててはまた新しい女をすぐに作ってしまうような奴だ。

 新城が付き合う度に噂が流れていたらきりがないし、ホイホイと彼女を変えるような人だと知られれば、周囲から軽い男だと思われ、女性と関係を築きにくくなるだろう。

 よって、交際していることは最低限漏れないようにする筈だ。

 なのに、宏樹はどこでどうやって情報を手に入れたのだろうか。

「その情報源はどこ?」

 今回の作戦は情報が肝になってくる。だから、少しでも情報を掴まなければならない。

「最近、詩衣がつれないから学校中を徘徊して暇を潰してたんだけど、その時に部室棟の裏でサッカー部が話していたのをたまたま聞いたんだ」

「そうか、それは悪かったな」

 確かに最近はよく涼鈴と放課後を過ごしていたため、宏樹と遊べていなかった。これは完全な俺の落ち度だ。素直に謝らなければいけない。

 やはりというか、やっぱりというか新城とグルだったのはサッカー部の連中だったか。

「なんか相浦のことを拉致るとも言っていた」

「―――それ本当かっ!?そしたらもう・・・・・・それは完全な犯罪じゃないか」

 俺は目を見開いて、宏樹と顔を合わせた。

 やはり俺の読みは間違っていなかったようだ。

 これで自信を持って計画に臨むことができる。

「詩衣・・・・・・そんなに驚いてないんだ」

 突然、宏樹がそんなことを口から零した。

 その言葉を聞き、俺は今更ながらに嵌められていたことに気づいた。

 どうやら宏樹からの疑いはまだ晴れてなかったようだ。

 個人的には驚いた様に見せたつもりだったのだが、演技力が足りなかったようだ。

 しかし、ここは何とか誤魔化さないと。

「まあ、新城のことは中学から知ってるからな・・・驚きなんて・・・・・・」

「俺がどれだけお前と一緒に過ごしてきたと思ってんだ?」

「・・・・・・・・・」

 宏樹の鋭い眼光に気圧されて一瞬思考が止まった。

「今更つまんねぇ嘘ついてんじゃねぇよ。身近な人が危険な目に遭うと分かって、お前が動かないわけが無いんだ」

「そんなことは無い」

「―――ある!だって、詩衣は俺にとってのヒーローだからな」

 俺は最後の一言で、誤魔化すことを辞めた。いまの宏樹にはどれだけ嘘をついたところで意味を成さないと悟ったから。

 たぶん俺の嘘はとっくに全部見透かされているのだろう。

 それに今回ばかりは全部宏樹の言い分が正しいと俺でも思う。

 やっぱり親友を誤魔化そうなんて考えが馬鹿だったのかもしれない。

 だって、コイツは俺よりも俺の事を見てきたんだから。

 俺は降参の意思表示としてバンザイして見せる。

「はぁー、分かったよ。嘘をつくのも誤魔化すことも辞めだ辞め」

「お?詩衣にしちゃあ、随分とあっさり引き下がったな」

 宏樹は拍子抜けとばかりに肩を落とし、先程とは打って変わってあっけらかんとしたいつもの表情に戻った。

「あそこまで言われちゃ下がるしかねぇよ」

 ―――詩衣は俺にとってのヒーローだからな。

 俺はそんな大層な存在じゃないのに。

「俺が姉貴のことでブチギレた時にただ一人、詩衣だけは俺を体を張って止めてくれた。俺が学校を辞めずに済む方法を探してやると言ってくれたんだ」

 確かにあの時はちょっとヤバかったわ。

 宏夏さんが学校を辞めた原因は新城であると学校側に告発した際に、問題を大っぴらにしたくない学校側が肉体関係を許した宏夏さんにも悪い所があるのではと述べ、新城に処分を下さなかった。

 そのことに激怒した宏樹を俺が止めたのだ。

 あの場面で教員や新城に暴行を加えていれば、処分を下されていたのは宏樹の方だったから。

 その時、確かに俺は言った。

 ―――「新城に復讐する別の方法を探そう」と。

 宏樹と仲が良くなったのはそれからだ。

 俺と宏樹は卒業式当日、朝早くから学校に訪れ、体育館のステージに繋がるステップ階段の裏側をノコギリでギリギリまで削った。

 そして、式辞を担当する校長先生を学校側への報復の象徴とし、階段の底が抜けて転ぶという羞恥を公衆の面前の前で味あわせてやったことは記憶にも新しい。

「どうせ俺を巻き込まない様に・・・・・・一人で解決するつもりなんだろ」

 宏樹はそう言うと、俺の顔を覗き込んできた。

 だが、宏樹は少し勘違いをしている。

 なぜなら、今回に限っての正確な依頼主は太宰涼鈴だからだ。

 彼女の願いを叶えることが必然的に宏樹の為になるというだけなので、俺の行動理念に宏樹にへの気遣いは一切ない。

 だって、涼鈴と約束を交わさなければ、俺は余裕で宏樹に頼っていた自信さえあるからな。

 それに今回の作戦は一人じゃない。

「ひとりじゃない・・・・・・俺は涼鈴と二人で解決するんだ」

「なるほどね」

 宏樹は得心がいった様にうんうんと頷いている。

 それにしても俺には一つだけ、分からないことがある。

 それは放課後の暇潰しになぜ学校中を徘徊するなどの選択肢を取ったのかだ。

 本来なら家に帰ってゲームしたり、寝るという選択肢が挙げられる筈なのだが、そんな中なぜ学校中の徘徊なのだ。

 入学したての春とかならまだ分かるが、今はもう七月だ。

 この頃になれば基本的に学校の中をほぼ把握している頃だと思う。

 だと、すれば最初から別の目的があるように感じるのは気のせいだろうか。それこそ情報収集とか。

「もしかしてお前、端から気づいていたのかあの二人のこと」

 生暖かい風が全身に吹きつけ、緊張と湿気により一層汗が滲んだ。

 暫くの沈黙の後、宏樹はゆっくりと口を開く。

「・・・・・・・・・目だよ」

「め?」

 宏樹は一体何のことを言っているんだ。

「相浦の目だ。アイツの目は俺達に向けている時とVBに向けている時で明確な違いが表れるんだ」

「そんなことで分かるものなのか?」

「分かるよ。だって、俺の傍にはいつもお手本がいたからな」

 それは修二のことだろうか、・・・・・・いや、修二と仲良くなったのはつい最近のことだ。

 宏樹がいつもと言ったのだからその対象は一人しかいない。

 ―――俺のことだ。

 だが、お手本というのはどういう意味だろうか。

「相浦はな、新城を見ている時だけ・・・・・・詩衣が太宰さんを見ている時と同じ目をするんだ」

 そういうことか。普段自分の目なんて鏡越しでしか見えない。ずっと俺と過ごしてきた宏樹だから気づけたことなんだ。

「なるほどな、そりゃ俺には分からねぇわ。というか、相浦のことよく見てんだな。・・・・・・もしかして好きなのか?」

 俺は敢えてニヤニヤしながら、おちょくる様に聞いてみた。

 まぁそんなことはないと思うけどね。

「そうだよ。詩衣の言うとおり・・・・・・俺は相浦のことが好きだ」

 あるぇえー?何を言いちゃってんのこいつ。相浦が好き?誰が?宏樹が?ええぇー!?

「それほんとかよ!?今までそんな素振り一度も見せてなかったじゃんか!」

「いや、お前に知られたら絶対悪用されるからな。それにお前、太宰さんに夢中であまり周りが見えてなかったろ?」

 ぐぬぬ、確かに俺の脳内は100パーセント涼鈴色に染まってはいたが。

 因みに涼鈴色というのはソメイヨシノの様な淡いピンク色だゾ!

「それにしたって酷いじゃないか!俺は勇気を持って親友である君に好きな子を打ち明けていたのに!」

「うるせー!お前は最初っから隠す気なんてサラサラなかっただろーが!」

「なにをー!」

 鉄棒の上に座りながら、幼稚な取っ組み合いが始まる。

 互いに鉄棒のバランスを取ることに集中し過ぎて、ろくな攻撃が繰り出せていない状況だった。

 やがて肩で息をするようになり、取っ組み合いも疲れてきたので手を離した。

「はぁはぁ、今回はこれくらいにしてやろう」

「はぁはぁ、それはこっちの台詞だ」

 それにしても今日は有益な情報が手に入った。宏樹が相浦をね・・・・・・ふ〜ん、俺の耳に入ってしまったら、もう手遅れだ。これからこのネタで暫くやっていけそうだ。今までやられた分、宏樹を弄り倒してやるぜ。

「よし!話を戻すぞ。・・・・・・お前はどう解決するつもりだ?」

 俺は宏樹から視線を逸らすことなく、真っ直ぐ彼に質問する。

「証拠を押さえた上、現行犯でボコす」

 う、う〜ん。だいたい俺の作戦と変わらないか。俺の場合はボコすのではなく、助けることが前提なのだけれど。

 でも、これなら宏樹が衝動的になって暴れることは無いと思うから、もしもの時の保険ということで戦力として確保しておきたい。

「宏樹も作戦に混ぜれるか、涼鈴に相談してみる」

「マジか!感謝するぜ詩衣!」

 宏樹が前のめりになって、晴れやかな表情を浮かべている。

「言っとくけど、涼鈴がダメって言ったら駄目だからな」

「おう、それなら諦めるわ」

 とりあえず涼鈴に連絡入れてみるか。

 宏樹は元から相浦と新城のことを知っている。

 だったら、無理に秘密を通そうとして決別するよりかは仲間にした方が絶対に良い。

 俺は明後日の作戦に宏樹を混ぜて良いかと、先程交換したばかりの涼鈴の個人チャットに送った。

 涼鈴に送る初めてのメッセージはロマンチックな内容にする予定だったのだが、その予定は呆気なく撃沈した。

 スマホの画面に表示されている時刻はもう既に四時を回っており、いつもならそろそろ夕焼けが訪れる頃合いだ。

 しかし、空はまだ青く夕焼けが遠くに感じる。

 この昼間の長さは夏の幕開けを感じさせた。

 液晶の画面を開きっ放しで涼鈴からの返信を待つが、まだ既読すらつかない。

 返信を待つこの数秒が何十秒にも思え、時間の流れが遅い様に感じる。

「太宰さんは何て?」

「いや、まだ既読がつかない」

 一応、今日からテスト期間だ。きっと涼鈴も勉強とかで色々と忙しいのだろう。

 俺は涼鈴からの返信を諦め、スマホをポケットにしまおうとしたその時だった。

 手元で俺のスマホが振動した。

 まさかと思い、スマホのロック画面を開いた。

 そこには差出人名に太宰涼鈴と表示されたメッセージが届いていた。


『今どこにいますか?』


 今どこにいますか・・・・・・どういうことだ?

 俺はとりあえずこども南公園にいると送信した。

 流石に今度はすぐに既読がついた。

 俺が送信ボタンを押してから二、三秒待つと再び返信が来る。


『今から行くから、そこで待ってて』


 え、来ちゃうの?涼鈴がここに来ちゃうの?

 俺はスマホとおでこがくっつきそうなくらいまで画面に近づいて涼鈴からの送られてきた返信を眺めていると、宏樹に声を掛けられた。

「どうした詩衣、そんなに画面ばっか見つめて・・・・・・何かあったのか?」

 俺はまるでギギギと音がなるんじゃないか思うくらいにゆっくり宏樹の方へ顔を向ける。

「涼鈴が今からここに来るって」

「へー、なんで?」

「それはわかんない」

 一体、彼女は何をしにここへ来るんだ?

「まぁいいや。ちゃんと口で伝えた方が太宰さんもわかってくれると思うし、逆に良かったんじゃない」

「それもそうか」

 まぁ来れば全てが分かる。それまで気長に待つか。

「・・・・・・詩衣テメェ、太宰さんが来ると知って嬉しいんだろ?」

「バッカじゃないの!全然嬉しくないし!」

「じゃあ、太宰さんが来た時、そう言っておくわ」

「ごめんなさい、本当は飛び跳ねそうなくらい嬉しいです」

 くそー、ここぞとばかりイジりやがって・・・・・・覚えてやがれ。

 ずっと鉄棒の上に座っていたので、さすがにお尻が痛くなってきた。ちょっと休むか。

 少し休憩しようと鉄棒から飛び降りたその時だった。着地した足の裏に何かが刺さったような凄い激痛が走る。

「痛ってーーーー!」

「ふははは!馬鹿め。鉄棒から急に降りると足が痛くなるってことくらい小学生でも知ってるわ!」

 俺は足の痛みを和らげようと、足を引きづりながら歩いた。

 一方、宏樹は足の裏が痛くなるのがよっぽど嫌なようでゆっくりと降りようとしている。

 しかし、流石宏樹だ。ゆっくり降りようとし過ぎたせいで腕が限界を迎え、結局勢い良く着地する羽目になった。

「ぎゃああああああああああああ!」

 宏樹は近所迷惑としか思えない程の絶叫した宏樹は、制服を着たまま地べたに転がっていた。

 あーあ、制服に大量の砂埃が付着して凄い有様になっている。

 果から見ると、女子高生に女装したオカマが股を大っぴらに広げて転げ回っているシュールな光景だ。

 もし他の人に見られてヤバい奴と思われても、仕方ないと思う。

 それから更に涼鈴を待つこと三分。

 特にやることもなく、宏樹と一緒にジャングルジムを登っていた時、涼鈴が公園の入り口から姿を現した。

 どうやら涼鈴は私服に着替えていた様で、白い太ももを日差しに晒したデニム生地のハーフパンツにピンク色のTシャツを合わせたかなりシンプルな服装だ。きっとこれは彼女の部屋着だろう。

 夏直前ということもあり、かなりラフな格好になってしまうのは仕方がないとは思うのだが、薄着の下から強調される胸元はちょっと刺激が強過ぎる気がする。

 俺はスゲー嬉しいんだよ?

 しかし、嬉しさの反面、俺以外の人に涼鈴のこの様な姿を見せたくない、独り占めしたいという独占欲が湧き出てしまった。

「お待たせ、二人とも」

「よぉ!」

「早かったね。涼鈴」

 ジャングルジムの上にいる俺達に向け、涼鈴は胸元で右手を小さく振って挨拶を済ませる。

 涼鈴は俺と宏樹を交互に見比べると、その眼は宏樹を映して止まる。

「なんで宏樹君はそんなに汚れてるの?」

 まぁ当然と云えば当然の疑問だよなあ。

「いや、ちょっとな・・・・・・色々あったんだよ」

 なんだよ色々って、喚き散らしながら転がってただけだろ。

「それで太宰さん、俺を作戦のメンバーに入れてもらう件なんだけど・・・・・・」

 単刀直入過ぎるだろ、もうちょい様子を見たほうが良いんじゃないのか。まぁ今言ったところでもう遅いけどな。

「うん、お願いするね」

「ホントか!サンキュー!」

 涼鈴は特に悩む素振りとかもなく、サラッと答えた。

「涼鈴、良いのか?」

「うん。たぶん人数いた方が詩衣くんの負担も減るだろうし、できることも増えてくる・・・・・・何より成功率が上がると思うから」

 涼鈴が俺のことまで考えていてくれたなんて、めっちゃ嬉しい。

「そっか、ありがとう」

「そんなお礼を言うほどのことじゃないよ」

 俺は彼女の話し方に少し違和感を覚えた。

 涼鈴の話し方はいつも感情が乗るというか・・・声の弾み方でその時のテンションが分かってしまう・・・・・・そんな話し方だったはず。なのに、どうも今の彼女の言葉は淡々としているというか、少し淡白に聞こえてしまった。

 ・・・・・・何かあったのか。それとも・・・・・・・・・怒っている?

 取り敢えず、俺と宏樹はずっと上から話すのはどうなんだということで、ジャングルジムを降りることにした。

 それから宏樹は俺が一番聞きたかったことを涼鈴に聞いた。

「今日はどうしてここへ?何か他に用事があるんだろ」

 涼鈴は一度目を伏せると、俺に向き直る。

「ねぇ、詩衣くん・・・・・・どうして相談も無しにさーちゃんのこと宏樹くんに話しちゃったの?・・・・・・・・・詩衣くん誰にも言わないって約束してくれたのに」

 そうか、涼鈴は俺が約束を破ったと思って、怒っていたのか。

 これは俺がいけないな。彼女に何の相談もせず、いきなり宏樹を仲間に加えてもいいかという結論だけを伝えてしまった俺がいけない。

 それにしても約束を大事にしていたのは、友達想いである涼鈴らしいと思う。

「ごめん、実は・・・・・・」

「そのことについては俺から説明させてくれ!」

 俺が話し出したタイミングで、宏樹ははっきりとした声を発した。

「いいよ、話して」

 涼鈴は相変わらず淡白な声音で喋った。

 涼鈴は本気で怒ると、こんな感じになるのか。鋭利に尖った怒声を彼女の声でぶつけられるのは嫌だが、こういう風に淡々と責められるのも嫌だな。

 これからは涼鈴を怒らせないよう、罵られることに努めよう。

「俺が新城を恨んでいることは詩衣から聞いているか」

「うん」

「なら良かった。俺は姉貴みたいな被害者を出さない為にずっと新城を警戒してて、その時に相浦と新城の関係を知ったんだ」

 ほう。宏樹は上手いこと意中の相手が相浦だってことを悟られないように説明したな。

 いつもならここで俺が涼鈴にバラすのだが、今は宏樹が俺の為に弁護してくれているんだ。このことは次の機会まで胸にしまっておこう。

「それに最近、詩衣が妙な動きをしていたから、もしかしてと思って話をふっかけてみたら案の定だったという訳で・・・・・・伝わったかな?」

「うん、理解した。詩衣くんはちゃんと約束を守っててくれてはいたんだね」

 俺はこくこくと頷いた。

「にしても、これは詩衣くんの伝達ミスだね」

 涼鈴はハーっとあからさまに溜め息吐いた。

「申し訳ございません!」

 俺は勢いよく頭を下げると、涼鈴はあたふた手を動かした。

「そんなっ、頭まで下げなくて良いよぉ。浅慮で疑っちゃった私も悪いし・・・・・・」

 涼鈴の声音がいつもの雰囲気に戻っている。これは機嫌を直してくれたと見て間違いないかな。

「でも、これだけは言わせて!」

 涼鈴が唐突に声を張った。

「今回の作戦は確かに人数が多い方が成功するかも知れない・・・・・・けど、その分さーちゃんにとって嫌なことをみんなが知ることになっちゃう」

「うん、そうだね」

 下手をすれば、強姦されている真っ最中に突入することになるから、その可能性は拭えない。

「さーちゃんは一見強そうに見えるけど、本当は弱い子だから、それだけで学校に来なくなっちゃうかもしれない」

 涼鈴は拳を強く握ると、続けて言葉を零した。

「私はそんなの嫌、まださーちゃんと仲直りだってしてないし、もっと一緒にいたい。だから、今回の作戦はこの三人だけにさせて、勝手なお願いだってことは分かってるけど、それでも・・・お願いします」

 涼鈴は言い終えると、深く頭を下げた。

 俺と宏樹は顔を見合わせ、笑みを漏らす。

「分かったぜ、俺たちに任せとけ」

 宏樹はそう言って胸を張ると、その胸を自分で強く叩いた。

「うん!この面子ならできないことは無いと思う」

 俺は俺で涼鈴の前で強く頷いてみせた。

「ふたりとも、ありがとう!」

 涼鈴は顔を綻ばせると、顔を小さく横に傾ける。

 少しオレンジがかった空に照らされた涼鈴の笑顔はとても美しく見えた。

「よーし、円陣組むか!」

 宏樹はそう言うと、右手を前に出した。

 それに続いて、涼鈴も手を重ねる様に前に出した。

 これなら涼鈴の手を何の躊躇もなく触れるぜ!

 最後に俺も涼鈴の手の甲に手のひらを乗せた。

 宏樹からアイコンタクトが送られる。

 どうやら、俺が掛け声をしろということらしい。

 しかたないなー、いっちょやってやっ・・・・・・、

「明後日の作戦!絶対成功させちゃうぞー!」

 ああ、そこは涼鈴が言っちゃうのね。別に良いんだよ。やりたかった訳じゃないもん。

「「「おー!」」」

 声と共に、三つの手が一斉に空へ伸びる。

 これは俺たち三人を勝利に導く狼煙だ。

「詩衣くんの手、ちょっといやらしかった」

 あれ?ここはイイ感じで終わるところじゃ?

「詩衣は変態だな」

「ちょっと待った!それは冤罪だあああああああああああああああああああああーーーーっ!」

 円陣より騒がしい俺の叫声が、夕焼けに染まりつつある公園の真ん中で響き渡った。

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