第3話
ホームルームの開始を報せるチャイムが鳴った。
保険室の窓から外を眺める。
窓の外に広がるアスファルトの駐車場は風に揺れる青葉に日差しを遮られ、涼しげな日陰となっていた。
「う、うーん・・・・・・」
宏樹は呻き声を出すと、ゆっくりと身体を起こした。
「なに、もう朝なの?」
まだ半分しか持ち上がっていない瞼をそのままに、宏樹は首を巡らす。そして、俺の姿を視界に入れると、にこっと微笑んだ。
「なんだ詩衣、家まで迎えに来てくれたのか・・・・・・ウブな奴め」
「なに莫迦なこと言ってんだ、ここは学校だぞ」
普段の宏樹は確かに頭が悪いが、寝起きはもっと酷いな。コイツのバカさ加減も大概にしてもらいたい。
「そうか、俺は超長距離3Pシュートを決めた嬉しさのあまり昇天仕掛けていたのか!?」
「いや、決まってないし、昇天もしてないから。むしろ直撃されてたから。馬鹿も休み休み言え」
いや、昇天してなくなくないか。なくなくさせ過ぎてどっちがどっちだか分かんなくなった。
「とりあえずお前起きたから、俺は教室に戻るわ」
そう言って丸椅子から立ち上がる。
たぶん、帰りのホームルームは終わってるだろうな。別に出たくもないけど。
「ちゃんと保健の先生に一言礼をしてから帰れよ」
俺は宏樹にそう言い残し、保健室のドアノブに手を掛ける。
「なぁ、詩衣」
保健室を出る直前、宏樹に呼び止められた。
振り返ると、宏樹はベッド上であぐらをかいたまま照れくさそうにしていた。
「・・・・・・看病してくれてありがとな!」
そんな宏樹の態度にこっちまで恥ずかしくなってきた。
「やめろよ、恋人同士じゃあるまいし」
「じゃあ恋人になるか?」
「アホか、俺の右隣は涼鈴専用だ!」
「だよな!」
「それに俺は座ってただけだし。まぁ?それでも恩に着るって言うんなら?物で返してくれ」
「ああ、そうするよ」
その宏樹の言葉を聞いて、俺は次こそ保健室を後にした。
教室に戻ったが、案の定帰りのホームルームは終わっており、何人かの生徒が教室内に残っていただけだった。その中には修二の姿もあった。
「宏樹の様子はどうだ?」
「さっき起きた所だよ。でも、心配はなさそう」
「そうか、それは良かった」
修二は安心したように息を吐いた。
「気になるなら、保健室寄ってみれば?今ならまだ保健室にいると思うから」
「そうさせてもらうよ。じゃあな詩衣、また明日」
「ああ、明日な!」
修二は小走りで宏樹の元へ向かった。
宏樹の付き添いでずっと体操服姿のままだったので、自分の席から制服を取り出し、着替え始める。
友達になって一日目だというのに、修二はほんとに宏樹のことが気に入っているようだな。まぁ入学当初から金髪である彼のことを蔑視され、今日まで話し掛けてくれる人なんて居なかった彼には宏樹が救世主の様に映っているのだろう。
もしかしたら、再び独りになることを恐れるが故の行動なのかもしれない。
どちらにせよ、相手が宏樹でなければここまで気に入られることもなかった筈だ。
そう考えると、やっぱり宏樹は凄い奴だと思う。
別に友達を取られて寂しいとか、そういうわけじゃないんだからな!
制服に着替え終わり、鞄を背負って教室出る。
まだ教室に宏樹が戻って来ないことから、きっと修二に捕まって何処かでだべっているのだろう。
俺は先に帰らせてもらうぜ!
階段を降り、踵を履き潰した上履きを下駄箱に突っ込むと、昇降口をくぐる。
そのままほぼ真っ直ぐに進み、正門を抜けようと歩いていると、
『ミャアァー・・・・・・』
猫の鳴き声が聞こえた。
学校に・・・・・・・・・猫?
不思議に思ってきょろきょろ周囲を見渡すが猫の姿は見つからない。
すると、トンッと足に何かがぶつかる。
俺の足にぶつかってきたのは猫だ。きっといまさっき鳴き声の主であろう。灯台もと暗しとはこのことだ。最近は猫に何かと縁があるなと思いつつ、
「どうしたニャーちゃん」
足に擦り寄る猫に手を伸ばす。そこであることに気づいた。
「この子、涼鈴が飼ってるシズク?」
クリーム色と白色ほど良い塩梅毛並みに、短足胴体のボディ。極めつけはこのくりっとした瞳だ。ずっと見ていると、吸い込まれそうになる感覚に陥る。
昨日も見たこの瞳を俺が忘れるわけがない。
それにしても何でこんな所にシズクがいるんだ?
確かに涼鈴の家はここから近いが、彼女の話では家から脱走することなんてことは滅多にないらしい。
俺はもう一度シズクに視線を落とす。
「けど、ここにいるもんなあ」
シズクが脱走したことを知れば、涼鈴はまた昨日のように街を奔走しなければならなくなるし、一度事故にも遭いかけてるので、凄く心配するだろう。
ひとまず、ここは俺が保護して涼鈴の家に届けるか。
伸ばした手をシズクのお腹に添えて抱き上げようとしたその時。
『―――ニャアッ!』
シズクはぴょんと俺の手から離れ、校舎の方に向かって駆け出しだ。
「あっ、待って!」
バスケ後の疲れた身体にムチ打ってシズクを追い掛ける。
背負った鞄の中で空っぽのお弁当箱がカチャカチャと音を立てて耳障りだ。
置き勉しているおかげで鞄は軽く走りやすくはなっているが、それでも身体の動きを阻害される。
学校の敷地内を駆け回るシズクは前方にいる女子生徒がいるのにも関わらず、一直線に突っ込む。そしてスカートの下をトンネルをくぐるように通り抜けた。
「きゃっ!?なにー・・・・・・って猫?」
膝上丈のスカートを必死に抑える女子生徒の光景は目の保養になる。
良いなー、俺もくぐちゃっおうかな・・・・・・たぶんというか絶対に明日から学校に来れなくなりそうなので辞めておこう。
それからシズクは、昇降口の中へ入って行く。その後ろに俺も続いた。
校舎内に入ったので、背負っていた鞄をすぐさま降ろし、下駄箱の脇に置いておく。
シズクを捕まえようと、ひたすら追い掛けまくる。
その結果、放課後に男子生徒が校舎内で猫を追い掛け回すというシュールな光景が誕生し、人にすれ違う度にクスクスと笑われる羽目になった。
おのれぇ、シズクめ!捕まえたらその綺麗な毛並みを撫で回してやるから覚悟しておけ!
そんなことを考えつつも、シズクを追い掛ける。
そして、昇降口とは反対に位置する扉が開け放たれた裏口をくぐったところでシズクが足を止めた。
今がチャンスだと思い、速度を上げてシズクに駆け寄ると、その小ぶりな胴体を両手で持ち上げた。
「よっしゃ、捕まえた!」
シズクを捕まえた俺は、再び逃げられないようにするため胸元に抱き寄せる。
足を止めることなく、ずっと走り回っていた為、着ているワイシャツは汗でビシャビシャになっていた。
冷えた風が校舎の裏に吹き抜けると、背中に濡れたワイシャツが張りついて夏だというのに寒さを覚える。
シズクを抱えて校舎内に戻ろうとした時、聞き覚えのある声が耳に届く。
「ねぇ、涼鈴さん。俺と付き合わない?」
その言葉を聞いて、体中のあらゆる汗腺が一気に開き、今度は嫌な汗がブワッと吹き出した。
今なんて言った・・・・・・?
見つからないように反射的にしゃがみ込み、車の後ろに隠れて声のする方を覗き込む。
そこにいるのは涼鈴と―――やはり荒城だった。
どうすればいい、どうすればいい!!
涼鈴はあいつの過去を知らない。だとすれば、彼女から見たシュチュエーションはイケメンから告白されたのと同じ。
ここに来て、昨日の宏樹が言った「他の人に先越されるぞ」という言葉が俺の脳裏を過ぎる。
そのせいで最悪の結末を想像してしまい、不安と焦燥に掻き立てられた。
断れ、断れ、断れとひたすらに念じていると、
『 ・・・・・・ミャア!』
俺の腕から脱出したシズクが、駐車場の方へ飛び出して行ってしまったのだ。
「おい、待て!」
咄嗟にシズクを追い掛けて、捕まえる。
意外とすんなり捕まえることができたので、安心した俺は「はぁ〜」と大きな溜め息を吐いた。
「おい・・・・・・お前、そこで何してんだ?」
鋭い眼光で睨みつけ、怒気を孕んだ声音で声を掛けてきたのは新城だった。
やべぇ、やっちまった。
脇から厭な汗がたらたらと噴き出し、汗が上から下へと二の腕を伝う。
「なんかお前、どっかで見たことあるな」
新城はそう言って首を傾げた。
・・・・・・なんだコイツ、俺のことを忘れたのか。
すると、こちらに背を向けていた涼鈴は、新城の視線を追うようにして振り返った。
「・・・・・・・・・・・・詩衣くん」
俺の姿を見た涼鈴は目を大きく見開き、固まる。
それから俺の抱えているものに目を向けると、血相変えてこちらに走ってきた。
「ねぇ、なんでシズクもいるの?」
俺の前まで来た涼鈴は、彼女らしからぬ剣幕で静かに問いただしてくる。
そんな涼鈴に圧されて、俺は少しというかかなりキョドってしまった。
「いや、家に帰ろうとしたら、正門前にシズクがいて・・・・・・涼鈴に届けようとしたんだけど」
「それほんと?」
「・・・・・・うん」
すると、涼鈴は大きく胸をなで下ろした。
「ごめん。私、シズクのことになると気が動転しちゃって・・・・・・それで・・・・・・」
落ち着きを取り戻した涼鈴は、制服の胸元をギュッと握ると、頭を下げる。
俺は抱えていたシズクを涼鈴に手渡した。
「いや、その気持ち、ちょっとだけわかるよ。シズクめっちゃ可愛いもんな、俺もお持ち帰りしたいくらいだ」
涼鈴はシズクを抱き寄せると、身をよじった。
「絶対、あげないんだから」
尖った口調で、それでもちょっぴり嬉しそうに涼鈴は言った。
あ、俺これ好きだわ。
涼鈴を見て、キュン死していると、新城がこちらに向かって来るのが視界に入る。
こいつ邪魔だなあ、早く視界から消えねぇかな。
「おい、その子はいま俺と大事な話をしてんだよ。キョドってる陰キャはすぐに帰れ!」
新城が俺に向かって荒々しく罵声を飛ばす。
「あ?・・・・・・なんだテメェ」
そんなクソ新城にイラつき、つい口の悪さを垣間見せてしまった。が、それを新城はスルー。そして、図々しくも涼鈴の傍に寄った。
「なあ涼鈴、そんな猫ちゃんほっといて、早く返事を聞かせてくれない?」
はい、勝ったー!新城ざまぁ!こいつ何も分かってない。
彼女がとても大切にしている猫をほっとけなんて言ったら、ワンチキレるぞ。
「ごめんなさい、私・・・・・・あなたとは付き合えません」
涼鈴が丁寧にお辞儀で返す。
それに対して新城は、明らかな苛立ちを見せると、小さく舌打ちをした。
「ブスが調子乗ってんじゃねぇぞ」
「・・・・・・え」
新城は拳を振り上げると、涼鈴に殴りかかる。
俺は咄嗟に新城と涼鈴の間に体を滑り込ませた。
「うっ!?」
新城の拳が俺の顔面にクリーンヒットする。
殴られた顔が熱くジンジンする。
足が少しだけよろけてしまったが、この程度で倒れはしない。
「詩衣くん、大丈夫!?」
涼鈴が俺の元へ駆け寄るのを、右手で制止した。
「来ちゃだめ」
「・・・・・・でも」
涼鈴が俺のこと心配してくれたから、殴られた損ではなくなったな。
「なに雑魚がヒーローごっこしてんだよ!」
新城が人差し指を引っ張ってパキパキ骨を鳴らす。
「先輩は指を鳴らす時に引っ張るタイプなんですね・・・・・・ダッサ」
とりあえず相手を煽ってゆくぅ。
「詩衣くんなに煽ってんの!?」
涼鈴が驚声をあげた。
すると、今度は指ではなく首の骨を鳴らし始めた。
「本当はちょっとボコす程度にするつもりだったけど、辞めた。・・・・・・二度と舐めた口聞けないように、お前の骨を折るからな」
嘘つけ、最初から骨を折るつもりだった癖に・・・・・・。
「よくも、ただでさえそこまでカッコよくない俺の顔を不細工にしてくれたな、ぶっ殺すぞ?」
そう言って、俺は垂れていた鼻血を親指で拭いとった。
新城は再び殴り掛かってきた。
すぐさまその場に転がってる小石を何個か拾うと、拾った小石を新城の顔面に目掛けてぶん投げる。
「いてっ!?」
顔に石が直撃した新城は思わず、傷口を手で抑えた。
その隙をついて、俺は新城の左太もも・・・所謂ももかんと呼ばれる部位に左足で膝蹴りを入れる。
「―――いっ!!」
新城が痛みに耐え切れず、左膝を着いた。そこですかさず、今度は反対の右太ももをまるでボールを蹴るように蹴り飛ばした。
新城は両腿を痛めたことにより、立つことが難しくなる。
「どうだ・・・・・・お前が散々陰キャ呼ばわりしてた奴に、見下される気分は?」
「お前、石なんか投げやがって・・・・・・卑怯だぞ!」
新城は鋭い目つきで睨みつけてきた。
そんな新城に俺は侮蔑の眼差しを向ける。
「喧嘩にルールなんか無えんだよ!勝ちゃいいんだよ。そんなことも知らないの?ヤンキー漫画読んで出直して来れば?」
そこまで吐き捨てると、俺は許可もなしに涼鈴の手を取った。
「行くぞ!」
「うん!」
俺はシズクを抱く涼鈴を引き連れて、裏門の方へ駆ける。
「お前ら絶対許さないからな、俺に歯向かったことを後悔しろおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
背中越しには新城の悔しがる怒号が響いていた。
なぜ悪いことをしたのに、こんなにも愉しいのだろうか。
ハラハラするから?ドキドキするから?たぶんどれも間違っていない。
けれど、一番の要因はやはり涼鈴が一緒だからなんだと思う。
だから、これほどまでの解放感を味わえるんだ。
硬いアスファルトの上を走り続けるのはとても疲れる。けれど、この疲れが、生きてるって感じが、最高にたまらない!
まるで主人公になったみたいだ。
それは涼鈴も同じなようで、息を切らしながら、晴れやかな笑みを浮かべて走っている。
そんな彼女を見て、心が疼いた。
やっぱり、俺は誰よりこの子が良いなあ。
裏門を抜け、目の前で青信号が点滅する中、横断歩道渡り終え、涼鈴ん家の門扉の前まで来てようやく足を止めた。
「こ、ここまで来れば平気だろ」
「はぁはぁ・・・・・・うん、たぶん大丈夫・・・・・・」
そこで涼鈴と目が合った。
恥ずかしくなった俺は視線を逸らす。すると、今も繋がれたままの右手が視界に入った。それにつられるように涼鈴の視線も繋がれた手に注がれる。
そのせいで余計に顔が熱くなり、顔を俯かせる。
それは彼女も同様だったようだ。
だが、意外にも繋がれた手が離れることはなく、俺と涼鈴は握る力を込めるのでもなく、緩めるのでもなく、ただただ互い体温を感じていた。
時間にして一分だろうか、三十秒だったろうか。
むず痒いけれど、今はそれが心地よい。
そんな時間が流れている。
でも、幸せな時間ほどあっという間に過ぎてしまうものらしく、そっと涼鈴の手が離れていった。
「またシズクを助けてもらっちゃったね・・・・・・ごめんね」
涼鈴の言葉に反芻するようにしてシズクが『ミャー』と鳴いた。どうやらシズクも反省しているようだ。
「謝ってもらうより、ありがとうって言われた方が俺は嬉しいんだけどな」
あれ?俺はいま、物凄く恥ずかしいことを言っているんじゃないのだろうか。
すると、涼鈴はクスッと小さく笑った。
あー、やっぱり恥ずかしいこと言ってたんだな。
「確かに詩衣くんの言う通りかも」
「えっ?」
「詩衣くん、ありがと!」
涼鈴のが言ってくれた「ありがとう」が頭の中で何度も木霊し、胸が熱くなる。
それから涼鈴は「・・・・・・その」と言葉を続けると、思いもよらないことを口走る。
「・・・・・・私の家に上がる?」
まるで俺のことを試すかのように涼鈴は顔を逸らすと、チラチラとこちらの窺ってくる。そんな彼女の頬はほんのり紅に染っていた。
「えっと・・・・・・それって・・・・・・」
「別に変な意味とかないから!ちょっと相談に乗って欲しいことがあるだけで、ほんとにほんとに変な意味とかないから!」
これは遠回しに「お前なんか眼中に無いから!」と言われているのだろうか。そう考えると、死にたくなる。
だが、俺自身そこまで思考が歪みきってはいない。だから、ここは素直に受け取っておこう。
それにしても今の恥ずかしがってる涼鈴はめちゃくちゃ可愛いな、もっと観たいから少しふっかけてみよう。
「変な意味ってなに?」
俺がそう尋ねると、涼鈴は顔はボンッと赤くなった。それから彼女は肩を震わせ、はわわと口を開くと、俺の顎にノールックでグーパンチが炸裂する。
「詩衣くんのバカ!エッチ!変態!」
「―――ぐふぉ!?」
俺は綺麗な弧を描き、飛んで後方に飛んでいく。
涼鈴に罵倒されながらアッパーを食らうのは新城に殴られた時にはなかった快感があった。それが堪らなく気持ちいい。
お願いします、もっといじめてください。
涼鈴は「もうお嫁にいけない!」と、しゃがみこんでしまった。
大丈夫だよ、涼鈴。必ず俺がお嫁にもらってあげるから。あ・・・・・・パンツ見えそう。くそ、見えそうで見えない。まぁ、見えない方が俺の妄想力を引き上げるから、一周まわってエロいんだが・・・・・・。
今もしゃがみ込んでしまっている涼鈴は、顔を腕に埋めると、ヤケクソ気味に再び尋ねた。
「で、家に上がるの?上がらないの?」
きっと彼女は恥ずかしいのだろう。俺なら異性を家に誘うなんて芸当五年経ってもできない気がする。
今になって、好きな子にここまでさせてしまった自分が情けなくて仕方がなく思った。
「・・・・・・じゃあ、上がらせてもらおうかな」
俺がそう答えると、涼鈴は「早くそう言いなさいよ、ばか」と呟いてすっと立ち上がる。
俺は彼女の後ろに並び、玄関扉に続く階段を上って行く。それから涼鈴が扉の鍵を解錠すると、扉をゆっくりと開いた。
初めての涼鈴宅訪問に、目の端に溜まる水滴が感激によって決壊しそうになる。ここまで長かったと思い耽っていると、涼鈴が振り返った。
「詩衣くん、鞄はどしたの?」
涼鈴に言われ、「あ」と間抜けな声を漏らす。背中に手を伸ばし、確認してみると。
「やば、学校に忘れた」
そういえばシズクを追い掛けていた時に、邪魔になっていた鞄を昇降口に置きっぱなしにしていたことを今更になって思い出す。
俺はダルかったが、それより涼鈴の家に早く入りたい気持ちいいが大きかったので、ダッシュで学校に鞄を取りに戻った。
「もう、詩衣くんのあんぽんたん」
背中で聴こえた涼鈴のかわいい野次を受け止めながら、新城と遭遇しないことを祈って走った。
息はたえたえながらも、三分もしないうちに涼鈴の家に再着することができた。
すると、家の前に座るっていた涼鈴が肘をついて文句を零した。
「・・・・・・遅い」
きっと彼女は家にも入らずに、待っていてくれたのだろう。
俺はそんな彼女に感謝しつつ、一緒に彼女の家の中へ入っていった。
「ただいまー」
涼鈴は電気の消いていない家に帰宅の挨拶をするが、返事は返って来ない。
それどころか玄関にも置いてある靴も俺と涼鈴のものだけだ。
どうやら、この家には俺と涼鈴しかいないようだ。
これはまさか・・・・・・涼鈴とそのままベッドインイベント・・・・・・!?
そんな考えが頭を過ぎった時、脳内で涼鈴の舐めかしい喘ぎ声が再生される。
そんな期待をしつつも、不思議の国に迷い込んだ凡人のように涼鈴の家をうろちょろして視線を巡らす。
涼鈴は抱っこしていたシズクを優しく下ろしたと、シズクは尻尾を振りながらリビングと思われる部屋に向かった。
この家の内装をざっくりと説明するならば、綺麗な洋風のお家と言ったところだろうか。
涼鈴が静かな音を立て家の階段を上って行く。
俺の目の前では、涼鈴のスカートがひらひらと揺れ、白い太ももがチラリズムするエデンの園ような光景が広がっていた。
少しだけと自分に言い聞かせ、涼鈴のスカートの中を覗こうと、顔を近づける。
そして、ついにスカートの中で暗がり映る純白であろう布地が視界に入る直前、彼女のかかとが俺の顔面に直撃した。
「あ、ごめん・・・・・・大丈夫?」
スカートの中を覗こうとされていたことなど知る由もない涼鈴は素で謝ってくれて、心配そうにこちらの様子を窺っている。
「こっちこそごめん、ボーっとしてた」
まあ、俺のごめんは覗こうとしたことに対する謝罪なのだが、その真実は俺が墓まで持っていくことにしよう。
「ここだよ」
階段を上りきってすぐ左に二つの部屋がある。そのうちの一つに涼鈴と彫られたネームプレートがぶら下げてあった。
涼鈴は部屋を開け、「・・・・・・どうぞ」と照れ気味に部屋へ俺を招き入れてくれた。
部屋に足を踏み入れた瞬間、家に入った時よりも数段濃い涼鈴の匂いが鼻腔を襲う。
そのあまりの香りに酔いしれそうになってしまった。
いつまでも味わっていたい・・・・・・そんな匂いだ。
そして、部屋を見渡す。
白い壁にピンクのカーテン、それにベッドと勉強机。
涼鈴の部屋はきちんと整頓されていてよけいな物がほとんどなかった。あるとしても勉強机の上に置かれた読みかけの小説くらい。
実を言うと、彼女の下着を見つけてしまうハプニングを期待していたのだが、それも期待できそうにはなかった。
「ここに座って」
床に置かれた小さなテーブルの側に座布団が引かれる。
涼鈴がベッドに座ったタイミングで、俺もゆっくりと座布団に腰を下ろし、正座になった。
「なんで正座なの?」
涼鈴は俺が正座していることに疑問を持ったみたいで、直ぐに理由を尋ねてきた。
「実は俺、体が硬くてあぐらかけないんだよね」
「へー、珍しい。ちょっとやって見てよ」
「良いけど・・・」
俺は正座を崩すと、足を組み、あぐらをかいて見せた。しかし、膝は高く、股関節に痛みが生じてストレッチをしている感覚になる。
「これで良いかな?」
そう言って俺が顔を上げると、涼鈴がスマホを構えていてパシャリと音がなった。
それから涼鈴は鼻歌交じりにスマホを操作している。
「あのー、涼鈴さん?」
「なに?」
「その写真をどうするおつもりで?」
「んー・・・・・・・・・・・・・・・内緒」
そう言ってニコッと笑うと、誤魔化した。
おいおい、内緒ってなんだよ、怖過ぎんだろ。
俺は何を考えているのか分からない目の前の彼女に怯えきっていると、その彼女が口を開いた。
「詩衣くんを部屋に上げたのは、私の相談相手になってもらいたいからなの」
「その相談ってなに?」
「相談の前に・・・・・・このことを絶対誰にも言わないって約束してくれる?」
涼鈴はいたって真面目な顔つきで俺を見据えてくる。これから彼女が話すことはそれほど大事なことなのだろう。ならば、俺は少しでも力になってあげたい。
「分かった。誰にも言わない」
俺はそう言うと、涼鈴の目をを真っ直ぐに見据える。
「ありがとう。詩衣くんを信じるよ」
涼鈴は安心したように、頬をゆるめた。
「それで相談っていうのは?」
「―――さーちゃんのことなんだけど」
さーちゃん?あー、相浦のことか。
「相浦がどうしたんだ?」
「さーちゃんはね、えっと・・・・・・さっき私に告白してきた新城先輩のことが好きなの・・・」
おっとぉ?いきなり恋バナが始まったぞ。
「じゃあ涼鈴は、相浦のためにさっきは新城を振ったってことか?」
涼鈴はコクリと頷いた。
相浦よくやった。ファインプレー過ぎるぞ!
「それにしても相浦が新城をねー、あいつ面食いだったんだな」
「そういうことが言いたいんじゃないんだけど・・・・・・まぁそういうことでいっか」
涼鈴さん、そこら辺は結構テキトーなんですね。
「ということはアレか、今日のことを相浦にバレないようにして欲しいってことか?」
「それもあるんだけど・・・・・・私、あの人じゃ、さーちゃんを大切にできないと思う」
その考えは間違っていない。実際、新城は女絡みの話だと碌なものがないからな。
「だから、相浦に新城を諦めさせる方法も考えて欲しいと?」
「その通りナノダヨッ!」
涼鈴はこちらに向かって指をさし、ホワイトニングされた歯をキラーンと光らせた。
おーい、キャラがブレッブレですよ〜。
すると、今度はか弱い小動物的な眼差しでこちらを上目遣いで見つめてくる。
「・・・・・・できるかな?」
その顔は反則だって・・・・・・できないなんて言えないじゃん。
「ま、任せてくれよハニー。俺がなんとかしてみせる!」
「は、ハニー・・・・・・?」
涼鈴は少し困ったような反応を見せた。
―――しまった。余計なこと口走った。
「そ、それは・・・・・・その、えーと・・・・・・言葉の綾と言いますか・・・・・・」
俺がしどろもどろ誤魔化そうと、必死に言葉を探していると、
「ま、ハニーでもいっか」
「ええっ!?」
涼鈴はあっけらかんとした顔で答えたため、驚きの声が漏れた。
「涼鈴さん?いまのは、そのどういう意味で・・・・・・?」
「ごめんね、詩衣くん。結構無理なお願いごとをしている自覚はあるんだ。だけど、一人じゃどうしようもなくて・・・・・・」
あれ、なんか話を遮られたような気もするが気の所為だろうか。とりあえず、涼鈴が落ち込んでいるので、励ましてあげないと。
「そんなことないよ!俺にできることがあるならいつでも言ってくれて大丈夫だから」
俺がそう言うと、朗らかな表情になった。
「さっき助けに来てくれた時、詩衣くんは自分のことをそこまでカッコよくないって言ってたけど・・・・・・わたしはかっこいいと思うな」
普段から褒められ慣れていないせいか、こうして急に褒められると妙に照れくさくなってしまった。
「褒めてくれて・・・・・・ありがと」
「ふふっ、どういたしまして」
涼鈴の声だけを耳に入れ、紅葉した顔を隠すように窓の方を向く。
既に太陽は西へ傾いており、窓の外にはオレンジ色に校舎が照らされる夕映えの景色が広がっていた。
赤くなった顔を隠すのにはちょうどいいかと思いつつ、時計を見やる。針は五時を差していた。
「そろそろ暗くなって来るし、俺は帰ろうかな」
そう言って立ち上がろうと、腰を浮かせた時だった。
「あっ・・・・・・」
呼び止めようとしたのだろうか・・・涼鈴が中途半端に右手を上げ、こちらに伸ばしていた。
「まだ相談終わってなかったのか?」
「そういう訳じゃないんだけど・・・・・・」
涼鈴はそう言うと、伸ばしかけた右手をゆっくりと下げた。
「・・・・・・安心しろ相浦が新城を諦められるようにこっちも尽力するから」
「うん、ありがと。私もできるだけのことはするから。・・・・・・家の前まで送るね」
涼鈴はベッドに両手をついて、立ち上がる。それから部屋の扉を開け、俺が部屋を出るまで扉を開けたまま待っていてくれていた。
俺はそんな彼女に礼を言いつつ、部屋を出る。
足音だけが響く階段を降り、二人で玄関まで来る。
そして、俺は涼鈴に見守られながら靴を履いていると、不意に着信音がなった。
着信音は俺が設定していたものと違うので、きっと涼鈴のスマホから鳴ったものだろう。
案の定、涼鈴はポケットからスマホを取りだし、画面に眼を向ける。
「あっ、さーちゃんからだ!」
どんなやりとりしてるのか気になり、チラッと涼鈴を見やる。
すると、スマホの画面を見ていた涼鈴の表情が強ばり、顔色はだんだんと青くなっていく。
「大丈夫か、顔を色が悪いぞ?」
涼鈴がゆっくりとこちらに向いた。その顔はやはり何かに怯えているように見える。
「詩衣・・・・・・・・・これ」
そう言って涼鈴はスマホの画面をこちらに見やすいようにかざしてくれた。
その内容は相浦が彼女の想い人・・・・・・つまり新城に今さっき告白されて付き合うことになったというものだった。
「嘘だろ・・・・・・今日の今日だぞ・・・」
さっき涼鈴に告白して振られたばかりだというのに、小一時間も経たないで他の女・・・・・・ましてや相浦に告白するなんて、人間のすることじゃない。
「詩衣くん、どうしよっ!?」
涼鈴は焦燥にかられて一層強くスマホを握った。
たぶん新城は先程、俺と涼鈴にコケにされたことを根に持ってこんな行動をとったに違いない。もしこの仮説が正しいとするならば、間違いなく相浦は悲惨な結末を迎えることになるだろう。
そうなる前に、ここで涼鈴に新城の過去を全て話し、情報を共有するべきかもしれない。
「実は、俺と宏樹、宏夏さんは新城と同じ中学だったんだ」
「宏夏さん、って?」
「宏樹のお姉さん」
「そこでなんで宏樹くんのお姉さんが出てくるの?」
「まぁ聴いてよ」
「うん・・・・・・」
涼鈴は戸惑いながらも俺の話に耳を通してくれる。
「当時、新城はその宏夏さんと付き合っていたんだけど・・・・・・」
「・・・・・・うん」
「付き合って間もないある日、新城は宏夏さんに対して半ば強引に肉体関係を築かせたんだ。しかも、性交の撮影まで」
「・・・・・・酷い」
涼鈴は思わずといった感じで、口元を手で押さえた。
「それが引き金となって宏夏さんはすぐに新城と縁を切ったんだけど・・・激昂した新城は、当時撮影していた動画や写真を学校のネット掲示板に貼りやがったんだ」
「・・・・・・宏夏さんは?」
「泣いてたよ。動画とかはすぐ学校側に消されたけど、宏夏さんはそれがトラウマになって学校に行かなくなった」
「それ、宏樹くんも知ってるんだよね・・・・・・」
涼鈴は姉を酷い目に遭わされた宏樹のことを同情しているのか、凄く辛そうな顔をしている。
「ああ。宏樹は当時のことを相当後悔してる。というか、あいつの場合は新城に復讐するためにこの学校に来たんだけどな」
「復讐って、何をするの?」
「それは知らない」
俺はおどけたように、両手を小さく上げた。
「・・・・・・さーちゃんも同じ目に遭うのかな」
涼鈴の肩が震えているのが、見て取れた。
俺はそんな涼鈴を励まそうと、ちょっと恥ずかしいけれど、彼女の肩に手を置く。
「そうならないようにするには、俺たち二人でなんとかするしかない!」
「うん・・・・・・うん!そうだね!」
涼鈴はパチッと頬を叩いて気合いを入れる。
力強く頬を叩いたせいか、頬は真っ赤になっていた。
それだけ気合いが入っているということだろう。
「まずは明日、涼鈴の方から相浦に今すぐ交際を辞めるように言ってくれ・・・・・・凄く難しいことだと思うけど、頼んだ」
「うん!やってみるよ!」
「俺はもしもの時の為に、色々と準備を進めておく」
「さーちゃんを守ろう作戦開始だね!えいえいおー!」
「え、えいえい、おー・・・・・・」
これ超恥ずかしいんだけど。それにしてもネーミングセンスが絶望的だな。
「詩衣くん声が小さい!もっかい、えいえいおー!」
「えいえいおー・・・・・・!」
涼鈴の声に続いて、少し低めな俺の声が玄関に響いた。
なんで好きな子の家でこんなことやってんだ?
翌日の昼休み、宏樹と修二の二人と席を囲み何気ない時間を過ごしている。だが、この中で一人・・・・・・俺だけは気が気ではなかった。なぜなら、これから涼鈴が今から相浦に新城との交際を辞めるように説得しに行くからだ。
席にじっと座る涼鈴の顔はこれでもかというくらい強ばっている。すると、涼鈴がこちらの視線に気づいた。
俺は胸の前で小さくガッツポーズをして見せると、涼鈴はこくりと頷き返した。
涼鈴は席を立ち、相浦の元へゆっくりと歩いてゆく。それから相浦の傍まで来ると、彼女の肩を優しくトントンと叩いた。
「さーちゃん」
「どうしたのスズ?」
スマホをいじっていた彼女はスマホから涼鈴に視線を変えた。
「大事なお話があるの」
「大事な話・・・・・・?」
「ここじゃあ、ちょっとアレだから場所変えよ」
「うん、良いけど・・・・・・屋上?」
「うん」
そして、涼鈴と相浦は並んで教室の外へ消えた。
俺は腕を組んで、机に突っ伏す。
涼鈴の説得が上手くいく確率はあまり高くない。でも、これで成功できれば最善ではある。
涼鈴は上手くやってのけられるのだろうか。
うーん、気になる。様子、見に行くか。
「ごめん。俺、今日の授業で分からないところあったから先生に聴いてくるわ」
俺は適当な理由をでっちあげ、席を離れようとする。だが、ガシッと腕を捕まれて席を離れることができなくなった。俺の腕を掴んだのは宏樹だ。
「お前がそんな真面目ちゃんみたいなことする訳ないだろ。何が目的だ?」
くっそ・・・・・・こいつ、バカの癖にこういう時に限って感が鋭い。
すると、今度は話を聞いていた修二が口を開く。
「俺もそれには同意見だ。分からないところならば、定期テスト学年総合一位であるこのオレサマに聞けばいいだろ」
そう言った修二のフェイスはキラキラと写真でもないのに加工されたようになって、星みたいなやつが舞って光っている。
まずい、完全に逃げ場を塞がれた。
修二のヤツ、こういう時に限って勉強できますアピールなんかしなくて良いんだよ!
「修二、その星ってどうやって出すんだ?」
宏樹が修二に尋ねる。修二はこれか?とキラキラを触りだす。なにそれ、触れんの?
「俺が真のイケメンだと思い込むことができれば、出せるぞ」
お前、普段からそんなこと思ってたのか。チョー引くわ。
「よし、やるか・・・・・・フンッ!!」
宏樹が気合いを入れたように目を瞑り、強く念じる。が、何も起こらない。
宏樹はゆっくりと瞳を開ける。
宏樹の瞳は少女漫画のヒロインのように大きくなり、目の中がキラキラしていた。
「ブフッ!?お前その目なんだよ!」
「なんだよ、何か変か?」
宏樹からは見えないらしい。
すると、修二が感心したように吐息を零す。
「基礎も踏まずに無我の境地に辿り着いてしまうとは・・・・・・お前の才能が恐ろしいぜ」
なに、これってそんな凄いことなの?ただのヤバい奴にしか見えないんだけど。
「そのまま詩衣を見てみろ・・・・・・イケメンに見えるはずだ」
なんだその少女漫画フィルターみたいな機能。凄すぎだろ。
宏樹は言われるがままに、俺の顔を見る。
やめろ、その目で俺を見るな。
「ほんとだ!あの詩衣でさえイケメンに見えてくる」
「おい、あの詩衣でさえってどういう意味だ!」
俺は宏樹に突っかかるが、宏樹はそれを完全にスルーし、今度は修二の顔を見る。
「修二は・・・・・・・・・あまり変わらんな」
宏樹がそう言うと、修二は前髪をかきあげる。
「当然だろう。なにしろ俺は産まれながらのイケメンだからな」
なんだそれ、メッチャムカつくな。
おっと、危ない。こいつらのせいで完全に涼鈴達のこと忘れてた。
そろりそろりとゆっくりバックステップで後退していく。
「おい、どこへ行く?」
が、すぐに宏樹にバレた。
強行突破で走り去ってしまおうかと思った、その時―――。
「そういえばさっき、太宰さんと相浦が一緒に出て行ったなあ」
ギクっと肩が跳ねる。
「なんか屋上に行くとか言ってたなあ」
ギクギクっとされに肩が跳ね上がった。
目的地までバレてるのであれば、どうしようもない。
「頼む、行かせてくれ!そしてお前らは着いてくんな!この通りだ!」
俺は必殺技である土下座をする。これで行かせてもらえなかったら、もう様子を見に行くのは諦めよう。涼鈴と例の件は他言しないと約束しているからな。
「別の行っていいぞ」
「最初から素直にそう言えば良かったのに」
修二と宏樹は案外簡単に頼みを承諾してくれた。
「ありが・・・・・・コノヤロウ共め」
俺が嬉しさから顔を上げると、宏樹と修二は人差し指と親指で輪っかを作り金を寄越してから行けとジェスチャーを送ってきた。
仕方なく、ポケットから財布を取り出して小銭である100円を一人一枚づつ投げつけた。
「これでジュース一本分な」
それから俺は財布をポケットにしまおうとした時、「おい」と再び宏樹に声を掛けられる。
めんどくせぇなと思いつつ、振り返ると。
「俺はモンスターが飲みたい」
「クソが!」
俺は暴言を吐き捨てると、100円をもう一枚宏樹に投げつける。
「サンキュ!」
宏樹が100円をキャッチしたところを確認すると、俺は急いで屋上に向かった。
それにしてもなんでモンスターは200円もするんだよ。高ぇよ。
硝子張りの壁面から差し込む外の光に照らされつつ、少し埃臭い屋上への階段を音を立てぬように、慎重に上って行く。
屋上の入口前の踊り場に辿り着くと、外へと繋がる扉を音が立たないようにゆっくりと少しだけ開いた。
開かれた扉の隙間から顔を覗かせる。
視線の先には、こちらに背を向けた相浦と対面している涼鈴の姿があった。
「・・・・・・新城くんと別れた方がいいよ」
「なんでそんな事言うの!この間まで私のこと・・・・・・あんなに応援していてくれたのに・・・」
相浦は肩を震わせて、心からの気持ちを涼鈴に伝えていた。
「それはそうだけど・・・・・・ごめん、こんなことになるなんて思ってもなかったから」
その言葉で相浦は完全に頭の糸が切れた。
「今のどういうことよ。私じゃ、新城くんと付き合えないと思っていたわけ!?・・・最低。スズは私のこと応援しておいて心の中でそんなこと思ってたんだ」
「違う、そういう意味じゃなくて!新城くんじゃさーちゃんを悲しませることはあっても幸せにすることができないというか・・・・・・」
「言いたいことがあるならはっきり言って!・・・・・・わかった!スズも本当は新城くんことが好きなんでしょ!それで嫉妬してるんだ!」
涼鈴は少し考える素振りを見せると、困ったように口を紡いだ。
「えーと・・・・・・それだけはないかな?」
あー涼鈴の奴、やりやがった。
「もしかして、私のこと馬鹿にしてんの!?」
まさかのここで涼鈴の天然が発動してしまうとは、もうこの作戦は失敗だな。
「馬鹿になんかしてないもん!蓼食う虫も好き好きって言葉があるでしょ!」
「なーにがしてないもん、よ!それにやっぱり馬鹿にしてんじゃない!ちょっと私より可愛いからって言いたい放題してムカつくのよ!それにアンタは良いわよね、それだけ可愛ければ男も腐るほど寄って来るだろうしっ!」
「さーちゃん私にそんなこと思ってたんだ。酷い・・・・・・私の想いなんて知らないくせに」
「アンタの想いなんて私が知るわけないでしょ!」
「さーちゃんがわからず屋!・・・・・・新城くんは彼女の気持ちなんてまるで考えない酷い人なんだよっ!」
「私のカレシの何が分かるっていうの!適当なことばっかり言わないで!このチビ!」
「それはさーちゃんから見たら確かに私はチビだけど・・・・・・」
涼鈴は軽くショックを受けていた。今まで仲良くしていた人に暴言を吐かれたら誰だって厭な想いはするだろう。
「なにそれ、遠回しに私のことデカ女呼ばわりしてんの?スズってこんなに最低な人だったんだね・・・・・・・・・知らなかったよ」
「さーちゃんの被害妄想激し過ぎるんだよ!このアホ!」
「私、もうスズとは絶交するから。金輪際関わらないで!」
そう言った相浦は振り返ると、早足でこちらに向かって来る。
「それはこっちの台詞だから!」
涼鈴は「ふんっ」と言ってそっぽを向いた。
相浦が扉の前まで来たので、俺はすぐさまドアの裏に隠れた。
相浦は相当頭にきているようで扉を思いきり、蹴り開けた。
扉の裏に隠れていた俺の顔面に勢いよく開け放たれた扉板が激突する。
打ちつけられた鼻は赤くなりとても痛い。鼻を触った手には、少し血も着いていた。
鼻血でちゃった。どうしよ。
とりあえず相浦が階段を下まで降りていったところで俺は扉の裏から出て、涼鈴の元へ向かった。
「おい、大丈夫か?」
本当に大丈夫そうならばこんな質問はしないのだが、俺のボキャブラリーが乏しいばかりにこれしか言えることがなかった。
「あ、詩衣くん・・・・・・。ごめんね、喧嘩しちゃった」
「いや、俺の方こそこんな厭な役を押しつけて悪かった」
「そんなことないよ。さーちゃんは私の友達だから・・・・・・ほんとは私がなんとかしなきゃいけないのに、何もできなかった」
そう言った彼女の目の端からは静かに涙が伝っていた。それほど彼女は相浦を説得できなかったことが悔しいのだろう。
ならば、そんな彼女の気持ちを晴らしてあげられるのは誰か・・・・・・きっと俺よりも適任な人は沢山いるだろう。でも、だからこそ、この役だけは譲れなかった。
「涼鈴、安心しろ。相浦は俺が守るし、仲直りだってさせてやる!」
「・・・・・・ほんと?」
涼鈴は溢れ出た涙を必死に拭いながらも顔を上げた。
「ああ!だから、俺に任せてくれ」
「うん、分かった。詩衣くんに任せる。だから・・・・・・・・・さーちゃんを助けて」
「おうよ」
俺が笑顔を向けると、涼鈴は涙でぐちゃぐちゃになった顔で笑い返してくれた。
これは他の誰でもない涼鈴の為だ。
彼女の為ならば死地だろうが、何だろうが、全て乗り越えられることを俺自身の手で証明してやる。
本日の放課後も涼鈴宅で作戦会議を開くことなった。
涼鈴の部屋には、昨日も来た筈なのにどうしても緊張してしまう。
これが涼鈴以外の女子ならばまた違ったかもしれないが、それは今考えることではない。
その時、正座した俺の足に何が当たった。
ふと視線を落とすと、そこには短足胴長のマンチカンであるシズクの姿があった。
「シズク〜、こっちおいでー!」
涼鈴が床をぽんぽん叩いたりして、シズクを呼ぶがシズクは俺の傍から離れる気配がない。
そのことが彼女の癇に障ったのだろうか、涼鈴は頬っぺをぷく〜と膨らませた。
「なんで私のところに来てくれないの!産まれた時からあんなに尽くしてあげてたのに・・・・・・ねぇ!どうしてっ!」
涼鈴さん怖っ!?シズクのことになるとメンヘラちゃんと化すのかよ。
メンヘラ涼鈴も可愛いなあ。
すると、涼鈴が何かを思い出したかのように口を開いた。
「いま思い出したんだけど・・・喧嘩する前、さーちゃんが日曜日にデートするって言ってたよ」
涼鈴はそう言って両手でガッツポーズすると、「ふんっ!」と鼻から力強く息を吐いた。
きっとこれは私なりにも頑張っているんだよというサインだろうか・・・・・・可愛いな、良い子いい子してあげたい。
「それは有益な情報だな!教えてくれてありがと」
「うん!他にもできることがあったら言ってね!」
「うん、分かった」
日曜日か、今日は何曜日だっけ・・・・・・。
スマホのロック画面を開く。ロック画面に映るカレンダーは七月十一日木曜日と表示されていた。
今日は木曜日か・・・・・・新城が仕掛けてくるのは間違いなくそのデートの日だろう。
デートまで今日を含めて後4日・・・・・・。
やれることは少ないが、できる限りの準備はしていかないと。
明日からテスト期間だ。テスト期間だけどデートを土曜日ではなく、日曜日にしたってことはどちらかに予定があるか、部活がまだある可能性が高い。
とりあえず、土曜日はノーマークで良いだろう。
「新城が相浦とヤるためには、いきなりお家デートに誘うと相浦に警戒され、距離を取られる可能性が浮上してくる」
「そうじゃないと、最初から体目当てだってバレちゃうもんね!」
「そう。新城は普通のデートで相浦を誘い出し、何処かに連れ込むはずだ・・・・・・だから、その現場に俺が乗り込んで相浦を救出する」
「そんなことできるの?」
「新城はボンボンだ。テストの点数が低いと父親に殴られる程、怒られるらしい。だから、少なくともテスト期間中は手を出されない」
「それは、そうかもだけど・・・・・・」
これは宏夏さんが当時、新城と付き合っていた頃に新城本人から聞いた話だ。宏夏さんありがとう。貴女が掴んだ情報、無駄にはしません。
「月曜日から勉強が忙しくなるから、必然的に新城が仕掛けてくるなら、その日曜日に限定される」
「新城くんがさーちゃんを襲う前提は変わらないんだよね?」
「ああ。あの新城が女子を襲わないなんて考えられないからな」
「それって詩衣くんは大丈夫?」
涼鈴はどうやら俺のことを心配しているようで、愁いの眼差しを向けてくる。ここで彼女を不安にさせてしまうのは良くないな。
「心配しなくても俺は平気だ!」
「ほんとにぃ?」
「うん、ほんとほんと」
「分かった、詩衣くんを信じてみる」
「ありがとう」
俺は腕の時計に目を通す。時計の短針はもう少しで夜八時を回りそうだ。
「八時になりそうだし、俺はそろそろ帰るね」
「うん、玄関まで送ってくよ」
一階に降り、玄関口で座り込むとスニーカーを履く。その際に半分ほど解けてよれよれになっていた靴の紐を結び直した。
すると、部屋を出てからずっと沈黙していた涼鈴が口を開く。
「なんかこれって、仕事に向かう旦那さんをお見送りしてるみたい!」
まさかそんなことを言われるとは思わず、俺はバッと後ろへ振り返る。
「お、おお俺、俺が・・・・・・その旦那さん・・・・・・?」
「詩衣くん以外に誰がいるの?」
素っ頓狂な顔で返され、ひとりでテンパっている俺がアホらしくなってくる。
「私もいつか・・・・・・誰かと結婚するのかなあ」
涼鈴はそう言うと、俯きがちにチラチラと俺の方を見る。
なに、その仕草!?・・・・・・俺を誘っているのか?誘っているのか!?
俺は勇気を振り絞り、涼鈴に向かって胸の内を吐露する。
「もし涼鈴がお嫁さんだったら、喜ばない男はいないよ」
「詩衣くんでも?」
「う、うん・・・・・・」
「そっか、ありがと!女冥利に尽きるよ」
なんだ、誘ってたわけじゃなかったのか。詩衣くんめっさ悲しい。
靴の紐を結び終え、鞄を背負い立ち上がる。つま先を二回ほどトントンと叩くと扉を開けた。
「じゃあ、また明日!」
俺は手を振って、家を出る。
それから一歩足を進めると、
「いってらっしゃい、あなた」
涼鈴の声が耳に届き、勢いよく振り返る。
扉が閉まる瞬間、扉の隙間から破顔した涼鈴の顔が見えた。
俺はその日、家に着くまで顔を赤くなりっぱなしで、涼鈴の笑った顔が目に焼きついて頭から離れなかった。
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