第2話

 他の人より少し早い八時頃に登校し、誰もいない教室で一人机に突っ伏している。

 俺がこんなにも朝早くから学校にいる理由は明白だ。

 涼鈴が俺と同様に早い時間から、学校に登校してくるかもしれないからだ。そこで、もし俺と涼鈴が遭遇したとしよう。すると、俺が涼鈴に「おはよう!」と声をかけ、涼鈴からは「詩衣くん、朝早いね!」と言葉が返ってくるのだ。そこからちょっとだけ二人の仲を深めることができるという計画である。

 だが、今まで彼女がこの時間帯に来たことはたったの一度もない。

 彼女はいつも朝のホームルームが始まる五分前、つまりは予鈴が鳴る頃に登校してくるのだ。

 涼鈴の家から学校までは歩いて二分もかからない距離なので、ギリギリまで家に居てしまう気持ちも分からなくはない。

 俺だって、本当はギリギリまで家でグダグダしていたいからな。

 だが、俺はそれをしない。涼鈴と恋仲になるまでは・・・・・・。

 涼鈴と恋仲になるためならば、一秒でも長く涼鈴の姿を眺められるならば、俺はいくらでも早起きしてやる。

 教室の引き戸がガラッと音を鳴らした。

 涼鈴かと思い、引き戸の方へ反射的に顔を向ける。

 だが、そこにいたのは宏樹だった。

「よっ、詩衣!いつも早いな」

「なんだお前か」

「なんだとはなんだ、そんな不服そうな顔しやがって」

 宏樹はこちらにやってくるなり、真っ先に俺の頬っぺたを指先でグリグリ掘り始めた。

「どうせなら、涼鈴にやってもらいたかった」

「太宰さんじゃなくてごめんねごめんねー」

 いつもながら誠意が一切感じられない謝罪をされた。

 宏樹の謝罪は煽っている様にしか聞こえない。いや、実際に煽っているのだろう。

 それから宏樹は俺の前にある自身の席に着くと、口を開いた。

「昨日のこと、詳しく話してもらおうか」

「えーっ、恥ずかしいから嫌だよ〜・・・・・・・・・・・・実はねっ!」

「話す気満々だなコイツ!」

 宏樹にツッコミを入れられた後、盛大に「はぁー」と呆れられた。

 話せと言ったのは宏樹の方なのに、なぜ呆れられなくてはならないのか・・・・・・不服だ。

 俺は宏樹に下校中に起こったことを、包み隠さず話した。




「ほー、お前が道路に飛び出して猫を庇ったらそれが太宰さんのペットだったと・・・・・・マンガみてぇな話だな」

「嘘じゃないぞー!」

「分かってるよ、お前が太宰さんとデートまでこぎつけるなんてよっぽどのことがない限り不可能だからなっ!」

「なんてことを言いやがる、コイツ」

「自分以外のものの為に命を懸けられるなんて、男だねぇ」

「お前だってそのくらいできんだろ?」

「できねぇよ。俺はそこまで優しくないからな」

 そう言った宏樹の顔には哀愁が漂っているように感じられた。

 よく言うわ。・・・・・・俺は宏樹ほど優しい人間を知らないというのに。

「話を戻すが、命を懸けて太宰さんの猫を守ったとなれば、そりゃあ彼女も惚れるわな」

「えぇ!涼鈴が俺に惚れてる!?」

「ごめん、それはテキトーに言った」

「ふざけんな!期待させんなよー」

 俺はがっくりと項垂れる。

 すると、なぜか宏樹は顎に手を当て、考える素振りを見せた。

 いったい空っぽの頭で何を考えているのやら・・・・・・。

「なぁ、詩衣」

「今度は何だ?」

「なんかそれ、昨日話した幸運の猫の話に似てないか?」

 そんな話し・・・・・・そういや確かに授業の時したなぁ。

「あーあれか、助けた猫が一番欲しいものを届けてくれるってやつだろ。たまたまじゃね?」

「いや、あの話とお前の状況はかなり酷似してる気がするけど・・・・・・だって、お前今までろくに話もしたことが無い太宰さんとデートできたんだぞ」

「いや、涼鈴と結ばれることは自然の摂理だから。デートできて当然だろ」

 俺が何を当たり前のことを言ってんだと首を傾げて見せると、そんな俺を見て宏樹は大きく溜め息を吐いた。

「お前、そんなことばかり言っていたらあれだけ可愛い太宰さんのことだ・・・他の奴に先越されるぞ」

 その言葉に肩がビクッと反応した。

「そ、そんなことあるわけないだろ」

「だといいけどな」

 涼鈴が他の男と一緒にいるところなど微塵も想像したくない。だからと言っていま告白したところで、フラれるのがオチだ。フラれてしまえば、もう終わり・・・・・・。

「そういや、太宰さんと連絡先は交換したんだろ?」

「え、してないけど?」

「はあっ!?」

 昨日のお礼もといデートが幸せ過ぎて連絡先交換するの忘れてたわ。

 本来ならSNSのクラスグループから追加すれば、連絡先など簡単に手に入れることができるのだが、何故か涼鈴はグループに参加していないのだ。

「連絡先をゲットできるチャンスを無下にしやがって・・・・・・やっぱコイツ阿呆だな」

「ぐぬっ・・・・・・確かに昨日連絡先を交換しておかなかったことは失策だった」

 机の上に置いた拳をギュッと固める。

 そこで他のクラスメイトが教室に入って来て。

 服装を見る限り朝練終わりの野球部だろう。

 それを皮切りにして他のクラスメイト達も次とから次へと教室に姿を見せる。

 時計を見やる。時刻は八時十五分を過ぎていた。

 確かにこの時間帯は教室に生徒が揃ってくる時間だ。

「話はここまでだな」

「そうするか!」

 俺が涼鈴のことを想っていることは宏樹と先生を除いて誰も知らない。だから、他の奴らに聞かれてネタにされないように、俺は早めに話を切り上げた。

 それから十分後。

 ホー厶ルーム開始の五分前予鈴が鳴ると、教室の後ろにある引き戸が開かれる。そこには涼鈴とその隣、―――彼女の友達である相浦さん、もとい相浦紗香の姿があった。

 一年B組出席番号1番、相浦紗香。

 彼女は涼鈴の友達で、サッカー部のマネージャーである。前髪の横に特徴的である触角のような髪を垂らし、後ろ髪を黄色いシュシュで一つに束ねている。性格はかなり強気で、ルックスはかなり良い方だと俺は思っている。まぁ俺の未来のお嫁さんである涼鈴には及ばないであろうがな。

「昨日のドラマ観た?すっごく面白かったんだよ」

 テンション高めに話しかけている相浦に対し、涼鈴は少し困ったような笑顔を浮かべて掌を合わせた。

「ごめんね、さーちゃん。昨日はお母さんと出掛けてたから観れてない」

「そっかー、じゃあネタバレになっちゃうからこの話はやめよっか」

 ネタバレを気にするとは、相浦さんの配慮は素晴らしいな。

 直接見て確かめた訳ではないが、涼鈴は昨日お母さんと出掛けていた。だが、その前に俺とデートしていたなどとは微塵も思っていないだろう。

 俺が心の中で不敵すぎる笑みを浮かべていると、

「おい、詩衣」

 不意に名前を呼ばれた。俺は名前を呼んだ主である宏樹に目を向ける。

「ん、なに?」

 宏樹がこのタイミングで話しかけてくるなんて、なんだか嫌な予感しかしない。

「お前、太宰さんにちょっと手振ってみろよ。昨日デートした仲だろ?」

 宏樹の口振りはまるで俺のことを試すかの様だ。

「ま、まままま・・・・・・まぁな。手ぇくらいかか、簡単に・・・・・・ふ、振ってやるよ」

「わはは!膝めっちゃガクガクじゃねぇか!」

 膝が小刻みで震える度、机の裏を高速で連打している。

 おかしいな、武者震いが止まらねぇ。

 俺は汗をタラタラと流しながらも、涼鈴が席に着いたところを見計らってゆっくりと手をあげた。

 気づいてくれるかなあと思いつつ、彼女がこちらに顔を向けてくれるのをじっと待つ。すると、思いの外早く彼女と目が合った。

 涼鈴は相浦に悟られないようにするためか、胸の前で小さく手を振ると、少しだけ微笑みかけてくれた。

 俺は挨拶を返してくれた喜びのあまり、大きく右手でガッツポーズを決めると、すぐさま宏樹の背中をビシバシと叩いた。

「痛てぇ、痛いって!?」

「どうだァ!見たかァ!!」

「ハイハイ見た見た。・・・・・・っていうか、思いっきり叩くんじゃねぇよ」

 宏樹は叩かれた背中を右手で庇い、苦悶の表情を浮かべていた。

 あれ、そんなに痛かった・・・・・・?

 利き腕ではないといっても、勢いで殴ってしまったことに少し罪悪感を覚える。

「鉄の鎧みたいなバカ硬い腹筋してるやつが何言ってんだよ・・・・・・痛かったか?」

「いや、全然」

 宏樹は苦痛に歪ませた表情から一変し、あっけらかんとした表情になった。

「あーもう・・・・・・心配して損したわ」

 強ばっていた肩の力が抜け、気だるさが増す。そんな中、宏樹が俺の顔を覗き込んできた。

「なになに?心配してくれちゃったの?ごめんねぇ〜」

 またしても宏樹の煽る様な言い方にむしゃくしゃした。

 俺は宏樹から筆箱を奪うと、その中から消しゴムを取り出し、まだ使われていない消しゴムの角を机の表面で削ってゆく。

「ああーっ!!・・・・・・バカ!なにしてんだお前!」

 先に煽ってきたのは奴が何を言うんだ。

「か、かんちがいしないでよねっ!あなたのためにやった訳じゃないんだからっ!」

 俺は某アニメに登場するツンデレキャラの真似をしてみせた。我ながら完璧なミックスボイスだ。

「シャレになってないし、その声キモイからやめろ」

 冷えきった瞳で蔑視してくる宏樹に、「うるせぇ」と返事を返す。

 黒板の上にかけられた時計をチラッと見やる。

「いいのか?チャイムが鳴るまであと三分きったぞ」

「マジ!?」

 宏樹はバッと時計を見る。針は二十五分を過ぎた所を指していた。

「詩衣め。この屈辱、三乗にして返してやる!」

「コイツ、ほんとに漫画好きだよなあ」

 セリフを吐き捨てた宏樹は、そのまま教室の外に向かい走り出す。しかし、その足は涼鈴の背後を通過する直前に動きを止めた。

 それから宏樹は涼鈴に声をかける。

「ねぇ、太宰さん!」

 涼鈴とその傍で話をしていた相浦の視線が宏樹に向けられた。

「どうしたの、宏樹くん?」

 おい、いきなり涼鈴に話しかけるとはどうするつもりだ!・・・・・・俺も会話に混ぜて!

「アンタ、スズに何の用・・・・・・?」

 涼鈴の机に座っている相浦が、宏樹を睨みつける。

 あの目は間違いなく人を殺したことのある目だ。

 鋭利すぎるその眼光に、傍から見ていた俺はふえぇーん現象を起こしていた。

「黙れクソガキ、お前には話していない」

 宏樹は体を反らし、思わずズキューンと言いたくなるようなキメポーズをとる。

 ・・・・・・マジでコイツ漫画脳だな。

「はァ?」

 宏樹の態度に明らかな苛立ちを見せた相浦は、足を振り上げると、思いきり振り抜いた。未だ姿勢を崩していなかった宏樹は、蹴りをモロに宏樹のジュニアに食らい、悶絶した。

 うわー、これ絶対痛いやつ。

「ぐぬぬぬぅぅ、ぉぉおおお・・・・・・」

 股間強打された宏樹はしゃがみこんでしまった。

 ほんとにこいつ・・・何がしたかったんだ?

「だ、太宰さん・・・・・・詩衣が、話したいって・・・・・・」

「え?」

 涼鈴がこちらに振り向いた。

 宏樹は「やべぇ、勃った」と一言残すと、今度こそ教室を後にした。教室を出る際にこちらに向けて凶悪な笑顔を添えて。

 一方、相浦は「キッモ・・・・・・蹴られてコーフンしてんじゃねぇよ、童貞が」と罵声を吐き捨て、前方にある彼女の席に戻ってしまった。

 俺は涼鈴と机を一つ挟み目が合ったまま硬直する。

 すると、涼鈴が席を立ち上がった。彼女が歩いてやってきたのは俺の横だ。

 そこで涼鈴は目が合う。彼女はすぐに目を逸らしてしまった。

 宏樹が策した涼鈴との会話シュチュ・・・・・・急展開過ぎて頭の中が真っ白だ。何も思い浮かばない。

 一体、どうやって会話を繋げればいいんだ。

「はなしって何?」

 涼鈴の方から会話を切り出した。慌てて俺も機能していない脳をフルで回し、言葉を返す。

「え〜と、シズク元気にしてる?」

 咄嗟に思いついたことだが、我ながらナイス返答だ。

 どうやら涼鈴は猫が好きみたいだし、俺が彼女の猫を助けたということもあって実にタイムリーで、なおかつ無難な話題をチョイスしたといえる。

「うん!おかげさまで元気いっぱいだよ」

「それは良かった」

 二人の間に静寂が訪れる。だが、その静寂は涼鈴によって簡単に破られた。

「え・・・・・・っと、その、話したかったことって・・・それだけ?」

 涼鈴は小さく首を傾げて、困ったように「あはは」と笑った。

「え?」

 思わず、間の抜けた声が漏れた。

 そんな俺の反応に、涼鈴は慌てふためき始めた。

「あ、あー!ごめんなさいごめんなさい。宏樹くんに詩衣くんから話があるって聞いてたから、よっぽど大事なことなんだろうなと思ってたら・・・・・・そうでもなくて・・・・・・」

 そこで時計の秒針が真下を向いた。

 教室にはチャイムが響き渡り、その音色を聞いた涼鈴は途端に「じゃあね!」と一言残すと、逃げるように自分の席へ戻って行った。

 や、やってしまった・・・・・・・・・・・・。

 いったい涼鈴は何の話をされると思っていたのだろうか。いったい何を話せば良かったのだろうか。

 確実に言えることは、涼鈴の期待に応えることができなかったということ。

 ここで何を話せば正解だったのか、その答えは依然として分からないままだ。

 俺は頭をわしゃわしゃとかきながら、机の上に突っ伏すことしかできなかった

 この後、窓に捨てられた筆箱を取りに行った宏樹がホームルームに遅れて怒られたことは言うまでもない。




 四限目の授業が終わった昼休み。

 ミンミンと喧しい蝉の声がよく聞こえる窓側で、俺と宏樹は机を迎え合わせにして一緒に弁当を食っていた。

「四限目の数学Aってクソ簡単じゃね?公式なくても解けるし」

 宏樹はそう言うと、自らのノートを見せつけてきた。

 そこには確率の問題があり、宏樹は問題のあらゆる確率を全てノートに書き出して解いている。

 確率全部書き出すとか、やっぱこいつアホだわ。「教科書に載ってる公式使った方が絶対早いだろ」

 俺はそう言って弁当箱の中にある焼けたおチンチン・・・・・・じゃなくてタコさんウィンナーを口に放り入れた。お弁当の大定番とあって味は美味しい。

「俺は公式を覚えないことで脳のキャパを節約しているのだよ、ワトソン君」

「使い方下手くそか!たかが公式一つや二つ分のなんて許容範囲の1パーセントにも満たないだろうに・・・・・・」

 それにテストが終わればどうせ忘れてしまうんだ。

 というか、コイツにキャパを節約してまで覚えるべきことがあるのだろうか・・・・・・うん、ないな。

「ところで、詩衣。ツッコミ役が欲しいと思わないか?」

「唐突だな」

 急になに言い出すんだ、コイツ。

 宏樹は机に両肘を着き、両手を口の前で組みゲンドウポーズをしている。

 それから宏樹は落ち着いた面持ちで左ポケットから取り出した眼鏡をかけると、再びゲンドウポーズをとった。

 わざわざ眼鏡かけてやり直してんじゃねよ。どっからそんな眼鏡持ってきたんだよ。

 教室を見渡してみる。教室で友達と集まり、お弁当を食べている光景・・・・・・だが、そこで一つ違和感を感じた。

 廊下側にいる女子グループの一人・・・・・・確か橘さんだったろうか。彼女はいつも眼鏡を掛けていた筈なのに今日は掛けていないのだ。

「お前、それやるためだけに女子から眼鏡借りてきたのかよ」

「そうだと言ったら・・・・・・・・・どうする?」

「いいから返してこい!」

 宏樹は橘さんの元まで行くと眼鏡を彼女に返す。眼鏡を受け取った橘さんはそのまま顔に掛けた。

 眼鏡を掛けていなかった橘さんはギャップが萌えであったが、掛けてくれた方が個人的にはしっくりくる。

 宏樹がこちらに戻ってくる。その背後で橘さんがこちらを見つめニコッと微笑んだ。

「返してきてやったぜ」

 宏樹は椅子にどっかっと勢いよく座った。

「借りてた奴が随分と偉そうな口ぶりだな」

 俺はちらりと橘さんを見やる。彼女はもうこちらを向いていなかった。

 彼女の笑みは何だったのだろうか。

「それでツッコミ役の話なんだけどよ」

「急に話の軸が戻った」

「俺ら二人ともボケ担当じゃんか」

 言われてみると確かにそうだ。普段あまり気にしてはいなかったが、俺も宏樹もボケている。その為かツッコんでくれる人が居らず、毎度毎度収集がつかなくなっている。

 まぁそんなことを普段から気にしている方がどうかとは思うけど。

「そんな都合のいい人間そうそう見つからないだろ」

 俺は投げやりに応えると、宏樹はあらぬ方向に指をさした。

 視線の先には、金色の長い髪が特徴的な男子生徒がいた。

「アイツって海端だろ?髪染めを校則で禁止されているのに、黒く染め直してこないからよく大倉に注意されてる問題児」

「ああ!クラスの連中からは不良呼ばわりされ、距離を置かれているあの海端だ」

「よりにもよって何でアイツなんだ?」

 もっと他にいないのか、腕にシルバー巻いた奴とかさぁ!

「ああ見えてアイツ、かなり勉強できるぜ」

「それソースどこだよ」

 宏樹は何を根拠にそんな自信満々に言いきれるのか・・・・・・。

「海端の出席番号って俺の次じゃん?」

「まぁそうだな」

「だから中間試験のテストが返却された時、たまたま見えちゃったんだよね」

 いったい何を見たというのだろうか。

「数学Ⅰのテスト97点だった」

「はあっ!?・・・・・・ぁ」

 あまりの驚きに大声でリアクションしてしまった。そのせいで周囲の視線がこちらに集中する。

 俺はいくらか声のトーンを落とし、ヒソヒソとした声で宏樹に耳打ちするように会話を再開させた。

「前期中間の数学Iってアレだろ、先生が応用問題出し過ぎたせいで平均点が50点下回ったやつ」

「そうそう、俺も赤点をギリ回避できたとはいえ、問題見た時は詰んだと思ったぜ」

 あの時は俺が46点で宏樹は32点だった。赤点は30点以下からなので、俺達はかなりギリギリの点数で赤点を回避することができたのだ。

「勉強できるイコール真面目って訳じゃないと思うけどさ、一応声掛けてみないか?」

 宏樹はいつもより落ち着いた声音で提案してきた。

 宏樹が真面目な感じで話すときは、いつだって真剣であることを俺は知っている。たぶん、ツッコミ役を引き入れること以外に思惑があるのだろう。こういうときの宏樹の思惑はいつだって善意が働いている。だから、敢えて俺はこの思惑に乗ることにした。

「よし、声掛けに行ってみるか!」

 俺は立ち上がると、宏樹と一緒に教室の中央で一人ご飯を食べている海端の傍まで寄った。

 えーと、どうやって声を掛けたらいいのだろうか。

 声を掛ける一言目が思いつかず、宏樹に第一声をパスした。

 だが、宏樹は膝をガクガク震わせて一向に話し掛けようとせず、しまいには俺に抱きついてきた。

 そうだった、宏樹は生粋の人見知りだったの忘れてたわ。

 仕方なく、次こそ俺が話しかけるため、前に出ると海端がこちらに振り向いた。

 海端は咥えていたお弁当のフライドポテトを器用に口だけで食べてから、金色に輝く前髪をかきあげる。

「俺様に何かようか?」

 え、えー・・・・・・・・・・・・。

 開口一番からパンチの効いた発言が飛び出してきた。ヤンキーっぽい見た目をした真面目キャラと思っていたので、不意をつかれた。

「と、友達になりたくて・・・・・・声を掛けたんだけど」

 海端は人差し指で下唇をなぞり、流麗な金髪をなびかせると。

「友人など・・・・・・とうの昔に捨ててきた」

 アッレレー・・・・・・ボク、オトモダチノツクリカタ・・・・・・ワカンナクナッチャッタ。

 だって、小学生のときは同じクラスの子はみんなおともだち!みたいな風習があったから友達を作るっていう発想にまず至らなかったんだもん!

 すると、俺の後ろにいた宏樹が前に出る。

「―――俺達と一緒に未来を見たくないか?」

 宏樹は瞳を少女漫画のヒロインの様に輝かせ、手を差し伸べた。

 お前の目どうなってんだよ・・・・・・目ん玉の中で星が光ってんぞ。

「この俺を・・・・・・友と呼んでくれるのか」

 お前もかーっ!!お前の目も星になっちゃうのかー。

 海端は宏樹の手を取り、強く握りしめる。

 それから宏樹は固く繋いだ手を顔の高さまで上げた。

「―――海端、俺はこの手を離さないからな」

「―――俺の熱いビートがお前を求めている」

 二人の空間には薔薇の花が咲き誇っていた。

「なに言ってんだこいつら」

 瞳をキラキラさせて見つめ合ってんじゃねぇよ、気持ち悪っ!!

 それに廊下の方から頬を紅潮させ、内股を擦り合わせて荒い吐息を吐く三つ編みのヤベー女が、指を咥えてお前らのことをじっと見つめてて超怖いんだけど。

「海端、下の名前なんて言うんだ?」

 この手を話さないだのなんだのと言っていたクセに、宏樹はすぐに海端の手を離して名前を問うた。

 クラスメイトの名前を覚えてないとか、最低過ぎるだろ。海端の下の名は・・・・・・えーっと、なんだっけ?・・・・・・俺も覚えてなかったわ。

 廊下から二人のことを見つめていた女は、ペッと唾を吐き捨てると、明らかに機嫌を損ねて何処かへ消えていった。

 廊下に唾を吐き捨てるとか、ろくな人間じゃねぇなあの女。あのレベルまで到達していたら、もう腐女子じゃなくて朽女子だ。

「俺の名は修二。海端修二・・・・・・だ?」

「おい、なんで最後ちょっと疑問形なんだよ」

 そんな俺の指摘に、宏樹は「まぁまぁ」と俺を宥めてから口を開く。

「じゃ、これからは修二って呼ぶわ。俺は真島宏樹隣にいるのが望月詩衣だ」

「えっと、よろしく修二」

 俺は軽く手を挙げた。

「ああ。一緒にこの学校に暗躍するリア充どもを一人残らず駆逐していこうじゃないか!」

「俺の嫁は画面の向こう側だけでいい!」

 修二に続いて宏樹は戯れ言を豪語する。

 友達ならこの流れに乗ってあげるべきだな。

「俺以外のリア充はみんな消し飛べ」

「お前、そもそもリア充じゃねーだろ」

 宏樹が俺の頭をバシッと叩いた。

「い、いるぞ!俺のフィアンセは涼鈴さんだ」

「妄想厨乙!」

 最後、修二にも頭を叩かれた。

 こうして、若干厨二病くさいナルシスト・・・修二が仲間になった。

「俺、ちょっとトイレ行ってくるわ」

 海端はそう言って席を立った。

「行ってらー」

「トイレに行っといれ〜」

 俺と宏樹は軽く返事をし、海端が教室の外に出るまで見送った。

 さて、ここでちょっとした答え合わせといこうか。

「なあ、宏樹」

「なんだ詩衣」

 宏樹は不思議そうな顔をしてこちらを向いた。

「お前が海端・・・・・・修二を仲間に引き入れた理由なんだけどよ・・・・・・クラスで孤立させない為じゃないのか」

 俺は疑問に対し、宏樹は小さく息を吐いてから大袈裟に肩を落とした。

「やっぱ詩衣は気づくんだな」

 どうやら俺の推理はビンゴだったようだ。

「いや、気づかない方が可笑しいだろ」

 俺は宏樹の発言がバカバカしくて笑ってしまった。

 だが、宏樹は首を横に振った。

「そんなことねぇよ。少なくとも他の奴らは絶対気づかない・・・・・・優しいお前だから気づけるんだよ」

 急にマジトーンでくさいセリフを吐き出続けている宏樹に俺は呆気にとられてしまった。

 何を言っているんだこいつは・・・・・・。

 俺は優しくなんかないし、 他の奴らが気づかないのは俺達に興味関心がないからだ。

 俺からすれば、孤立していた海端を仲間にするために行動した宏樹の方が断然優しい人間に見える。

「海端と友達になるとは良いとして当初の目的だったツッコミ役はどうすんだよ。・・・・・・海端バリバリのボケ役だぞ」

 これでは俺達のこれからの会話が余計ややこしいものなるのは目に見えている。

「もう詩衣がツッコミ役やれば?」

「―――時代はボケを求めているっ!」

 宏樹は俺に投げやりな態度でツッコミ役を押し付けようとしてきたが、そうはさせてたまるか。

 トイレへ行っていた修二が教室に戻ってきた。

 そこで俺と宏樹は、修二を加えてツッコミ役確保会議を開くことにした。

「・・・・・・さて、再びツッコミの枠について話し合っていこうじゃないか」

 俺の隣席がちょうど空いていたので少し拝借させていただく。三つの机を向かい合うようにくっつけると、三人が口裏を合わせることなく碇ゲンドウポーズをとって会議を開始する。司会はこの俺だ。

 宏樹が絡ませていた十本の指を解くと、机に肘をついたまま小さく手を上げた。

「はい、そこ!」

 手をピストルの形にして宏樹を指す。指された宏樹の顔が翳りダンディーな顔つきになると、口を開いた。

「太宰さんをツッコミ役に引き入れる」

「―――却下!」

 何を考えているんだコイツ、こんなふざけたグループに涼鈴が入るわけがない。

 意見を言い終えた宏樹は「う〜ん、マンダム」と訳が分からないことを呟いた。

 全然マンダムじゃねぇよ。意味も分かんねぇで使ってるだろ・・・・・・俺も知らないけど!

 すると、そこで新たな刺客が現れた。

「その却下、異議あり!」

「なっ!?」

 異議を申し立てたのは、他でもない修二だった。

 修二はイスに寄りかかり、ポケットに手を突っ込んだまま机の上に足を置く。

 長い金の前髪から覗く眼光は鋭利で男の俺から見ても思わず、カッコイイと思ってしまった。

「このグルに女の一人や二人いた所で所詮荒くれ者の集まりだ。何の問題もないだろ」

 今までボッチだった新参者のクセに、随分と図々しい奴だな。しかも、コイツの意見はちゃんと筋が通っているから余計にムカつく。

 そこで宏樹は「そうだそうだー!」と修二の意見に賛同する。そんな宏樹からは溢れんばかりのモブ臭が漂っていた。古参がこんなで良いのか。

 賛同者を得たことで形勢二対一と有利になった修二は天狗になったのか前髪をかきあげてカッコつけ始めた。確かに修二がやるとカッコよく見えるが、二度も三度もやられるとだんだん腹が立ってきた。

 その時だった。

 修二の後ろを通ろうとした男子生徒の足が修二の寄りかかっていたイスにぶつかる。それにより、修二はバランスを崩してゆっくりと背中から倒れていった。

 教室中に大きな音が響く。その音にクラスメイト達が反応する中、俺は笑いをこらえるのに必死だった。

 ここで前言撤回しておこう、やっぱ修二はダサい。

 修二を転ばせてしまったことに負い目を感じている男子生徒が冷や汗を浮かべて立ちすくんでいたので、俺は「・・・よくやった」と優しく肩を叩き、未開封の菓子パンを褒美にあげた。

「今のめっちゃ面白かったな!」

 そう俺は宏樹に掛ける。

 人の不幸は生クリームの味と言っては、人の失敗を誰よりも喜ぶ宏樹のことだ。絶対にツボにハマっているに違いない。

 しかし、いつもすぐに返答していた宏樹だが、何故か今日は返ってこない。

 不思議に思い宏樹が座っていた席に目を向ける。すると、宏樹は忽然と席から姿を消していた。

 そこで未だ倒れたままである修二が「ククッ」と笑い始めた。

「なに笑ってんだ?正直、キモいぞ」

 俺は嫌味を零すが、それでも彼は笑うことをやめない。

「残念だったな詩衣、もう勝敗は決した」

 修二がそこまで言って、やっと事態の深刻さに気がついた。

 宏樹がこの場にいないということは大抵碌でもないことをしでかすと相場が決まっている。

 俺は視線をあげて、後ろを振り返った。

 そこには宏樹に連れて来られた涼鈴の姿があった。

「す、涼鈴・・・・・・どうしたの?」

 俺がそう問いかけると、涼鈴は艶やかな髪をいじいじし始めた。

「宏樹くんが、詩衣くん困ってるから来てくれって言われて・・・・・・」

 なんでそんな簡単にホイホイついてちゃうかな。まぁ俺の心配してきてくれたのは素直にスゲー嬉しいんだけどね!

「詩衣くん何に困ってるの?私にできることなら手伝ってあげなくもないけど・・・・・・」

 涼鈴は首を傾げると、俺の顔を上目遣いで覗き込む。

 いつ見ても涼鈴の表情、仕草・・・・・・そのどれもが可愛い。

 彼女のこういった姿が見れるのは嬉しいのだが、こんなしょうもない理由で彼女の力を借りていいものなのだろうか。

 俺は半分やけくそになりつつも、涼鈴に頼んでみることにした。

「いまツッコミ役がいなくて困ってるんだ!だから俺たちのツッコミ役になってくれないか?」

 俺は姿勢を正し、勢いよく頭を下げる。

 あー、俺なにやってんだろう・・・・・・ぜったい変な奴だと思われたわ。後で宏樹と修二まとめて吊るそ。

「・・・・・・・・・いいよ」

「まぁ普通断わるよな〜。ごめんね、変なこと頼ん・・・・・・ナンダッテ?」

「いいよって言ったの。紗香も部活のミーティングでいなくなっちゃったし・・・・・・今日だけね」

 おいおい、マジかよ!

 今まで涼鈴と昼休みを過ごしたことなど一度もなかった。しかし、それがいま目の前で現実になろうとしてる。

 俺は緩みきった頬を必死に隠した。

「おい詩衣、なにニヤニヤしてんだ。・・・・・・キモいぞ」

「うるせえ、黙ってろ」

 頑張って隠していたのに、宏樹にはすぐにバレてしまった。

 あの野郎、分かってる癖に一々指摘してくんじゃねぇよ。

「で、ツッコミ役ってどんな風にすればいいのかな?」

 涼鈴は俺に質問してくるが、そんなことはこの場にいる誰もが知る由もないことだ。だって、みんなボケ役なんですから。

 取り敢えず、誰もが知っているようなオーソドックスなツッコミを教えておくことにした。

「えっと、誰かがボケたらなんでやねんとか、どういうことやねんってツッコミを入れてくれればいい・・・・・・のかな?」

「なんで疑問形なの」

 涼鈴に素でツッコまれてしまった。こいつ、逸材だな!

「それじゃあ、手を叩いたら始めるぞ!準備は良いか?」

 俺はそう言うと、すぐに手を掲げる。

 そこで宏樹は腰に手を当てた。

「こういうのって合図とかじゃなくて普通に始まるもんじゃないのか?」

 宏樹の言い分は正しいと思うが、敢えてここは否定していくスタイルをとった。

「いや、いきなり始まったら涼鈴が困っちゃうかもしれないだろ」

 そこで涼鈴に肯定的な意見を貰うために目配せを送る。すると、涼鈴が困ったように自分自身を指さした。

「えっ、わたし!?私はどっちでもいいけど・・・・・・」

 なんだかグダグダした雰囲気になってきたので、無理矢理始めることにした。

「よーーい始めっ!!」

 ぱちんと手を叩き、乾いた音がその場で響いた。

 次の瞬間から、三人は息を合わせていたかのように同時に喋り出す。

「三丁目に住むおばあさんが」

「昨日、妹にプロポーズされて」

「静寂なる夜に輝くシャングリラ」

「ちょっ、ちょっと待ったー!!!!!」

 涼鈴が俺達に三人の間に割って入り、口を制止させる。

「全員で一気にまくしたてられてもツッコめる訳ないでしょう。ちゃんと順番んこにボケて」

「わかった」

「オーケー」

「卍卍〜!」

 俺と宏樹がしっかりと返事をする中、最後の修二だけは顎を突き出しながら、腕を卍の形に組んでふざけだした。

 クソ生意気な修二の態度に、涼鈴の額にはおこだよーっとわかり易く血管が浮かんでいる。だが、何か思い当たる節でもあったのか胸の前で手のひらを合わせる。合わせた手のひらを顔の前まであげると、涼鈴はそこから楽しそうにひょこっと顔を覗かせた。

「なんで〜やねんっ」

 かわいいー、可愛い過ぎる。なんて、無邪気な子どもらしい表情なんだ。それに何だ「なんで〜やねん」って、可愛過ぎるだろ。それにさっきから可愛いしか言ってないな、人間心の底から素晴らしいと想えるものに出会うと語彙力を失っていう噂は本当だったようだ。

 言い終えた涼鈴は、汗をかいていないのにもかかわらず額を拭い、満足げな笑みを浮かべた。

 だが、これだけは言わざるを得ない。

「いんと、ねーしょんが違う」

 確かにツッコむポイントは完璧であったが、「なんでやねん」の言い方がそもそも間違っている。彼女が満足しているところを見ると、あれは素のミスだ。それをツッコまずにはいられない。

「―――イントネーションのイントネーションを変えることで二重否定するとは・・・・・・流石だな」

 俺のツッコミへ最初に食いついたのは涼鈴ではなく、修二だった。

「そこに気がつくとは・・・・・・お主、できるな」

「そうでもアルカナム!」

「「「わははははっ!」」」

 俺と宏樹と修二の三人で笑い声をあげた。

「いや、なんで宏樹が笑ってんだよ」

「え?なんとなくだけど・・・・・・」

 そこで涼鈴はそっと手を上げる。

「私だけ置いてけぼりにして盛り上がらないでクレメンス」

 そこで三人は堪えきれず、ぷっと吐いた。

「ふふっ、まさか涼鈴がそんなネタ使うとは思わなかった」

「ふっははは!・・・・・・左に同じ!」

「あははっ!アグリー」

 宏樹に続き、俺、修二が机をうるさいくらいにバンバン叩いて笑い合った。

 そこで涼鈴ふっと微笑みを浮かべる。

「喜んでもらえて良かった!私、このネタしか知らなかったから・・・・・・」

 俺は親指を立てて涼鈴に向ける。

「全然アリだよ!」

「うん!」

 涼鈴はまた朗らかに笑った。

 あれ、これって結構いい雰囲気なんじゃないでしょうか。このままいけば涼鈴とお付き合いできる未来は近いかもしれない。

 そんな淡い期待を抱いてしまったことが、次に起こることの引き金となってしまったのだろう。

 教室の引き戸が音を立てた。

 誰か来たのかと思い、なんとなく目を向ける。

 扉から顔を出している人物を目にして俺は固まった。

「ねぇ、涼鈴さんっている?」

 そう声を放った人物はサッカー部の部長である新城晃誠だ。歳が俺達より二つ上の三年生。

 俺と宏樹の間のみ、VBというコードネームで呼ばれている。

 三年である新城が一年の教室に何の用だ?

 ましてや、その相手は涼鈴・・・・・・嫌な予感しかしない。

 涼鈴は小走りで新城の元に駆け寄ると、何か話し始めた。

「おい、良いのか詩衣」

「何が?」

「このままだと女とヤることしか考えてないVBに太宰さんが取られちゃうかもよ・・・・・・俺の姉貴みたいに」

 宏樹は遠回しに釘を刺してくる。

 宏樹の姉・・・・・・宏夏さんは俺たちと同じ中学で新城と同級生だ。だが、その宏夏さんは中学二年の時に学校を辞めている。

 その元凶はまさに今、涼鈴の目の前に立つVB・・・・・・非省略称はバージン・ブレイカー。

 当時、宏夏さんと付き合っていた新城は、彼女に無理矢理肉体関係を迫り、挙句の果てに行為及んでいるところを撮影する様な最低のクズ野郎だった。

 そして、そのすぐ後に宏夏さん以外にも二人の彼女がいたことが発覚し、憤怒した宏夏さんは何とかして新城と別れることができた。

 だが、それを面白くないと思った新城は腹いせに行為中に撮影していた宏夏さんの写真や動画等を学校中にばら撒きやがったのだ。

 そのことで精神的に深い傷を受けた宏夏さんはそのダメージに耐えきれなくて中学を辞めた。

 今は立ち直りつつあり、地方の女子高に通っているそうだが、なんとも惨い事件だ。

 その事件以来、新城は俺と宏樹の間でVBとして名が通るようになった。

 涼鈴が宏夏さんと同じ運命を辿る?そんなこと良いわけあるか。涼鈴が他の男・・・・・・ましてや、あの新城には絶対、譲るわけにはいかない。

「涼鈴なら大丈夫だよ」

 なんの根拠もない大丈夫・・・・・・それでも彼氏でも何でもない俺にはどうすることもできない。

 宏樹は俺の前に立った。その表情はいつものとは打って変わって真剣そのものだった。

 宏樹が本気で心配してくれているのは、分かる。彼だって新城の被害者のようなものだから。

「お前、それ本気で言ってんのか?・・・・・・好きな女のために動き出せない彼氏とか聞いて呆れるぜ」

「俺は涼鈴の彼氏じゃない」

 これは事実だ。涼鈴の彼氏でもない男がでしゃばったところで事態は何の解決にもならない。

 今度は、修二が口を開いた。

「でも、詩衣はいずれ涼鈴の恋人になるんだろ」

「それは!?・・・・・・そうだけど」

「―――だったら、未来の嫁を助けるのに理由なんているか?」

 その言葉に俺は気づかされた。いや、実を言うと最初から気づいていたんだと思う。

 適当な理由を並べて、楽な道を進んでいこうとしていたことに・・・・・・そんな自分に腹が立つ。

 涼鈴と新城の間に横槍を入れた時、彼女に嫌われるかもしれないと思い、怖くて動けないでいる情けない自分にも腹が立った。

 なにより、好きな女の子一人を助けるのに理由なんていらないと分かっていても、理由を探さずにはいられなくて、友達に乗せられないと一歩動けなかった自分に一番腹が立った。

 ぎゅっと拳を力強く握り、顔を上げた。

「ちょっと行ってくる」

 そう口に出して一歩、また一歩と足を踏み出した。

 そんな俺の背中に、宏樹と修二はバシッと叩いて、喝を入れてくれた。

 俺は背中越しにふたりへ礼を伝えると、歩を進めた。

「それじゃあ」

「・・・・・・・・・うん」

 だが、涼鈴の後ろに着いた同時に、二人の会話を終えてしまっていた。

 新城は廊下に消え、涼鈴は振り返る。すると、すぐ後ろにいた俺とバッチリ目が合ってしまった。

 涼鈴は目をぱちくりさせている。

「もしかして聴いてた?」

「いや、全然、全く、これっぽっちも」

 涼鈴はそっと胸を撫で下ろした。

 胸を撫で下ろす程、人に聞かれたくない大事な話をしていたということなのだろうか。

「今のVB・・・・・・じゃなくて、新城先輩だよね?何の話してたの?」

 ここで俺は、涼鈴に一歩踏み込んでみることにした。今の流れなら会話の内容を聞き出す行為になんの違和感もないからな。

 事務的な内容だったら良いのだが・・・・・・。

 聞かれた涼鈴は、両手と一緒に顔をぶんぶんと振った。

「そ、そんな大した用じゃなかったから・・・・・・気にするようなことでもないよ」

 そう言って涼鈴は笑ってみせた。

 さっき俺達に見せた微笑みとは少し違う・・・・・・これは愛想笑いだ。一体、新城と何の話をしていたのだろうか。まさか、まさかな・・・・・・。

 涼鈴が話そうとしないということはあまり他人には、聞かれたくない内容なのだろう。

 会話の内容は気になるが、これ以上の詮索は、涼鈴に嫌われかねないので、今回は大人しく引き下がることにした。

「そういえば今日の五限目って体育だよね・・・・・・そろそろ着替えてきた方がいいんじゃない?」

「うん、そうだね・・・・・・そうするよ、また後でね」

 そう言って涼鈴は体操服を手に取ると、ひらりと手を降り教室から出て行った。

 涼鈴と新城の関係をぶっ壊そうとしたが、行動に移る前に会話が終わるというあまりにも無様な醜態を晒した俺は、背中を押してくれた二人の元へ戻る。

 宏樹と修二はまるで可哀想な奴を見るかのような憐れみを込めた瞳でこちらを見つめる。

「そんな目で見るんじゃねぇよ」

 俺は二人に向かってそう言い放つと、宏樹は俺の右肩を優しく叩いた。

「まぁ、こういうこともあるさ。次に活かしていきま詩衣!」

 クソつまんねえこと言ってんじゃねぇよ。

 すると、今度は修二が空いた俺の左肩に手を置いた。

「安心するがいい・・・・・・いつか俺が将軍になって詩衣くん憐みの令制定してやる」

「やっぱり憐れんでるんじゃねぇか!」

 そこで宏樹が時計をちらっと確認した。

「そろそろ時間だ。早く着替えて体育館に行くぞ」

 そう言って宏樹はワイシャツを第二ボタンまで外し、脱ぎ始めた。修二と俺もそれにつられて着替え始める。

 着替え終えた三人は、体育館履きを手に持ち教室を出ようと歩き出す。その時、俺たち以外にまだ残っていたクラスメイトの男子二人が同じく教室を出ようとしている光景を目にした。

 次の瞬間。俺は走り出し、全速力で教室の外へ飛び出す。俺の行動の意図を悟った二人も続くように教室の外へ飛び出した。

 それから俺達は三人して教室に顔だけ出すと、最後に残ったクラスメイト達にせーので一言だけ残していった。

「最後のひと〜、電気と戸締りよろしくねー!」




 二階の窓から天使のはしごみたく光が降り注ぎ、広い体育館の全体を明るく照らす。

 光の中で埃が立つなか、俺はクラスの皆と共に出席番号順に並んで整列していた。

「今日の体育はバスケットボールです。皆にクジを引いてもらいA、B、C、Dの四つのチームに別れてから各自で体操を行ってもらいます」

 優しいお兄さんのような顔つきをした体育講師の須藤がビニール袋に入った手作り感満載のくじ引きを掲げる。

 それを見たクラスの連中が我先にと次々須藤の持つクジに群がっていき、その光景を俺は傍から観察していた。そして、何気なしに呟く。

「なんでくじ引きになるとみんな躍起になるんだろうな・・・・・・くじ引きは逃げないんだし、みんなが引き終わるの待ってから向かった方が列ぶ時間を無駄にせずに済むだろ」

「詩衣に言わせれば、残り物には涼鈴があるってところだな」

 カカっと笑いながら宏樹は言った。

「そうだっ!残り物には涼鈴ある!」

 そんな宏樹の言葉を、俺は全肯定した。

 涼鈴は俺の幸福の象徴だ。宏樹の言葉は何一つ間違ってはいないだろう。

 すると、宏樹の隣にいた修二が前髪をかきあげた。

「太宰イズおたふくソース」

「おい、涼鈴はおたふくソースじゃねぇよ!」

 その時だった、涼鈴と相浦さんが須藤の元へ向かう光景が視野に入った。俺はノールックで走り出し、彼女達の後ろに並ぶ。

 なんか遠くから「言ってることとやってることが違ぇじゃねぇか」と文句を言われたが、そんなことは気にしない。

 俺は目の前で華のように揺れる黒髪を注視した。

 ツヤのある涼鈴の髪はいつも見ても綺麗で、思わず触りたくなってしまう。

 お部屋に飾りたいくらいだ。もし彼女の髪でできたカツラが売っていたら全て俺が買い占めるまである。

 列が一歩進み、涼鈴も一歩前出たので幅を詰めた。その時、涼鈴の残り香が鼻についた。

 やべぇ、めっちゃいい匂いする。

 いつまでも嗅いでいたくなるような甘いシャンプーの香りだ。

 どんなシャンプーを使っているんだろう。是非とも誰か俺に教えて下さい。

 それから数十秒程、涼鈴の背中に浮き出ている下着を見て、エロスを感じていると涼鈴がクジを引く番がきた。

 涼鈴はビニール袋に手を入れガサガサとクジを漁る。

 ―――涼鈴は何チームを引くんだ?

 ビニール袋から取り出された一枚の紙切れ。それを涼鈴は躊躇なく開いた。

「あ・・・・・・Dだ」

「えっ、うっそ私Cなんだけど・・・・・・」

 相浦さんは本当に残念そうに項垂れた。

「残念だね」

「ほんとくじ引きとかわけわかんない!」

 少しばかり落ち込む涼鈴とは対照的に相浦さんは納得がいかないとばかりに騒ぎ出した。

 こういう人って何処にでもいるよなあ。

 涼鈴はCチームか・・・・・・。

 相浦さんが外してくれたおかげでCチームの枠が一つ減らずにすんだ。

 俺は一歩前に出てクジの前に立つ。

 ―――ここで俺の幸運エクストラを魅せるときが来たようだな!

 手を袋の中にツッコミ下の方にある紙切れ一つ掴んだ。

 相浦さんには悪いが、俺はCチームを引かせてもらうぜ!

 勢いよくクジを引き抜くと、それを開いてみせた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・C・・・・・・だと!?」

 俺は振り返り最後にクジを引く二人―――宏樹と修二を見やる。

 二人は同時にクジを開いた。すると、二人はこちらを見てニヤっと気持ち悪い笑みを浮かべ、クジをこちら見せてきた。

 彼らのクジにはそれぞれアルファベットのDと書かれていた。

「残り物には・・・・・・」

「涼鈴があーるっ・・・・・・うひひひっ!」

「クソがあああああああああああああああああああああああああ!!」

 膝を着き、怒りに任せて体育館の床を叩きまくる。

 ・・・・・・・・・神はこの俺を見捨てたというのか。

 ケルト神話に出てくる自害した槍使いの様に血の涙を流し、拳を強く握り締めた。

 そこで一人の生徒が俺の前に立つ。

「アンタもCチームしょ?今日の対戦はDグループとだって。―――スズ以外の連中をボコボコにしてやるわよ」

 そう言って相浦さんが俺に手を差し伸ばしてくれた。

 相浦さん、さっきは君がクジで外したことを喜んでごめん。俺は自分と・・・・・・そして、君の為にも少しは頑張ろうと思えたよ。

 差し伸べられた相浦さんの手を握ろうとしたその時、ひょいとその手が引っ込んだ。俺は不思議に思い相浦さんの顔を見る。

「私がアンタなんかに手を握らすわけがないでしょ。立てるなら自分で立って」

 おのれの相浦ァ!よくも騙したなあ!

 もういい・・・・・・自分私利私欲のためだけに動いてやる。

「俺は今日―――神殺しを成し遂げる!」

 それとスズって呼び方なんか仲のいい友達っぽくていいなあー、真似したいなあー。




 それぞれチームごとにウォームアップを終え、選手が中央のラインに沿ってコートに並んだ。

 体育館の扉は全て開け放たれており、風通しが良くなっている。だが、それでも暑いのが体育館だ。

 こもった熱気とここにいる生徒達の存在が汗を誘発させる。そのおかげで、少ししか動いていないにも関わらず、服に汗が滲んだ。

 そこで先生が首に下げていたホイッスルを鳴らす。

「じゃあゲームをするぞ、各チームジャンパーを一人出せ」

 相手チームからは宏樹が出てきた。

 身長も高いし運動神経も抜群だ。これ以上ない采配だろう。

 一方こっちからは自分のチームを見渡す。

 相浦以外はあまり関わりのないメンツばかりだ。それに運動神経も悪そう・・・・・・仕方がないここは俺が率先して行こうじゃないか。

 たぶんボールは宏樹に取られて相手チームから攻撃になるだろう。いつもの俺なら誰かテキトーな奴にジャンパーをやらせて守備に徹底するが、涼鈴がいるこの場では、少しでも目立たなければ!

「ふっ・・・・・・」

 余裕な笑みを浮かべて、前に出る。

 しかし、ここで意外なできごとが起こった。

「どいて」

 前に出た俺を押し退け、相浦が前に出る。

「おい、なにすんだ!」

 退かされた俺は相浦に文句を言うが、彼女はそれをプイと無視しやがった。

「ジャンパーはお前で良いのか?」

「そうよ、いいから早くして」

 宏樹が尋ねると、相浦はあからさまに冷たい態度を取る。

 いや、相浦じゃ無理だろ。身長差10センチはあるぞ。

「吉幾三、それ」

 つまらないギャグを合図に須藤が投げたボールは高く上がる。

 空中でボールが止まると、宏樹と相浦は一斉にボール目掛けて跳躍。そこで俺は、思わず目を見開くような光景を目の当たりにした。

 相浦が俺の想像を遥かに超える高さまでジャンプし、宏樹よりも先にボールに触ったのだ。

 相浦が触ったボールはゆっくりと俺の手元に降ってくる。

 そのボールをキャッチしようとしたその時だった。

「えいっ!」

 目の前でボールが弾かれた。

 ボールを弾いた人物はなんと涼鈴だった。

 涼鈴は弾いたボールを拾うと、修二にパスする。

「なにやってんだノロマァ!早くボール取り返して!」

 相浦の怒号が耳を刺す。俺は慌ててゴールまで戻り、ドリブルして向かって来る修二と相対した。

「先制点はいただ・・・・・・おわっ!?」

 修二は自分でついたボールにつまづき、盛大に転けた。

 俺は修二が零したボールを拾い、相浦にパスする。

 相浦は味方の俺以外の三人を連れて敵陣のゴールを目指した。

「修二、大丈夫か?」

 俺は転んだ修二を引っ張り起こした。

「ああ、何も問題ない。・・・・・・ありがとう友よ」

 修二は嬉しそうにそう言って守備に戻っていった。

 すると、この場には俺と涼鈴だけが残った。

 こっちにいるということは涼鈴はオフェンス役なのだろう。

 俺には一つ気になることがあった。

「えっと・・・・・・ねぇ、涼鈴」

「ん、なに?」

 涼鈴は首を傾げて、俺の言葉を待つ。

「誰もが宏樹がボールを取ると信じて疑わなかったあの状況で、相浦が繋いだボールを俺が取る前に触れた・・・・・・なんで俺のところにボールが来ると分かったの?」

 俺は相浦達がボールを回しゴールを攻略しようと躍起になっている光景を目にしながら問いかける。

「え、えっと・・・・・・なんでって言われてもー・・・・・・さーちゃんが勝つって信じてた・・・・・・から?」

 ええーっ、そこは自分のチームである宏樹を信じてあげなよ。まあ、もし涼鈴が宏樹を信じていたら、後で八つ当たりとして校舎裏で宏樹をボコすけど・・・・・・。

「相浦って、そんなに運動神経が良かったんだ。知らなかったよ」

 そこで涼鈴は少しだけ頭を傾げた。

「運動神経が良いってゆーか・・・・・・さーちゃんは全中バスケ準優勝校のエースだったというか・・・・・・」

「・・・・・・・・・は?」

 俺は涼鈴の目線の先にいる相浦に目を向ける。

 相浦はゴール前で跳んだかと思えば、その跳躍力を活かし、ゴールにボールを叩きつけていた。

「女子中学生の中で唯一ダンクができたらしいよ」

「・・・・・・我がチームながら反則過ぎやしないか?」

 うちのチームの得点板に2点が入ったところで先生が笛を鳴らし、ゲーム中にも関わらず、コートに入ってくる。

「言い忘れてましたけど、女子がゴールを決めたら点数二倍ですからね!」

 先生の言葉により、うちのチームへ更に2点が加点される。

 ・・・・・・これ、もう勝ったわ。

 俺が勝利を確信したその時だった。

「おりゃあああああああああああああああああああああああああああ!!」

 宏樹が拾ったボールを全力で投げた。

 宏樹の手から離れたボールは弧を描いて、俺達のゴールに吸い込まれるようにして入っ・・・・・・、ドゴッとバックボードに直撃した。

 一瞬、入るかに思われたボールがゴールを外れたことで俺は胸を撫で下ろす。

 そこで甘い薫風が俺のすぐ脇を通り、頬を撫でた。

 その風の正体は涼鈴で、彼女は落ちてきたボールをキャッチすると、ほいっと上手くバックボードに当てて四点を返してた。

 ゴールに入ったボールはバウンドして転がり、得点を決めた涼鈴は駆け足でこちらに向かって来る。

 そして、すれ違いざまに耳元で囁かれた。

「わたし、負ける気なんてないよ」

 そう言って涼鈴は、守備に戻った。

 ほう、この俺に勝負しようというのか。・・・・・・良いだろう、受けて立つ!

 すぐさまボールを拾い味方にボールをパスする。

 残り時間は6分。

 涼鈴の判断力の早さには驚かされたが、それ以上に宏樹の身体能力の高さがこの試合のネックになってくるだろう。

 今の得点は宏樹がいてこそ成し得たものだからな。

 この試合はアブノーマルな女子の得点二倍ルール。

 ならば、これを生かさないては手はない。

「相浦ッ!」

 味方からボールを戻してもらうと、そのボールを相浦に流した。

 相浦はドリブルで敵陣を突っ切っていき、ゴール前までやってくるとレイアップシュートを打つ。

 が、ゴール下で待機していた宏樹に弾かれた。

 転がるボールを修二が拾う。

「俺の華麗なボール捌きにひれ伏すが良い」

 修二がうちのチームで一番動いていないいかにも貧弱そうな男子に向かって指を差す。

 そして修二がその子の横を抜こうとした瞬間、ペシっという音とともに修二はボールを奪われた。

 その子がきょろきょろと辺りを見渡し俺と目があうと、ボールを俺にパスをする。

 だが、それを涼鈴がパスカットしたことにより形勢は逆転。急いで自分達のゴールに戻った。

 涼鈴がゴール前までくるとシュートモーションに入る。

「させるかっ!」

 俺は手を伸ばし、ゴールを防ごうとジャンプする。

 おかしい、涼鈴がずっと下に見える。

 涼鈴は俺が飛んでから落下し始めたところで、ジャンプをしてシュートを放った。

 シュートフェイント!?・・・・・・やられた。

 後ろを振り返り、ボールの軌道を確認する。

 涼鈴が放ったボールはゴールの枠から少しずれて外れた。

「あー、惜しい。もうちょっと」

 外れたボールを拾う。バスケットボールのイボイボが程よく手に馴染む。ダムダム音を鳴らし、先行するためにドリブルを仕掛けていると、相浦が俺の側までやってきた。

「これ持ってくね」

 そう言って俺が持っていたボールを奪って行ってしまった。

「あっ・・・・・・俺のボールが」

 今日はまだ少ししかボールに触れてなかったのに・・・・・・。

 相浦は再びゴール前で宏樹と相対すると、大きく後ろに下がり、スリーポイントシュートを放つ。

「―――不可侵のシュート!」

「はいそれアウトォォオオオ!」

 俺のツッコミも虚しく、相浦のスリーポイントは決まった。

 そのシュートを見て宏樹は目を輝かせている。

「おおスゲー!黒バス完全再現じゃん!」

 現在10対4で残り時間二分。

 次こそ勝利を確信したその時。宏樹はポケットから先程も見た橘さんの眼鏡を取り出すと、それをかけた。

「まったく、心外なのだよ。その程度で出し抜いたつもりか」

 あー、相浦のせいで宏樹のオタク魂に火がついちゃった。

 宏樹の口調が突然変わったかと思えば、すぐに自陣のエンドラインからシュートモーションに入る。

「まさかそれは超長距離3Pシュート!?」

 味方であるはずの修二が驚愕の表情を見せる。

「おい、お前までやめろ!」

 俺の制止の声は宏樹に届かない。

「俺のシュート範囲はコートの全てだ」

 宏樹は大きくしゃがみ、身体全身のバネを使ってボールを放った。

 宏樹の手から離れたボールを高く高く伸びてゆく。

「俺のボールは落ちん」

 決め台詞を吐いた宏樹は眼鏡をくいっと上げて、結果は分かりきっていると後ろへ振り向いた。

 しかし、彼の予想とは裏腹に高く上がっていったボールは勢いそのまま体育館の天井に激突。

 天井でバウンドしたボールは速度を上げて落下し、終いには真下にいた宏樹の後頭部に直撃した。そして宏樹はばたりと倒れる。

「ぎゃははははははははは!・・・・・・俺のボールは落ちんドーンッて・・・ふひひひっ!頭に落ちてるじゃんか!・・・・・・ひー・・・腹いてー」

「ふはははははははっ!アレは傑作過ぎるな」

「ふふっ!宏樹くん面白い」

「バッカじゃないの、あははははは!」

 俺と修二、涼鈴、相浦・・・・・・それに今の光景を見ていた全員が宏樹の痛快過ぎる珍プレーで明るい笑いに包まれる。

 涼鈴を笑わせることができている宏樹を羨ましく思いつつも、いつまでも倒れられては困るので起こしてやろうと宏樹に駆け寄る。

「おい、宏樹大丈夫か!」

「・・・・・・・・・・・・」

 返事がこない。

 おかしいと思い、宏樹の顔を覗く。すると、宏樹を白目を向いて涎を垂らしていた。

「あ・・・・・・こいつ、死んでる!」

 俺は急いで先生を呼び、事情を説明した。

 それから先生と一緒に宏樹を保険室に連れて行くことになった。

「修二!ちょっと宏樹を保険室に連れて行くわ」

「了解した。気をつけてな」

 修二の返事を聞いて、俺は先生と共に宏樹に肩を貸しながら保険室を目指し、廊下を突き進んで行った。





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