第六話 日曜の礼拝(ラビエス、マール、パラの冒険記)

   

「お前は昨日のロリ……」

 俺――ラビエス・ラ・ブド――は、思わず『ロリ巨乳』と叫びかけて、慌てて口をつぐんだ。

 さすがに面と向かって『ロリ巨乳』は失礼だろう。まあ、この世界の人間なら、何となくニュアンスは伝わりながらも「何その言葉」と言われるだけで済むかもしれない。だが目の前の彼女は、俺と同じ世界から来た人間だ。当然『ロリ巨乳』という言葉も知っているはず。

 とはいえ、考えてみたら、俺は『ロリ巨乳』の名前を聞いていなかった。心の中で呼ぶのは『ロリ巨乳』で構わないとしても、口に出す時は何と呼べばいいのだろう……?

 そんな俺の逡巡を遮るかのように、

「……若先生!」

 彼女は叫びながら、俺を指差した。

 その隣でマールが、きょとんとした表情を浮かべながら、俺と『ロリ巨乳』の顔を見比べていた。

「もしかして……二人は知り合い?」


――――――――――――


 私――マール・ブルグ――の視線が、隣の少女とラビエスとの間で行き来する。

 ラビエスは、完全に意表を突かれた顔。

 一方、彼女は驚きながらも、嬉しさが表情に滲み出ていた。

 ……なんだ、これ。

 まだイスト村に来たばかりだというから、教会までの案内くらいなら……と思っていたのに。

 この女の子、いつの間に私の相棒ラビエスと面識を?

「いや、知り合いってほどでもないさ。ただ、昨日……」

 せっかくラビエスが説明しようとしたのに、彼女が遮ってしまう。

「そういえば、昨日は自己紹介もしていませんでしたね。パラ・ミクソと申します。見ての通り、新米冒険者です」

「あ、俺も名乗ってなかったな。俺はラビエス・ラ・ブド」

 ほら、事情説明じゃなくて自己紹介の雰囲気になっちゃった。

 こうなったら私も名乗って、話を戻させよう。

「私も、まだだったわね。私はマール・ブルグ。このラビエスの幼馴染よ。……それで、どちらでもいいから事情を教えて。教会まで歩きながら、でいいから」

「では、私の口から説明させてください」

 パラと名乗った少女が、ぺこりと頭を下げてから、話し始める。

 彼女の説明によると。

 イスト村に来て早々、広場で「腕のいい白魔法士」の噂を聞いた。この村を拠点に冒険するにあたり、そんな白魔法士と一緒ならば心強い。だからパーティーを組みたいと思って、治療院までお願いしに行った……。

「……なるほどね」

 なぜだか私は、少し気持ちが軽くなった。表情も和らいで見えたかもしれない。

 実のところ。

 昨日一目会った時点から、パラの印象は良くなかった。今日も装着している眼帯や包帯が、典型的な魔法士の格好や健康的な彼女自身の姿と合わせると、十二病に見えてくるのだ。自分でも理由はわからないが、私は十二病を快くは思っていないようだった。

 今朝だって、あまり気が進まないまま「教会の場所を教える程度なら」と連れて来たのだったが……。

 ラビエスを「腕のいい白魔法士」と賞賛する姿を見て、少し私の心境も変わったみたい。

「いやいや、俺は、そんなに腕のいい白魔法士なんかじゃなくて……」

「そんな謙遜なさらずに。村人の間で、噂になるくらいなのでしょう?」

「だから、それは、あくまでも治療師としてであって……」 

 きらきらした目つきのパラに対して、ラビエスは少し困ったような顔をしている。褒められるのに慣れていなくて、くすぐったいような気持ちになっているのかもしれない。

 でも、私は思う。ラビエスだって賛辞に慣れるべきだ。彼はもっと評価されるべきだ。

 確かに彼が言う通り、村の人から「腕がいい」と言われることはあっても、他の冒険者から評価されることは、今まで皆無だった気がする。冒険者の白魔法士としても、治療師としても、同じ回復魔法なのだから根本的には同じはずなのに。

 村人の噂を聞いて、ラビエスを「腕のいい白魔法士」と信じ切っているパラは……。もしかしたら、私たちにとって結構、貴重な冒険者かもしれない。


 ラビエスが褒められると、幼馴染の私まで気分が良くなる。

 自分が褒められたみたいな……。いや、それ以上に心地いい感じ。

 それに。

 褒められて戸惑うラビエスは……。

 私には、可愛く見えてしまう。

 だから。

 そんなラビエスを私は、もっと見ていたい。


 こうして、私たち三人は、話を続けながら教会に入った。

 まだパラは「パーティーに加えてください」と頼み込んでいるが、ラビエスが渋い態度を続けている。

 正直に言ってしまうと。

 本当は、教会の入り口まで来たら、そこでパラとは別れるつもりだった。

 彼女には一人分の空席を見繕って、私は別の席で、ラビエスと二人で礼拝に参加するつもりだった。

 でも、今。

 もう少しパラと一緒にいよう……。そう考えが変わった。

「とりあえず、その話は後回し。すぐに、礼拝が始まる時間だわ。どこか空いてる椅子に座りましょう」

 そう言って、私は三人並んで座れる席を探す。


――――――――――――


 俺――ラビエス・ラ・ブド――の相棒であるマールが、とりあえず座ろうと提案して、きょろきょろと室内を見回した。

 信心深い人々が多いため、かなり教会は混んでいるが、それでも礼拝堂の長椅子には十分余裕がある。

 すぐに彼女は、三人が一緒に座れる場所を見つけた。

「ほら、あそこ」

 当然の流れで、俺たち三人は並んで座ることになった。

 場所を見つけたマールが先に進み、俺、パラの順で続いたので、席順もそのままになった。つまり、俺はマールとパラに挟まれた形になる。

 いわゆる『両手に花』なわけだが、とても喜べる状態ではない。

 むしろ、心の中では冷や汗ものだった。俺としては、転生を口にする転生者なんて、マールには近づけたくないのだから。一応パラは設定という形で微妙に誤魔化しているが、それでも十分危険だ。

 それにパラには悪いが、「腕のいい白魔法士」と俺を過大評価する時点で既に、俺は彼女を好きになれなかった。だいたい、パラは実際に俺の治療師仕事を見たわけではなく、噂で聞いただけではないか。きっと思い込みの激しい娘なのだろう。

 いや、そもそも「腕のいい白魔法士」なんて言っているのは、心から信じているわけではなく、俺に近づく口実に過ぎないのかもしれない。もしも、俺を同じ転生者だと見抜いているのであれば……。


 そうした俺の動揺などとは無関係に、普通に礼拝が始まる。

「おはようございます。今日は皆さんに、風の神と土の神についての話をしましょう……」

 まずは、神父様の退屈な説教。

 それが終わると、皆で賛美歌を歌う。

 賛美歌集には、たくさんの歌が載っている。何度礼拝で歌っても覚えきれないほどで、数えたことはないが、おそらく百を超える曲数が収録されているだろう。もちろん、毎回全部を歌うわけではなく、その日その日に、神父様が指定した歌だけだ。

 今日の歌は、風の神と土の神を賛美するもののようだった。

 出だしの歌詞は、こんな感じだ。



 デ・ヴェント・ディアボリ・エレイソ

 天のいと高きところにおわす神よ

 栄光の風を吹かせたまえ


 デ・テラ・ディアボリ・エレイソ

 平和な大地に降臨せし神よ

 土の恵みを与えたまえ


 ドーナ・チャオ

 ノービス・チャオ

 神の与えたもう平和に感謝を


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 歌詞の意味は何となく理解できる。だが途中で挟まる、呪文詠唱のような文句――「デ・ヴェント・ディアボリ・エレイソ」とか「ドーナ・チャオ」とか――は、完全に意味不明だった。呪文詠唱と同じ、特殊な言語体系に基づく言葉に思えるが……。

 俺だけではない。その部分が理解できないのは、皆、同じだろう。それでも熱心に歌い続け……。一曲の終わりに、冒頭部の繰り返しがやってくる。

 そして「デ・テラ・ディアボリ・エレイソ」の部分で。

 俺の右隣で、それまで美しい歌声を響かせていたパラが突然、少し声量を下げたかと思ったら、言い淀んで歌詞を間違えた。

「デ・テ……ラテンゴ……エレイソ」

 何度も歌っているであろうフレーズなのに、なぜ間違えた、と思ったのも束の間。

 すぐに、俺は気づいた。明らかに無理のある『言い間違え』だったからだ。

 パラは歌詞の中に『ラテンゴ』……つまり、ラテン語という単語を紛れ込ませたのだ。転生者にだけわかるメッセージを、俺に対して送ってきたのだろう。


 ラテン語。

 俺が元いた世界の言語だ。だが、俺には馴染みの薄い言語でもある。

 わざわざ今この場面でパラが「ラテン語」と言ってきたくらいだから、この世界の賛美歌の一部や呪文詠唱は、元の世界のラテン語に似た言語なのだろう。ならば、俺には理解できないのも当然だ。

 それにしても、なぜパラは、ラテン語の知識なんて持っていたのだろうか。もしかすると、元の世界では言語学者か何かだったのだろうか。

 まあ、ともかく。

 元の世界のファンタジー創作物では、魔法の呪文といえば英語やドイツ語のカタカタ表記が多かったと思うが、まさかラテン語だったとは……。完全に盲点だった。

 しかし。

 こうして、この世界の『言語』の話をしてしまうと、

「そもそも今、日本語を使用しているよね? ファンタジーっぽい世界で、日本語が公用語なのは、おかしくない?」

 と言われてしまいそうだが……。

 実は、俺たちは今、日本語を使っているわけではない。

 脳が自動的に変換しているだけで、実際には、この世界独特の言語を用いているのだ。


 また少し、元の世界での経験談になってしまうが……。

 学生時代に『英語脳』という言葉を聞いたことがある。

 文学部で英米文学専攻の友人から、こう言われたのだ。

「英語の読み書きとか英会話とかって、英語脳を使うのよね」

 彼女は性格も容姿も魅力的な女性だったが、その時に限っては、俺は内心で「何言ってるんだ、こいつ」と思ってしまった。自分の感覚として、そんなもの使った覚えがなかったからだ。

 当時、俺は英会話は全然ダメだったが、英語の読み書きには自信があった。大学受験レベルでも得点源にしていたが、理系の研究を始めてしまうと、専門知識は教科書ではなく海外の研究論文から得るのが大部分となるからだ。もちろん、自分自身も研究成果を英語で論文発表するので――最終的には教授などが大幅に書き直すとしても第一稿は自分で書くので――、『読む』だけではなく『書く』のも必須。

 海外勤務が決まって、渡米した時も、その程度の英語力だった。だから最初の一年間は会話で少し苦労したが、二年目くらいからは、意識せず普通に意思疎通できるようになった。その代わり、むしろ発音や文法は崩れてしまい、完全に『俺英語』――英語圏の人間にギリギリ通じる程度の――になってしまったが。

 そんな『二年目』の、ある日のこと。

 家で一人でテレビを見ていた時。

 テレビに向かって、

「I know」

 という独り言が口から出たのだ。

 正確な意味はともかく『俺英語』としては「うん、うん」「わかる、わかる」くらいのニュアンスで使っていた言葉だ。

 自分でも驚いた。英語でツッコミを入れよう、なんて意識は皆無だったのだから。

 要するに、英語を使っているという自覚すらないくらい、無意識のうちに頭が英語でモノを考えていたのだろう。

 その時ようやく気付いたのだ。俺は実感したのだ。これが彼女の言っていた『英語脳』なのか、と。


 しかし、この時の俺は『英語脳』だけでなく『日本語脳』も持っていたからこそ、発言直後に「今、英語使った!」と自覚できたのだろう。

 もし『英語脳』だけだったら、どうなるのだろうか?

 俺は渡米直後、睡眠中に何度も「今、頑張って外人と英語で会話をしている」という内容の夢を見ることがあった。しかし二年目くらいから、そうした夢は見なくなった。同じように英語を使う外人が夢に出てきた場合でも、夢の中では最初から最後まで特別に意識することなく、俺は彼らと同じ言語で喋っていた。それが英語だったと気づくのは、目覚めた後のことだ。

 おそらく「夢の中では『英語脳』しか使っていなかったから」なのだろう。

 つまり『英語脳』だけだったら、母国語感覚で気楽に、自覚もなく無意識に英語を用いてしまう……。まるで、頭の中で自動翻訳されているかのようなレベルで。


 それと似たような現象が、この異世界転生においても起こっているのではなかろうか?

 今現在、俺が使っている身体からだは、オリジナルの『ラビエス』のものだ。脳も当然、この世界で生まれ育った『ラビエス』の脳だ。

 だから、『英語脳』だけの日本人が、英語を母国語と同じ感覚で自然に使うように――つまり、別の言語だと意識・認識できないように。

 この世界の『ラビエス』の脳――日本語という概念すらなかった彼の脳――を通すと、俺の知らない言語とは認識されずに、自動翻訳されて、わかって当然の言語という感覚になるのではないか。

 そして、賛美歌の一部とか呪文詠唱とか『ラビエス』の脳でも「意味がわからない」部分だけは、『英語脳』での会話中に知らない英単語が出てきたのと同じく、発音のままに聞こえてくるのだろう……。

 これが俺の仮説である。

 多少無理がある仮説かもしれないが、別に誰かと議論するわけではなく、自分自身を納得させることが出来れば十分なのだ。

 どうせ、これについて、ほかの転生者と話し合う機会なんてないだろうし……。

 そんなことを考えてしまったせいだろうか。

 つい、隣のパラに目を向けてしまった。


――――――――――――


「デ・テ……ラテンゴ……エレイソ」

 私――パラ・ミクソ――は、自分でも強引すぎると思いながらも、無理矢理『ラテン語』という言葉を挟み込みました。

 ラビエスさんの様子は、どうでしょうか? 何か反応してくれるでしょうか?

 彼の顔を盗み見ると、明らかなリアクションがありました。

 頑張って表情には出さないようにしていますが、あっと驚いた顔になっています。それでも平然と歌い続けていますが……。


 ラテン語。

 あちらの世界の言語です。ただし、あちらの世界でも、一般的に日本人には馴染みの薄い言語ではないでしょうか。

 しかしミサやレクイエムといった宗教曲はラテン語で書かれており、日本人が歌う場合でも、翻訳した歌詞ではなくラテン語そのままを使います。ですから私のように合唱を趣味とする者には、割と親しみのある言語でした。

 こちらの世界で初めて礼拝に参加した時、すぐにピンと来ました。賛美歌の途中に挿入される、こちらの世界でも「意味わからない」と言われる部分……。あれはラテン語です。正確には、ラテン語そのものとは少し違うのですが、明らかに似た言語です。

 意識してみると、ミサやレクイエムで見たような単語が、かなり散見されました。

 例えば、今日の賛美歌で言えば「デ・ヴェント・ディアボリ・エレイソ」「デ・テラ・ディアボリ・エレイソ」に共通する「エレイソ」という単語。これはミサで何度も歌った「エレイソン」が微妙に変化した言葉なのでしょう。

 ミサやレクイエムに出てくる『神様』に相当する言葉は見つかりませんでしたが……。考えてみれば、あちらの世界の宗教曲では、神はキリストです。こちらの世界の神とは違うので、こちらの世界の賛美歌に出てこないのも当然ですね。

 まあ風魔法の基本詠唱が「ヴェントス・イクト」であることを考え合わせれば、「デ・ヴェント・ディアボリ・エレイソ」から「エレイソ」と「ヴェント」を引いて、「ディアボリ」あたりがこの世界の神を示しているのだろう……。それくらいの推察は出来ます。

 私は黒魔法士として、その『ディアボリ』様から力を借りて、魔法を放っている……ということになるわけです。


 呪文の詠唱文と、賛美歌の「意味わからない」部分と、おそらく共通の言語体系に基づいているのだろうという考えは、魔法学院の生徒の間では常識でした。正式に授業で教わりこそしませんでしたが、おそらく先生方せんせいがたも同じ考えだったのでしょう。

 生徒の中には、古い文献などを調べて、詠唱語句の意味を一字一句解析する……などと試みる者もいましたが、成功した者はいなかったようです。

 先ほど少しやってみせたように、ある程度なら私は、賛美歌の語句を推測できています。しかし、呪文詠唱に関しては事情が異なります。ミサやレクイエムで覚えた単語が、呪文詠唱に出てこないからです。

 そもそも私は、ミサやレクイエムの歌詞も、全部完璧に覚えているわけではありません。頻繁に出てくる言葉が何となく頭に残って、さらにその一部の「これはどういう意味だろう?」と気になった単語だけ意味を調べた……という程度でした。

 きちんと呪文詠唱の単語の意味を理解した上で魔法を使えば、おそらくイメージするのも容易になり、魔法の威力はアップするのでしょう。残念ながら、それは不可能でしたが……。


 詠唱文はラテン語っぽい……という知識だけでも、他の魔法士と比べて、大きなアドバンテージとなりました。呪文詠唱の際、ラテン語のつもりで発音すると、それだけで効果が上がったのです。

 これが学院内で「呪文詠唱が美しい分、魔法の威力も強大」と言われていた理由です。

 そもそも私は、あちらの世界で宗教曲を歌う際「意味はわからずとも発音だけは正確にしよう」と、いつも心に決めていました。

 その点、高校の合唱部ではなく市民合唱団を活動のメインにしていたことも、プラスになっていたかもしれません。

 地元の市民合唱団なので、高齢者もおり、彼らは外国語の発音が苦手で、結構カタカタ発音で歌っていたのですが……。

 大学生や若い社会人の中には、高校の部活とは比べ物にならないくらい、外国語の発音が美しい方々もたくさんいました。

 別に彼らは、専門に語学を修めたわけではなく、合唱のために独学で――あるいは個人で講師のところにレッスンに通って――勉強したそうです。そうした方々は大抵、大学の合唱サークルと掛け持ちしている人だったり、大学の合唱サークル出身の社会人だったり……。

 当時高校生だった私は、それまで『サークル』という言葉にチャラチャラしたイメージを持っていたのですが、頭の中のイメージを描き直したくらいです。大学のサークルは高校における同好会のようなものであって、名称こそ正式な『部』ではないものの、それに勝るとも劣らないくらい真摯に活動しているサークルもあるのだ、と。

 そうした方々と一緒に歌っていたので――迷惑にならないよう精一杯がんばったので――、私も発音は上達したはずです。少なくとも、高校の合唱部の平均より、発音だけは優れているという自負がありました。

 こうした経験が、転生してきた異世界において、大きな手助けとなっているのですから……。

 人生において、どんな経験が何の役に立つか、わからないものです。


 ……ああ、いけません。

 歌いながら、少しだけ考え込んでしまいました。

 この間も、視線の端でラビエスさんの様子は気にしています。

 おやおや。

 ラビエスさんがこちらを向いたので、少しだけ目が合いました。すぐに彼は目をそらしましたが、その挙動が、隣のマールさんには不自然に見えたのかもしれません。

「どうしたの?」

 と聞かれているようで、ラビエスさんは小声で誤魔化しました。

「いや、パラが歌詞を間違えたようで……」

 まあ、そうですよね。

 こちらの世界の人間であるふりを続けている彼としては、正直に話すわけにもいきません。

 私としては、ラテン語の件についても、腹を割って話し合ってみたいものですが……。反応してくれただけで、今回は良しとしましょう。

 これでラビエスさんも、ラテン語っぽい言葉が「謎の言語」としてこちらの世界で使われていると知ったわけです。もしもあちらの世界で少しでもラテン語の知識があったなら、それを活かして、今後は彼の魔法もパワーアップするかもしれません。

 いやいや、少しでもラテン語に詳しければ、私より早く気づいていたでしょうね。残念ながら、あちらの世界の彼は、ラテン語には疎かったようです。


 しばらくして。

 朝の礼拝が終わりました。

 少し早いかもしれませんが、そろそろ昼食の時間です。

「お二人とも、お昼はどうする予定ですか?」

 もう少し二人と一緒にいたくて、尋ねてみました。

 二人は顔を見合わせてから、

「ああ、俺たちは……」

「……『赤レンガ館』の食堂で食べるつもりだけど。パラも一緒に行く?」

 おお!

 マールさんが食事に誘ってくれました。

 昨日や今朝の、女子寮での態度を考えると、少し驚きです。私だけではないようで、ラビエスさんも「これは予想外」といった顔をしています。

 しかし、ここで私が驚きを表情に出すのは失礼でしょう。

「はい、もちろんです! 是非御一緒させてください」

 私は満面の笑顔で答えました。


 二人に連れて行かれたのは、冒険者組合の建物でした。ここが冒険者の間で『赤レンガ館』と呼ばれていることを、私は初めて知りました。

 つまり昼食の場は、組合内に併設されている食堂です。当然、この食堂を利用するのも初めてです。

 食堂部分は二階分の高さの吹き抜けとなっており、足を踏み入れただけで、開放的な気分になりました。おおらかな気持ちになって、どんどん料理も頼んでしまいそうです。

 まだ本格的な昼飯時ひるめしどきではありませんが、もう客は入り始めており、きっと厨房では料理の仕込みも行われているのでしょう。既に食堂内には、美味しそうな香りが立ち込めています。

 テーブルにつくと、マールさんが、

「何か特に食べたいものってあるかしら?」

「えーっと……。果物が食べたいです」

 私の答えに、二人は軽く笑いました。

「じゃあフルーツ盛り合わせは頼むとして……。他に、メインの料理は私たちで頼んじゃっていいかな?」

「はい、お願いします。何が美味しいとか、よくわからないので」

 冒険者は基本、朝と夜はしっかり食べて、昼は携帯食で軽く済ませます。冒険に行く前に朝食で、昼食は冒険中、そして帰ってきてから夕食となるからです。

 しかし日曜日は、午前中は礼拝に出かけ、お昼を食べた後は休んだり雑用したり……。冒険には出かけません。そのため昼食は普段より量も多く、その際に酒を飲む者も結構います。

 目の前の二人も、飲み物はアルコールを頼みました。マールさんは赤ワイン、ラビエスさんはダークビールです。

「私は葡萄ジュースでお願いします」

「あら、お酒は苦手?」

「はい。子供っぽくて、自分でも少し嫌なのですが」

 こちらの世界では、未成年の飲酒が禁止されておらず、子供でもワイン程度なら少しは飲むようです。

 私は、あちらの世界では大学に入ったばかり――まだ未成年――だったので、アルコールを飲む習慣がありませんでした。未成年でも大学生になると飲む人もいましたが、性格的に、私には出来なかったのです。

 その状態でこちらの世界に来てしまったので、そもそもアルコールを美味しいと思う感覚がないまま、今に至ります。あちらの世界で「お酒を飲み慣れないうちは酔っ払いやすい」という話を聞いたこともあったので、今さら無理に飲む必要もないと考えて「お酒は苦手」で通してきました。

「そうか、飲めないのか。もったいないなあ」

 運ばれてきた飲み物に早速、口をつけながら、ラビエスさんが語り始めました。

ダークビールというと苦いイメージもあるだろうけど、これはミルクスタウトと呼ばれるダークビールだからね。スタウト独特の芳醇な苦みに加えて、ほのかにミルクの甘みがあって……」

 続いて、料理も運ばれてきました。

 ソーセージの盛り合わせと、やわらかいロールパンと、生ほうれん草のチーズサラダと、私がお願いしたフルーツの盛り合わせです。

「……ソーセージのような油っこい料理にも合うんだよ」

 ラビエスさんは、ソーセージにフォークを伸ばしながら、まだダークビールについて語っています。

 こんなに饒舌なラビエスさんを見るのは初めてですし、にっこりと笑う――心からの笑顔を見せる――ラビエスさんを見るのも初めてかもしれません。飲み始めたばかりで、まだ酔うには早いですから、よほど『ミルクスタウト』が好きなのでしょう。

「へえ、そうなんですか」

「……話半分に聞いておきなさいよ」

 適当に返事した私に対して、マールさんが「それでいい」といった感じに、手で示してくれました。

「あなたも食べたら」

「はい、いただきます」

 マールさんに促されて、私も料理を食べ始めました。

 ロールパンは、携帯食として使われる硬いライ麦パンとは違って、本当にふわふわです。口の中が幸せになります。

 ソーセージには、厚めにスライスされたポテトが添えられていました。ソーセージと一緒に炒めたようで、ソーセージ由来の肉の脂がポテトに染みているのでしょう。軽く塩胡椒で味付けしただけなのに、そうとは思えないくらいの美味しさです。

 生ほうれん草のチーズサラダは、特に特徴もない、あっさりとした味ですが、しつこい料理の後ではちょうど良い感じです。

 そして、私のリクエスト、フルーツの盛り合わせです。私は『盛り合わせ』という言葉から、多種多様な果物が来るのをイメージしていたのですが、残念ながら、二種類のカットフルーツが皿に盛られているだけでした。

 オレンジ色の果肉と緑色の果肉……。どちらもメロンです。これでは『メロンの盛り合わせ』ですね。

 少し期待外れでしたが、いざ口に入れると、そんな失望感も吹き飛びました。どちらも美味しくて、メロン二種類で十分と思えました。具体的な味の記述は難しいのですが、高級感のある甘さだったので「絶対、皮の表面に網目模様があるメロンに違いない」と感じたことだけは記しておきましょう。


 そうやって料理に舌鼓を打っていたら、マールさんから、おかしな質問を受けました。

「パラの格好って、前世の記憶を取り戻した……みたいな設定に基づいてるんですって?」

「はい、そうです。マールさん、その設定に興味ありますか?」

 どうやら私が料理に夢中になっている間に、昨日の治療院での会話を、ざっとラビエスさんが説明していたようです。

 良い機会です。この場で――ラビエスさんもいるところで――『設定』として転生について語り合えるかもしれません。

 ラビエスさんは黙って成り行きを見守っているようで、ただダークビールを飲み続けています。よく見ると空になったグラスが二つあるので、いつの間にか三杯目なのでしょう。

「いや、興味あるってほどじゃないわ。ただ、ふと思ったんだけど……」

 マールさんは、少し顔をしかめながら続けました。

「……前世の記憶を思い出して、前世の人そのものになっちゃったら、元々の人格とか意識とかって、どうなるのかしら」

「それは……」

 一瞬「そこまでは設定していません」と答えそうになりましたが、口に出す前に、別の考えが頭の中で形になりました。

「……残っています」

「あら、ちゃんと残ってるの?」

「はい。前世の記憶を取り戻した後の私は、二人分の人格が融合した、新しい私……。おそらく、これは私の設定だけではなく、転生を本気で信じている十二病の方々の場合も同じだと思います」

 私は、珍しくキリッとした顔で言い切りました。


 そうです。

 人間の性格なんて、生まれ持ったものだけでなく、それぞれの人生経験に影響される部分もあると思うのです。

 この体になってから私は時々、元々の『パラ』の記憶を少しずつ『思い出す』のですが、その場合、客観的な経験だけでなく、主観的な考え方や感じ方まで『思い出す』のです。まるで自分のことのように、私の記憶の中に入ってくるのです。

 思考や感覚こそ人格を形作るものでしょうから、今の私は、少しずつ影響されて『パラ』の性格に近づいているかもしれません。例えば、以前に言った「異世界転生するくらいなら時間移動を……」なんて十二病的な妄想が頭に浮かんだり、昔ほど『パラ』の十二病スタイルを恥ずかしく感じなかったり、というのが良い例でしょう。

 その意味で、素直に私は「二人分の人格が融合した、新しい私」と表現したのでした。


 マールさんは、何やら考え込むような表情で呟いています。

「……そうか。残ってる、って設定なのね」

 ラビエスさんを見ると、彼は少し驚いたような表情になっていました。

 おやおや。

 ラビエスさんだって、少しずつ記憶を『思い出して』いるでしょうから、私と同じでしょうに。

 むしろ私より頭が良さそうな分、今ようやく私が考えたことなど、とっくの昔に考察済みでしょうに。

 ならば、この驚いた素振りも演技なのでしょうね。「自分は転生なんて無関係だから、そんな話は初めて聞いた」という演技で、敢えて驚いてみせたのでしょう。

 そこまで徹底して、この世界の人間であると演じるなんて……。

 昨日と今日、私の言葉――京都キョートとかラテン語とか――に対する反応で、少しボロを出した部分もありましたが、この今の態度は凄いです。見直しました。


――――――――――――


「……そうか。残ってる、って設定なのね」

 俺――ラビエス・ラ・ブド――の相棒であるマールが、パラの言葉に対して、意味ありげに頷いている。

 一方、俺は酷く驚愕していた。ほろ酔い気分だったが、いっぺんに酔いも覚めるほどだった。

 二人分の人格が融合した新しい私、だと……?

 とんでもない!

 そんなわけないじゃないか!

 パラの発言が大間違いであることも、そうと知った上で敢えて彼女が嘘をついたことも、同じ転生者である俺には筒抜けだった。なにしろ、俺の中に『ラビエス』の意識やら魂やらといったものは残っていないのだから。彼の記憶こそ『思い出す』ものの、あくまでも客観的な経験や思考や感覚だけなのだから。

 例えば「主人公は、その時、こう思った」みたいに書かれている物語を読んだ場合。いくら物語に没頭して感情移入しても、読者である自分が物語の主人公になりきるわけではない。物語の主人公の経験や考え方などに、読者である自分の現実が左右されるわけではない。

 俺にとっての『ラビエス』の記憶も、同じものだろう。時には書物から貴重な知識を得るように、俺も『ラビエス』の記憶は、知識として有効活用させてもらっている。しかし、だからといって俺が『ラビエス』そのものになってしまうわけではないし、俺と『ラビエス』が混ざってしまうわけでもない。

 それくらいパラだって理解しているはずだし、もしも彼女が俺を転生者だと察しているなら、嘘は俺には通用しないとわかっているはずだ。それなのに嘘をついた、ということは……。

 パラはマールに対して、嘘を――思ってもいない概念を――語った、ということになるだろう。


 以前に『赤レンガ館』の掲示板前で会話した時の態度もあるので、マールが転生云々をよく思っていないことを、俺は知っている。

 あの時マールは「魂を乗っ取られるような感じなのかしら」と言っていたから、彼女が転生云々を嫌うポイントは「それによって本来の魂が消えてしまうから」だろうと、俺は推測できている。

 しかし。

 パラには、そうした情報はないはずだ。ないはずだったのに、マールが気に入るであろう答え――消えずに二人分の人格がある――を述べてみせたのだ。

 女性特有の直感を用いて、最適解を導き出したのだろうか……。だとしたら、なんとも恐ろしい話だ。

 パラは一見、無邪気で可愛らしい、明るい女の子に見えるのだが。

 外見とは裏腹に、意外と策士なのだろう。

 少なくとも、マールに取り入ろうとして嘘を述べたのは、確実なのだから。


 パラは今、俺に対して微笑んでいるが……。

 この童顔の笑顔に騙されてはいけない。

 やはり男にとって、女とは恐ろしい生き物なのかもしれない。


 ……そんなことを考えたら、少し怖くなったので、

「すいません。ダークビールおかわり、お願いします」


――――――――――――


「……そうか。残ってる、って設定なのね」

 私――マール・ブルグ――は、パラの言葉について、少し考え込んでしまう。

 もともと私は、前世の記憶とか言い出す十二病が好きではなかったみたい。自分でも理由はわからなかったが、今のパラの話で、少しわかった気がする。


 先日、連絡掲示板に貼ってあった私信を見ながら、十二病の妄想について想像して「魂の乗っ取り」なんて話になったけど……。

 あれだ。

 はっきりと頭の中で言葉になったのはあの時だったが、それまでも私は、何となく考えていたのかもしれない。前世の記憶を思い出すことで、現世の意識が消えてしまう……。そんな可能性を。

 今、わかった。

 私が嫌だったのは、それだ。

 前世の記憶を取り戻したことで、まるっきり別の人間になってしまうなら、それまでの人生は何だったのだ……。そんな憤慨を、私は感じていたようだ。

 でも。

 たった今パラが設定として示してくれた考え方は、悪くない。

 前世の人格と、現世の人格と、一つに体に両方とも残る、という考え方。

 パラは『融合』という言葉を使ったけれど、それって、一つの体を二人で協力して動かすようなものなのかしら。

 うん、それなら。

 前世とか転生とか言っている十二病も、頭ごなしに嫌う必要もなさそうだ。


 あらためて、パラを観察する。

 可愛らしい少女だ。

 彼女は今、ラビエスを見て笑っている。

 何が面白いのだろう?

「すいません。ダークビールおかわり、お願いします」

 ラビエスは追加注文している。今日は酒のペースが、かなり早いみたい。

 お酒を飲まないパラにしてみれば、今のラビエスの様子は、面白おかしく見えるのかも。


 昨日一目会った時点では、パラの印象は良くなかった。

 今朝の会話の中で、ラビエスを「腕のいい白魔法士」と褒めるパラを見て――それに対するラビエスの態度も可愛かったので――、かなり印象は良くなった。

 そして今。

 十二病に関する面白い設定を聞かされて、私の中で、さらにパラに対する見方が変わった。

 これならば……。

「ねえ、ラビエス」

 私は、提案してみた。

「パーティーに加える加えないは別として、とりあえずパラが冒険に慣れるくらいまでは、一緒に連れて行ってあげましょうよ」

「……え?」

 ラビエスはグラスを傾ける手を止めて、きょとんとした顔を見せる。

「手始めに、明日は三人で『西の大森林』に行きましょうか」

「本当ですか? ありがとうございます!」

 小躍りせんばかりに喜ぶパラとは対照的に、

「……え? ……え?」

 わけがわからないといった表情で、ラビエスは繰り返していた。

   

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