第6話 ベニバナ

 おすえが初めて六薬堂を訪ねてきたのは、まだ梅雨入り前だったが、雲行きの怪しい日だった。

 背の低い未発達な少女を目に番頭が首を傾げたが、

「葦の原っぱの村の大工の馬男うまおの娘おすえと、申します。あの、ご店主の、詩乃さんはおられますでしょうか?」

「……あ、あぁ。あなたがおすえさん。詩乃さんですね? 居ますよ。詩乃さん、おすえさんですよ。さぁ、さぁこちらにどうぞ。薬草ですね。ではこの薬棚の縁側にお座りになって待っていてくださいな。

 ったく、何してんだか、詩乃さん、詩乃さん、起きてますか?」

「煩いなぁ、一度、言やぁ聞こえるよ」

 詩乃が私室のふすまを開けて不機嫌そうに出てきた。

「本を読みだすと聞こえないからですよ。ほら、言っていたおすえさんが来てますよ」

 番頭はそういって奥の台所へと消えていった。

 それを見送り、詩乃は薬前の縁側に行き、そこに座った。

「この前の草が乾燥が終わっていたのと、以前から干していて、お使いになるかどうか解らないのですか、」

「これはまた、かなりの臭いの残った草だね」

「使えませんか?」

「いいや、衣替えの時期だし、梅雨に入る頃合いだからね、こういう、上物の、虫よけ草はありがたいね。

 そうだ、急いで帰る用があるかい?」

「いいえ、ありませんが、」

「じゃぁ、少しここで手伝っておくれよ」

 詩乃が言うと、そこに番頭が葛湯と小さなまんじゅうを持ってきた。

「今日は少し冷えますからね。

 それで? これはなかなか臭いですね。手伝ってもらうんですか? ……、自分の手が臭くなるのが嫌なんですよ、ぃやな女でしょ」

 番頭はそういいながら、薬棚の一番下の引き出しを開け、その中からつづらを取り出して開けた。

 その中には、手のひらほどの小さな袋があり、入り口の片方が少し長く、中に折り込んでしまえるようにできていた。

「これに、秤をどうぞ、長さをそろえて、十本が目安です。大きいものなら数を少なく、こまかければ多めに入れてください。重さはこんなもんですかね。

 このような、薄さで統一してくださいな」

「……何かそうする必要がおありですか?」

 番頭がちらっと詩乃を見たが、詩乃は煙草入れを手繰り寄せ、キセルに手を伸ばしていた。

「子供の前ですよ」と詩乃を威嚇しておいてから「この薄さですよね、着物に痕が付きにくいんですよ。これ以上だと、どうしても痕が残りましてね。まぁ、私などは着物をそうは持っていませんが、うちは、いろいろなお客がいます。商家や、お武家や、旗本様まで。そういった方たちには着物がたくさんあるようでしてね、その方たちに重宝される量なのですよ。

 なので、この袋も多少値の張るものです。

 それに対してこちらの、麻で出来たものは、葉っぱやら、クズを入れてください。これは長屋へ持って行き、安くさばくんです。

 詩乃さんいわく、本当はこちらの葉っぱのほうがにおいがきつくて、虫が逃げるようですが、葉っぱはボロボロしますし、落ちますでしょ? 金持ち連中そういった方たちは落ちることを嫌いますからね」

 番頭が上等な小袋のほうを指さすと、おすえは感心して上取引用の小袋にまず枝を入れていった。そしてそのあと残るクズをきれいに安い小袋に入れた。

「邪魔するぞ」

「邪魔するなら帰っておくれよ」

 詩乃の言葉におすえはぎょっとして番頭を見る。

 おすえの目に―今、お上に対して邪魔するなら帰れって言いました?―という驚愕と恐怖が滲んでいる。

 番頭は大丈夫ですよ。といってから、

「岡様。ご苦労様です。今日は少し冷えますから、葛湯をお入れしましょうか」

 と草履を履いて台所へ向かった。

 岡 征十郎がおすえに気づき、小さく会釈をすると、おすえは額を床に付けそうなほどかしこまった。

「お前は、こんな年の子を働かせているのか?」

 いくら世の中の慣例であっても、十足らずの子供が奉公に出されることはなかった。それは、年端も行かない子供を奉公に出すと、ホームシックにかかったり、病にかかりやすいという理由と、あとは子供に仕事を取られて大人のほうが失業してしまったことがあったからだ。

 とはいえ、十になるかならないかのぎりぎりで、自立した子供は働きに出かける。「はい。十になりました」と言って。そういう子を増やさないような政策を取ってほしいものだ。と以前詩乃が言っていた。

「その薬を作った子だよ。あたしよりも扱いに慣れているんだもの。

 ねぇ、番頭。あたしがあの作業をしたとして、」

「なんの嫌がらせですか?」番頭、間を置かずに答える。

 詩乃がむっとした顔をし、「例え話だ。例えば、あたしがあの作業をしたら、お前は、」

 番頭は何も言わずそれはそれは嫌そうな顔をして岡 征十郎を見た。

「御冗談でしょう? そんなことを頼むなんて言うのはね、生まれたての赤ん坊に説法頼むのと同じくらい愚かですよ。

 だってね、岡様、詩乃さん、かなり不器用なんですよ。というか、ああいうことをする才能と言いますか? 細やかなとか、繊細さとか、そういったものが皆無なんですよ。

 あれは苦臭草ですけどね、あの枝と、葉とを別々に入れるんですけど、それができないんですよ、あの人。どう思いますか? 

 いや、あれだけじゃないんですよ。粉薬をですね? 薬研やげんで作るわけですよ。それを今度小さな紙に包むんですけどね、耳かきのような匙ですよ。慎重に乗せるわけですよ。解りますか? 鼻息で飛ぶんですから。

 それなのに、あの人は、適当に、秤も使わず紙に乗せたかと思ったら、あっという間にひっくり返したりするんです。

 ですからね、薬を作るのは上手でしょうよ。医術の心得もあるのでしょうけど、それならばもうちょっと器用で、そして神経質であってもいいと思いませんか?

 ねぇ、岡様。

 ですからね、うちでの薬で、ちゃんと包装しているものは、私か、薬師がしたもので、それはそれは丁寧に取り扱っているんですよ」

 番頭の訴えに呆れながら詩乃を見る。

「梅雨なもんでね、イライラしてるんだよ」

「梅雨に限ったことじゃないですよ。そもそもですね?」

 番頭の小言を払うように手をひらつかせる。

 そこへ笑いながら、ガニ股の男が、はげた頭をぺちりぺちり叩きながら入ってきた。

「相変わらず元気いいねぇ、よぉ番頭。そんでもって、岡の旦那もお久しぶりです」

 岡 征十郎と、番頭は入ってきた運び屋を見て眉をひそめた。

 この男の何とも言えないガニ股と、顔の赤さと、それに苔のように生えている髭の量と、垂れ下がった片方の瞼からのぞく、どうにも油断できない目が、どうしても好きになれなかった。

「珍しいね。お前がこちらの用がないのに来るなんて」

 運び屋の仕事は、薬師のところへ生薬を届けたり、薬師が作った薬を運んだり、薬を患者に運んだりすることが仕事だ。その道中で病人がいると判れば、それを詩乃に伝えることもある。情報屋という面も持っている。

 普段は、情報がない場合は町を徘徊して病人を探している。薬ができたであろうころ合いで薬師や六薬堂に顔を見せるが、道に面した小窓の側にある番頭台横の格子窓から、番頭とだけ会話して帰るのがほとんどで、こうして店の中に入ってくることはまずない。

「いやねぇ……客を連れてきたんですけど。そいつが、もう、何というか、でね」

 運び屋は頭を叩き、がっくりと肩を落とした。

「あ、あのぉ。私、終わりましたので帰りますね」

 おすえに声に四人がそちらを見れば、確かにおすえの仕事は素晴らしかった。

 小袋はきれいに並べられているし、縁側にクズなど残っていない。下に払った形跡もなく、全て中に入れ切ったのだと判った。きれいで、そして早い。番頭が感心する。

「そうだろ? 見込みは間違いじゃないんだ。ただまだ歳が歳でね、まぁ、これからも頼むよ。番頭、駄賃」

 というと、番頭はそろばんを簡単に弾いて詩乃に見せる。詩乃がそれの玉を二つ動かす。

「以前渡しそびれた分もだ」

 番頭は頭を下げて、金庫から提示した金をもっておすえの前に行き、

「それでは、今回はこれで」

 と小盆に広げた。

 おすえは目を丸くし、最初は首を振っていたが、岡 征十郎が、

「汚い金は受け取れないそうだ」

 というので、そんなことはない、詩乃さんはとてもいい人だ。と言って、その金を受け取った。

 そして、大金を持っている不安もあるだろうからと、外にいた傀儡師に送り届けるように伝えた。


 全員がおすえを見送る。

「あの子は?」

「町はずれの荒れ村の娘だ。薬草の知識が豊富だが、父親は働きもせず酒ばかり飲んでいる。一体どうしたものかと思うが、あの娘も、そして父親もそれを治そうという気力がすでにない」

「治さねぇと死ぬか、娘を売ることになるだろうに」

「そういうところまで考えが至らないようだね。父親の借金がどれほどに膨れているか解りゃしないけど、相当だと思う。

 あの金をすべて渡したところであぶく銭かもしれない。いや、借金の相手に渡ればいいほうだ。父親の手に渡って酒にでもなっちまう可能性だってある。

 だけどね、酒の患者ってのは、いや、依存症の患者ってのは、本人が、死に物狂い、違うな、死ななきゃ治らない。それほど治りにくいものなんだよ」

 詩乃の言葉に運び屋が深くため息をついた。そのため息に詩乃が眉をしかめる。

 運び屋はみんなの視線を集めていることに気づくと、額をぺちりと叩き、苦笑いを浮かべ、

「あっしの連れてきた患者ってのも、それなんですよ」

 といって入口の方を指さした。だが誰も立っていない。


「名前は、どぶ板長屋に住む長治っていう鳶です。鳶の腕の評判がすごくいいわけじゃないが、いたって真面目な男だったんですよ。別に、仕事がないわけじゃないし、かわいい嫁だってもらったんだが、どこで覚えたのか、酒をやり始めましてね。

 その酒癖っていうのか、悪いのなんのって。

 普段大人しい男に限って、酒を飲むと大きくなる、その類で、まぁ、気が大きくなって、要らぬ仕事やら、もめごとを拾ってくるようで。

 と言っても、町方の旦那の世話になるようなことじゃないですよ。できもしないくせに、屋根の修理をしてやろうとか。大体どこの屋根だか本人は覚えていない。だけど、依頼したほうは家まで押しかけてきて、金を先渡ししているとか言い出す。

 酒で使ったか、酔って忘れているのをいいことに騙されているか解りゃしませんがね、そんなことで、まったくのタダ働きで、しかも酒の残った体、いくらの鳶も屋根から落ちましてね、足をひねったようで、とうとうあっしのところに来て……。

 あぁ、以前から、酒を抜く気があるなら声を掛けろって、そう声かけていたんですよ。ただし、そんな気などさらさらないだろうとは思っていたんですがね。

 そんなわけで、あっしを見つけてどうにかしてくれと、頼んできたんですが、療養所に行くのは嫌だ、薬問屋なんかにも行きたくねぇと、入ってこなくて、そこの飯屋に入って、最後の酒ってのを飲んでましてね。

 でも、以前詩乃さんが言うには、覚悟が無きゃ。と言ってたんでね、その覚悟のないものが、他人に引きずられてきても、治せねぇと。そんなわけで、どうしたものかと思いましてね」

「お前が以前から気にしていた患者ってやつかい?」

「ええ、そうです。同じ長屋に住んでいる奴です。本当に、根はいいやつなんで、本当に勿体ねぇと思いましてね」

 詩乃は適当に相槌を打ち、「ここに居なきゃどうにもならないよ」と言い捨てた。


 それから数日後、とうとう梅雨に入った。梅雨入りの日はまだ雨の所為で暑さはなく、それどころか少し肌寒く、鼻かぜの患者が増える。それが、梅雨の中休み後から湿気が増え、暑さがまとわりつくようになる。

 その、まだ肌寒い梅雨の前半の日だった。


「ごめんくださいまし」

 と入ってきたのはどこかの職人の女房だろう。身なりをきっちりとしているので、きっちりした性格の人なのだろう。

「いらっしゃいまし。おや、お千代さん。今日はまた如何しました?」

「こんにちは、番頭さん。ちょいとね、だるくて、なんだか、しんどくて、お薬でも貰えば治るかと思ってね」

 といったお千代は、たぶん、子供をしっかりと育て上げたであろう体つきの女だった。つまり、既産者だ。腰のあたりの肉がしっかりとつき、乳がやたらと柔らかそうだった。

「それはいけませんね」

 そういって番頭が詩乃のほうを見れば、詩乃が座布団を小上がりの縁に押しやった。

「どうぞ、店主が診察します」

「あら、診察なんて、たぶん、風邪だと思って、」

「風邪でなきゃ、薬代もったいないですよ」

 詩乃はそういって押し出した座布団のそばに座った。

 お千代は診察してもらうだなんて申し訳ないとか。そんなにお金を出したくないとか言っていたが、

「大丈夫ですよ。最適なものが合いさえすれば、風邪薬より安くなることだってありますから」

 と番頭に言われて小上がりに腰かけた。

「すみませんが、よろしくお願いします」

 お千代がそういうと、詩乃がお千代の顔を覗く。

「ちょいといくつか質問しますね。ちょいと返事が難しい場合はそういってくださいな。そうそうはっきりと、あります。ないです。なんてことはありませんからね。いいですね、気楽に答えてくださいね。

 えっと、冷えはありますか? 足先とか手とかの先っちょです」

「いいえ、逆に熱くて、皆が寒いっていうけれど、私は熱くて、今だって汗が噴き出てきてますよ」

「そのようですね。めまいとか、頭痛とか、肩こりなんてのはいかがです?」

「肩こりとか、頭痛……、若いころに比べたら、多少肩が張っているときはあるけれど、お裁縫をしている人に比べたら全然だって言われましたよ。でも、私にしては痛いんですよ。あと目眩というかね、立っていてふらふらっとするなぁってことはありますよ」

「ちょっと、何かヘマとまではいかないけれど、ちょっとしたことでくよくよしたり、落ち込んだりしますか?」

「そうなんですよ。なんか、ここ最近、よくそういうことを考えちゃうのよね。昔は、天真爛漫で暢気な女だって言われていたけれど、最近は、亭主が、飯がまずいっていうことにいちいちなんか、こう、ぐったりすると言いますかね? でも、それがこの風邪とどういう関係が?」

 お千代はどうしても風邪だと思っているようなので、

「質の悪い風邪ですね」

 と詩乃は言った。そして立ち上がると、薬棚の所へ行き、生薬を十種ほど取り出して、薬研にかけ、

「小さじ二。三掛け十五」

 と番頭に言ってお千代のそばに座り直した。

 番頭は包装用の紙に薬匙二杯ずつを十五包作った。

 詩乃は薬袋のほうに、「一日三回食後一包。十五日分。現状症状より悪くなった場合、来店されたし」と書いた。

「お千代さんでしたね? あなたの風邪は、簡単に言えば、月の終わりです。ただし、それだけでないものを引きこんでいるおかげで、火照ってのぼせて汗が出たり、肩こりや頭痛を引き起こしているようです。見た限りではこの薬を朝、昼、晩に一包ずつ、十五日分出しておきます。

 ただ、これを飲んだからと言って、すぐに効くわけじゃありませんからね。期待しすぎて、治らないと気に病むと、今以上にひどい症状が出てくるかもしれませんから、定刻飲むことを心掛けるだけにしておいてくださいな。そして、十五日後、また来てください」

「でも、気にしますよ。治ってないと思うと、」

「……、でもねぇ。すぐに直す薬なんか……無いわけじゃないけれど」

「じゃぁ、そちらを、」

「痛いですよ」

「え?」

「割腹がいいですか? 喉を突きますか? 飛び降りるというのもありますが、」

「な、何を言っているんです?」

「そうは言いますけどね、あなたの病は、もう、時間の経過次第なんですよ。この薬は、今よりは多少良くなる。もしくは今以上に悪くならないようにするものです。

 もっと言えば、風邪や、下痢何て原因がはっきりして、やっつける敵が解る病気は薬だって簡単です。でもね、あなたの病気はそういうことじゃないんですよ。だからと言って治らないかと言えば、あなたのまわりの、あなたより年上の女がいないかと言えば、居ないわけじゃない。つまり、皆が通る道であり、みんなそれを乗り越えているんです。

 以前はこういう処方もなかったでしょうから、意味なく寝込んでしまっている人を、意地悪な連中が、根性がないなどと言っていたけれど、原因が解らない倦怠感ほどしんどいものはありませんからね。

 あなたのように、薬に頼ってくる人のほうがまれなんですよ。病気じゃないと思っているようですけどね、立派な病気なんですけどね」

 詩乃の言葉にお千代は黙り、座り直した。

「月の、終わりと言いました?」

「そうです。閉経と言います」

「じゃぁ、子供は、」

「……一人もいませんか?」

「いいえ、五人います。上は十七と十五のせがれは大工見習に出てます。十三の娘は、髪結いのお師匠おっしょさんを見つけましてね、十の子は来月から奉公に行くことが決まっていて、下が、五つです。

 あの、女将さん? その、あたし、てっきりね、月の、ものが来ないから、てっきり、」

「まだ欲しいですか?」

「いえ、そういうのじゃないけれども、」

「亭主に捨てられるんですか?」

「そういうわけじゃないけども」

「なにも、生理が無くなったから女でなくなるというわけではありませんでしょ? あなたより年上はほとんど閉経しているでしょう。あの方たちは男になりますか? あの方たちは女ではありませんか?」

「でも、どう言っていいか」

「みんな、通る道で、別におかしなことではないんです。ただ、世の中男中心でしょ? みんなが口をつぶるから、情報がないけれど、母親にでも聞いてごらんなさいな、みな同じですよ。

 いや、それ以上にもっとひどい人もいますよ。

 日の光を見られなくなって、ずっと戸を閉めてしまった人とか、イライラが止まらなくなって会う人会う人とけんかをして、寂しい最期を迎えた人もいましたね。

 それに比べたら、お千代さんは自分でここに来て、まだ初期の状態で処方箋を得た。これは運がいいとしか言えないですね」

「運が、いいの?」

「いいですよ。もし、あと五日、いや、三日? もしかしたら、明日だと、もっと症状が重くなっているかもしれませんからね。布団から出られず、それこそ、理由の解らない亭主に、怠けるなって言われ、落ち込んで泣いてしまって、人と話せなくなるかもしれません」

「そ、そんなこと?」

「あるんですよ。人それぞれ。ですからね、お千代さんは、ここまで歩き、自分の意志でこの店にやってきた。それはまだ初期の症状だということですよ。

 お千代はよくよく自分の体に気遣っていて、ひいては家族のことにも気を配る、いいおかみさんということじゃないですか。

それにね、これに限ったことではないけれど、上を見たらきりがない。下を見たってきりがない。だったら、自分は自分でいいんじゃないんですかねぇ?」

 詩乃の言葉に、お千代の肩がすっと降りた。そして薬を手に帰っていった。







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