第2話 改竄契約
堂々たるその名乗りに俺は一瞬呆気にとられた後、重ねて尋ねた。とはいえ、マトモな答えが返ってくるとは思えなかったが。
「欺瞞作家とは何だ。俺たちの何を知っている」
「何も知りませんよ。嘘です。全部知っています。これも嘘です」
彼女は俺を指した万年筆をくるくると回しながらうそぶく。文字通りに。
「本当のことを言うと、ほんの少しだけ知っている程度ですね。まあ嘘なんですけど、それより一つアドバイスしても?」
俺はその問いにどう反応していいか迷いに迷い、最終的に「何だ」とだけ答えた。すると物怪ちゃんはにっこりと笑いながら宣告してきた。
「そう易々とナガレモノだと認めないほうがいいですよ。昨今の帝都では、モノたちは嫌われる傾向がありますから」
『モノ』のことを知っている。やはりこの少女は事情通だ。自称するところの同業者という意味だけは分からないが。
俺の心でも覗いたのか、物怪ちゃんはころりと話題を変えた。
「ああそれで、欺瞞作家が何なのかという話でしたね」
自分の思い通りの話に戻り、俺は安堵でつめていた息を吐く。彼女は急に姿勢を正し、椅子の横に立つ俺に、向かい合ってきた。
「欺瞞作家っていうのはウソツキのことですよ。言うことなすことは何もかもが嘘で、ついでに何もかもを嘘にしてしまう、そういう作家です」
説明されてもやはり何が何だか分からない。彼女は無表情になってこてんと首を傾げた。
「現実の改竄。そういった類のものです。まあこれも嘘なんですが」
やはりくるくると変わる表情は不気味で、どこか恐ろしい。その上、口にしている内容は突拍子もなく、俺は彼女を疑念の目で見つめることしかできなかった。
「あっ、嘘だと思ってますね? ひどい!」
ぷんぷんと怒る彼女に、俺は顔をしかめる。自分で嘘だと言っておきながらなんて身勝手な。
「仕方ないですね、目で見ないと理解できない田舎者さんに特別に実演してあげます」
言うが早いか、物怪ちゃんはどこからか手帳を取り出し、そのページに何かを書きつけて破った。
破り取ったページを目の前のケーキにたたきつける。一瞬、『甘』という漢字が見えた気がした。
「はいどうぞ、お食べください」
物怪ちゃんは俺に塩ケーキの皿を寄せた。だがこれがゲテモノケーキだということはすでに知っている。どうするべきか迷っていると、物怪ちゃんはそれにフォークを突き立て、立ち上がると、白色のクリームをすくい取って俺の口に差し出してきた。
「食え」
その威圧力に押し切られ、俺は素直に口を開けてしまう。その中に突っ込まれたケーキの塩味に一瞬怯えたが、次の瞬間、口の中に広がったのは甘い普通のクリームの味だった。
「これは……」
「はい。まあ手品の類です」
手品。帝都ではこんな手品も流行っているというのか。たった今起きてしまった奇妙な出来事に、俺は瞠目するしかできない。
「嘘ですよ。魔法ってやつです。魔法少女。可愛いでしょう?」
物怪ちゃんはまるでテレビの中のキャラクターがするかのようにかわい子ぶった仕草をしてみせる。絶妙にイラっと来る表情だ。顔をしかめて睨みつけていると、彼女は俺を見てにまにま笑みを深めていった。
「ふふ、徒労さんは反応がいちいち面白いですね。実に初々しい。気に入りました。この欺瞞作家、物怪サユリがあなたの憂いを取り除いてあげましょう!」
偉そうな口調で訳の分からない宣言をされる。やっぱり何が何だか分からない。どうしようもなく困惑するしかない。
「ただし、その後にあなたという存在を買い上げますがね。ふふ、これも嘘です。お気になさらず」
また嘘をつかれた。お気になさらないのは無理だ。
「どうです? 悪い話ではないでしょう?」
分からない。何をもって悪い話ではないのか、皆目見当もつかない。彼女はソファに戻ると、一枚の紙を取り出して、弄んでいた万年筆を俺の前に差し出してきた。
「契約に応じるのであれば、こちらにサインを」
何が契約なのか。何故そんなものを俺に差し出しているのか。
疑問を口にする隙も見せず、物怪ちゃんは心底気遣っている表情で言う。
「気軽にサインしちゃっていいんですよ? それこそ婚姻届にサインするぐらいの気概で!」
俺と彼女の間に沈黙が訪れる。じわじわと混乱がほどけていくのを感じ、俺はあたりを見回した。
とにかく、さっさとこの場を離れるべきだ。たとえ彼女が恩人だとはいえ、この少女は訳が分からなすぎる。ともすれば危険かもしれない。
俺は周囲を見回し、この部屋から出るドアを探した。しかし――
「出口が、ない……?」
「無駄ですよ。あなたがサインしてくれるまで、この部屋のドアは隠しちゃいましたから!」
いくら探してもドアは見つからない。あるのは壁と家具ばかりだ。そんなバカな。俺はどうやってここに入ったんだ。
「さあ、サラサラッとここにご署名を。悪いようにはしませんよ」
物怪ちゃんはずずいっと誓約書を俺に寄せてくる。だが、動こうとしない俺を見ると、人差し指を立てて提案してきた。
「ほら、これはただの夢かもしれないじゃないですか。現実じゃないなら適当な契約に応じてもいいのでは? 早く外に出たいんでしょう?」
言う通りかもしれない。俺は外に出たいし、彼女はこれを書けば出してくれるらしい。だったら名前を書くだけぐらいしてしまってもいいかもしれない。
俺は万年筆を取り上げると、誓約書にゆっくり『凛猟』と書きつけた。
「はい、確かにいただきました」
万年筆と誓約書を、物怪ちゃんは回収した。すると、俺の体は一気に重力が増したかのように崩れ落ち、指先一つ動かせなくなってしまった。
「あ、ぐ……」
「もう、名前には相手を拘束する力があるって小学校で習わなかったんですか? ああいえ、あなたは学校に通ったことがなかったですね、徒労さん」
「何、を」
「さっきの存在を買い上げるというのは本当です。終わった後に買い上げるというのが嘘なだけで」
彼女はにんまりと笑い、傍らに座り込んで俺の顎をくいっと持ち上げてみせた。
「これであなたは私のモノ、ということですよ」
しまった。彼女の言う通りだ。俺は馬鹿か。
クソ。こんなところでよく分からない少女なんかに捕まってしまうだなんて。
絶望と自己嫌悪に打ちひしがれていると、彼女は立ち上がり、俺に手を差し伸べてきた。
「それでは、あなたの大切なモノたちを救いに行きましょうか!」
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