ウソツキ作家、令倭時代を騙る。
黄鱗きいろ
第1話 欺瞞作家「物怪サユリ」
元号の力は絶対である。
皇帝譲位により、
時代の移り変わりによって、消えゆく運命をたどるモノたち。
これはその、たった一か月の猶予の物語。
*
目を開けるとそこには少女の顔があった。好奇心に満ちた黒色の目に、大きな丸眼鏡が印象的な少女だ。
「あ、起きましたね。おはようございます」
「……ええと、おはよう?」
少女はぴょんっと飛びのき、俺はゆっくりと体を起こす。寝かされていたソファがきしむ。首をめぐらせると、ここがどこかの事務所であるらしいということが分かった。
「よく眠ってましたね。お寝坊さんは学校で怒られちゃいますよ?」
「え? ああ、そうだな」
ぷんぷんと擬音がつきそうなほど大げさな仕草で、彼女は唇を尖らせている。俺は何が何だか分からないまま、首を縦に振った。
まじまじと観察すると、彼女は十六歳ぐらいの学生のようだった。学生だと断じたのは、彼女がセーラー服を着ていたからだ。髪は黒色で緩やかな三つ編みにしている。アクセサリーなどはしていないようだ。一挙一動はわざとらしいほど大げさで、出会ったばかりだというのに、すでに小動物のような印象を俺は抱いていた。
「今、紅茶をいれますね。いい茶葉が入ってるんです」
すたすたと事務所の奥に行ってしまう彼女を見送り、まだぼんやりとしびれたままの頭で尋ねる。
「君は……?」
少女は窓際に置いてあった電気ポッドでお湯を沸かし始めたようだった。スイッチを入れて数秒後に沸騰する音が聞こえ、彼女はそれをカップへと注いでいく。
「私は物怪サユリ。嘘です。立花カーネーションです」
「立花カーネーション?」
「あ、それも嘘です」
立て続けに情報を否定され、俺は混乱の眼差しを彼女の背中に向けることしかできなかった。彼女はそんな俺に気づいているはずだが、軽く振り返って――説明はしなかった。
「まあ何者だっていいじゃないですか。あなたは寝ていて、私は起きていた。それだけのことです」
一瞬、いいように誤魔化された気分になったが、よくよく考えれば意味不明だ。
「……物怪と立花、どちらが本名なんだ?」
「さあ? でもそうですね、呼び方が分からないのもあれですし。じゃあ気軽に
カップと皿を持って振り返り、彼女は可愛らしい笑みを浮かべる。その表情は年よりも幼く見えて、やはり小動物のようだと感じた。
「分かった、
「ちゃんをつけろよ。無礼な奴ですね」
急に冷え冷えとした声で遮られ、俺はぎょっとして彼女を見る。
「
「も、もっけちゃん……」
「よろしい!」
俺が思わず復唱すると、
「はい、コーヒーとケーキです。そこに入っているのは角砂糖じゃなくて塩なのでお気をつけて」
準備しているのは紅茶じゃなかったのか。そして砂糖じゃなくて塩ってどういうことだ。
俺は目の前に置かれたコーヒーとケーキを睨みつけ、それからテーブルの端に置いてある角砂糖のビンに目をやった。
どうする。ここで尋ね返してもいいが、どうせまた煙にまかれるだけだ。
それでも先ほどから胃が空腹を訴えてくるのは事実で、この機会を逃せば次にまともな食事が食べられるのがいつになるのか分からないのも事実だ。
俺はおそるおそるカップを持ち上げると、砂糖を入れないままコーヒーを口にした。
苦いが妙な味はしない。まともなコーヒーだ。
「どうです? いい茶葉を使ってるだけあるでしょう?」
「茶葉ではないと思うが……美味いな」
「それは何より!」
「しょっぱっ!」
「あっ、お口に合いませんでしたか? おいしいのになあ、塩ケーキ」
悶絶する俺の目の前から
「それで何があったんです? 行き倒れていたあなたを、私がここにつれてきたんですよ」
塩ケーキをつつきながら、
「なんでもない。ただ、少しばかり帝都の洗礼を受けただけだ」
「へぇ、それは大変でしたね、徒労さん」
突然奇妙な名前で呼ばれ、俺は瞠目して彼女を見てしまう。彼女はフォークを振りながら力説した。
「だって私、まだあなたのお名前を聞いていないんですもん。だから勝手に呼びます。あなたは骨折り損の『徒労さん』です!」
うぐぐと顔が歪み、怒鳴りそうになるのを必死に抑え込んで俺は口を開いた。
「
「そうですか。いいお名前ですね、徒労さん!」
今度こそ本当に声を荒げるところだった。だめだ。相手は自分よりずっと年下の女の子なんだぞ。こぶしをぎゅっと握り込んで耐えていると、
「あなたって『ナガレモノ』の類ですよね」
一般的な女学生の口からは出るはずのない単語に、俺はとっさに左腰に手を当てようとし、そこに何もぶら下がっていないことに気がついた。
「……何故それを」
低い声で尋ねる。彼女はゆっくりとコーヒーを傾けて、ふーっと息を吐いてからなんでもないような声色で答えた。
「分かりますよ、だって同業者ですもん」
警戒をしながらゆっくりと立ち上がる。隙だらけだ。仮に彼女が敵でも制圧できる。
「お前も『ナガレモノ』なのか」
「まさか。私はただの人間ですよ。まあ嘘ですけど」
再びどうでもいい口調で嘘を繰り返され、俺は困惑で警戒を解いてしまう。
「なんでそんなに嘘ばかりつくんだ」
「職業病です。気にしないでください」
彼女はコーヒーカップを置くと、胸ポケットに入れていた万年筆を取り出して俺に向けた。
「私の仕事は『欺瞞作家』ですから」
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