気だるさと耳鳴りによる目覚めに、ナニャは顔をしかめる。目覚めはけして悪い方ではなかったはずだが――ナニャの怪訝は、カーテンを引いた時に解消された。久方ぶりの雨だ。空は鈍色の雲に覆い隠され、水が際限なく落ち続けている。通り雨、という雰囲気でもなく、少なくとも今日一日は降り続けそうな様子だ。

 最近は雨が減り、水不足が問題になりつつあるらしい。多くの人にとって、これは恵みの雨だろうが、ナニャはただ憂鬱に思うだけだった。ケモノたちは雨を嫌がる。雨の日にケモノを見た者はおらず、ナニャのようにケモノを狩って生計を立てる者にとっては死活問題だ。長く雨が続けば、冗談ではなく路頭に迷う羽目になるが、空の機嫌などナニャにはどうしようもないので、ただ待つことしかできない。ともあれ、雨は普通の人にとってはとてもありがたいことだろう、雨が降れば今を逃すまいと荷車が出ていくため、今ごろ、正門のあたりは慌ただしくなっているに違いない。

 陽は雲に隠されて薄暗いため時間が分かりにくいが、壁にかけられた時計を見る限り、健康的な生活を送る人ならば朝食の時間といったところだろう。セテはいまだベッドの上で夢の中だ。不愉快な雨音を聞きながら、ナニャはセテが起きるのを待つことにした。こんな雨の日なのだ、何を急くこともない。

 結論から言うと、セテが起きたのは昼にもなろうかという頃合いだった。いつものことなので、寝ぼけ眼をこすりながらおはようと挨拶するセテに、同じようにおはようと返す。

「この天気なのに出かけるの?」

 窓の外は相変わらずの様子だが、出かける身支度を始めたセテにそう声をかける。そうだよ、とあっさり返されたのでナニャも出かける準備を始めた。面倒な気持ちがないと言えば嘘になるが、言ってみただけだ。約束したのだから、天候に関係なく付き合うつもりである。

「雨降ってるから、ちゃんと合羽着てね」

 手渡された合羽を羽織ると、セテが左手を差し出す。首を振って拒絶の意を示し、外へ出た。



 今滞在するこの町に入ったのは、三日前のことだ。同行者が増えてから、路銀については以前よりもシビアなやりくりを求められるようになっている。宿を取って落ち着けるようにして、すぐさまナニャは近辺のケモノの情報を集めた。道中出くわすケモノは倒しているが、何せ足手まといがいる状態だから無理のない範囲で、だ。ないよりまし程度の稼ぎで当てにはならず、早急に大物を狩る必要があった。町の南西部にそこそこ巨大なケモノの目撃情報があると聞き、得物の大剣を片手に飛び出し仕留めたのが昨日のことである。

 だから、ナニャがじっくりこの町を見て回るのは今日が初めてだ。セテはあらかた観光は済ませたようで、町の歩き方にさほど迷いはなさそうだった。傘を持っているので、合羽を着ているとはいえナニャを置いていって濡らさないよう歩幅を狭めているぐらいだ。

「どこへ行くの?」

「うーん、その辺うろうろしよっか」

 返事はざっくばらんとしていた。おそらくまだ「内緒」なのだろう。

 町は雨音に遮られていつもより静かのように感じるが、人の姿は少なくない。広場に出ると雨にはしゃぎ水を跳ねさせて駆け回る子供と、その様子を見て諦め気味に肩をすくめる母親がいた。子供は周囲の人々から微笑ましげな注目を集めていたが、気にする様子もなく水と戯れることに夢中のようだ。セテも同様に微笑ましげに見ていたが、やがて視線は進行方向へ戻っていった。

 商店街に入ると雨音にまぎれていた喧騒が聞こえるようになって、雨が人の足を遠ざけていなかったことに気付く。短い間に顔見知りができたようで、雨音に負けない声で呼びこみをしている各々の店の人が、セテに気付くと手を振ったり声をかけたりする。ただ、今日の目的ではないようで、会話はセテにしては手短に切り上げていく。

「その子は妹さん?」

「そんなところ」

 誰もがナニャに気付くと、初めて見る連れにそう問いかけて、セテもそう答える。セテがどう考えて答えているかはさておき、ナニャとセテの二人連れは、そう答えた方が不便がないだろうと思うので、ナニャは否定も肯定もせず、とりあえずの会釈をするだけだった。

 並ぶ店先を冷やかしながら、セテは商店街を歩いていく。

「ナニャちゃんは、雨、嫌い?」

「好きではない」

 雨音の耳に残る感覚が、湿度を伴う空気が、まとわりつくようで鬱陶しい。生活に関わる理由以外で、ナニャにとって雨はあまり歓迎できるものではなかった。ただ、セテは逆なのだろうかといつもよりへらへらしている顔を見上げて思った。

 目的は商店街でもなかったようで、歩いているうちに抜けてしまっていた。住宅街ではさすがにわざわざ外に出る者はいないようで、人の姿は見えなくなったが、人の気配は濃い。

 ナニャに家族はない。覚えている限りでは最初から一人であった。それが当然であるから、羨みも妬みもないが、ふと、隣の男はどうであったのだろうかと思った。通常、人は家族を持って生まれる。

「セテに家族はいた?」

 聞こえた笑い声に一つの家へ視線がいったタイミングで、ナニャは問いかけた。セテは振り返って目を一度瞬かせると、首をかしげる。

「忘れちゃった」

「そう」

 今回はごまかしではなく本当のようだ。もう一度、笑い声の方へ目を向ける。きっとあそこにあるものはよいものなのだろうと思うが、ナニャにとって遠すぎてよく分からなかった。興味もない。

「ナニャちゃんはさみしい?」

 質問は抽象的すぎて意図が読めなかった。

「なぜ?」

「それならいいんだけど」

「……」

 セテは自己完結してしまい、話題を終わらせる。時折、意味深長な、やはり意味はないような、そんな質問を投げかけられることがあった。どんなやりとりかはその時々だが、セテが一人納得して終わるのが常だ。セテの考えていることはよく分からない。何も考えてないようにも思う。

 考えても仕方ない、問うてもきっと答えは得られない。ナニャはだから、いつも沈黙を選ぶ。

 歩くうちに住宅街も抜けて、建物が減り放置されて伸び放題の雑草が散見するようになる。町の端に近くなっているようだ、防壁がそう遠くない場所に見えた。どの町でも防壁付近は空き地になり荒れている。子供は防壁に近づくなと言われて育ち、大人になってもその言いつけが記憶の片隅にあるのかないのか、寄り付かなくなる。もしもがあった時、一番危険のある場所に住もうなどという酔狂はそうそういないのだ。もしもがなくとも夜にはケモノの遠吠えや足音が聞こえるので、普通の人間なら気が滅入ってしまうだろう。

「どこまで行くの?」

「もうそろそろだよ」

 雨の中、当ても分からず歩くのに疲れて、要領の得ない答えだったら帰ろうかと思ったが、どうやら目的が近いらしい。そのうちに勾配がきつくなったと思えば、どうやら丘を登っているようだ。てっぺんのあたりで、セテが立ち止まった。足を止めて前を見ると、町が一望できた。雨粒が視界を少し遮るが、そのために人々は傘を持つため、行き交う姿はよく分かった。

「これが目的?」

「一昨日来た時、人はよく見えなかったけど、雨の日なら分かるかもって思って」

 まるで今日が雨だと分かっていたような口ぶりだ。怪訝にひそめた眉は、「昨日、果物屋のおじさんが雨が降るって教えてくれたんだ」と続けたセテによって戻された。

「絶対当たるって、あまり信じてなかったけど本当に当たったね」

「それで、なぜ私を?」

「ナニャちゃん雨好きじゃないでしょ、だから」

 接続詞がつながっていない。セテの話し方はふわふわとしていて、要領を得ずもどかしく思うことが多かった。

「楽しかった?」

「どうかな」

「つまんなかった?」

「つまらなくはなかった」

 セテはへらりとし、手のひら大の小包を手渡した。受け取ってしまってから、つい、それをまじまじと見てしまう。

「後で開けてね、今は濡れちゃうから」

 じゃあなぜ今渡したんだ。とは訊ねても無意味だろう。今思いついたからに違いない。言われたとおりポケットに仕舞い込んだ。

「楽しいことが増えたら嬉しいと思わない?」

「……それはそうだろうけど」

 理屈として間違ってはいないのだろうが、意味がよく理解できずナニャの答え方は曖昧になった。セテと話していると、自分とは違う生き物がいることを、ナニャはしみじみと感じる。

 水たまりを踏んでしまい、水が跳ねる。しぶきを見て、ナニャはふと広場で見た子供を思い出した。



 セテに渡された包みの中には角度で色の変わる石のついたバレッタがあった。光にかざしてその色を確かめて、ナニャはセテの言葉のいくつかを理解し、ああ、と声を漏らした。「だから、あの時」

 今回は長雨のようで、外を見ればいまだ雨が降っている。ナニャの憂鬱は路銀が尽きる前に雨が止むかどうかだ。

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雨とバレッタ @fusui241

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