雨とバレッタ

@fusui241

 荒野は乾いた風が吹きすさび、とがった岩が突きだし高低差を作り上げている。うなりを上げるケモノが一体と、相対する一人。人は斜面を駆け上がり、蹴って空を跳ぶ。高度が頂点に達すると同時に、振り上げた大剣を落下の勢いを加えて叩きつけるように斬りつける。ケモノは両断され、そこから黒い血が噴き出し霧になって散っていった。

 それを何の感慨もなく見送って、乾いた音を立てて落ちた黒い石を拾い上げる。大きさは片手でもなんとか持てる程度。

「まあ、……こんなものかな」

 その石をポーチへ無造作に突っ込んで、踵を返した。



 揺らすと皮袋の中がじゃり、と鳴る。今日はさほどレートが高くなく、大物を取ってきたわけでもなかったので、稼ぎは多くない。これではまた近いうちに狩る必要があるだろう。嘆息する。路地裏に転がった男たちのうち一人の頭を踏みつけ、その場を後にした。

 建ってから相当長い年月が経っているのだろう、宿の床は歩くたびに悲鳴を上げ、今にも抜けそうだ。今の寝床でもある部屋の扉を開け、またもや嘆息。

「起きろ、こんな時間から寝てるなんていいご身分だね」

「はえ、ニャニャちゃん帰ってたの」

 叩かれた男は妙な欠伸をして、ベッドから起き上がる。まだ寝ぼけているのか呂律が回っていない。私はそんな猫みたいな名前じゃなかったぞ、と訂正する気力もなく、背の大剣を壁に立て掛けた。あまり人の話を聞かない性質である男は「おかえりどこで遊んできたの」と自然な流れで頭を撫でる。

「ナニャちゃん埃っぽい、外行ってきたの?」

「そう」

 真面目に相手をしても疲れることはすでに分かっているので、ナニャは生返事をして、皮袋から金貨をいくらか出して手渡す。だいたいこれぐらいが、三日分の生活費だろう。一度、金をすべて預けたらあっという間に薬にも毒にもならない、けれど荷物にはなる数多のがらくたに換えられたことがあったため、結局必要な分を渡す形に落ち着いた。

 男はへらりとした様子でそれを受け取った。自身の背丈の半分ほどしかない女の子に養われているということに何も感じていないのだろう。プライドがないというより、この状況でも男にとっては幼いナニャの面倒を見ているという認識なのだ。

 この男――名はセテという――は四ヶ月ほど前に立ち寄った町で出会った。

 ナニャはケモノを狩って生きている。いつの頃からか外はケモノが跋扈するようになり、町にはそのための防壁が築かれていた。町と町のつながりが断たれて久しい今、人々が生活に不自由せずにいられるのは他ならぬケモノのおかげだった。ケモノが死した後、普通の生物とは違いその体は霧散し、黒い石になる。どういう理屈かその石は高いエネルギーを秘めているらしく、今の文明機器はほぼその石をエネルギー源にしていると言っていい。だからまともな職に就けない人や命知らずはケモノを狩り石を金に換えて生活している。

 そうやって旅をしやってきたそこは娼婦の町であった。富豪の別邸と夜の街のネオン、スラム街の薄暗さのコントラストに目がちかちかとして、ナニャのような子供は目立つこともあり、支度ができたら早々に立ち去ろうと決めた時だ。その日は換金レートが高く、たいした大きさの石ではなくてもそこそこまとまった額になった。いつものようにかつあげ目的のごろつきを伸して路地裏に転がし、この金を元手に出立の準備を始めようと思い立った時に、声がかかった。

「大丈夫?」

「見ての通りだよ」と言って足元の頭を蹴る。ナニャは油断なく男を見た。何が目的なのか、見極めようとする。ナニャは自分がどう見られるか分かっていた。無力で後ろ盾のない子供など、手頃な搾取の対象だろう。だから石を換金しまとまったお金を持っている今、ナニャに声をかけるのはそれが目的の大人たちだ。

 転がるごろつきのように、分かりやすく武力に訴える輩はいい、同じ武力でもって叩き潰すだけだ。謀略を巡らし騙そうとする大人たちが、対応に手順を踏む必要があって面倒くさかった。

「女の子が一人でうろついちゃ危ないよ、この町は悪いこと考える人もいるから」

 足元に転がるごろつきを見て、ナニャはこの男との会話を諦めた。ことが落ち着いてから心配面するような気弱なお節介なら相手をしていてもしょうがない。男の横を通り過ぎて店のある区画を目指す。

 すると男は当然のようについてきた。

「小さな女の子が一人じゃ危ないでしょ」が男の主張で、噛みあわない会話に疲れて放っておくと、外までついてきた。

 どうやら保護者気取りらしいと気付いたのは最初の野営の時だ。食材を勝手に使って夕食を作ってしまっていて、当たり前のようにナニャへ食事をよそった。スープはコクがあって非常においしかったが、一週間分を想定していた食材が半分に減ってしまい、どうやら扱い方を考えねばならないようだと肩を落とした。そしてナニャは、セテ――その時にようやっと思いついて名前を聞いた――を同行人として認めた。

 料理はおいしいが他はさっぱり役立たないセテは、悩みがなさそうにへらへらしていることが多い。ただ、笑っているところを見ていない、とナニャが気付いたのはここ最近だ。セテがそれまで何をしていたか、なぜナニャについてくるのか、ナニャにはさっぱり分からない。それでも何も問わないのは、気にならないというより答えないだろうという予測からだった。

 セテにシャワーを浴びるよう促され、汗と砂で気持ち悪かったのは確かなので言われるまま浴室へ向かう。お湯にじんわり疲れが溶けていく感覚に浸っていると、外から「頭洗える?」と問いが投げかけられる。いつものそれに大丈夫だと答えて、蛇口を締める。備え付けの鏡に目をやると、幼い女の子がこちらを見ている。胸部の中央からやや左寄りのところを中心に黒いものが広がっている。手のひらよりも大きく広がっているそれは、ナニャがそれを自覚した時は、まだ小石ぐらいの些細なものだった。

 広がっていることに気付いた時、原因を調べるために医者に診てもらったことがあった。しかし、原因は究明できず、この黒いものがケモノの死後残る石と同じ性質だと分かっただけで、かえってそのせいでやや面倒なことになってしまったのでナニャは気にすることをやめた。

 洗髪を終え、シャワーで石鹸を洗い流すと、浴室を出る。髪の水気をタオルでぬぐいながら部屋に戻ると、セテにタオルを取られた。そのまま頭をぬぐわれるが、そのまま好きなようにさせてやる。セテにとってのナニャは面倒を見るべき子供であるため、どちらでもよい場面ではそのようにさせたほうが面倒がなかった。促されるまま、ベッドに腰掛けるセテの膝の間に座る。今日は魚が安く買えたから夕飯は魚料理だとか、八百屋の娘の髪が綺麗なのだとか。髪の水気をぬぐい終え、いずこから持ち出した櫛でナニャの髪をとかしながら、セテはそんな話をする。特に相槌もはさまず、ナニャはそれに耳を傾ける。

「そういえば、ナニャちゃんにお願いがあるんだけど」

「……うん?」

 魚屋の旦那と果物屋の奥さんの関係が怪しいらしいという話の途中、前触れもなく――とはいえセテの話に前触れがあるほうが珍しいのだが――話しかけられ、ナニャは顎を持ち上げ後ろを見上げる。

「明日、付き合ってほしいんだよね」

「なぜ?」

「内緒」

 セテは悪戯っぽくそう言って、ナニャの肩を叩いた。髪をとかし終えたらしい。セテは訊ねていないこともぺらぺらとよく喋るが、口は堅い。内緒だと言った以上、問い詰めても無駄なので、分かったとうなずくだけに留めた。

 何か食べたいものはないかと問われたので、なんでもいいと答えておいた。

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