第3話

 レイとマリアが出会ってしばらく。二人は目立った出来事もなく、かといって裕福でもない暮らしを送っていた。

 裕福どころか、飢え死にしそうだった。

 もう四日も食料にありつけていない。毎日歩き回っているのに摂取しているのは水のみ。さすがにマリアも口数が減っていた。


「ねえレイ、人ってどんな味がするのかな」


「……さあな。臭いから、不味いんじゃないか」


「そうなんだ。じゃあ、私を食べさせても意味ないんだね」


「差し出されても食わん」


「だよね」


「だが、あそこに入るのと人間の肉を食うの、どっちが楽かを考えると、何とも言えないな」

 そう言って、二人は二百メートル先にある、まるで要塞のような集落を見た。


 レンガや金属片、木材にコンクリート片など、使えるものをすべて使い高く積み上げ、外からは誰も入れないようにしている。五メートル以上はあるだろう。恐らく、あの山のどこかから外を見張っている人間がいるはずだ。

 無法者の集団だったら、近づいた瞬間アウトだ。すでにもう見つかっているかもしれない。

 ただ、無法者は基本的にああいった要塞は作らない。来る者を襲うというより、自分たちで集落を襲う。そしてその集落の物資が尽きた時、また新たな集落を探す。

 あの集落は、無法者でも近寄りがたい雰囲気がある。襲った後でもなければ、あの中にいる人間は、まだマシな部類の人間のはずだ。

 少なくとも、玄関に来た人間をいきなり殺すような真似はしないだろう。

 この四日間、まったく食料にありつけないのは、この集落の人間が探索しつくしたからだと考えられる。ならば、この先を進んだとしても結局食料がなく、飢え死にするだけだ。

 生存確率が高いのは、あの集落に入る方だ。


「仕方がない。行こう」



 集落の前に着いた。着くなり、どこからともなく、


「何の用だ」

 と、威圧的な男の声がそこに響いた。


 よく見ると、ガラクタの壁の中にスピーカーが設置してある。どうやらここは、発電機まであるようだ。


「もう四日も飯を食っていない。少しでいいから分けてもらえないか?」


「お前たち、武器は持っているか?」


「ナイフが二本鞄の中に入っている。銃器はない」


「裸になれ、隠し持っていたら困る」


「こんな可愛い女の子に、下品すぎない?」

 マリアは明らかに嫌そうな顔をして、スピーカーを睨み付けた。


「分かった。脱ごう」

 それに対し、レイは服をさっさと脱ぎ、下着姿となった。


「マリアも下着は脱がなくていい、言う通りにしておけ」


「レイがそういうなら、仕方がないか」


 渋々マリアも受け入れ、下着姿となった。

 後で何を言われるかわからない、レイはマリアから目を逸らした。

 監視役の人間も、特にそれ以上脱ぐことは要求せず、今度は鞄の中身を出すよう指示してきた。

 その後も服を裏返しにしろだの手を挙げたまま一回転しろだの、様々な確認事項の末、


「服を着ていいぞ。今から案内するからそこで待っていろ」


 とりあえず、信用されたらしい。

 ふぅ、とため息をつき、脱ぎ散らかしていた服を順に着ていく。


「レイ、見た?」


 服を着終えたマリアが、怒気を込めた瞳でレイを睨んだ。


「……マリア、お前の裸は一番最初に見ている」


「それは不可抗力。今回は違う」


「ほとんど一緒だと思うんだが」


「じゃあやっぱり見たのね?」


「一回転した時に、少しだけな」


「目をつぶればよかったじゃない」


「あんな状況で目をつぶれるか……子供の裸を見たくらいで、襲ったりしないから安心しろ」


「それは分かってるけど……」


 どこか納得いかない様子のマリアだったが、すぐに気を取り直し、

「とりあえず、これでご飯にはありつけそうかな」

 と、安心したようだった。


 レイもここの人間の対応を見て、とりあえず無法者ではないことを確信した。

 無法者なら、服を脱ぐよう指示された時に、全裸にされていたはずだ。そして意味のない行動をさせられる。最後に出迎えられた時には大勢に囲まれ、レイはサンドバッグになり、マリアは慰み者にされる。

 ここの人間は、そうではない。レイたちにさせた行動すべてが警戒するための行動だった。

 とは言っても、集落には基本的に厳しいルールがある。結局のところ、多かれ少なかれレイたちにマイナスな部分が必ず出てくる。

 食料は手に入る。だが、その代償は必ずある。

 レイは一抹の不安を覚えながら、案内人を待っていた。



 集落に入る時、二人は目隠しをされていた。どこに入り口があるのか知られると困るから、とのことだった。確かに、少なくとも二人が来た方向から見た際は、どこに入り口があるのかさっぱり分からなかった。

 何度かドアの軋む音を聞き、階段を下りたり上らされたりもして、十分以上歩かされたところで、ようやく目隠しを取ってもらえた。


「ようこそ、ママシティへ」


 なんて酷いネーミングセンスなんだ、と言いたいのを抑え、

「すまない、助かった」

 と、あたりを見回しながらレイは言った。


 まだ警戒はしているようで、十人近くの人が二人を囲んでいた。そのほとんどが女性であることに違和感を覚えた。


「飯を分けてもらえないか?」


「それは構わないが、まずは俺についてきてくれ」


 そうして、そのまま十人に囲まれながら二人は歩かされた。

 ここの生活はずいぶんと充実しているようだ。パッと見ただけで作物をいくつも育てている。鶏小屋まであるということは、卵や鶏肉を食べることも出来るかもしれない。

 他にも、喫茶店、子供たちが遊ぶための遊具まである。

 この世界でこれほどまでに町として機能しているところはそうそうない。もしかすると、ここがマリアの話しに出てきた平和な世界なのではないか?

 そんな幻想を抱いたレイだったが、そんなにうまくいかないのがこの世の中であることは、話を聞く前から理解している。


「さあ、入れ」


 集落の中でもひときわ目立つ、そして何より大きな建物。案内人はその扉を開け、二人を手招いた。

 そして、中に入るなり二人は絶句した。

 巨人がそこにいた。


「おやおや、新入りかい?」


 にへら、と笑ったその巨人は、身の丈二メートル、横も一メートル以上はある婦人だった。

 いや、老婆というべきなのかもしれない。実際の年齢は見当もつかないが、非常に醜い顔、笑った隙間から見えた汚い歯、清潔感のない白髪。そして、入る服がないのか、全裸だった。


「私はここの長、ビッグママだよ」


 ビッグママが喋るたび、酷い臭いが部屋に充満する。思わず鼻をふさぎたくなったが、それで失礼を働いて飯にありつけないのは困る。レイは何とか我慢した。

 ふと隣を見てみると、マリアの顔も青ざめ、レイに助けを求めるような視線を送っていた。


「マリア、耐えろよ……」

 ぼそっと、マリアにしか聞こえないように言い、マリアはそれに静かにうなずいた。

 よくよく周りを見回すと、さっきまでの案内人、その他大勢がいなくなっている。ここに入るのを禁じているというより、単純に逃げたのだろう。

 最後まで付き合ってほしいものだ。仕方がなく、レイは自分から切り出した。


「俺はレイ、こっちはマリアだ。もう四日も飯にありつけていなくて、困っていたところだったんだ。手伝えることがあれば手伝うから、飯を分けてもらえないか?」


「ほうほう、飯か。四日も食べてなけりゃあ、腹も減るわな。構わないよ、分けてあげよう」

 ゆっくりと、息を吐くように喋るビッグママ。


「それは助かる。誰に頼めば分けてもらえる?」


「まあまあ、そんなに焦るんじゃないよ」


 そうして、ビッグママは深いため息をついた。


「レイぃ……」


 さすがに耐え切れなくなったようで、マリアは涙目になっていた。


「すまない、ビッグママ、マリアだけ外に出していてもいいか? その、大柄な人が苦手なんだ。前に襲われたことがあってな」

 と、口から出まかせを言うレイ。


「別に構わないよ。あんたがちゃんと私の話を聞けば、それだけでいいさ」


「ありがとう。マリア、外で待ってろ。何かあったら叫べ」


「うん、ありがとう、レイ」


 マリアは小走りで外に出て行った。レイも出て行きたい衝動に駆られたが、ぐっとこらえてビッグママに向き合った。


「まあ、ちょうどよかったかね。あの子、まだ成人してないだろう」


「そうだな、まだ子供だ」


 何がちょうどよかったのだろう。子供に聞かせてはまずい話でもするのだろうか。


「あんた、飯を食わせてもらうなら、手伝うって言ってたね」


「ああ、出来ることならな。不可能なことを頼まれても、出来はしないぞ」


「あんた、けっこう色んなところを見てきたみたいだね。安心しな、男なら誰でも出来ることさ」

 男なら誰でも出来るとなれば、肉体労働だろうか。いくつもの作物を育てていたし、それの手伝いだったらお安い御用だ。


「この町のルールなんだ。この町に入ってきた人間はね、必ずこの町の女を孕ませなきゃいけないんだよ」


「……は?」


「そして、孕ませる相手は私が決める。私はあんたが気に入った。だから、今回あんたが孕ませるのは、私だ」


「……」


「ん? 意味が通じなかったかい。言い方を変えよう。私を抱くんだよ、セックスだ、セックス。子作り。妊娠するまで返さない。今日の夜から始めるよ」


「……」


 レイの頭は真っ白になった。



 この集落は、ビッグママが若い時に作り上げたものだった。別の集落でつるんでいた五人から始まり、年数をかけて今では五十人もの住人がいる集落となった。

 少しでも戦争前の環境を戻す、それが最初の目的。だから壁を築き上げた後は、作物を育て、野生の鶏を捕まえ飼育し、安全と判断できた旅人のみを歓迎していた。

 そしてある時、このまま生活しているだけでは、いずれこの集落も終わりを迎えることに気付いた。そして立ち上げの五人で決めたのが、子作りだった。

 住人同士信頼し合ってはいるが、住人同士で子作りすることによる仲違いを恐れた。

 その結果、この集落を通る旅人に衣食住を提供する代わりに、女を孕ませる、というルールを設けた。ルールに従わない者にはすぐに出て行ってもらう。

 そうしていくうちに、この集落の人口は増えた。人口が増えるごとに、壁を外に拡張し、この集落は段々と大きくなった。

 立ち上げの五人のうち、まだ生き残っているのがビッグママ一人。だから長を名乗っており、住人もそれを認めている。ビッグママが順に孕ませる女を決め、平等に子を産めるようにしている。

 旅人が女だった場合は、特に何の制約もないのがレイにとっては救いだった。

 レイは、ビッグママを孕ませることに対し、条件を出した。

 一つは、衣食住を提供してもらう事。これはビッグママが話した通り、その代わりに孕ませるから問題ない。

 そしてもう一つは、マリアにはこのことを知らせないこと。また、マリアに危害を加えるようなことは絶対にしないということ。これも拒否なく約束してもらえた。

 そして最後の一つは、ビッグママに笑ってごまかされた。

 歯を磨いてほしい。

 叶わぬ願いとなりそうだった。



 話を聞き終えビッグママの城から出てきたレイは、すっかり青ざめていた。臭いはもちろんだが、これからビッグママが孕むまで抱き続けなければならないというのは、ただ殴られるよりもはるかにきつい拷問ではないか。


「大丈夫?」


 マリアは外の空気を吸って、少しは回復したようだった。


「まあ、何とか。とりあえず、衣食住の提供はしてもらえるみたいだ」


「よかったあ……ありがとう、レイ」


「そこの二人、これからお前たちの住む場所に案内する、ついてこい」

 と、横から入ってきたのは、さっきまで案内をしてくれていた男だった。


 にやにやと笑っているところを見ると、旅人が来るたびにビッグママに会った後の反応を楽しんでいるのだろう。


 しかし、こちらも世話になる身である。あまり文句は言えない。


「衣食住と言っているが、ここでは服も作っているのか?」


 歩きながら、案内人の男に聞く。


「ずいぶん前に、布を大量に手に入れたことがあってな。何着もは作れないが、お前たちにも寝間着くらいは提供できる」


「寝間着と普段着が分かれているだけでも十分だ」


 普段は週に一回着替えて水洗いするだけだ。毎晩着替える習慣はない。


「ところでお前さん、誰と――」

 と、案内人がそこまで言ったところで、レイは案内人を睨んだ。


「後でビッグママに聞いておけ、そして他の奴にも伝えろ」


「ん、ああ、分かった」

 ひるんだ様に男は答えた。


 ビッグママとの約束がいきなり破られるところだった。

 二人が案内された場所は、小さな小屋だった。ベッドは一つだけだが、布団は二組用意されており、埃っぽさも少なく、今まで寝泊まりしてきたところに比べたらずいぶんいい環境だった。


「入っていい場所には建物の前に看板がかかっている。逆に看板のない場所は入ってはいけない、それぞれの住宅だ。住宅に一度でも入ったらすぐにここから出て行ってもらう。それがここのルールだ。ナイフは預からせてもらうが、それ以外の物は自分で管理していいぞ」


「分かった、従おう」


 レイの返事を聞くと、案内人はそそくさと退散した。レイの睨みが効いたのだろう。


「何か、ビッグママはすごかったけど、ずいぶんと緩い集落なんだね」


「まあ、そうだな」


 本当はとんでもないルールがあるのだが、それは伏せる。

 マリアに伝えない理由。実のところ、レイもはっきりと分かっていなかった。自分で言っておきながらどういうことだと、自分自身が誰より疑問だった。

 気遣わせたくないから?

 あんな化け物みたいな人間を抱いた人間だと思われたくないから?

 別にそんなことを気にしちゃあいない。いないのだが、他にいったいどういった理由があって隠すのだ?

 怖がらせたくない。そういう思いもあるかもしれないが、そうだとしても、結局マリアに好意がなければそんな感情は抱かない。

 恋ではないが、愛は生まれているのかもしれない。

 マリアと過ごしたほんの少しの時間で、自分に変化が表れていることにレイは驚いた。

 それもこれも、どれだけ冷たくしてもマリアが感情豊かに接してくるせいだ。


「お腹すいた……レイ、看板あるところなら入っても良いって言ってたし、ごはんもらえるところ探しに行こうよ」


「ああ、そうだな」


 思考を中断すると、お腹がすいていたことを思い出す。さっきまではビッグママによる攻撃(口撃ともいえよう)により、空腹どころではなかったが、絶食四日目を思い出すと途端に腹が鳴った。


「ここは服屋さん、あっちにあるのは酒場かな? 私が住んでたところより、ずっといい場所だわ」


 文字の読めないレイに代わり、マリアが看板を読み上げていく。

 外観はもちろん言うまでもなかったが、中の充実さはすごいとしか言いようがなかった。

 ビッグママは、見た目に反して有能な人間なのかもしれない。


「あった、あそこ。レストランだって。何が食べられるんだろう」

 絶食の四日間を除いても、缶詰や乾パン、雑草しか食べてこなかった二人旅生活で、遂にまともな食事にありつけそうで、マリアは目を輝かせていた。

 そして、その期待は裏切られることはなかった。


 店の中に入ると、マリアと同じくらいの年齢の、メガネをかけた女の子が、

「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」

 と、カウンターへ案内してくれた。


 どうやらこの集落では、教育もしっかりしているようだと、女の子の対応を見て感じた。


「一人一日一食まで、今日食べられるのはこの中から選べますよ」

 そう言って、二人にメニュー表を見せてくれた。


「なんて書いてあるんだ?」


「卵焼き、目玉焼き、鳥の蒸し焼き、野菜スープ、あと、パンは必ずつけてくれるんだって」


「贅沢過ぎる……」


 ここの連中はそんなぜいたくな暮らしを毎日送っているというのか。


「私、卵食べたことないから、卵焼きを食べてみたい」


「俺は肉だ」


「はい、それでは、少々お待ちください」


 そうして女の子は、カウンターの前にあるキッチンで料理を始めた。毎日料理をしているのだろう、非常に手際が良い。


「ねえ、あなたのお名前は? 私はマリア」


「私はケイ。よろしくです、マリア」

 ケイという少女は、料理する手を止めることなく笑顔で言った。


「ケイは生まれてからずっとここにいるの?」


「はい、そうです。外に出たことはあるんですけど、あまり遠くには行ったことがなくて。なので、旅人さんたちの話をいつも楽しみにしているんです」


「そうなんだ。私もお話しするのとても好きよ。いつまで居られるか分からないけど、たくさんお話しましょうね」


「嬉しいです、ありがとうございます!」


 集落に旅人が来るのは、そんなに頻繁にあるわけではない。レイと同じく、皆警戒するからだ。だからこうして旅人が来ることを、ケイはとても喜んでいるのだろう。しかもその旅人が自分と同じような年齢の女の子なのだから、尚更嬉しいだろう。


「ここは毎日こんな食事を食べられるの?」


「毎日、というわけではないですよ。お肉はめったに食べられるものではないので、そこのお兄さんは運がいいですよ。まあ、貴重なのであまり多くは提供できないのですが。卵と野菜はいつでも食べられるくらいにはありますね。やっぱり肉ですね、貴重なのは」


「へえ、そうなんだ。卵ってそんなにたくさん作れるんだね」


「鶏の飼育には力を入れているんです。たぶん、鶏の方が私たちより裕福な生活をしていますよ」


「俺は今までここを含めて三カ所の集落に入ったことがあるが、鶏の飼育をしているところはここが初めてだ」


「ビッグママたちが最初に集落を作った時から、何羽かいたみたいですよ。肉と卵は自分たちの食事を減らしてでも手に入れるってはりきって、結果今は百羽います」


「百? 本気で言っているのか?」


「そのくらいいないと毎日は食べられないですよ」


 確かに。五十人もの集落となれば、そのくらいは必要になるのか。これだけ広ければ鶏用の餌も作れる。土壌が腐っていないこと、たまたま鶏がいたこと。色々な偶然が重なってこの集落は出来上がったというわけだ。


「レイ、居心地よかったら、ここに住んでも良いんじゃない?」


「……まあ、なくはない話だ」

 と言ってはみたものの、レイは食べるだけ食べたら早くここから抜け出したかった。


 ビッグママを孕ませる。はっきりとした年齢は分からないが、高齢なのは間違いない。その女性が妊娠する確率は、いったいどのくらいなのだ。いったい何回抱く羽目になるか分からない。

 マリアにとっては良い環境でも、レイにとっては地獄の夜が待っているのだ。

 妊娠さえしたら、ここにいるのもありなのだが。


「マリアは、やはり安全なところにいたいか?」


「うーん、どうだろう。レイと一緒に旅するのも楽しいけど、ごはんが食べられない時が続くと、ちょっときついかも」


「それには俺も同意だ。飯が食えないからここに来たわけだしな」


 マリアは、強い子だ。だが、心のどこかで安心できる環境を求めている。年相応の部分はやはりある。

 言葉でなんと言おうとも、怖いものは怖いし、痛いものは痛いし、腹も減る。


「しばらくはここにいよう」


「うん。ケイともたくさんお話出来るね」


「そうですね。ご飯が食べられるところは他にもありますが、私のところに来てください! 毎日いますから」


「絶対行く! いいでしょ、レイ?」


「飯が食えるならどこでもいい」


 レイの許可をもらい、キャッキャと騒ぐ二人。

 その光景がほほえましく、レイは自然と笑顔になった。

 こんな光景を見る日が来るなんて思ってもみなかった。生きているだけで精いっぱいの世の中で、こんな笑顔を見て、自分が笑顔になる日が来るとは、今でも信じられない。


「はい、お待たせしました」


 そして出された料理。

 涙が出るほど旨かった。



「レイって泣くことあるんだね」


 食事を終え、小屋に戻ってきた途端、マリアは笑いながらそう言った。


「俺も信じられない。飯があんなに旨く感じたのは生まれて初めてだ」


「レイって面白いね」


「そうなのか? そんなことを言われたのは初めてだ」


「だって、いつもは無表情なのに、ごはん食べたら泣くんだもん。そんな人そんなにいないよ」

 クスクスと、思い出したようにマリアは笑った。


「過ぎたことだ。少し疲れたから、俺は寝る」


「まだ昼過ぎだよ?」


「ああ……だが、眠いものは眠い」


 本当はそれほど眠くはないが、寝なければいけない理由がある。

 本番は夜だ、色んな意味で。


「ねえ、せっかくだからどこか行こうよ。町の事知っておかないと何かと不便だと思うよ?」


「明日でもいいんじゃないか?」


「ご飯も食べて元気出たんだから、今日のうちに行っちゃおうよ」


「……今日じゃないとだめなのか?」


「レイがどうしてもいやだっていうなら諦める」


 一人で行くという選択肢はないらしい。

 一人で行くと言い出したら、変な情報が漏れないように一緒に行動しようと思っていたが、マリアがこういうなら……。

 マリアの顔を見ると、口を尖らせ明らかに不服そうな顔をしていた。

 これは、寝ている間に出かけるかもしれない。

 マリアからしてみれば、平和すぎるこの集落で警戒する要素は一つもない。レイが夜のこと以外に関して警戒心を見せていないことも理由の一つだろう。

 それに加え、ここには色々な娯楽があるようだ。ご飯を食べた帰り道、図書館を見つけてマリアは目を輝かせていた。

 その他にも、服も見てみたいだろうし、同じ年代の子と話しもしたいのだろう。


「……少しだけだぞ」


「え、いいの?」


「ああ、少しだけだがな」


「ありがとう!」


 図書館を見た時と同じような、満面の笑みを浮かべるマリア。

 マリアの笑顔を見ると、億劫だった心境も変化する。夜に酷いことになるのだから、今くらいは楽しんでおくべきか、と。



 そんなこんなで、二人は図書館にやってきた。

 元々図書館だったものをそのまま再利用しているのだろう、ビッグママの城並みに大きい図書館だった。

 ただ、大きいだけあってあまり手が行き届いていないのか、棚によっては埃だらけのところもあった。

 また、本自体が古いものが多く、日焼けしているものがほとんどだった。中身が読めるだけましだと考えるべきだろう。

 レイには読めないが。


「レイもこういうのなら楽しいんじゃない?」

 そう言ってマリアが出してきたのは、内容のほとんどが絵で構成されている本だった。


「これは?」


「絵本だよ。文字が読めなくてもなんとなく分かる本」


「ほう……」


 本は読めないから、今まではずっと手に取りさえしなかった。文字が読めなくても楽しめる本があるとは知らなかった。

 薦められた本を開いてみる。

 中には、動物らしき絵がたくさん描かれていた。牛や鳥、ネズミの他、レイがみたこともないような動物もたくさんいる。

 ページをめくると、動物たちは殴り合いの喧嘩をしていた。


「動物はこんな風に喧嘩はしないぞ?」


「お話の中だから、いいの」


「いいのか?」


「いいの」


 いいらしい。


 次のページをめくる。

 次のページでは、その喧嘩をなだめる一匹の動物。これは、何だ? 動物達の中でも一番大きい。大きな耳にでかい牙。こんなでかいやつが仲裁に入ったら誰でも言うことを聞くだろう。


「これは象だね。七メートルくらいで、すっごい大きいんだって」


「人間なんて簡単に踏みつぶされる大きさだな」


「でも、象って草しか食べないんだよ」


「こんなにでかいのにか」


「そう、こんなにでかいのに」


 信じられないが、マリアの方が学は上、間違いないのだろう。

 象がなだめると、他のみんなは言うことを聞いて手を握っている。仲直りをしているのだろう。ただ、表面上は仲直りしているが表情を見るに煮え切らない気持ちがあるのだろう。

 夜になって、さっきまで喧嘩していた二匹の動物が、何やら悪い顔で話している。

 そして場面はまた切り替わり朝、その二匹の動物が、寝ている象に襲い掛かった。さすがの象も寝ているところに不意打ちをくらい、驚いているようだ。

 結局象は死んでしまったようで、殺した二匹の動物は勝ち誇った顔をしている。


「こいつらはこんなでかいやつも殺せるんだな」


「ライオンとチーターだね。ライオンは百獣の王って呼ばれてたんだって」


「動物の中で王様を気取っているのか? 中々面白いやつだな」


「気取らせてるのは人間だけどね」


 象が死んだことにより、喧嘩を止める動物がいなくなり、ライオンやその他の動物は、相手が死ぬまで喧嘩を続けた。

 その結果、ライオンだけが残った。

 ライオンは思う存分喧嘩が出来たというのに、何故か悲しい顔をしている。

 ライオンは地面に穴を掘り、そこに死んだ動物たちを埋めた。そしてその埋めたところに、四角い石を置いた。


「……? これで終わりか? いったい何がどうなったんだ?」


「ライオンは、相手を殺してしまったから、一人ぼっちになっちゃったんだね。全員が死んで、ようやく自分が一人きりになっちゃったことに気付いたの。みんなに酷いことをしちゃった事を理解して、殺した相手のお墓を作ってあげたっていうお話だね」


「なぜ土に埋める必要がある?」


「昔はそうやって、人を土に埋めて葬るのが普通だったんだって。土葬っていうらしいよ。他にも火葬っていうのもあって、人を骨になるまで焼いて、骨だけ残しておくんだって」


「意味が分からん……なぜそんな無駄な事をする? そしてなぜこいつらは人間の真似をしているんだ?」


「そういうものなの。そしてこの動物たちは、お話の中だからいいの」


「いいのか?」


「いいの」


 いいらしい。


「マリアの集落では、土葬とか火葬はしていなかったのか?」


「うん、してなかった。する前にみんな誰かに殺されて、どこかで腐っているか骨になっているか、もしくは食われているか、そんなのばっかりだったから。お母さんとお父さんも、弔ってあげたかったけど、戻れなかったから……」


「そうか……」


「もし私が死んだら、火葬にしてほしいな。腐った私とか嫌だし。骨だけどこか景色のいいところに埋めてね」


「善処しよう」


「うん、お願いね」


 冗談ではなく、本当にいつかはそういう日が来る。

 俺はどうしてほしいだろうと、レイも考えた。

 別に腐っても良いし、土に埋められるならそれもいいし、焼かれたっていい。何だったら食われたっていい。死んでからの事なんて知ったこっちゃない。


「レイは、死なないでね」


「俺だっていつかは死ぬ」


「じゃあせめて、私が生きているうちは死なないでね」


「……善処しよう」


「うん、ありがと」


 生きる意味が、一つ増えた。



 その日の夜。

 マリアが寝息を立て始めたころ、レイは小屋を出て、ビッグママの城へと向かった。この城は元々何の建物だったのだろう。装飾は後からされたものだとは思うが、この大きさは元からだろう。美術館か何かだったのかもしれない。

 レイが扉を開けると、ビッグママは相変わらずそこにいた。

 いないでほしかった。

 ビッグママはレイを見ると、ニヤリと笑った。


「よく来たねえ」


「ルールに従っただけだ」


「いい心構えじゃないか。やっぱりあんたのこと、好きだよ私は」


 お前に言われても全く嬉しくない、と言いたいのを抑えた。

 改めてビッグママを見る。

 着る服がなく常に全裸。皺の多い顔、このご時世に似合わない異常に太った体。太りすぎて陰部が腹で隠れている。垂れ下がって乳なのか腹なのか分からなくなっている。

 そして相変わらずの口臭。

 やはり歯は磨かなかったらしい。


「ほら、何してるんだい、服を脱ぎなさいな」


「……」


 萎えに萎え切っているが、致し方ない。

 レイは衣類を脱ぎ、ビッグママに誘導されるまま、ビッグママの体に乗りかかった。


「久しぶりだよ、この感覚」


 顔を目の前に持ってこられ、否応なしに口臭をかがされる。


「前戯から、しっかりとやっておくれよ」


 そういうや否や、ビッグママはレイの顔を掴んだまま自分の顔に寄せ、キスをした。


「ほら、舌を絡ませるんだよ」


 涙が出そうになったが、そうなるのを堪え、レイは無心になり言われるがままビッグママの玩具になった。



 行為が終わった。

 死んだ方がましかもしれない。



 次の日。


「おはよう、レイ」

 まだ寝ぼけた様子のマリアが、レイに声をかける。


「ああ」

 ボーっとした様子で空返事をする。


 行為の後、レイはいつもより念入りに歯を磨き、水で体を洗い流した。一応臭いは消えたが、それでも頭の中にあの時の臭いがこびりついて離れない。

 いざ本番という時になっても、自分のものが不能にでもなったような状態だったが、そこは無理矢理ビッグママにしごかれなんとかなった。

 なんとかなってしまった。

 妊娠するまで毎日来いと言われてしまった。


「ねえレイ、今日はご飯いつ食べに行こうか」


「……すまんマリア、ちょっと疲れが出てるみたいだ。休ませてもらっていいか」


「あ、うん。いいよ」


 レイが心の底から疲れているのが見て取れたのか、マリアも申し訳なさそうに引いた。

 飯を食べないと夜の体力はもたないだろうが、飯を食べる気力がない。何もしたくない。こんなことは生まれて初めてだ。飢えてばかりだったというのに。


「レイ」


 いつの間にか、マリアはレイの隣に来ていた。

 そして、頭を撫でた。


「何だ?」


「いつもありがとう」

 と、穏やかな声でマリアは言った。


 人に頭をなでられた事なんてない。どんな反応をしたらいいのか分からない。

 ただ、こうしてもらっているのは、悪くない。心が安らぐ。何故だろう、ただ頭をなでられているだけだというのに。

 頭の中がふわっとして、レイはいつの間にか眠っていた。

 夢を見ることもなく、ぐっすりと眠った。



 目が覚めると、相変わらずマリアは隣に座っていた。昨日図書館から借りてきた本を読んでいたようだ。


「今は、夜か?」


「ううん、まだ昼間だよ」


 疲れはだいぶ取れていた。頭の中にこびりついて離れなかったあの臭いも消えていた。


「マリア、飯を食べに行くか」


「うん、いいよ」


 マリアは本を閉じ、レイも身支度をした。


「待たせて悪かったな」


「ううん、大丈夫。本もあったから」


「借りてきた本は、どんな本なんだ?」


「レイも本に興味出てきたの?」


「少しな」


 そういうと、マリアは少し嬉しい様子だった。


「死んじゃった彼女が生き返って彼氏の元に戻ってくるお話だよ」


「人間って生き返ることがあるのか?」


「お話の中ではね。普通は生き返らないよ」


「だよな」


「生き返ったんだけど、生きてられる時間は限られていて、一週間だけなの。その一週間のうちに、彼氏と出来なかったことをたくさんするっていうお話」


「一週間だけなんだな」


 たったの一週間と捉えるべきか、生き返れるだけマシと考えるべきなのか。

 仮にこの世界で生き返ったとして、何か得があるだろうか。一週間でも生き返ったとして、何か目的があるだろうか。

 ――今はあるか。自然とそう思った。


「ケイ、来たよー」


 今日も時間帯がたまたま良かったのか、客はレイとマリア以外いなかった。


「マリア、レイさん、こんにちは」


「こんにちは、ねえねえ、ケイ。ケイが昨日言ってた本、今借りて読んでるよ」


「本当? 嬉しいです!」

 そうして二人はきゃっきゃと本の話を始めた。

 あれ、飯は? と思ったが、話す片手間で作っていた。しっかりした子だ。今日は肉がないらしく、卵か野菜料理しかないようだ。

 二人は、あのシーンの光(たぶん男の主人公の名前だろう)は格好良すぎるとか、あんなことを言われたら私だって惚れちゃうとか、とてもレイが混ざりづらい話しをしている。


「ねえ、レイはどう思う? 格好いいと思うでしょ?」


「何がだ?」


「俺は死んでも君を忘れないって、格好良くない?」


「格好いい、のか?」


 未練たらたらみたいな感じがするが。


「格好いいの」


「格好いいのか」


「そう」


 そうらしい。


 女性から見た格好良さと、男性からみた格好良さは違うのだろう。

 そもそもレイは光という男がどんな人柄なのかも知らないのだから、格好いいかどうかを判断するには材料が少なすぎる。


「レイはこんな気の利いたセリフ言えないもんね」


「そもそも、その女は生き返っているんだろう? だからこそ言える言葉だ。死んだ相手に話しかけたって意味ないだろう」


「はあ……夢がないなあ」


「俺にはよく分からん」


 昔はそうではなかったのだろうか。みんながそんな状況に憧れていたのだろうか。

 一回死んで、一回だけ、一週間だけ蘇って、その一週間の幸福を味わう。そんな状況に憧れていたのだろうか。

 贅沢な話だ。羨ましいと思う。


「はい、今日は野菜炒め卵付き」


「わあ、おいしそう! いただきまーす!」


 マリアの言う通り、今日の飯もうまかった。



 そして、今日の晩も酷かった。



 夢に出てきたのはビッグママ。

 欠けて黄ばんだ歯。嘔吐物のような臭いの口臭。だるんだるんの腹。二段腹をめくればそこにはカビが生えている。

 無理矢理顔を膣にうずめられ舐めさせられる。

 酷い味だ。

 死体を食った方がまだましだ。



「……夢だけだったら我慢できるんだけどなあ」


「ん? どうかしたの?」


 レイの独り言を聞いて、マリアは目を覚ました。ここに来て三日目の朝である。


「いいや、何でもない」


 夢だけでも悪夢を越えた何かだ。心身に影響を及ぼす邪悪だ。

 何故あの動きもしないビッグママがこの集落を統率出来ているのだ? カリスマ性の欠片も感じられない。人食いですらあれには近づかないのではないだろうか。

 何か気分転換がしたい。


「マリア、図書館に行かないか?」


「うん、いいよ」


「出来れば少し、文字の読み方を教えてくれないか?」


「もちろん!」

 マリアは、ぱあっと目を輝かせた。どうやら教えるのが嬉しいようだ。


 二人は図書館に着くと、基本的な語学の本を探した。文字が読めないので、探していたのはマリアだったのだが。

 そしてマリアに教えられ、数時間が経ったくらいで、とりあえず簡単な文字は読めるようになった。マリアの教え方は決して上手くはなかったが、分からない時は何度も親切に教えてくれた。

 ただ本を読んでいる時よりも楽しそうに見えたのは、気のせいではないのだろう。

 他人の幸福を願うマリア。誰かの役に立てることが嬉しかったのだと思う。


「時間があったらまた教えてくれ」


「いいよ。私も分からない部分あるから、そのうち一緒に同じところを勉強することになるかもね」


 そこまで追いつくのにどのくらいの日数がかかるだろう。それまで二人一緒に生きていられるのか。不安と期待が混ざる感情。

 安心出来る環境。

 やはり、ここに根付くべきなのだろうか。

 マリアと一緒なら、この集落のルールに負けず、生きていけるのではないだろうか。

 昔だったら抱かなかった感情が、次々と溢れ出てくる。そんな自分に、誰よりも自分自身が一番戸惑っていた。



 今日も日課の食事、ケイのところにやってきた。

 やはり肉は貴重なようで、今日も卵と野菜炒めの二択だった。もちろん、それで十分ではある。初日が贅沢過ぎたのだ。

 ふと、気になったことをケイに聞いてみることにした。


「ケイ、ビッグママは普段働いているようには見えないんだが、なぜこの集落のボスになっているんだ? もっと適役がいそうなものだし、そもそもあの巨体、食費もバカにならないだろ」


「ビッグママは、頭がいいんです。何もやっていないように見えるのは、あそこから動けないからというだけですね。作物の収穫量や鶏の生育状況、そういった面を管理して、みんなにどのように動けばいいのか指示を出しているのがビッグママなんです。旅人が住人になりたいと言ってきた時に、住人にするに値するかを判断したりもしてますね。今のところ、ビッグママが選んだ人は誰も問題を起こしていません。人を見分ける力もあるみたいです。食事もあの巨体に反してそんなに摂らないんですよ。砂糖は異常に消費しますが」


 そのせいで、食事を提供する場所は、どこも砂糖は少なめで提供しているとのことだ。


「それでも、やっぱりビッグママは大切なんです。ビッグママ係もあるくらいで、ビッグママの洗体とか、お掃除とかしているんですよ」


「その係に言っておいてくれ、歯も磨けって」


「歯はビッグママが嫌がるんです」


 ケイもビッグママの口臭を思い出したのか、苦笑いを浮かべている。


「血の味が苦手とかで、歯を磨いたら血が出るから磨きたくないそうです」


「酷い理由だな……」


 そのせいでこちらは死ぬほどの思いをしているというのに。


「ビッグママ係の人は、一ヶ月もしたら慣れるって言ってましたよ」


 臭いを嗅ぐだけならば、そのくらいで慣れるかもしれない。レイも昔、死体を処理する関係で、何度も腐った死体の臭いを嗅いでいたが、途中からは臭いと感じなくなった。

 ただ、ビッグママとレイとの関係は、鼻から吸うのではなく、口から臭いを感じるという荒業をくらっている。

 一年経っても慣れる気がしない。


「まあでも、確かにレイさんには辛いかもしれないですね。だって」


「ケイ、ごはんは出来たか?」

 ケイが何かを言おうとしたところで、レイは止めた。ケイはきょとんとした顔をしていたが、数秒考えた後、


「あ、そうでしたね」

 と、思い出したように言った。


 一応、マリアには内緒にするということは、住民には行き渡っているようだ。今のケイのように、ふとした時に漏らすことがなければ、マリアがこの集落のルールを知ることはない。


「ご飯はもうすぐできますから、お待ちください」


「んー?」


 マリアは、二人が目配せをしている様に見えたのか(実際その通りだ)、二人の顔を交互に見ていたが、それ以上追及はしなかった。



 その日の夜。

 行為を終えてぐったりしているレイを、ビッグママは満足したように見ていた。


「なあレイ。私がどうして歯を磨かないか、知っているかい?」


 昼間の会話を聞かれていたのだろうかと一瞬思ったが、この巨体が動けるはずもなく、たまたまだろうとすぐに思い直した。


「血が苦手だと聞いた」


「それもあるねえ」

 にへらと笑い、自慢の黄ばんだ歯を見せつける。


「他にも理由があるのさ」


「どんな理由だろうと、その歯は磨くべきだ。はっきり言うが、酷い口臭だ」


「そんな風に言ってくる人間は、もうしばらく見ないねえ。やはり私が見込んだだけはあるよ」


 しわがれた声でゲラゲラと笑う。笑うのはいいが、下品過ぎて女性とは思えない。


「この口臭、好む男はいると思うかい?」


「逆に聞くが、いると思っているのか?」


「いるわけがないさ、それが狙いなんだから」


「どういうことだ?」


 わざと臭くしている? 確かにこの臭いはきつく、極力離れてはいたいが、集落の外にまで広がる臭いではない。集落内で嫌われるだけのように思えるが。


「私はねえ、私とセックスする男の反応を見るのが好きなんだよ」


「……は?」


「酷い口臭、カビの生えた腹、肉に埋もれた膣。それを抱く男なんて正気じゃない。正気じゃないが、ここのルールでは抱かなければいけない。だから無理やりにでも抱く。男はそりゃあもう苦痛に歪んだ顔をするさ。あんただって例外じゃないよ、強がってはいるようだけどねえ。その苦痛に歪んだ顔を見ながら、無理矢理射精させる。これほど見ていて気持ちいいものはないねえ」


 ビッグママは、今までで一番の高笑いをしてみせた。夜中の集落に響き渡るほどの声だ。


「要するに、私の性癖さ。この世界では、私の性癖を満たすことが出来る。これほどいい環境はないねえ」


「集落を、自分の性癖のために利用しているのか?」


「そういう面もあるっていうだけさ。それに、男を抱くのは私だけじゃあない。他の女も、私と同じように自分の性癖を満たしているさ。あんたが連れてきた娘よりも小さい男の子を犯していたやつもいたなあ。みんな自分のいいようにやっているのさ」


 なるほど、とレイは納得した。

 この集落のルールは、他のところよりもぬるいと感じていた。もちろん、今回はビッグママに当たり、それによって厳しいものだと感じていたが、ビッグママでなければ耐えられるのではと思っていた。

 しかし、そうではない。

 ビッグママが語ることが嘘でないのなら、抱く男はさまざまな性癖の玩具にされるのだろう。

 この集落に男がいない理由もなんとなく読めた。

 自発的に去っていくのだろう。玩具にされることを恐れているのだ。最初の案内人が男なのは、女性が多いという印象を少しでも和らげるためではないか。

 この集落は、女尊男卑。男の地位が低い、そういう事だろう。


「そんな話しを俺にする意味は何だ? 教えるだけ無駄だろう」


「無駄じゃあないさ、私にとってはね」


 動けないというのに、殺そうと思えばすぐにでも殺せるような、身動きの出来ない体だというのに、ビッグママは余裕の表情で続ける。


「あんたに絶望感を与えるのさ。この程度のこと、言ったところで問題にならない。あんたは逃げようとするだろう。だが、逃げることなんて出来ないんだよ」


「どうしてそう思う?」


「出口、知らないだろう?」


 そうか。そのための目隠しか。

 あの壁の高さ、厚さ。確かに、出口を知らなければ逃げ出すのは難しいだろう。


「もう一つ教えてやろう。ここに男が少ない理由さ」


「自分から去っているんじゃないのか?」


「そんなんだったら、あんただって簡単に逃げられるじゃないか。そうじゃない、そうじゃないねえ」


 そうじゃないなら、もう答えは一つしかないじゃないか。


「殺してるのか、従わないやつを」


「ほぼ正解。しかし、少し違う。彼らなら生きてるさ。死ぬより辛い状況だけどねえ」


「……いったい、何をしているんだ?」


「さあ、どうされるんだろうねえ……まあ、ヒントをやるなら、この集落のトイレ、どこに繋がってると思う?」


「……本気で言っているのか?」

 ぎゃははは、とビッグママは腹を弾ませ笑った。


「糞尿が生きる糧、耐えられなければ死んじまう、耐えてもいつかは死んじまうけどねえ。でもなるべく死なないように、時々洗ってやってるさ。たまーにまともなごはんもやってるよ? ああ、あいつは自分のゲロを食わせたって言ってたなあ。酷い性癖だろう? 糞尿まみれの男に自分のゲロを食わせて満足する女が、この集落にいるんだよ。私の性癖なんてマシな方だ。そう思うだろう?」


 レイの顔が青ざめた。

 なんてことだ。

 ここに根付くのもいいだなんて、そんなことを一瞬でも思った自分を恥じたい。

 この世で信じられる人間なんていない。分かっていたはずだ。

 自分一人で旅をしていたら、こんな集落には入らなかった。そこら辺の泥でも食って生き永らえた。

 そうしなかったのは……。


「ふぅ、久しぶりに大笑いして、疲れちまった。レイ、今日は帰ってゆっくりしな。明日もまた来るんだよ」


「……」


 レイは無言で城から出て行った。

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