第21話 完璧な理論
草原。
僕の右手にはバールのようなものが、左手にはタングステンシールドが握られている。
そして由紀の右手にはバールのようなものが、左手にはタングステンシールドが握られていた。
わけがわからず叫んでみたが、状況が変わるはずがなかった。
ルール内で自由に振る舞うことはできるけれど、基本的に僕は『樹海』に対して無力だ。今由紀が僕に敵対していることが残酷なほどに把握できる。彼女は僕と同じ武器防具を装備している。
「最初にルールを説明するわ」
由紀は僕にそう言った。とても落ち着いた口調でどこにも動揺はみられない。
「あたしたちは今からここで戦う。同じ武器、同じ防具、同じ持ち物でね。ステータスやレベルも同じで、それは啓太が基準になっている。あたしの様子を見ればわかっていると思うけど」
「戦う。それって――」
「殺し合うってことよ。あんたが勝てばあたしは解放される。あんたは何か願い事をひとつ叶えられ、これまでのあたしのように門番のような役目を負う。あたしが勝てば、あんたは今まで通りにただ目覚める。そして2度と『樹海』に来ることはない」
「――意味がわからない。これまでは一体何だったんだ!?」
「これまで? 言ったでしょ、レシピ作りよ。おそらく自殺を防ぐため、あたしは今から自分の意志では“行動”ができないの。あたしはあたしの作ったレシピに従ってこれから戦う。あんたのレシピは、あたしに勝ったら完成される」
「僕が勝ったら?」
「まだ言って欲しい? これからあたしを殺すことができたら、よ」
由紀が話す内容はよくわかったが、頭か体が理解するのを拒んでいるのか、僕には整理がつかなかった。否定を求めるように僕は1歩由紀に近づく。ほとんど無意識のことだったが、それは移動とみなされ、僕は自動的に“行動”1回分の距離を移動してしまう。
由紀が僕に向かって何かを投げてきたのがわかった。
『ケイタに8ポイントのダメージ!』
僕の左肩に8ポイント分のダメージが広がる。『日本刀』だ。由紀が投げつけてきた刀が僕の体にざっくりと刺さっている。その傷の見た目と実際に受けたダメージの間には大きな隔たりがあったが、じきにその刀も消え失せ僕にはダメージだけが残された。
その痛みが僕の頭を冷やさせる。僕は受け入れられていなかったが、確かに由紀は僕と戦うつもりだ。
「逃げられないのか?」
「そうよ。あんたも覚悟を決めなさい!」
由紀は叱りつけるような口調でそう言った。「あたしはもう済ませたわ。あんたが解放してくれるんでしょう? それともあたしにあんたを殺させる気?」
なるほど、僕が負けるということは、由紀に僕を殺させるということか。自分が死ぬことにそれほど恐怖はないけれど、確かにその事態は回避しなければならないと僕は思った。
「本気なんだな」
そう呟く僕に答えは必要なかった。身に残された8ポイント分のダメージだけで十分だ。
先ほどの由紀と同様、僕は袋のようなものから『日本刀』を取り出した。そして由紀に投げつける。僕の躊躇とは別に『日本刀』はまっすぐ飛んでいく。
ただしその先に由紀はいなかった。彼女は斜め前方に移動しており、僕とは“軸”がズレた形で近づいてきたのだ。
「馬鹿な!」
僕は声を上げていた。それを眺める由紀は、心なしか得意げな顔をしている。
そうだ。これはこれまでのような単純なプログラムに従って向かってくるぬいぐるみとの戦いではなく、あらゆる検証を行い優れたレシピを構築してきた女の子との戦いなのだ。そして彼女はおそらく対人戦を経験している。
ぞくりと背筋が冷える気がした。「落ち着け」と自分に言い聞かせる。僕の右手には『バールのようなもの』、左手には『タングステンシールド』が握られている。袋の中身を確認した。
戦闘に使えそうなアイテムは『ハバネロ草』『エヌセイド』くらいが残っている。装備品の備蓄は『ステンレスシールド』と『アルミシールド』だ。投擲武器は残っていない。そして盾の類は敵に投げつけてもろくな攻撃とならないことを僕は経験から知っている。
遠距離攻撃をするには“軸”を合わせる必要がある。僕は由紀との“行動”1回分のズレを修正すべく、斜め方向に移動した。
その瞬間、由紀の口から僕に向かって炎がまっすぐ吐き出された。
『ユキはハバネロ草を食べた! ケイタに25ポイントのダメージ!』
「お前は馬鹿か!」
僕は自分を罵倒した。冷静なつもりでいながらまったく冷静に考えられていなかった。いくら自分の遠距離攻撃を成功させたかったとはいえ、同じく遠距離攻撃が可能な相手にこちらから“軸”を合わせる移動をするなど愚の骨頂だ。
明らかなミスだ。ひとつは最初に由紀に向かってそのまま歩み寄り、『日本刀』による攻撃を受けた。そしてふたつ目、僕は自分から『ハバネロ草』の炎を受けに行ったようなものである。
僕は知っている。『樹海』において、いくつも重ねたミスは僕の生存を許しはしないのだ。
しかしながら、僕は依然として生きている。生きている以上、精一杯色々考え生存に向かって“行動”を積み重ねていく必要がある。そうでなければこれまでに数えきれないほどの死亡経験を重ねてきた甲斐がないし、多少は僕に期待してくれていたかもしれない由紀にも申し訳が立たないというものだ。
僕は自分の持ち物を確認し、由紀には遠距離攻撃の手段が残されていないであろうと考えた。あとは僕の遠距離攻撃をなんとか掻い潜り、接近戦に持ち込むだけだろう。
僕に有利な点があるとしたら、それはこの離れた状態で回復しておけるということくらいだ。それも由紀にはダメージがないためその必要がないというだけの話ではあるのだが、隣接してしまえば回復の間にも攻撃を受ける。
僕は『エヌセイド』を使ってダメージを癒した。30ポイント分の痛みが消えていく。
由紀はその間に接近してくるものとばかり思っていたのだが、彼女の取った行動はそうではなかった。
由紀は持ち物から『ステンレスシールド』を取り出し、『タングステンシールド』と持ち替えたのだ。
○○○
僕はその行動の意図をすぐに理解した。先ほど僕が食らった『ハバネロ草』は炎による攻撃で、『ステンレスシールド』はそれを軽減することができるからだ。
25ポイントのダメージを与える『ハバネロ草』の効果が半減するとしたら、それは『タングステンシールド』の単純な防御力の高さに勝る効能である。先ほどの戦闘で僕が得たような気づきは当然由紀にも把握されているのだろう。
対応が完全に後手後手になっている。これまでの由紀の行動はいずれも適切なもので、僕はそれを見てようやくその意図に気づけるというわけだ。おそらく由紀はこれまでも同様に挑戦者を屠ってきたのだろう。
地下7階の祭壇のようなものにはメダルを納める場所があり、僕のもののほかにも3つの痕跡が感じられたことを思い出す。僕は大きくひとつ息を吐いた。
「由紀の考えでは、この状況から逆転することはあると思う?」
僕はそのように訊いてみた。敗北宣言と捉えられてもしかたない内容だ。そんな軟弱な僕の発言を今度は叱りつけることなく、由紀は優しい声で「ないわ」と答えた。
「あたしはあらゆる検証を行い研究を重ね、完璧な理論を完成させたの。この『樹海』をあたし以上に理解できているひとはいないと思う。システム、アルゴリズム、あらゆる知識を把握し、実践できる。勝てるわけがないのよ」
その優しい声色は寂しさや諦めのようなものを感じさせるものだった。僕はこの発言をした金髪の少女を眺める。ふわふわとした金髪がワンピースの鮮やかな赤に映えている。ワンピースの裾は穏やかな風にわずかに揺られ、そこから伸びた白く細い脚は、やがてグラディエーターサンダルに包まれていく。
由紀が『樹海』をクリアしたのは暖かい季節だったのだろうか。そんなことを思わせる服装だ。腰に備え付けられた袋のようなものにはおそらく『エヌセイド』が入っていることだろう。右手に武器を、左手に防具を持っている。
「あたしはこれまで3回こんなことを繰り返してきた。あたしたちの“行動”は同時に処理されるけど、どちらも同じように攻撃した場合、あんたの攻撃の方が優先されるのはわかるわね?」
「そうだね。メッセージの出方もそうなってる」
「だから、引き分けだとそちらの勝ちなの。同じ条件で戦って、引き分けだったら負けるわけだし、半分くらいの確率で負けられるんじゃないかと期待するのは間違ってないよね?」
由紀は僕にそう言った。僕は静かに頷く。その考えを肯定されたところで慰めにはならないだろうが、由紀は言わずにいられなかったに違いない。
彼女がかつて語った無限等比級数の生活を思い出す。半分くらいの確率で解放されると仮定すれば、いつか解放される日が来るとして、そろそろ半分は経ったんじゃないかと考えるのは自然なことだろう。そうでもしないと、その長い待ち時間を耐えられないに違いない。
だから由紀はやさぐれていたのだろう。いずれ諦めて来なくなるか、もしくは自分が殺すことになる挑戦者たちを歓迎するのは難しい。
ひょっとしたら、最初の頃には懇切丁寧に『樹海』の攻略情報を教え込んでいたのかもしれない。それでも彼女ほど上手に彼女の理論を使いこなせる者はおらず、樹海の主を倒せたとしても、由紀に殺されることになる。
「――だから由紀から学ばず、自分の理論を構築しろと言っていたのか?」
「そうよ」と由紀は言った。「先入観にとらわれず、あたしの理論の穴をつく発見をして出し抜かなければならないの。でもあたしの理論に穴はない。お互いの装備が同じである以上、あたしに勝つことはできないのよ」
由紀の口元には自虐的な笑みが貼りついている。口角が歪んでいても由紀は十分可愛いが、そんな表情はやめるべきだと僕は思う。そして由紀の発言内容に僕は違和感をもっていた。
それは一体何だろう? すぐにはわからず、僕は由紀の姿をぼんやり眺めた。
“行動”3回分の距離を残して僕と由紀は対峙している。持ち物やステータスを統一した状態でこの戦いははじまった。装備が同じであるならば、隣接するまでの遠距離での攻防が勝負の決め手となることだろう。
そしてその遠距離の攻防に僕はことごとく失敗してきた。樹海の主との対戦でも痛感したが、僕には検証しきれていない部分が残っており、システムや知識への理解が足りていないのだ。その点由紀にぬかりはないのだろう。
僕はこれまでの経験や由紀の発言、この広場でのやり取りを頭に浮かべて考えた。ノースリーブの肩から白い腕が伸びている。この手を伸ばして触れることが許されるなら、あらゆる代償を払っても惜しくないだろうと思ってきたものだった。
精一杯色々考えた結果、僕はやがて違和感の正体に気づいた。ニヤリと笑って由紀を見る。
「なによ?」
諦めの表情だった少女が僕にそう訊く。その自虐の笑みを引き剥がしてやろうと僕は思った。
「完璧な理論なんてものは存在しない。もし由紀がそうだと思うなら、それはただの思考停止にほかならない」
「なんですって?」
諦めの表情に怒りの火が灯る。僕を睨みつける薄茶色の瞳が僕に言葉を投げつける。「だったらそれを証明してみせなさい」
「もちろんだよ」と僕は言った。「証明して、由紀を解放してやろう」
誰かがいずれやらなければならないことなら、僕がやるべきだと思うのだ。僕は“軸”をずらす形で斜めに由紀に近づいていき、由紀も同じだけの距離を同じ方向に近づいてきた。
“行動”1回分の距離を隔てて由紀とまっすぐ向かい合う。
目の前だけを考えるのだ。僕は彼女をこれから殺す。それを彼女が望んでいるからだ。『樹海』の外では理解できない考えだが、僕と彼女さえ納得できればこの場においてはそれで良い。
「いくぞ」
僕は由紀の目を見てそう言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます