第19話 ボスからは逃げられない
「さて」と僕は声に出す。
誰に聞かせるわけでもない独り言をあえてするのは、自分自身にそれを聞かせ、落ち着きを取り戻すためである。
僕は状況を整理する。現在僕は窃盗犯として『樹海』内を追われており、追手は少なくとも複数いる。今のところ把握しているのは店と階段の部屋を結ぶ通路上で動きを止められているテンチョウと、階段上で動きを止められているドーベルマンのような犬である。
警察犬は警察に付属するものだろうから、この犬のほかにも警官のような敵が現れることは十分考えられる。そして彼らは倍速で僕の身柄を確保するのだ。
今いる階段の部屋は縦長の形をしており、イメージとしては右下の方に店に繋がる通路が、左上の方に犬が出てきた通路が存在する。右下の通路はテンチョウによって塞がれているが、左上の通路からは次なる追手が逐次追加されてきても文句は言えない。真ん中低めの階段上にいる犬をどうするか。そして左上の通路をどうするか。このふたつを考える必要がある。
○○○
考えた結果、僕は部屋の上の方へと移動した。この犬がどの程度の強さなのかは知らないが、最悪な位置で固まっているため遅かれ早かれ何とかしなければならないのである。幸い盗品も合わせて僕には様々な道具があるため、なんとか距離があるうちに処理できないかと考えていた。
ちょうど左上の通路の延長線上に来た時だった。僕の倍速を思わせる動きで2匹目の犬が部屋のすぐそばまで来ているのに気がついた。半ば予想通りであったが、僕は反射的に恐怖する。
ちらりと横目で伺うドーベルマンは僕に対する明らかな敵意を感じさせる。僕は“行動”とみなされない動きでそちらを向いた。
しかし、これはある意味ベストなタイミングだ。一応“軸”が合っていることを確認し、僕はおそるおそる『眠りの杖』をそちらに振った。これで杖の使用回数はゼロになったが、部屋の入り口を塞ぐ形で犬の動きを止めることに成功した。
動きの止まったドーベルマンは敵の追加を防いでくれることだろう。これで僕に残った問題は階段上の犬だけである。依然脅威は消え去らないが、考え得る最良の状況にはなっているのではないだろうか。
遠距離攻撃の手段を確認する。僕が持っているのは『ハバネロ草』と『10本の木の矢』、『爆発の巻物』くらいのものである。使った経験がないのは『爆発の巻物』。不必要な『日本刀』は飛び道具として使っても良いだろう。
そこまで考えたところで、僕はふと疑問に思っていた。武器の類を投げれば1度限りの遠距離攻撃の手段となることを経験から僕は知っている。では今手にある使用回数がゼロになった魔法の杖たちを敵に投げつけた場合はいったいどうなるのだろうか?
少なくとも試してみる価値があるように思われた。使用回数がゼロになった時点で自動的に消滅しても文句は言われないであろう中、この役立たずな木の棒が存在している理由は何だろう。
僕がこれらを投げつけた場合、振ったときと同様の効力を発揮してくれはしないだろうか?
答えをくれるのは階段上で動きを止めている犬だけだ。僕は大きくひとつ息を吐き、“軸”が合っていることを確認し、もう魔力のようなものを撃ち出してくれない『入れ替えの杖』を彼に向かって投げつけた。
杖が当たった犬は活動を再開し、僕に向かって“行動”2回分接近してきた。やはりこいつの速さは僕の2倍だ。そして的中した予想はもうひとつある。
僕とそのドーベルマンは立ち位置が入れ替えられており、僕は階段の上に立っていた!
動きを再開した犬は涎を垂らして興奮した敵意を僕に向けている。
「さようなら」
僕は万感の思いを込めてそう呟くと、彼らを残して階段を下った。
○○○
地下6階。
僕の右手にはバールのようなもの、左手にはタングステンシールドが握られている。
窃盗犯に対する追跡が続いていたらどうしたものかと思っていたが、幸いなことにいつもの地下6階の雰囲気だった。少し探索を進めてディディエと殴り合った僕は、その事実を再確認し、安堵に胸をなでおろす。両手に持つ装備品の強さにも大満足だ。
良い流れが続いているのかもしれない。基本的に『タングステンシールド』を装備しながら足踏みのときだけ『アルミシールド』に持ち替えている今の僕だが、その煩わしさから解放してくれる盾が落ちていた。『ステンレスシールド』だ。
炎にも強いという効果をもつこの盾は防具としてもそこそこ優秀で、普段使いに最適である。強敵が確認された時点で『タングステンシールド』に持ち替えればその守備力の恩恵を受けられるし、通路を移動中に敵に遭遇した際の殴り合いにも耐えられる。
ディディエやランツァの戦闘力は確かに脅威ではあるのだが、木の矢で丁寧にダメージを与えて『バールのようなもの』でぶん殴ってやると、彼らは僕に隣接するや大人しく光の粒子となって消えていくのだ。その結果木の矢はすべて使い切ってしまったが惜しくない。最悪、必要であれば『日本刀』を投げつけてやればいいだろう。僕はほかにもアイテムを持っている。
これまでの道のりですり減らされてきた“満腹度”を数少ない先ほど正規購入したアイテムである『肉まん』である程度満たすと、僕はさらに探索を進める。充実した僕の持ち物は敵に付け入る隙を与えることなく地下7階への階段を発見させた。
大きくひとつ息を吐く。これほど恵まれた状態で地下7階へと行くのははじめてだ。最初で最後になるかもしれない。
探索にやり残しがないことを確認し、僕は階段を下りていった。
地下7階。
僕の右手にはバールのようなものが、左手にはステンレスシールドが握られている。
下りた部屋に階段があった。見慣れたいつもの下り階段だ。
アイテムや敵と同じく階段の配置もランダムなようで、このようなことはこれまでにも多々あった。違うのはこれが最終階となり得ると知っている地下7階であることと、それを裏付けるように祭壇のようなものが部屋に備え付けられていることである。
「由紀が言っていたのはこれのことか?」
僕は小さく呟いた。壁際に備え付けられている祭壇のようなものには、おそらくそこにメダルを捧げるのであろう小さな突起がついていた。デコレーションされた祭壇部分は明らかにそこから何かが出てきそうな膨らみをしていて、僕に“最後の敵”の存在を意識させる。
この階の探索はどうするべきだろうか? 持ち物が不十分であれば、この階段を進んでさらに下の階にも行けるのだろう。いくつかの選択肢が用意されており、僕はいずれかひとつを選ばなければならない。
何故そうなのかは知らないが、“最後の敵”に挑めるのは1度だけだというようなことを由紀はかつて言っていた。今の僕はその1回にふさわしい状態だろうか。
僕にはそうであるように思われた。武器や防具が充実しており、ほかの消耗品にも恵まれている方だろう。できれば木の矢や使用回数の余っている杖が欲しいところだけれど、僕の持つ使用回数ゼロの『眠りの杖』は投げれば効果を発揮することを僕は知っている。
確かに探索を続けることはできるだろう。しかしそこで生じる様々な出来事は、ひょっとしたらむしろ今の条件を悪くする事態を引き起こすこともあるかもしれない。
それなりに頭を悩ませてみたが、結局僕は“この階の探索は行うがこれ以上下の階には下りない”という誰でも思いつく無難な選択をすることにした。その選択の平凡さは祝福されていないのか、ろくなアイテムが手に入らなかった。印象としてはプラマイゼロだ。この階の探索はしてもしなくても同じようなものだっただろう。
僕は改めて階段のある部屋へ戻り、祭壇のようなものを近くで眺めた。
メダルを奉納するのであろう突起が出ている。僕は袋のようなものから自分の名が刻まれたメダルを取り出すと、円形に小さく窪んだ部分にメダルを軽く合わせるように置いてみた。
窪みはメダルとピッタリの大きさで、そこに合わされたメダルはキラリとわずかな輝きを残して吸い込まれるように消えていった。その輝きの名残を思わせる仄かな光がメダルを吸い込んだ突起を伝わり祭壇に達していくのが見える。
やがて祭壇の一部にメダルの名残りは導かれた。気づかなかったが、そこには同じような光が3つほど既に重なっている。僕のメダルで4つ目だ。
何かが出てきそうな膨らみに亀裂が走り、観音開きに開いていった。同時にこの地下7階全体が震えるような音を立て、呆然と見守る僕を無視してガラガラと壁が崩れていく。
いったい何が起こっているのだろう? 常識的には、地震と、それに伴う身の危険を考えるべきだろう。しかし僕はここが『樹海』だからかそのような思考に至ることはなく、ただ部屋の壁が取り払われ祭壇のようなものの亀裂が大きな穴となるのを眺めていた。
壁が完全に崩れ終わった。地下7階はきわめて大きなひとつの部屋になっている。そして祭壇があった場所にはこれまで『樹海』で見たことのない、巨大な龍をイメージしたようなぬいぐるみが立っていた。
「これが“最後の敵”か?」
答える者がいないとわかっていながら、僕はそのような問いを口にする。平常心を保つためだ。大きくひとつ息を吐く。
僕は『バールのようなもの』を握る右手に力を込める。こいつを倒し、由紀をこの手で解放する。僕は目の前のことだけを考える。
「いくぞ」
僕は自分自身にそう言った。
○○○
とはいえ、まず必要なのは現状把握だ。僕は右手に『バールのようなもの』、左手に『ステンレスシールド』を握っている。この広大な空間にいる唯一の敵との距離は“行動”1回分だ。このまま殴り合うことはできない。そして少し離れたところに階段があるのがわかる。
上り階段だ。『樹海』ではじめて見る上り階段である。それまで下り階段だったものが上り階段に変化している。
由紀は地下7階以降の祭壇でメダルを捧げ、帰って来られればクリアと言っていた気がする。その途中で“最後の敵”と戦う必要があるとも言っていた。
発言のすべてを覚えているわけではないが、こいつをやっつけなければならないと言っていた筈だ。それならこの階段は何なのだろう?
ひょっとして、逃げられるなら逃げても構わないのだろうか。それはゲームとしてどうなんだという思いと、実際階段があるんだから素直に上ればいいじゃないかという思いが交錯している。僕はどうするべきだろう?
答えはない。僕はルール内でどのような行動を取っても良いからだ。ただし、自由には責任が伴う。誤った判断は死んで償わなければならないというわけだ。
結局、僕の下した結論は“階段の上で戦う”というものだった。とりあえず階段に行ってしまえば実際それが働くのかどうかがわかるし、逃げられるならば逃げてしまうのも良い選択だろう。
階段の位置は僕の斜め後ろの方である。巨大なぬいぐるみとの位置関係的に近寄らずに階段に到達できる。僕が“行動”1回分の距離を斜めに階段に近づくと、巨大なぬいぐるみは“行動”1回分僕に向かって移動した。依然として彼との距離は“行動”1回分空いている。
ひとつわかった。彼は僕と同じ速さで動いている。倍速で追ってくることも一応想定していたため、これは良い知らせのひとつだろう。そして同時に悪い知らせがひとつ。
僕がもう1度“行動”1回分、今度は真下に階段に向かって移動すると、龍を模したような巨大なぬいぐるみは僕に接近するのではなく、その大きな口を大きく開け、炎のようなものを吐きかけてきたのだ。
『ジュカイノヌシは炎を吐いた! ケイタに10ポイントのダメージ!』
「あちち! そして痛い! ズルい!」
僕はそんな泣き言を言った。
遠距離攻撃をしてくるとは思わなかった。いや、思いたくなかったというのが正確なところだろう。『ステンレスシールド』が炎に強いという特質を持っており、これまでに炎による攻撃を受けるような罠や敵には遭遇してこなかった。そしてこいつの龍のようなデザイン。炎を吐くのは言われてみれば当然だ。
幸い僕はステンレスシールドを左手に持っていた。炎によるダメージは軽減されたことだろう。元々の威力がどれほどのものなのかわからないが、この炎はそれなりの脅威と言える。
僕に取り得る選択肢は大きくふたつだ。このまま階段を上って逃亡するか、炎から逃れるために“軸”をずらし、接近してきた龍のぬいぐるみと戦うか。おそらくこのネーミングは樹海の主ということなのだろう。最後の敵というわけだ。
主から受けたダメージは常識的なものだった。こいつと戦えという『樹海』からのメッセージであるように僕は受け取る。大きくひとつ息を吐く。僕には決断する必要がある。
「いいだろう」と僕は言った。
自分の判断を尊重し、それに伴い生じる困難は運命だと受け入れ処理しよう。決意を済ませた僕に迷いはない。
殺意にみなぎる龍のぬいぐるみを睨みつけ、しかし僕は胸を張って階段を上ることにした。
○○○
地下6階。
僕の右手にはバールのようなもの、左手にはステンレスシールドが握られている。
上った先は普通の部屋だった。
「ひょっとして、逃げられたのか?」
僕はひとりでそう呟いた。想定はしていたし期待もしていた状況だけれど、実現すると思ってはいなかった。自分の口元が緩んでいくのがわかる。
ぬか喜びはするべきでない。これまでの死亡経験に裏付けられた考えが僕を戒めようとするのだが、あふれる喜びを止めるのは非常に難しい。
大きくひとつ息を吐く。仮に逃げるのに成功しているのだとしても、僕の挑戦はまだ途中だ。遠足は帰るまでが遠足なのだろう。僕は散漫になった集中力をなんとかかき集め、次の上り階段を探す探索を開始した。
すぐに気づいた。地下6階に異変が生じている。それは先ほど僕がぼんやり眺めていた現象だ。僕が歩く部屋を構成している壁に小さな亀裂が入り、それは僕の“行動”に伴いピシピシと大きく広がっていく。僕には探索を続ける以外の選択肢がない。
そして、最初の部屋から出るか出ないかのタイミングだった。亀裂が入って強度の落ちた部屋の壁たちは自重を支えられなくなったように倒壊していき、地下6階はとても大きなひとつの部屋のように変化した。
大部屋の中には元々配置されたのであろう敵やアイテムと一緒に、当然ながら巨大な龍が鎮座していた。階を上ることはできるけれど、やつからは逃げられないというわけだ。
「くそおお!」
僕は呪いの叫び声をあげた。
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