第18話 窃盗
失敗を恐れる必要があった。
今のこの状況は今後2度と手に入らないものかもしれないからだ。強い武器や防具、有用そうな道具が手に入り、店と階段との距離が近い。
考えられるあらゆるリスクを想定し、適切な打開策を可能な限り考えておく必要がある。そんなことをしたところで、どうせ想定外の事態に陥ることになるのだろうが、十分に考えた上での結果であれば次に活かすこともできるだろう。
死を恐れる必要はないが、単なる見落としやケアレスミスを犯してはならない。大きくひとつ息を吐き、僕はこれから試すつもりのことを頭の中で整理した。
まず問題となるのは何をもって“窃盗”とみなされるかということだ。定義を確認しなければならない。先入観を排除して考えるためにはあらゆる前提を考え直す必要があるのだ。
僕たちのもつ常識から考えると、未会計の売り物を店から持ち出せば、それは“窃盗”と言えるだろう。僕が商品を所持すると通路への出口を塞ぐようにテンチョウが立っている場所を移動するのは、おそらくそれを妨げるためである。僕はそのアイテムを放棄するか、または会計を済ませるまでそこを通してもらえない。
では、店とはいったいどの範囲のことを言うのだろうか?
僕の印象では、店とはこの部屋の空間のことを指す。店へと続く通路自体は店ではなく、テンチョウは店と店以外の境界線を、店側に立って塞ぐように立っている。
何故こんなことを考えるのかというと、この考えが正しいならば、僕はテンチョウの肩越しに“店内”から“店外”へものを投げることができるからだ。やったことはないが、おそらくこれは可能である。テンチョウに道を塞がせた状態で、一方的に敵に矢を浴びせ、やっつけたことがあるからだ。そのとき矢に通らせた軌道をほかのアイテムに使わせるのは違法ではないだろう。
僕が持っている商品をすべて床に並べると、テンチョウは塞いでいた道を解放するように移動した。そして僕が店にあるもっとも安い売りものである『肉まん』を手に取ると、再び道を塞ぐように移動した。
「いくらだい?」
「200ヴァンツだね」
わかりきったやり取りをあえて行う。そして僕はテンチョウの肩越しに『肉まん』を通路に放り投げた。僕は商品を持っていない。彼は何と言うだろう?
「200ヴァンツだね」
どうやら“店外”への投棄は“消費”と同様に受け取られるらしい。当然だけれど、僕は店内で消費した道具の対価を請求される。想定の範囲内の挙動である。言われるままにお金を払うと、テンチョウは爽やかに移動して通路を解放した。
おそらく杖の効力を使っても同じだろうが、一応検証してみることにした。
まず『入れ替えの杖』を購入した。商品のうち2番目に安価な『エヌセイド』を通路から直線上に配置し、店の外から『入れ替えの杖』を振ってみる。杖から魔力のようなものが飛んでいき、『エヌセイド』と僕の場所がドロンと入れ替わる。
予想通り、テンチョウは通路を塞ぐ位置に移動した。
「僕がお金を払う必要があるの?」
「400ヴァンツだね」
当然の顔で、彼は僕にそう言った。
僕は素直にお金を払い、通路に出て『エヌセイド』を回収した。どうやら店内とみなされるのはやはりこの部屋の中だけで、そこから何らかの方法で外に商品を取り出すと、それは僕による消費と判断されるようである。これで僕の所持金はほとんどゼロだ。
何らかの原因で僕の関与していないところで商品が店外に持ち出された場合、それはどういう扱いになるのだろう? このデザインにはひどい冤罪事件の危険性が秘められているような気がするが、とりあえず今のところはそのような事態に遭っていないので、気にしない方が良いのかもしれない。僕はそのように自分に言い聞かせた。
大きくひとつ息を吐く。これまでに試した方法で対価を支払うことなく商品を持ち出すことができるなら、窃盗するまでもなく望みのアイテムを手に入れられたことだろう。しかしながら、そんなことは許されなかった。僕にはリスクを負う必要がある。
僕は店内を回ってアイテムを拾い、袋の中身を充実させた。右手に握るのは『バールのようなもの』、左手に握るのは『タングステンシールド』だ。いずれも売り物で、それを買うようなお金を僕は持ち合わせていないが、この際そんなことは問題とならない。
正面から突破するつもりはなかった。白兵戦となったら勝ち目はないだろうから、『アルミシールド』を持ち続けても良かったのだけれど、そこまでの勇気は僕になかった。その守備力の違いはおそらく焼け石に水で、いたずらに“満腹度”の消費が加速されるだけかもしれないが、ひょっとしたら何かの役に立つかもしれない。何より、負うリスクに伴うストレスを多少は軽減できできていた。
使用するのは『入れ替えの杖』と『眠りの杖』だ。使用回数の残りはそれぞれ1回と3回。『入れ替えの杖』の回数が少ないことは不幸であるが、回数が多ければ購入にお金が足りなかったかもしれないので、むしろ幸運なのかもしれなかった。受け取る側の状況によって長所と短所は入れ替わり得るものである。
この階の様子は頭に入っており、僕は地理条件を克明に思い出すことができる。この店から出る通路を進むと突き当たるのは階段だけのある部屋だ。通路の長さは“行動”5回分、階段のある部屋に入って階段に達するまでは“行動”3回分の長さを進む必要がある。
合わせて“行動”8回分。これまで『樹海』内を進んできた道のりに比べると非常に短いが、この8回分の移動中にどのような現象が起きるのかはわからない。
僕にとって都合が良いのはテンチョウだけを相手にすれば良いパターンだ。彼ひとりだけなら、これらの杖を使えば容易に無力化することができる。しかし、それほど容易に窃盗できるデザインになっているなら、おそらくテンチョウはもうちょっと正面から戦っても何とかなる強さになっているのではないだろうか。
以前戦ったテンチョウの強さは圧倒的で、とても勝てるようには思えなかった。窃盗に対するペナルティは何かしら用意されていると考えるべきだろう。問題は、それが打開できるレベルなのか、否応なしに殺されるものになっているのかだ。
何かを保証してくれる者はいない。僕は考えられる危険性と得られる利益を天秤にかけ、やってみようと考えたのだ。精一杯色々考え、選んだた結果が望むものでなかった場合は、そういう運命だったのだと受け入れるよりほかにない。
大きくひとつ息を吐く。
「いくぞ」
自分を奮い立たせるため、僕は声に出してそう言った。テンチョウは変わらず爽やかな様子でこちらを見ている。
僕は意志を込めた視線で彼を睨みつけ、宣戦布告の杖を振った。
○○○
振ったのは『入れ替えの杖』だ。店内の、十分な距離を保った場所で僕とテンチョウはドロンと場所を入れ替える。テンチョウが僕に向かって“行動”1回分の距離を近づいてくる。明らかに危害を加えられたと判断し、僕を攻撃しようとしている動きだ。
前回テンチョウと戦うハメになったときと同じ動きだ。彼はおそらくあらゆる攻撃に耐え僕を殴り殺そうとすることだろう。しかしその動きは僕と同じ速さであるため、仮に僕がこの位置から一直線に階段へ向かえば戦闘が発生せずに逃げることが可能となる。
そんなに簡単なことがあるだろうか? これまでの『樹海』での経験がそうさせるのか、僕は疑い深くなっていた。
可能性としてはありえることで、かつ僕にとってはありがたい現象である。期待はせずに想定しながら、僕は店内から店外へと繋がる通路を1歩進んだ。
その瞬間、『樹海』中に聞こえるような強烈な警告音が鳴り響いた!
『泥棒だ! 捕まえて殺せ!!』
そのような放送が鳴る。殺すことまで指示しているところに本気度のようなものが読み取れる。この警告音の意味することは何だろうか。この階のモンスターたちが僕に向かって襲い掛かる? しかし、それはある意味通常の挙動と同じである。それほど大きな脅威でもない。
僕は通路に進んでしまっているため、店内に何らかの変化が起こっているのかどうかはわからない。テンチョウがいるため戻って確かめることもできない。
しばらく考えてはみたが、考えても無駄だろうという結論に僕は至った。「敵たちよ、来るなら来い」といった心境である。既に罪は犯したのだ。逃れられない罰を与えられるというなら甘んじて受けるべきなのかもしれない。精一杯回避しようとはするけれど。
通路を進む。何か変化に気づけはしないかとゆっくり気を張り詰めて歩く道は“行動”5回分の長さとわかっている筈なのにとても長く感じられる。
“行動”3回分ほど進んだところだろうか、僕は背後にテンチョウが歩み寄っているのに気がついた。その瞬間の驚きときたら! 僕は肺が破れてもおかしくないほどの叫び声をあげた。
「うおおおなんでだ!?」
パニックに陥りながらも“行動”とみなされる動きを取らなかった自分を褒めてあげたい。僕は口から心臓が飛び出るほどの驚愕の中、一気に噴き出す汗をぬぐうこともせず反射的に殴りかかりたくなる本能を何とか留めた。
落ち着いて考えよう。テンチョウに追いつかれたということは、僕より速く移動してきたということだ。変わらず爽やかな外見からは想像できないが、こいつは僕を殺すつもりで走ってきたのだ。
対処は可能だ。みっともなく驚いてしまったが、テンチョウが僕を追ってくるというのは想定内で、あの規格外の攻撃力からを考えても緊急時に倍の速さで移動してくるというのはそれほど不思議なことではない。僕にとって前例がないのと、いざ目の当たりにしたのとで動揺しているだけである。
大きくひとつ息を吐く。深呼吸に成功した僕はいくらかの落ち着きを得ることができた。袋のようなものから注意深く『眠りの杖』を取り出し、テンチョウに向かって振ってやる。この状態の彼には杖攻撃が効かないなどと言い出さない限りはこれで無力化できる筈だ。
祈るような気持ちでテンチョウの様子を伺う。僕の“行動”に伴い世界に時間が流れているのを感じるが、彼はピクリとも動こうとしない。杖が効いたわけである。
心の底から沸きあがる安堵のため息をゆっくりついた。爽やかな見てくれのまま動作を停止した青年の姿を眺める。とりあえず目前に迫った危険は去ったと言えるだろうか?
当然、僕はそうでない場合のことを考えていた。何故なら僕を追うのがテンチョウひとりなら先ほどの警告音や殺意のメッセージは必要ないからだ。そして彼の移動速度が倍増していたことからも、何かイレギュラーな脅威が迫ってくる方が自然なように思われる。
すなわち、警備員や警察のようなものの出現だ。もちろん杞憂となってくれれば歓迎するが、楽観はしない方が賢明だろう。
僕の歩く通路は狭く暗い。把握できる周囲の状況はせいぜい自分の周り“行動”1回分程度だ。階段の部屋へと進む1歩先には今のところ敵がおらず、背後すぐには行動を封じた脅威が行動再開を待っている。
それが現在僕に把握できる状況のほとんどすべてだった。進むしかない。“行動”1回分進む。階段の部屋はすぐそこだ。
部屋に入った。敵はおらず、階段がすぐそこに見えている。
僕と階段の距離は“行動”2回分離れている。僕の移動に伴い世界に時間が流れているのを感じる。向こう側の通路から、猟犬のような生き物が部屋に入ってきたがわかった。
猟犬というよりは警察犬と言うべきだろうか? 強く違和感を感じるのは、それがぬいぐるみで作ったような見た目ではなく実にリアルな大型犬の姿をしているからだ。
ドーベルマンというやつだろうか? 犬種に詳しくない僕でも知っているあの犬だ。大急ぎでここまで来たのか、口から長い舌を出し、激しい息遣いで僕を睨んでいる。正直、非常に恐ろしい。
しかし、度重なる死亡経験に鍛えられた僕の観察眼は、彼が先ほどのテンチョウと同じく僕の2倍の移動速度を持っているような挙動を見せたことを見逃していなかった。この情報がなければこれからの間合いの取り合いに失敗していたことだろう。
僕は努めて冷静にその犬との位置関係を調節し、“軸”を揃えて『眠りの杖』を振った。目論見どおりにドーベルマンの動きが止まる。狙い通りだ。
僕の狙い通りでなかったのは、彼の止まった場所がちょうど今の僕の目的地、階段の上だったことだけである。
とても困ったことになった。
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