第17話 気づき

 

 今回の挑戦で最初となるディディエとの殴り合いを制した僕は、足踏みによって体力を回復させた。やはり『アルミシールド』で彼と対峙するのはかなり厳しい。


 地下6階からはランツァという名前の槍を擬人化してぬいぐるみにしたような敵が出現し、そいつはディディエと遜色ない攻撃力で“行動”1回分の距離を残して攻撃してくるのだ。前情報のなかった僕は初見で串刺しに殺された。


 その後地下6階まで行けた場合もことごとく罠や敵の強さ、空腹とのせめぎ合いなど様々な理由で死んできたのだ。


 なんとか地下7階まで至ったことはあるけれど、僕はメダルを捧げる祭壇のようなものをまだ見たことがない。僕の名前が刻まれたメダルも袋の中に入れられっぱなしだ。


 由紀は“最後の敵”なるものと戦わなければならないと言っていた。そしてその後の情報提供で、その機会が一度しか与えられないことも今の僕は知っている。由紀は自分で作った『樹海』のセオリーを僕に教えることをひどく恐れている中、その情報はくれたのだ。


「だから武器や防具はもちろんのこと、色んな使える道具をなるべく集めて戦いに臨む必要があるの」


 そのとき由紀はそう言った。嫌がらせで知識を共有しないわけではないだろうから、ひょっとしたら僕に与えるべき情報と与えるべきでない情報を考え、与えるべきと判断したものをその都度提供してくれていたのかもしれない。


 一度だけ、何故そのようにするのか訊いてみたことがある。由紀は少し迷って答えてくれた。


「たぶんだけど、この『樹海』は門番のようなことをやってる人物を媒介のようにして作られているんじゃないかと思うの。つまり、あたしね。あんたもやってる『樹海』への挑戦はレシピ作りのようなもので、門番になったあとはそのレシピの通りに『樹海』が再構築されるってわけ。想像だけどね」


 由紀はそのように持論を述べた。自分が門番のようにして残されている意味と、これまでの自分の経験、そして前任者から与えられた情報を加味するとそのように考えるのが自然なのだと言う。


 由紀のさらに前任者がいるというのも驚きだったが、言われてみれば当たり前のような気もする。この『樹海』は由紀の世界だ。


「でもさ、それならなおさら知識の共有をした方が効率的に攻略できるんじゃないの?」


 僕が当然の疑問を口にすると、由紀はゆっくりと首を横に振った。


「違うの、逆よ。あたしを基に作られているからこそ、あたしとは違った攻略をしなければ勝てないの。あたしの理論は先入観となってあんたを縛ることになる。だから採用するしないに限らず、知らないことが一番なのよ」


 由紀はまっすぐに僕を見てそう言った。先入観をもたないことが大事ならば、確かに知らないことが一番だろう。


 それに、由紀が理論を教えるとなると、おそらく理由も同時に語る。そうして肉付けされた理論を無視して攻略を続けるというのは確かに難しいように思われた。


 地下6階への階段は発見したが、当然スルーして探索を続けた。まだ行っていない通路があるため、そこからほかの部屋に行けるかもしれないからだ。そしてそこには有用なアイテムがあるかもしれない。


 僕が右手に握る『日本刀』はかなり強力なな武器だけれども十分かどうかはわからない。左手の『アルミシールド』は明らかに強度が不足しており、より良い防具は不可欠だろう。ほかの消耗品の類もできれば欲しい。敵や罠と遭遇する危険はあるけれど、そこで探索を打ち切るというのは考えられないことだった。


○○○


「店だ」と僕は呟いた。


 階段のある部屋のすぐ隣、短い通路が隔てたところに商品が並べられテンチョウさんが僕を迎える店がある。撲殺された経験がそうさせるわけではないだろうが、ほかのぬいぐるみのような姿をしたモンスターたちと比べて明らかに人間らしいこの人には何故だかさん付けをしてしまう。


「いらっしゃい」


 僕が店内に入るとテンチョウさんはそう言った。


 経験上、店には何か1種類のアイテムを豊富に揃えた専門店とでも呼ぶべきパターンと、完全にランダムに思える品揃えをしたパターンとがある。今回は後者だ。いくつか武器や防具があるけれど、触れるまでそれが当たりかどうかはわからない。


 正直なところ、贅沢を言えるものなら盾の専門店がありがたかった。武器と比べて防具があまりに貧弱であり、せっかくの店なのだから確実に当たりアイテムのひとつでも手に入れて帰りたいところだからだ。


 店内に武器と防具はひとつずつ。僕は注意深くそれらに近寄り、“装備”とみなされない形で触れる。


 武器、そして防具と袋のようなものの中に入れていく。習慣的に細心の注意を払うのは“装備”とみなされないための振る舞いで、それが何なのかを確認するのは後で良い。


 そうして売り物ふたつを袋のようなものに安全に納めた僕は、大きくひとつ息を吐き、ゆっくり確認する作業に入った。


その瞬間、僕は驚愕と歓喜で思わずその場に飛び上がりそうになった。


 その店で手に入る武器と防具は、それぞれ『バールのようなもの』と『タングステンシールド』だったのだ!


「うおおお! キター!!」


 宝くじが当たった人間はこのような気持ちになるのだろうか? 僕の脳からはおそらく何らかの快楽物質が分泌されていることだろう。僕はその場にじたばたと足踏みして喜びを表現し、それは3ターンの“行動”とみなされた。


 『バールのようなもの』は僕の知る限りもっとも攻撃力の高い武器だ。そして『タングステンシールド』は“満腹度”の低下が加速される点は見過ごせないが、その防御力は非常に高い。今持つ『アルミシールド』との併用、たとえば敵に遭遇したら『タングステンシールド』に持ち替えたり、足踏みするときは『アルミシールド』に持ち替えたり、といったやり方は検討の価値があるだろう。


 加えてこの店には消耗品も売られており、『肉まん』の類が手に入るのだ。僕は『タッパー』という食料の保存手段も持っている。


 流れのようなものが来ているのかもしれない。それまでも死ぬつもりで挑んできたわけではないけれど、僕はこの挑戦の成功に至る道筋が照らされているような気がしていた。


○○○


 しかし、冷静になって考え直すと、僕にはお金が足りなかった。道中に拾ったお金は合計1600ヴァンツほどで、何も失わずには『バールのようなもの』も『タングステンシールド』も手に入らない。『バールのようなもの』を手に入れられるという前提であれば『日本刀』を売るのは問題とならないが、それだけでは『バールのようなもの』は手に入らない。


 『日本刀』あるいは『アルミシールド』のいずれかを売れば『タングステンシールド』は手に入る。しかし食料が比較的豊富であるとはいえ“重い”防具だけになるというのはいかがなものかと思われた。これはリスクが高すぎるというよりは餓死の体験がそれほど強烈なものだったからだろう。武器がなくなるのは論外である。


 両手の武器防具を手放せば『バールのようなもの』は手に入るが、防具なしというのは明らかにリスクが高い。『眠りの杖』をはじめとした消耗品をすべて手放せばなんとかなるかもしれないが、それはそれで考えものだ。


 杖や巻物のもつ特殊効果は代用が効かず、使いようによっては必死の事態を切り抜けられる、というパターンもいくつか僕は経験しているのだ。その多くが死んだ後に気づいているという事実は当然誰にも言うつもりはないけれど。


 たとえば僕の持つ『眠りの杖』はとにかくあと1回殴られたら死ぬという場面で敵と距離を取ることができるようになるし、通路の狭さを利用して部屋に蓋をするようにモンスターのひとりを眠らせてしまえば、遠距離攻撃の手段を持たない別の敵に一方的な攻撃を続けることができる。


 または、この店で売られている『入れ替えの杖』を使えば、対象との位置を入れ替えることができる。敵に囲まれてしまった状態からの緊急回避などに使え、これもできれば手に入れておきたい道具である。


 僕はしばらくそのまま頭を悩ませた。選択肢はいくつかあるが、いずれも一長一短であり、決め手となるものがない。この先どのような問題が生じてくるかがわからないためそれぞれの選択肢の長所と短所を評価しようがないのである。


 もっともわかりやすいのは攻撃力や防御力だ。確固たる数値で評価でき、その数字の上昇がそのまま高い評価に繋がっていく。しかしその数字のためにあらゆる消耗品を諦める気にはならないため、『アルミシールド』を売却して『タングステンシールド』と、食料品をはじめとしたいくつかの消耗品を買い足す、といったところが無難であるように思われた。


 しかし、本当にそれで良いのだろうか?


 目に見える数字を重要視すると言う割には僕が知る中で最強の武器をスルーし、地下6階や7階、ひいては“最後の敵”に対抗できるのだろうか?


 由紀は彼女の理論を学ぶのではなく自分なりの理論を構築しなければ勝利に結びつかないと言っていた。単純な攻撃力や守備力で、しかも最高のものを揃えられずに勝つことができるだろうか。


 僕は精一杯色々考えてみた。これまでの『樹海』での経験や由紀に言われたことを思い返す。


 先入観にとらわれてはならないと彼女は言っていた。はじめて『樹海』で会ったときにもそのようなことを言われた気がする。


 あのときは何て言われたんだったっけ。僕は“行動”とみなされない動作で自分の記憶を探っていった。何かそのとき言われた内容にヒントが隠されているような気がしていたのだ。


 やがて僕は思い出す。穏やかな風の吹くあたり一面の草原の中、由紀は僕にこう言った。


「『樹海』にはルールがあるけど何をしても結構だから、あとはあんたの好きにしなさい」


 僕は実感として『樹海』にルールがあることを知っている。そしてそれに従って行動しているつもりだ。しかし、ひょっとしたら僕に許された行動の自由度はもっと高いものなのかもしれない。


 そんな風に僕は思った。これまでもわかっているつもりではあったが十分実践できていなかったのではないだろうか。たとえば今のこの状況だ。ここには喉から手が出るほど欲しいアイテムが並んでいるが、正規の手段でそれらのすべてを得ることはできそうにない。


 しかし、正規の手段を踏まなければならないというルールは『樹海』にはないのだ。そもそも僕が考える“正規の手順”は僕が勝手に考えている、僕の中の常識・先入観が勝手に作り上げたものである。


 僕はこの気づきに興奮していた。口が笑顔の形に歪んでいくのが自分でもわかる。心臓の鼓動が力強いものになっていく。


 先入観にとらわれてはならない。店のものは盗むことが許される。この仮定を裏付ける根拠は僕の経験の中にある。


 幸か不幸か、以前店の中で呪われた装備を身につけてしまい、致し方なくテンチョウに攻撃を与えて返り討ちにあったことがある。これこそがその根拠であり、テンチョウを倒す、あるいは欺く手段があるなら、そうして良いに違いない。


 大きく息をひとつ吐く。努めて深い呼吸を心がけながら、僕が今持つアイテムと、この店で手に入れいずれ僕のものとなるアイテムの内容を確認していく。


 テンチョウはそんな僕の様子を変わらず爽やかに眺めつづけている。


 どのような返答がなされるのかを知っていながら、僕は彼に訊いてみた。


「この店のものって、僕が盗んだらどうなるの?」

「質問の意味がわからないね」


 テンチョウは爽やかにそう言った。

 

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