第14話 バールのようなもの
地下1階。
僕の両手は空いている。
ずいぶん久しぶりな気もするが、見慣れたいつもの部屋だった。教室大の空間にアイテムとモンスターが配置されている。丸っこく白いぬいぐるみのようなものはモッツァレラという名前で、どんなに空腹であっても食べることはできない。僕は自分の知識を確認し、それとの距離が“行動”2回分であることを把握し近寄った。
モッツァレラと隣接する。殴ろうが触ろうが噛みつこうが、あらゆる彼への接触が一様な攻撃と見なされることを僕は知っている。強く殴りつける気にもならなかったため、僕はモッツァレラをペチンと叩いた。
『ケイタの攻撃! モッツァレラに4ポイントのダメージ!』
『モッツァレラの攻撃! ケイタに2ポイントのダメージ!』
『ケイタの攻撃! モッツァレラに4ポイントのダメージ! モッツァレラをやっつけた!』
そんな感じだ。2ポイント分の痛みが体に残る。
確かに痛くはあるのだけれど、それが機能に影響しないというのが不思議な感覚だ。今回のモッツァレラの体当たりは僕の脚部に入っていて、脛のあたりが2ポイント分じわりと痛む。それでも、その痛みを無視して歩くと、力が入らなかったり、動かすことで痛みが増したりはしないのだ。
僕はこれまでにより強い痛みも経験している。たとえば足を強く痛めていた場合、なんとなくその足を引きずって歩くのだけれど、痛みにさえ耐えれば実は普段通りの歩き方ができるのだ。
どういう仕組みになっているのだろう?
考えても仕方がないことだが、部屋を回ってアイテムを回収し、モンスター達と対峙するのに慣れてきた僕は、ルーティンワークのようにそれらをこなしながら、そんなことを頭に浮かべるのだった。
やがて下り階段が発見される。僕は探索していない部屋がないことを確認し、その階段を下っていった。
地下2階。
僕の両手は空いている。
おそらくこの地下1・2階は導入部のようなものなのだろう。敵は弱く、何のアイテムも持たない素手であっても対応できる。地下3階からは単純に強い敵や遠距離攻撃をしてくる敵などバリエーションが増していき、僕の行方を阻むのだ。
モッツァレラやコットンをやっつけながら僕は探索を進めていった。もっとも欲しいアイテムは武器や防具だ。次いで食料、そして消耗品という序列である。そんな僕の前に武器のようなものが落ちていた。
幸運に心をときめかせながら拾うと、それは『バールのようなもの』だった。ニュースで見るような物々しいネーミングにセンスを疑う。装備する前に説明文を読むべきだろう。
『バールのようなもの。
凶器といったらこれでしょう。とっても強いよ!』
相変わらずふざけた文面である。願い事をする際この世界の作り主を信用できなかったと言っていた由紀の気持ちがよくわかる。しかし“強い”と明言され、ほかに悪い効能の根拠となる文言も見当たらなかったため、僕はこの『バールのようなもの』を装備してみることにした。
『ケイタはバールのようなもの-1を装備した!
なんと! バールのようなもの-1は呪われていた!』
「“なんと!”じゃねーよ!」
僕はこの世界を呪ってひとり叫んだ。
その叫びに反応する者はいない。僕の叫びは部屋に響き、僕はひとりぼっちだった。
大きくひとつ息を吐く。“呪われている”とは何だろうか。そして、これは説明文に明記すべき内容ではないのか。僕は何度も説明文を読み返し、この呪いが僕の過失による当然察すべきものでなかったことを確認した。
僕に落ち度はない筈だ。そう自分に言い聞かせて落ち着きを取り戻し、とりあえずこの装備を外しておこうと考えた。外せなかった。『バールのようなもの』は僕の右手に握られており、どうしても離すことができないのだ。
これが“呪い”なのかもしれない。呪われた装備は外せない。とてもあり得ることだと僕は思った。そして呪いの内容がこれだけなのだとしたら、実はそれほど困らないことだろう。なぜなら武器は必要で、名前はさておき『バールのようなもの』はとても攻撃力が高いからだ。
『日本刀』より強いというのは世界観的にどうなのだろうかと思ったが、そんなことに憤りを感じる余裕は僕には残っていなかった。
地下2階に出てくるレベルの敵は僕の右手に握られた『バールのようなもの』の前に次々と光の粒子に消えていった。やはり困ることは何もない。このてこの原理を利用する工具に軽く目をやり、僕は地下2階を後にした。
地下3階。
僕の右手にはバールのようなもの-1が握られている。
下りた先にナリジンがいた。グレープフルーツのようなデザインでこちらを向き、苦味で殴りつけようとしてくる憎いやつだ。僕は彼との距離を把握する。先制攻撃を与えられる形で近寄り、殴る。
バールにしか見えない工具の尖った部分が柑橘系の頭部にめり込んだ。これまで1撃で突破できることのなかったモンスターが速やかに光の粒子に分解される。痛めの反撃を覚悟していた僕はその光景に心が震えた。
遠くでファンファーレが鳴り、レベルの上昇を僕に告げる。呪われている筈の『バールのようなもの』を僕は見つめた。笑みが浮かんでいるのが自分でもわかる。今、事情を知らない者が僕の姿を目撃したら、猟奇殺人者のように見えるかもしれない。
僕はご機嫌で歩みを進め、地下3階の部屋を順に回った。
○○○
地下4階。
僕の右手にはバールのようなもの-1が握られている。
僕はお金を持っていた。アイテムとして落ちていたのだ。
巾着袋のようなものに金貨がざっくり入っている。それが『500ヴァンツ』であることが僕にはわかる。ヴァンツというのは通貨の単位のことだろう。一体どこで使うのだろう?
願い事をするときに使うというのは考えられる。内容に応じて金銭を支払わなければならないのかもしれない、と考えたが、由紀は制約なしでひとつ願いが叶うと言っていた。金銭が必要になるというのはどう考えても制約の内に入るだろう。
いくつもある“考えても仕方ないこと”がひとつ増えたというわけだ。手に入るお金が不利益をもたらす可能性はおそらく低いことだろう。僕は大きくひとつ息を吐き、探索を続けることにした。
○○○
それにしてもこの『バールのようなもの』は素晴らしく強い。わざわざ説明文に強いと書いているだけのことはある。呪われていて装備が任意に解除できないというのが唯一の欠点ではあるけれど、そのほかにはまったく不満がなかった。
“重い”という文言もないため“満腹度”の減少が速やかになるわけでもない。使用回数に制限があるわけでもなさそうだ。おかげ様で、僕がダメージを食らうのは、遠距離攻撃のできるニーニョに突然出くわしてしまったときや、1撃で撲殺できるという安心感からうっかり距離を誤って近づいてしまい、先制攻撃を食らったとき、またはダメージを食らう系の罠にかかったときくらいのものだ。つまりはそれを体験した。
見えないスイッチを踏んだ瞬間、木の矢が飛んできて僕の右肩に突き立ったのだ。5ポイントのダメージを僕は負い、引き抜いた木の矢は自然と消えていった。
忌々しいものだが、罠の存在する確率はそれほど高くない。僕は以前睡眠の罠にかかってその間に殺されたことがあるけれど、いったいどのくらいの低確率を引き当てればそのような事態に陥るというのだろうか? 謎は深まるばかりである。
何はともあれ、僕は地下4階の探索を無事終えた。『バールのようなもの』の高い攻撃力は戦闘の早期終結と、それに伴う被ダメージ量の減少を僕にもたらした。そして、受けるダメージが少なければ回復に費やす“行動”の量もまた少なくなるため、僕の“満腹度”には余裕があった。
順調と言っても良いのではないだろうか。
地下5階。
僕の右手にはバールのようなもの-1が握られている。
地下5階。僕の記憶が間違っていなければ、この階からグンと強い敵が出てきた筈だ。黒人男性をイメージして作られたようなドレッドヘアのぬいぐるみは僕よりさらに背が高かった。
これまでの経験内ではこのモンスターがもっとも強靭だった。何度も攻撃を繰り返し、その度反撃を食らいながらなんとか打ち倒してきたものだった。
しかし、今の僕には『バールのようなもの』がついている。僕はこの武器のもたらす攻撃力をどこか試してみたいような気持ちにさえなっていた。
検証の機会はすぐに訪れた。通路を通って次の部屋に入った途端、その部屋に彼がいることが僕にはわかった。間の距離は“行動”4回分。互いに2度ずつ歩み寄れば隣接できる。
『バールのようなもの』を握る手に力を込めながら、僕はその距離を近寄った。黒人男性を模したぬいぐるみと隣接する。僕は大きくひとつ息を吐く。
『ケイタの攻撃! ディディエに25ポイントのダメージ!』
『ディディエの攻撃! ケイタに13ポイントのダメージ!』
『ケイタの攻撃! ディディエに25ポイントのダメージ! ディディエをやっつけた!』
そんな感じだ。
反撃は食らったが、2度の攻撃で倒すことができた。以前は確か3回殴らなければならなかった筈で、今の僕は受ける反撃の回数が半分で済むということだ。
順調だ。あとは受けるダメージを削減したい。順調ではあるけれど、僕は防具を持っていなかった。
受けたダメージを足踏みで癒し、僕は地下5階の探索をはじめる。防具よ出てこい、重くないやつ希望、といった感じで祈りを捧げているのだけれど、まったく防具は手に入らなかった。武器はその点恵まれていて、『日本刀』や『20本の木の矢』がこれまでに入手できている。
ディディエの攻撃は食らいたくない。木の矢を打ち込んでから殴りかかれば反撃を食らわずやっつけられることがわかったため、僕はそうして長身のぬいぐるみをやり過ごし続けた。
○○○
防具よ出てこい。そう念じた僕の祈りが届いたのか、僕は夢のような光景の前に立っていた。
防具、防具、防具。詳細は触れるまでわからないが、小さな部屋にいくつもの防具が並んで広げられている空間だ。その部屋に入った瞬間、『樹海』の空気がハッキリと変わった。
通路の脇に人間が立っている。ぬいぐるみではなく、明らかに人間だ。痩せ型のスーツを着た青年で、「いらっしゃい」と爽やかな声をかけてきた。
いらっしゃい、という発言。この空間の雰囲気。そして僕は先ほどお金を拾っている。
そこは紛れもなくお店だった。
「ちょっと見てもいいですか?」
おそるおそる声をかけた僕に、彼は小さく頷いた。「どうぞごゆっくり」
もっとも近くの防具を手に取る。これは『チタンシールド』だ。説明文で確認したが、お腹の減りにくくなるとても優れた防具である。餓死経験のある僕にはとても魅力的に見える。
その隣にあるのは『ステンレスシールド』だ。ステンレスという名前とややくすんだ銀色の見た目から、盾というよりキッチン用品のように見える。『マカロニ』の厨房に置いてあっても違和感がないかもしれない。
『ステンレス鋼は酸化しづらくサビにくい。炎に強いよ!』
説明文は以上の通りだ。炎に強いとのことである。つまり、今後炎を武器にする敵が出てくるか、罠で火あぶりにされる危険性があるということだろうか。あまり想像したくないものである。
その空間にはほかにも様々な防具があった。しかし僕が持っているのは500ヴァンツだ。どれも僕には手が届かない。たとえば『チタンシールド』は6000ヴァンツもする。所持金の12倍だ。
しかし僕は閃いた。僕の所持品を買い取ってもらうこともできるのではないだろうか? そうでもなければ、手に入るお金の量と商品の値段に隔たりが大きすぎるからだ。
「ものを売ることってできるんですか?」僕は青年に訊いてみる。
「もちろん。空いたスペースに並べてごらんよ」
やっぱりだ。僕は自分の予想が正しかったことに喜んだ。とりあえず『日本刀』を床に置き、「これはいくらですか?」と訊いてみる。
「2200ヴァンツだね」
「なかなか良い値段ですね」
『バールのようなもの』を持つ僕に『日本刀』は必要ない。即売却を決意した。
「まいどあり」
青年はそう言いニッコリ笑った。僕も笑いたくなるような爽やかな笑顔だ。
ほかにも売れるものは売って、何か購入可能な良い感じの防具を手に入れるべきだろう。僕はそれぞれの値段をチェックし、吟味を重ねることにした。
やはり『チタンシールド』はとても高い。おそらくお腹が減りづらいという効果がそうさせるのだろう。次いで高いのが『ステンレスシールド』だ。この銀色に輝くキッチン用品は4950ヴァンツ。
「こんな平たいお鍋みたいなものがねえ。しかも中途半端な値段!」
なんでキリ良く5000ヴァンツじゃないのだろう。そんなことを考えながら『ステンレスシールド』を手にとって眺める。お鍋みたいな見てくれの防具に工具のような見た目の武器だ。とてもヘンテコな組み合わせである。
そうして盾として使用するための取っ手を握ったのがいけなかった。それは“装備”とみなされる。
『ケイタはステンレスシールド-1を装備した!
なんと! ステンレスシールド-1は呪われていた!』
「“なんと!”じゃねーよ!」
僕は再び叫び声をあげた。
反射的に青年の方に目を向ける。彼は特別な感想を抱いていないように、今までと変わらず爽やかな雰囲気を漂わせている。その変わらぬ眼差しが僕を馬鹿にしているように見えるのは、明らかなヘマをした自分に対する罪悪感や嫌悪感が原因だろうか?
唯一変わったことといえば、まるで僕を逃さないとでも言うように、青年がゆっくり移動し通路の前に立ちふさがったことだけだ。この店から出るための、ただひとつの道である。
大きくひとつ息を吐く。
「落ち着いて考えるんだ」
僕は自分にそう言い聞かせた。ちょっと予想外の事態に陥っただけで、何も死が迫っているわけではない筈だ。
ダメ元で試してはみたが、どう頑張っても呪われている装備を手から離すことはできなかった。
おそらく呪いは『バールのようなもの』特有のものではなく、どちらかというとこの‘“-1”というステータスによるのだろう。僕の両手にはどちらにも呪われた装備が握られている。
そろそろ現実を見つめ、問題点を考えていこう。まず呪われた装備は解除できないため、僕はこの『ステンレスシールド』を購入する必要があるだろう。次に僕の所持金は『日本刀』の売値と合わせて2700ヴァンツである。残り2250ヴァンツをどこかから捻出する必要がある。
どこから? 当然僕の所持品からだ。僕は店内の空いたスペースにひとつずつアイテムを並べていく。両手の装備と『大きな肉まん』を除くこれまで『樹海』で手に入れたすべてを惨めな気持ちで僕はそこに放棄した。
「おいくらですか?」
「2000ヴァンツだね」と青年は言った。
なんと無情な言葉だろうか。彼は餓死経験のある僕に対してなけなしの食料を置いていけと言っている。
奥歯を噛み締め、精一杯の力を目に込めその青年を睨みつける。この憤りが届いていないとでも言うのだろうか、彼はまつげの1本さえ揺らすことなく僕を眺めた。僕はこの睨み合いにすらならない現状を味わい、やがて僕が何かを諦めるための十分な時間が経過した。
袋のようなものから『大きな肉まん』を取り出し、僕はゆっくりと床に置く。青年の表情は変わらない。
「おいくらですか?」
そう訊く僕に、「2200ヴァンツだね」と彼は言った。
その瞬間、僕の中の何かが切れた。
体中の力を使って大きく叫び声を上げた僕に対して、やはり彼は何の変化も見せなかった。
「何とかなりませんかね」と一応訊いてみる。
「質問の意味がわからないね」と彼は答えた。
なるほどね、質問の意味がわからないときたものだ。
僕は店内にあるすべてのアイテムを拾い上げ、袋のようなものに入れていった。すべての入った袋は変わらず僕の腰に固定されている。
「いくらだい?」
「20050ヴァンツだね」と青年は言った。「お金が足りないね」
「そうだろうね。それは何とか20000ヴァンツにおまけしてはくれないの?」
「質問の意味がわからないね」
青年は爽やかな顔でそう言った。
僕は部屋の中でもっとも彼から距離がとれ、かつ“軸”の合っている位置まで歩いた。彼は何も言わずに僕を見る。
何のために“軸”を合わせたか? 当然攻撃するためだ。
僕はその青年に向かって木の矢を放った。
『ケイタの攻撃! テンチョウに12ポイントのダメージ!』
彼はテンチョウという名前らしい。テンチョウは変わらず爽やかな顔のまま、しかし大股で僕の方へ移動してきた。
想定内だ。僕は焦らず次の矢を構える。
『ケイタの攻撃! テンチョウに12ポイントのダメージ!』
彼は僕の方へ移動してくる。
『ケイタの攻撃! テンチョウに12ポイントのダメージ!』
彼は僕の方へ移動してくる。
『ケイタの攻撃! テンチョウに12ポイントのダメージ!』
彼は僕の方へ移動してくる。隣接した。
僕は大きくひとつ息を吐き、『バールのようなもの』を握る右手に力を込める。自分を奮い立たせるために、再度大きく何かを叫んだ。
『ケイタの攻撃! テンチョウに25ポイントのダメージ!』
『テンチョウの攻撃! ケイタに42ポイントのダメージ!』
その爽やかな雰囲気からは想像もできない豪腕ぶりで、テンチョウは僕を殴り抜けた。これまで1度の攻撃で与えられることのなかった規模のダメージに僕はしばらくのたうちまわる。あまりの衝撃にうまく呼吸ができないのだ。
いくら苦しんだところでこのダメージは癒されない。僕は鼻水と涙でぐずぐずになった顔を上げ、なんとか青年を睨みつける。
「お前、何なんだよ? 僕には意味がわからない」
「質問の意味がわからないね」
彼は爽やかにそう言った。一縷の望みにかけて右手を振ると、彼は当然反撃してくる。
僕は死んだ。
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