第5話 お先真っ暗

 

 地下3階。

 僕の両手は空いている。


 これまでと同じく僕は教室大の部屋に立っていた。しかし雰囲気が少々異なる。壁や床の色合いがこれまでの2階とはやや違って見えるのだ。おそらく空腹への恐れがそう見せるわけではないだろう。


 だからといって、何か対策が取れるわけではない。僕は大きくひとつ息を吐き、部屋の様子を把握した。


 武器のようなものが落ちている。喜ばしいことである。それと引き換えということだろうか、見たことのない動くぬいぐるみが1体配置されていた。


 幸い時間はたっぷりある。僕はこのおそらく敵対するであろう物体を観察してみることにした。頭部が大きく、つるつるとした柑橘類のような見てくれだ。ミカンやオレンジというよりはグレープフルーツに近いだろうか。


 コットンのように武器のようなものは持っておらず、どのような攻撃方法を取ってくるのか想像がつかない。それを見ることがなければ何よりだが、と、期待できそうにない希望を胸に、アイテムと敵との位置関係を考えた。


 武器のようなものが近い。仮に拾って装備するのが“行動”にカウントされるとしても、おそらく用意して対峙できるだろう。


 装備する手間が“行動”に含まれるのではないかと考えられたのは僕の褒められるべき点で、この今空いている距離を矢を放つのに利用し、強さのわからない敵を遠距離攻撃でやっつける可能性を天秤にかけなかったのは僕の批判されるべき点だ。まったくそんなことには思い至らず、僕は武器のようなものにまっすぐ向かっていった。


『ケイタは日本刀を装備した!』


 そんな感じだ。


 僕の右手にはぬらりと光る、刀身の美しい日本刀が握られていた。幾層も重ねて鍛え抜かれたのであろう鋼が波のような刃紋を形成している。本物を見るのははじめてで、その吸い込まれるような美しさにはいつまでも見ていられそうな魅力があった。この日本刀が本物であるという保証はないが。


 何はともあれ僕は武器を持った状態で新たな敵と対峙していた。柑橘系のぬいぐるみは予想通りの動きで僕に隣接しており、武器のようなものを拾って装備することが“行動”に含まれるというのも僕の予想通りだった。


 僕は右手を高く上げ、目標に向かって振り下ろす。


『ケイタの攻撃! ナリジンに14ポイントのダメージ!』

『ナリジンの攻撃! ケイタに6ポイントのダメージ!』


 そんな感じだ。


「痛い!?」


 僕はこれまでに受けた最大級のダメージに悶絶した。


 こいつの名前はナリジンというらしい。意味のわからないネーミングだ。


 それよりも理解不能なのはその攻撃方法で、ナリジンはその柑橘系の頭部を絞るようにして出た液体で僕をぶん殴ってきた。痛い。そして苦い。やはりこいつはミカンやオレンジではなくグレープフルーツに近そうだ。


 そして若干の空腹を感じているところに苦味で攻められるというのはたいへんな苦痛だった。しかもしっかり痛みもあるのだ。嫌がらせとしか思えないデザインである。


 ぬいぐるみのような造形をしているので可愛らしさはあるけれど、こいつは駆逐されて然るべきだろう。僕は日本刀を握る右手に力を込める。


『ケイタの攻撃! ナリジンに14ポイントのダメージ! ナリジンをやっつけた!』


 遠くでファンファーレが鳴りレベルの上昇を僕に知らせる。しかしレベルが上がって“体力”の上限値が増えたからといって痛み自体が癒えるわけではないのだ。もちろん受けたダメージの、最大値に対する割合が減ることによっていくらか楽になった気はするが、気のせいと言われたら納得する程度の変化である。


 それより僕が恐ろしく思ったのは、“体力”を回復するために足踏みスイッチを押さない方が良いかもしれないということだ。


 なぜなら僕の“満腹度”は減っていく一方で、ろくな食料を持っていないからである。足踏みに“行動”を費やしお腹を減らしても良いものだろうか?


 “満腹度”が0%になったとして、いったい僕はどうなるのだろう?


 それを知る機会には是非恵まれたくないものだと思った。


 “満腹感”に不安を覚えてからは、それまでのような綿密な調査は行わなくなった。部屋に入ればそこに何が落ちており、何者がいるかはわかるのだ。何もない部屋に長居することはせず、敵とは機械的に殴り殴られ、僕は手早くこの階の探索を終了した。


 その結果得たのは、この階からモッツァレラ、コットンに加えてナリジンというやや強めの敵が出現するという知識と、いくつかの腹の足しにはならなそうなアイテムだった。幸いまだ本格的な空腹は訪れていないがおそらく時間の問題だろう。


 僕は今、さらなる下層に繋がる階段の上で、どうしたものかと考えていた。懸念点は先ほどモンスターと戦って受けたダメージが完全に癒えていないことだ。おそらくこれを回復する手段はふたつあって、ひとつは足踏みスイッチを押して“行動”を消費し、“満腹度”と引き換えにする方法、もうひとつは『エヌセイド』を使用する方法だ。足踏みスイッチは好きなだけ押せるが『エヌセイド』は一度使えばおそらくなくなることだろう。


 悩む時間はたくさんあるので、僕はしばらく考え込んだ。答えは誰にも与えられない。それなら最悪の事態を思い浮かべ、それを回避することを優先しよう。


 この場合の最悪は何だろうと考えると、おそらくこのままダメージを負った体で階段を下り、その先で何か強いモンスターと戦うことではないかと僕には思えた。その事態を回避するためこのまま階段を下りるという選択肢は却下される。


 次に悪いのは何だろう。足踏みスイッチを使って“満腹度”を“体力”に変換し、下の階で本格的に食糧危機に陥ることだろうか。どちらかというと再取得できるかもしれない『エヌセイド』を使うことはリスクの低いことのように思われた。


 そもそも僕は、武器屋防具の装備と木の矢の使用以外にこの世界でアイテムを使った経験がないのだ。いざというときに備え、それぞれのアイテムをどのように使用すればどういった結果が訪れるのか、把握しておく必要がある。


 心を決めた。僕は袋のようなものから『エヌセイド』を取り出し使用する。


『ケイタはエヌセイドを飲んだ! 体力が6ポイント回復した!』


 僕の“体力”はきっちり上限まで回復した。このアイテムの最大効果が何ポイントなのかはわからないが、とりあえずは良いだろう。さらに飲んで使ったせいだろうか、“満腹度”が5%ほど回復している。


 草のようなアイテムは腹の足しにもなるらしい。一律5%なのかはわからないが、これはありがたいことである。


「行くか」


 それまで体を蝕んでいた6ポイント分の苦痛から解放された僕は下り階段をゆっくり下りていった。


 地下4階。

 僕の右手には日本刀が握られている。


 何らかのリスクを想定して回避するような行動をとり、それが不発となった場合、どのように思うだろうか? おそらく大部分においては安堵感を得られながらも、心のどこかでは少し寂しさのようなものを感じるものだろう。


「せっかく用意をしたのに!」といった具合だ。何とも我儘な話であるが、できることなら僕はその寂しさを感じていたいものだった。


 思った通りに教室大の部屋に立っている僕のすぐ隣には、見たことのない、おそらくモンスターであろうものが配置されていた。


 やはりぬいぐるみのような造形だが、これまで見てきたモンスターたちよりだいぶ人間に近い身なりをしていた。サイズ的にも外見的にも子どもっぽいという形容がふさわしい。その小さな手には弓のようなものを持っていて、背中には矢筒のようなものを背負っている。


 これがただの見た目でないとすれば、この弓矢で攻撃してくるのだろう。遠距離攻撃をしてくる敵というわけだ。


「なるほどね」と僕は思った。


 当然そんなやつもいるだろう。むしろ遠距離攻撃を狙ってくるやつなのだとしたら、隣接した状態で巡り合えたこの状況は悪いものではないのかもしれない。僕は気を取り直してその子と対峙し、より人間らしい外見をしたものに武器を振り下ろすのは躊躇するため、日本刀の腹の面でぺちんと叩いた。


『ケイタの攻撃! ニーニョに18ポイントのダメージ! ニーニョをやっつけた!』


 経験上知ってはいたが、やはりどのような干渉であっても触れれば攻撃と見なされるようで、思い切り殴ったとしても切りつけたとしても、もしくはやさしく撫でたとしても、同一のダメージを相手に与えるようである。ニーニョと呼ばれた子どもっぽいぬいぐるみは光の粒子となって消えていった。


 探索を開始しなければならない。僕は部屋にアイテムが落ちていないことを確認し、通路に向かって足を進めた。


 階を経るごとに新しいモンスターが出現するようになっている。地下1階から慣れ親しんでいるモッツァレラやコットンは次第に顔を見せる頻度を減らしていて、だから久し振りにモッツァレラの丸々とした姿を目にした僕は、なんだか懐かしさや親しみのようなものを感じていた。


 加えてお腹が空いている。


「こいつ、食えないのかな?」


 だから僕がそう考えたのはきわめて自然なことだろう。僕は隣接の位置に移動し、この動くぬいぐるみのようなものを改めて観察した。


 モッツァレラは白く丸々とした風貌で、わずかに歪んだ球体をしている。角度によって見え隠れする背中のあたりにはヘソのような突起が薄く存在しており、木の実か何かを埋め込んだかのようなつぶらな瞳をこちらに向け、ぽよんぽよんと跳ねている。雪遊びで作るウサギをチーズで置き換えたような見てくれだ。


 心を決めた僕は、跳ねるモッツァレラを両手で抱きしめ、その白い胴体に思い切り歯を立てた。


 身を食いちぎって咀嚼する。その弾力のある歯ごたえに飢えた顎が喜んでいる。唾液が分泌される快感。味は淡白だが、食物を摂取していること自体が大きな喜びとなっていた。


 しかし、そんな幸福の時間は長く続きはしなかった。


『ケイタの攻撃! モッツァレラに18ポイントのダメージ! モッツァレラをやっつけた!』


 そんな感じだ。


 僕のモッツァレラへの干渉は攻撃と受け取られ、許容量を超える攻撃を受けたモッツァレラは光の粒子となって消えていく。僕の“満腹度”に変化はなく、先ほどまで確かに口の中に味わっていた乳製品の淡い名残も綺麗サッパリなくなっている。


 僕には空腹感のみが残された。


 大きくひとつ息を吐く。そして状況を把握した。僕に残された”満腹度”は20%ほどで、これはなかなかの空腹感だ。食べられ得ると思われる所持品は『べちょべちょ肉まん』、『ハバネロ草』、そして『失明草』といったところだ。正直なところ、この空腹感なら水分にふやけた肉まんでも美味しく食べることができるかもしれない。


『見るも無残なべちょべちょ肉まん。不快感に耐えれば一応なんとか食べられます』


 これがこのアイテムに与えられた説明文だ。相変わらずふざけた文言で、しかし不穏なものを感じずにはいられない。タングステンシールドは『重い』という文言から“満腹度”の減少が加速されるという効果を推し量らなければならなかった。この場合の『不快感』はいったい何を表すのだろう?


 考えたところで答えは得られない。思考に時間をかけてもお腹がさらに減ることがないというのがほぼ唯一の救いだった。


 探索を続けなければならない。


 僕はじわじわと減っていく“満腹感”を自覚しながら、一歩、また一歩と足を進める。水を求めて砂漠をさまよう旅人はこんな気分なのだろうか。現実感のないたとえを頭に浮かべて気を紛らわせながら、僕はこの地下4階を歩いて回る。手に入ったのは『チタンシールド』、『タッパー(2)』、『ナマクラソード』と『鑑別の巻物』だ。どれも食べられそうにない。


 僕は下り階段のすぐそばで、背中にくっつきかけているお腹をなだめながら悩んでいた。本格的にお腹が空いてきていて、何でもいいから食べたいような気持ちなのだ。


 この空腹がさらに悪化し継続したとして、僕の生死に関わるだろうか?


 死にはしないと考えたい気持ちはあったが、ここで希望的観測にすがるというのは、それこそ死を意味することだろう。僕は前回死亡時の記憶を辿る。詳細に覚えてはいないけれど、2度と経験したくない苦痛と恐怖であったことは確かである。


 猛烈に手汗をかいている。誰も僕に助言はくれず、しかし永遠のような時間を用意されている。考える時間があるというのは必ずしも嬉しいことではない。僕はこの答えのない思考をいつまでも続けることができてしまうのだ。


 空腹は不快感となって僕の心身に付きまとう。僕は袋のようなものから『べちょべちょ肉まん』を取り出した。


 眺める。設定を間違えた蒸し器に放置してしまったような、水分で皮がただれたようになっている肉まんだ。少し変な臭いもする。しかしその一方で食べ物であるということは疑いようがなく、その気配を感じた僕の五感はすっかり食べる準備を整えていた。


 ほのかな異臭に耐えながら、僕は一息にその肉まんを食べた。


 ずるずるの流動体になりつつある皮の部分が、単純な不快感とカロリーを感じる強烈な快感の両方を同時にもたらす。肉汁を含んだ餡の部分の美味いことと言ったら、舌がはちきれるのではないかと思ったほどだ。


 しかし、その旨みの中には確かな酸味と確固たる違和感が含まれている。僕の体の健康な部分がその摂取を拒否しようと嘔気を誘引しようとしてくるが、僕の体の飢えた部分が吐き出すことを許さない。咀嚼し、嚥下した瞬間、10ポイント分の激痛が体を貫き視界が暗黒に閉ざされた。


『ケイタに10ポイントのダメージ! ケイタの目が見えなくなった!』


 そんな感じだ。


「うわああ!!」


 突然の状況に、僕は思わず叫び声を上げた。

 

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