第4話 空腹感
草原。
僕の両手は空いている。
前回と同じ見渡す限りの草原の中、僕はひとり立っていた。
ひとりではなかった。いつの間にか僕の前には女の子が立っていて、その手には袋のようなものが握られていた。
「こんにちは」と彼女は言った。
「こんにちは」と僕は答える。
ふわふわとした金髪が穏やかな風に揺られている。赤いワンピースから出た手足は白く、紫外線の影響を感じさせない。陽の光が輪郭を縁取りわずかにつるりと反射している。僕が黙って眺めていると、彼女はその手を僕の方にまっすぐ伸ばした。
「どうぞ。あんたは確かはじめてじゃないわね?」
「そうだね」
「よく帰ってくる気になったわね」
「自分でも不思議なんだけど、ひょっとしたら君に会いたかったのかもしれない」
「なにそれ」少し笑って彼女は言った。「ナンパしてんの?」
「命がけでね。よかったら名前を訊いてもいい? “君”ってほら、呼びづらいからさ」
「あたしを名前で呼ぶ必要はないと思うけれど、知りたいなら教えてあげる。あたしの名前は白河由紀よ」
「僕は黒原啓太だ」
「くろはらけいた?」
「そうだよ。何か変?」
「別に」と白河さんは言った。「用が済んだならこれ持って」
僕は白河さんから袋のようなものを受け取った。中には『大きな肉まん』と足踏みスイッチ、そしてメダルが入っていることがわかる。
「いってらっしゃい」と彼女は言った。
そして気づくと姿を消していた。白河さんが立っていたあたりに下り階段が出現している。
もう少し彼女と話し、あわよくばこの世界の情報を得たいと思っていたが、そんな話題を出す間もなく白河さんはいなくなってしまった。いくら周囲を見渡したところで草原が広がっているだけだ。
青い空を見上げ、大きくひとつ息を吐く。わかっていたが、どうやら行くしかなさそうだ。
僕はその階段を下りた。
○○○
地下1階。
僕の両手は空いている。
予想通り、僕は教室ほどの広さの部屋にいた。周囲にアイテムは落ちておらず、モンスターの姿も見当たらない。手に持っていた筈の袋のようなものは腰にカラビナで固定されている。“体力”も“ちから”も前回と同じだ。レベルも1に戻っている。
何もかもがやり直しというわけだ。僕に与えられたのは前回の経験による知識だけ。まさに経験値といったところだろうか。この世界がどうなっているのかは知らないが、ゲームのようなものだとすると、何かクリア条件のようなものがある筈だ。ノウハウのようなものを構築する必要もあるかもしれない。
しかし、おそらく僕は2度とこんなところには来ないだろう。白河さんと会えるのは魅力的なことかもしれないが、あんな短い面談時間のためにその後の苦痛を許容する気にはならない。もちろん僕は死にたくないので、今回も精一杯の努力はするつもりではあるが。
僕は部屋から通路に進み、道なりに歩いて次の部屋に行き当たった。モッツァレラとコットンが1体ずつその場を離れず動いている。草のようなアイテムも落ちていることが僕にはわかった。
モッツァレラの方が僕から近く、“行動”2回分の距離にいた。つまりお互いが歩み寄ればすぐに隣接できる距離だ。ふたりの間に罠のようなものがなければの話だが。
少し考え、僕は足踏みスイッチを2度押した。移動していないため罠を踏む可能性はない。そしてモッツァレラの方から近寄ってくれるため、先制攻撃を加えられる。
『ケイタの攻撃! モッツァレラに4ポイントのダメージ!』
『モッツァレラの攻撃! ケイタに2ポイントのダメージ!』
『ケイタの攻撃! モッツァレラに4ポイントのダメージ! モッツァレラをやっつけた!』
そんな感じだ。
2ポイント分の痛みが生じている。僕はそれを抱えながら、隣接の距離に近づいてきているコットンと対峙した。棍棒のようなものを担いでいる、ぬいぐるみのような見てくれだ。名前からすると綿棒なのかもしれないが、そこから受けるダメージはモッツァレラの体当たりよりも少し多い。
『ケイタの攻撃! コットンに4ポイントのダメージ!』
『コットンの攻撃! ケイタに3ポイントのダメージ!』
『ケイタの攻撃! コットンに4ポイントのダメージ! コットンをやっつけた!』
遠くでファンファーレが鳴り、僕のレベルの上昇を告げる。僕は合計5ポイント分の痛みを抱え、足踏みスイッチをしばらく押した。じわじわと痛みが癒えていく。どうやら“行動”数回ごとに1ポイントの体力が回復するらしい。部屋を歩いている間に回復する分もあるだろうから、4ポイント回復したところでアイテムの回収に取り掛かることにした。
ひとつ新たな情報が得られた。確認が取れたと言った方が正しいかもしれない。先ほどのコットンは落ちている草のようなものを通り過ぎてやってきたため、ここに落ちているアイテムたちは僕にしか拾えないデザインになっていることがわかったのだ。ありがたい話である。
『ケイタは失明草を拾った!』
どうやらこの草は失明草というらしい。どう考えても飲みたくないネーミングである。一応説明文を読んでみたが、その印象は覆らなかった。
ひょっとしたらこのアイテムは自分で使うだけではなく、武器としても使うことができるのかもしれない。たとえば武器に擦りつけて殴ればブラインドアタック! といった感じの攻撃ができそうな気がする。あるいはこの草自体を敵に投げつけてしまえばどうだろう。飲んだ場合と同様の効果を与えられたりはしないだろうか。
そのうち機会を用意して試してみても良いかもしれない。ほかにアイテムが落ちていないことを部屋を見渡し確認すると、僕は新しい通路を渡って別の部屋に向かうことにした。
次の部屋には下り階段が設置されていた。
僕にはふたつの選択肢がある。すなわち、この階段を下りてさらに下の階に進むか、正面に見える通路を渡ってほかの部屋を探索するかだ。ひょっとしたらほかの部屋には上り階段も存在していて、白河さんのいる草原に戻ることもできるかもしれない。
改めて考えるとあり得なさそうな気もしたが、確かめる価値はあるだろう。何かアイテムが見つかることもあるかもしれない。
僕は下り階段を回避し、未踏の通路へと進んでいった。
○○○
どうやらこの地下1階は6個の部屋で構成されているらしい。
それぞれ教室ほどの広さの部屋が細い通路で繋がっていて、一部の通路は交差しT字路や十字路となっている。上り階段はない。下り方向の一方通行だ。
この状況を把握するために僕は何体かのモッツァレラをやっつけ、何体かのコットンをやっつけた。そしてレベルは3に上がり、“体力”の最大値は24に増え、『ハバネロ草』と『タッパー(3)』を手に入れていた。
『ハバネロ草』。説明文によると『火を吹く辛さ! 敵に投げつけても効果あり!』とのことだ。やはり草は投げても使えるらしい。
そしてこのタッパーは中に3つのアイテムを入れ保存できることがわかる。ひょっとしたら、僕の腰に固定されている袋のようなものは、入れられるものの個数に上限があるのかもしれない。いずれにせよ、今の僕には必要なかった。そのまま袋のようなものに入れておくことにする。
行くか? 行くしかないだろう。僕は小さく心を決め、下り階段を進んでいった。
地下2階。
僕の両手は空いている。
下りた先はやはり教室大の部屋だった。幸先の良いことに、防具のようなものが落ちていることがわかる。近くにモンスターの姿もなく、僕はすぐにその防具のようなものに辿りつけた。
拾い上げて装備する。
『ケイタはタングステンシールドを装備した!』
そんな感じだ。
タングステンの盾ということだろうか。聞いたことのない名称だ。説明文を読むと、どうやら材質名であることがわかった。金属の種類のひとつなのだろう。
『タングステンは重くて硬い! 加工するのがとっても大変!』
相変わらず説明文はふざけた内容だ。重いと書かれているが、僕の左手は特に重さを感じていない。設定上のことなのかもしれない。もちろん重いものを持ち歩くのは歓迎しないので、ありがたいことだった。
地下2階は地下1階との差をあまり感じない造りだった。さらに『エヌセイド』と『10本の木の矢』を拾い、何体かのモンスターをやっつけた。レベルも4にひとつ上がった。
順調なのだろうか? タングステンシールドのおかげか、モッツァレラやコットンに殴られたところでほとんどダメージを食らわないようになっている。硬いというのも本当なのだろう。その硬さは僕に感じられるものではないが。
10本もあることだし、木の矢をどう使うのか試してみることにした。これを手にしてぬいぐるみを殴っても良いかもしれないが、矢という以上はおそらく放って使うのだろう。遠距離攻撃というやつだ。
都合よく向こうからモッツァレラがやってきたので、僕は矢を投げつけてみることにした。
適当に狙いを定めて届きそうな力を込めて投げてみる。僕の放った矢は予想を大きく逸脱した速さで意図を大きく外れたコースを飛んでいき、やがて壁にぶつかり落ちた。
一体どういうことだろう?
モッツァレラは“行動”1回分の距離を近づいている。それで僕に閃きが訪れた。おそらくこの“行動”ごとの距離でこの世界は構成されており、微調整が効かないようにできているのだ。マス目のようなイメージだろうか? それに地理的な条件が支配されている気がする。
思い返せばそのような予兆はこれまでにも確かにあった。僕が軽く1歩進もうとしていてもそんなことはできないし、モンスターも等しくこの距離を基準に行動している。彼らと隣接したときの位置関係も、いずれかの部屋の壁と平行なものになっていた気がする。
ルールを把握することは大切だ。僕はこの世界で距離も方角も自由にはならない。対照的に時間は十分与えられており、おそらく僕が何か“行動”を起こさないことには彼らはずっとその場に待機するのだろう。
僕はモッツァレラとの位置関係をきちんと把握し、行動軸のようなものが十分合わさるように移動し、調整を行った。
僕の考えが正しければ、この矢はあいつに届く筈だ。僕は木の矢のうち1本を握り、モッツァレラに向かって軽く放った。
『モッツァレラに12ポイントのダメージ! モッツァレラをやっつけた!』
考えた通りである。矢は僕とモッツァレラのいた直線上をまっすぐ飛び、丸々としたぬいぐるみ状のモンスターに突き立った。やっつけられたモッツァレラは光の粒子となって消え、木の矢もそこには残されていない。
先ほど放った、壁まで飛んでいって落ちた木の矢はその場に残っているようだった。試しに近寄り手に取ると、なるほど『1本の木の矢』が手に入る。それをそのまま袋に入れると『9本の木の矢』に統合された。
なかなか面白い現象だ。僕は木の矢を壁に向かって放ち、落ちた『1本の木の矢』を今度は直接袋に入れずに『タッパー(3)』に入れてみた。すると、袋の中に『8本の木の矢』、『タッパー(2)』の中に『1本の木の矢』と分割して存在する状態になった。このタッパーの後ろの数字は残り容量を表していることがついでにわかった。
だから何だという話だが、今後何かで使える知識となるかもしれない。仮にそうはならないとしても何だかヘンテコな現象で、このわけのわからない世界で自分の仮説の通りに事が運ぶというのは不思議な快感を僕に与える。
そこで調子に乗ったのがいけなかった。
タッパーの中の木の矢は自由に出し入れ可能だったため、僕は試しにすべての枠を『1本の木の矢』で満たしてみようと思ったのだ。
それには複数の『1本の矢』を地面にばらまく必要があったため、僕は壁に向かって連続して矢を放った。どうやらひとつのマス目にはひとつのアイテムしか存在できないようにできているらしく、既に『1本の矢』が落ちている床を避けるように、少し離れて次の『1本の矢』が落ちた。僕の右隣のマス目である。
そこに矢が落ちた瞬間、何かのスイッチが押されたような音がした。
「なんだ!?」
何らかの装置が起動をはじめた。何かがこれから起こるというのに身動きがまったく取れない恐怖がわかるだろうか。
天井か。異変を予感して見上げると、幸か不幸か予想通りに異変が起きた。僕の見上げた天井の一部が開き、そこから大量の水が流れ落ちてきたのだ!
まさにバケツをひっくり返したような状況だった。おそらくそのスイッチが存在した場所を中心に、隣接する1マスを巻き込む形で大量の水がすべてを飲み込む。
反射的に息を止めていたため溺れたりはしなかった。上から下への流れなので鼻からの浸水に苦しみもしない。すぐに水は引き、蒸発したように水の影響を感じない。一体何の罠だったのか、そもそも罠と言えるのかと疑問に思っていると、袋のようなものの中に起きた変化に僕は気づいた。
白河さんからもらって袋のようなものに入れていた『大きな肉まん』が、『べちょべちょ肉まん』に変わっている!
説明文を読んでみてもそれは悲惨な状態であるらしい。『一応なんとか食べられます』という記載が嫌な未来しか連想させない。
そこでなるほどと思い至った。タッパーはおそらくこのような事態を回避するためのアイテムなのだろう。濡れてしおしおになった肉まんを眺め、僕はとても悲しい気持ちになった。
そして食料に危機が訪れたと思ったせいか、僕は小腹が空いているのに気がついた。確かに“満腹度”が40%まで減っている。40%。なるほど。
40パーセント!?
僕はその少なさに驚愕した。半分以下になっている。
確かに何度か“行動”するたびにこの数値は減少していく様子で、それは前回も今回も同じなのだが、いくらなんでもそこまで多くの“行動”をしたつもりはなかった。確かにフロアのすべてをくまなく歩き回ったり、必須ではない行動を何かととったり検証してみたりとしていたが、僕がなんとなくで把握している“満腹度”の減少速度を大きく逸脱している。
何が原因なのだろう? 幸いというべきか、考える時間は大量にあったため、僕は様々な思考を頭に浮かべた。
そして思い至った。タングステンシールドだ。この防具の説明文には“重い”といった表記があり、しかし僕にその重さは感じられなかった。この不必要に思われる文言と多大な防御力に関連性があるとすれば、それが装備中満腹度の減少速度が増大するといった効果であっても不思議でないだろう。
試しにタングステンシールドを装備したまま“足踏みスイッチ”を何度も押してみた。1ポイント減った直後から数えて5回押すことで“満腹度”が1ポイント減ることがわかる。続いてタングステンシールドを外し、袋のようなものに入れた状態で同様の検証を行う。10回の“行動”で1ポイントの空腹を得られることがわかった。
何ということだろう。僕の仮説は立証されたが、それに3ポイントほどの“満足度”を費やすことになってしまった。僕の所持品にある食べ物は『べちょべちょ肉まん』がひとつだけ。少なくともこの地下2階にはほかにアイテムは落ちていない。
僕はタングステンシールドを袋のようなものに入れたまま、下り階段を進んでいくよりほかになかった。
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