第2話 僕は死んだ

 

 地下1階。

 僕の両手は空いている。


 僕は学校の教室ほどの広さの空間に立っていた。下ってきた筈の階段はどこにもない。先ほどもらった袋はカラビナで腰に固定されていて、そこに元々あった筈のバッグは行方不明だ。


 袋の中に何かが入っている。それが『大きな肉まん』であることが僕にはわかった。


 取り出してみると、肉まんはホカホカと湯気を立てていた。持っていられないほどの熱さではない。裸の状態で袋から取り出されたにも関わらず、表面にはゴミが付着していなかった。


 綺麗なものだ。旨そうである。しかし今はお腹が空いていない。“満腹度”で表現すると100%といったところだ。


 100%の満腹度。あまりに自然と把握できるので、周囲の様子を目で見てわかることを不思議に思わないように、僕はそれを疑問に思わなかった。僕の“体力”は15ポイント分で、“ちから”は8ポイント分だ。それぞれが何を意味するのか知らないが、強烈な実感としてそれらがわかる。片付けようと思った肉まんはごく自然に袋に入っていった。


 四方を壁で囲まれた空間で、僕はひとり立っていた。いや、ひとりではない。少し離れたところに何かがいる。


 “行動”2回分の距離であることが僕にはわかる。


 遠目で見ると、それはいかにも可愛らしい見た目をしていた。膝くらいまでの高さをした大きなぬいぐるみが動いているようなものである。ぽよんぽよんとそれは跳ね、一定のリズムを保っている。


 しばらくそのまま見ていたが、何も変化しなかった。動くぬいぐるみの動きは一定で、眠気さえ誘引されそうなものである。


 どうやら僕が動かない限り何も変わらないらしい。女の子は「ルールがある」と言っていた。「やってりゃわかる」とも。


 おそらくこれはそのルールのひとつなのだろう。動いてみることにした。


 可愛いとはいえ得体の知れないものに接近するのは怖かったので、とりあえず向かって右にスライドしてみた。少し動いただけのつもりだったが、僕は“行動”1回分の距離を移動するまで止まれない。


 ぬいぐるみは僕の方へまっすぐ近づいてきた。“行動”1回分の距離に近寄っていることがわかる。明らかに僕へ向かってきている。


「わっ! うわっ!」


 威嚇するためとにかく声を上げてみたが、何も変化はしなかった。僕の中に恥ずかしさだけが残る。思い切って大きな声を出せなかったことも羞恥心の一部をくすぐる。一体どうしろというのだろう。


 しばらく迷っていたが、どう考えてもどうしようもなかったため、次に僕は元いた位置に戻ってみることにした。先ほど動いた分をちょうど戻り、弾むぬいぐるみはぐぐっと僕に隣接してきた。


 手を伸ばせば届く距離だ。まさかという感じだが、撫でて欲しいとでもいうのだろうか? 少しかがんで目線を合わせるような高さになってみたが、状況は何も変わらなかった。


 おそるおそる手を伸ばし、触れてみることにした。僕の手が触れると同時に、電流が流れたような反応をぬいぐるみは見せた。思わぬ苦悶のリアクションに僕は反射的に謝る。


「ごめん!」


 そんなつもりじゃなかったんだ、と言い終わらぬうちに、それは僕の鼻っ柱に体当たりをした。


『ケイタの攻撃! モッツァレラに4ポイントのダメージ!』

『モッツァレラの攻撃! ケイタに2ポイントのダメージ!』


 そんな感じだ。


 どうやらこいつの名前はモッツァレラというらしい。そういえば丸っこいチーズをぬいぐるみにデザインしたような見てくれだ。


 鼻を強打した僕の顔面は涙と鼻水で濡れている。痛い。かなり痛い。これは2ポイント相当の痛さであるらしい。


 理不尽な痛みは改めて僕に疑問を持たせる。ここはどこで、僕は一体どういう理屈でこのような状況に置かれているのだろう?


 どうせ考えたところでわからない。僕は思考を放棄した。それより大事なのは、この2ポイント分の痛みが一向に引く気がしないのと、相変わらずの可愛さでぬいぐるみのようなものが僕の隣で跳ねていることだ。


 この今直面している問題を、今すぐ解決しなければならない。


 しかし僕は問題を先延ばしにすることを試みた。つまり、このモッツァレラなるものから離れたのだ。


 “行動”1回分の距離を僕は移動し、モッツァレラも同じだけ移動した。相変わらず僕の隣でぽよんぽよんと跳ねている。


 どうやら逃げられないらしい。


 このまま移動を続けたところで壁に突き当たるだけだ。僕は腹をくくってモッツァレラと対峙する。


『ケイタの攻撃! モッツァレラに4ポイントのダメージ! モッツァレラをやっつけた!』


 そんな感じだ。


 やっつけられたモッツァレラは光の粒子となってパラパラと消えていった。何の痕跡も残らない。


 モッツァレラの存在を証明するのは、依然としてじくじくと痛む2ポイント分の苦痛だけである。


 しかし、その痛みも部屋を歩いていると消え失せた。どうやら僕の感じる時間の経過は無視され、何かしらの行動を起こしてはじめて時が経つらしい。


「そのための足踏みスイッチというやつか?」


 僕はスイッチに目をやり、それを渡してきた女の子を思い出した。ふわふわとした金髪に真っ赤なワンピースが良く映えていた。そこから白く長い手が僕に伸ばされ、僕は袋とスイッチ、そしてメダルをもらったのだ。


 メダルを手に取る。そこには“ケイタ”と、僕の名前が刻まれていた。


 今やっつけた跳ねるぬいぐるみにもモッツァレラという名があった。彼女にも名前があるのだろうか。


 ずっとこの部屋にいても仕方ない。しかし、ここから出るためには正面か、あるいは右手に見えるいずれかの通路を進む必要があった。部屋の中は明るいのだが通路の様子はわからない。この方向に今僕が向いているのも何かの縁ということで、僕は正面の通路を進んでみることにした。


 通路は薄暗く、人ひとりなら楽に通れるくらいの幅だった。道なりにしばらく進むと、開けた空間に突き当たった。先ほどまでいた部屋と同じくらいの広さで、何か武器のようなものと草のようなものが落ちているのが目に入る。そしてモッツァレラが1体と、見たことのない、ぬいぐるみのような何かが立っていた。


 モッツァレラでない方は跳ねることなく、棍棒のようなものに寄りかかって立っていて、微動だにしていなかった。眠っていることが僕にはわかる。先ほどと同様にモッツァレラが僕にまっすぐ向かってくるとすると、戦うことなく武器のようなものを拾うのはおそらく不可能だ。


 隣接すれば、また体当たりを食らうだろうか?


 今度は仲良くやっていけると考えるほど僕は楽観的でなかった。僕は僕自身とこのモッツァレラの運命を同時に受け入れ、アイテムを拾うのではなく、そいつに向かって歩みを進めることにした。


 “行動”1回分を間に置くよう接近したところで立ち止まるべきだった。僕は惰性で1歩進み、それは僕の意図に反してモッツァレラに隣接するまでの移動を強要する。その軽い気持ちでの行動が僕に何をもたらすのか、恐怖心で理解できた。


 歯を食いしばる。


『モッツァレラの攻撃! ケイタに2ポイントのダメージ!』


 先ほど鼻に食らったのと同じだけの痛みが、モッツァレラに突撃された腹部に響く。痛い。しかし、僕はただ耐えたところでこの痛みが失せないことを知っているため、すぐに反撃することにした。


『ケイタの攻撃! モッツァレラに4ポイントのダメージ!』

『モッツァレラの攻撃! ケイタに2ポイントのダメージ!』

『ケイタの攻撃! モッツァレラに4ポイントのダメージ! モッツァレラをやっつけた!』


 そんな感じだ。


 やっつけられたモッツァレラは消えていく。睡眠状態にあったもうひとつの敵はやはり微動だにせず、どんなにそばで暴れたところで起きたりしないようだった。


 アイテムを先に回収するべきだろう。僕は部屋を歩き回って『ナマクラソード』と『エヌセイド』を手に入れた。前者が武器のようなものの名前で後者がこの草のようなものの名前であることがわかる。おそらく攻撃力があまり高くないのであろう武器はわかるが、草のようなもののカタカナ名の由来がわからない。おそらく何らかの形で使用するのだろうが効果の想像がつかないのだ。


 手に入れたものはとりあえず『大きな肉まん』と同様にカラビナで固定された袋に入れてみることにした。アイテムたちはやはり自然に袋に入り、取り出そうと思えばいつでも取り出せることが僕にはわかる。四次元ポケットが存在するとすればこのような使い心地だろうかと僕は思った。だって『ナマクラソード』は袋自体より明らかに大きいのにも関わらず、するりと飲み込まれて入っていくのだ。


 どうやら袋に入れたものは漠然とだが効果がわかるようになっているらしい。説明文のようなものがそれぞれに存在し、読もうと思えばその内容が脳裏に浮かぶ。


『ナマクラソード。

 切れ味が悪いがないよりはマシ。まさにナマクラの剣といったところ。』

『エヌセイド。

 鎮痛薬の代表格。体力が回復するよ! 副作用はありません。』


 誰が考えたのか、何ともひとを小馬鹿にしたような文言である。しかし効果は把握できた。どうやら『エヌセイド』はゲームでいうところのポーションや薬草の役割を果たしているらしい。これまでの行動の中で先ほど与えられたダメージは回復されているため、使用する機会は後に回すことにする。


 僕は『ナマクラソード』を手に取り装備してみることにした。


『ケイタはナマクラソード+1を装備した!』


 そんな感じだ。プラスイチの意味がわからないが、おそらくラッキーなことがあるのだろう。攻撃力でも強くなっているのかもしれない。僕にはこの『ナマクラソード+1』の攻撃力が3であることがわかるのだ。


 さて、僕には選択肢がふたつ用意されていた。すなわち、この睡眠状態にある新しい、おそらく敵側に属するぬいぐるみのようなものと戦うか、それとも放ってほかの通路へ進むかだ。


 戦う? いいだろう。モッツァレラの例を考えても、おそらくこいつは僕の敵だ。モンスターと呼ぶにはあまりに可愛らしい見た目をしているが、あの丸っこい跳ねるぬいぐるみは僕に2ポイント分のダメージを確実に与えてきたのだ。


 しかし、と同時に僕は思う。おそらくこの通路や部屋でこのヘンテコな世界は構成されていて、そこには僕にも利用できるアイテムが存在する。彼らモンスター側には利用できないようなデザインになっていても不思議はないが、何の保障も存在しない。僕は彼らがアイテムを素通りして僕に向かってくるところを見たことがないのだ。


 つまり僕は可及的速やかにアイテムを回収する必要があるかもしれないということだ。この睡眠状態にあり安定して障害とならないモンスターに構うよりも、急いで各部屋を周るべきなのかもしれない。全体像がどれほどの広さで、僕がこの状況から解放されるとしたら何をしなければならないのかもわかっていないのだ。


 悩む時間は永遠にあるように感じられたが、悩んでいて事態が好転するとも思えなかった。僕は結局睡眠状態にあるモンスターを放置し、ほかの部屋へ向かうことにした。グロテスクな死に方をするわけではないが、そこに実体として存在する生き物のようなものを、避けられるならば殺したくないという気持ちもあった。


 それが僕の失敗だった。


 部屋から通路へ出た瞬間、睡眠状態にあったモンスターが覚醒したことが僕にはわかった。通路に出た僕に部屋の様子はわからないが、確実にやつは行動している。


 じとりと嫌な汗が背中を伝った。


 すぐに今いた部屋に引き返してやつと対峙してもよかったが、僕は通路を進むことを選択した。それは自分のミスを認めたくなかったからかもしれないし、やはり可能なら戦闘を避けたいという気持ちがあったからかもしれない。


 それが僕のさらなる失敗だった。


 いずれわかる。『樹海』にミスはつきもので、それは僕がプログラムではなく生きている人間だからだ。それはそれで大事なことだが、いくつも重ねたミスは僕が生存することを許してくれない。


 僕は次の部屋で2体のモッツァレラに遭遇した。なんだか自分の行動が悪い流れに沿っていることが予感される。彼らのうち1体は“行動”1回分の距離にいた。僕は先ほどの教訓を活かし、その場で1回足踏みをした。“行動”を消費したわけだ。


 モッツァレラは予想通り隣接してきた。ぽよんぽよんと跳ねている。


 僕は今素手ではなく武器を持っている。先ほどまでは状況が異なる。


『ケイタの攻撃! モッツァレラに6ポイントのダメージ! モッツァレラをやっつけた!』


 そんな感じだ。


 悪い予感とは裏腹に、僕は1撃でモッツァレラをやっつけられる状態になっていた。これで先手を取られない限り僕がダメージを負うことはない。それを祝福するようにどこからともなくファンファーレが鳴り、僕のレベルが上がったことが自覚される。


 もう1体のモッツァレラとは“行動”2回分の距離にあった。僕は喜び勇んで1歩を踏み出し、モッツァレラと隣接した。あとはこいつをナマクラソードで殴るだけだ。殴れなかった。


 僕が“行動”1回分の移動をした瞬間、地面から白いガスのようなものが噴き出し、それを全身に浴びた僕は体が動かせなくなったからだ!


 地面にへたりこんだ僕はまったく何もできなかった。


『眠くて何もできない……。』


 そんな感じだ。どうやら僕は眠くて何もできないらしい。その割に意識は鮮明で、隣接する丸いぬいぐるみのようなものが体当たりしてくる様がはっきりとわかる。


『モッツァレラの攻撃! ケイタに2ポイントのダメージ!』

『眠くて何もできない……。』


 そんな感じだ。僕は依然として体を動かせず、ただ2ポイントずつダメージが積み重なるのを眺めているよりほかになかった。


 レベルが上がった僕の体力は20ポイントだ。モッツァレラの攻撃に10回耐えられる。この世界がどのような鬼畜設計になっているのか知らないが、まさかそんな一方的な虐殺を認めたりはしないだろう。せいぜい3回や、長くて5回くらい行動不能となる程度が世の中の相場というものだ。


 そんなことを頭に浮かべて確実に蓄積される激痛に耐えていると、通路から何かが部屋に入ってくるのが僕にはわかった。


 先ほど僕がスルーした、かつて睡眠状態にあったモンスターだ。


 やめろ。僕はそう念じるが、眠くて何もできないらしい。こいつは僕に隣接し、かつて僕がした躊躇をすることなくその手にもった棍棒のようなものを僕に向かって振り下ろす。


『コットンの攻撃! ケイタに3ポイントのダメージ!』

『眠くて何もできない……。』


 こいつはコットンというらしい。棍棒というより綿棒の方が適切な表現なのか?


 そんな疑問をよそに、僕は囲まれた2体からの攻撃を同時に受ける。残り体力が機械的に減り、僕はこの数値がゼロになったらどうなるのだろうと激痛の中で考えた。


 その答えはすぐにわかった。


 僕は死んだ。

 

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