Ⅲ この街を救う小娘②
名草が目を覚ましたのは、病院のようなところだった。名草が起き上がったことで、目を覚ましたことに気が付いた白衣の女が、それまで見ていた資料を机上に放り投げ、名草のもとへ駆け寄った。
「名草ちゃん!目を覚ましたのね!よかった!」
白衣の女が涙を流す。名草はただ、今の自分の状況を飲み込めずにいた。
「これからは、一緒に住もうね!おいしいご飯も、ふかふかのお布団もあるからね!」
「…?」
「翔子、全然状況理解できてねえぞ、最初から説明してやれ」
部屋の扉から背の高い男が入ってきた。その男も、翔子と呼ばれた女と同じように白衣を着ていた。しかし、その白衣には所々に赤い斑点がついていた。名草はそれを見て、不覚にも鮮血を想像してしまった。何かを察した男は、すぐに白衣を脱ぎ、名草に近づいた。
「初めまして、ナグ」
『ナグ』と呼ばれることが初めてな名草は、ちょっとした違和感を覚えた。でも、悪い呼び名じゃない。
「でも俺たちは、お前のことをずっと前から知っているんだ。お前が小さい時から」
「…そうなんですか」
「あら!敬語使えるのね!!!さすがナグちゃんね!」
涙を流しながら名草を抱き寄せ感動する翔子に、白衣の男がはぁ、とため息をついた。
「前、車に撥ねられてただろう」
「あ…」
名草の脳裏にあの時の状況が浮かび上がった。自身の頬を叩いた母親。どうしていいかわからず、何故か道路に飛び出してしまった。…そう、母親!
「あっあのっ…お母さんは…」
名草の言葉で、男の口が閉じる。しかし、意を決したかのように、口を開いた。
「ナグ、落ち着いて聞いてほしいんだ。これから話すことは、ナグにとっては信じられないことだと思うからな…」
「…はい」
聞くしかない。どうして何日も、母親は帰ってこなかったのか。
「ナグちゃんのお母さんは、事故に遭って死んじゃったのよ」
突然翔子が落ち着いた口調で話し出す。男は翔子の“何か”に気づき、「おい、待て…」と言いかけた時、翔子が突然大きな声で名草の肩を揺すりながら、「お母さんはね!事故という“殺害”に遭ったのよ!」と叫んだ。名草はその声に驚き、反射で涙を零してしまった。男は自分はどう話をすればいいのかに迷い、口を噤んだ。その光景を扉の隙間から見ていた“猫”が「はぁ~あ」とため息をつき、体を捩らせて部屋に入ってきた。
「大の大人二人が小娘如きにまともに話もできず、しまいにはその大事な大事な小娘を泣かせるとは、おみゃーらは何がしたいのかにゃ?」
「!?」
突然の“しゃべる猫”の登場に、翔子の声よりも猫の方の驚きが上回り、涙はぴたっと止まってしまった。翔子も、突然のご登場に呆然としている。猫はそれに構わず、話を進めた。
「小娘、お前の母親は死んだ。死んだのにゃ。それも二年前の話にゃ」
「!」
はっとした名草の顔を見て、猫はさらに話を進める。
「今は2033年。小娘は齢十…にゃけど、あともう数か月すれば十一になる。つまり『母親が帰ってこなくなった日』からは二年、おみゃーが倒れ、ここに運ばれた日からは一年が経過してるわけにゃ。その間、おみゃーはそのベッドでずっと眠り続けていたにゃ」
名草は翔子と男に目をやる。しかし、翔子は目を合わせてくれず、男もただ俯いているだけだった。
「そこにいる情けない大人共は、その一年半前からおみゃーの親代わりになっているのにゃ。今も、これからも」
そこで翔子がはっと我に返り、名草の目を見つめた。翔子の目は、決意が篭っていた。
「ナグちゃんが小さい時から、怪我したり病気にかかっちゃったりした時は、いつもここに来ていたんだよ。ナグちゃんは覚えていないだろうけどね。だから、私たちはナグちゃんを知ってるの」
翔子は名草の肩に優しく触れる。名草は何故か、安心感を抱いた。
「ナグちゃんのお母さんとはよくお話ししていたから…。急に連絡が途絶えてね。心配になって、家に行ってみたら…。ナグちゃんを見つけた後、私たちで調べたんだよ。…理解できないかもね、まだ…」
翔子は言葉を選びながら、名草に語りかけた。名草は静かに翔子の話を聞いていた。白衣の男が重い口を開き、翔子の話に付け加えた。
「ナグ、心配はしなくていいぞ。これからは、俺たちが面倒をみる。元々、小さい頃からお前はうちの子みたいなもんだしな…ナグにとっては、全くと言っていい程面識はないだろうが…。でも、信じてほしい。ナグが立派な大人になるまで、俺たちが守るから…」
男の言葉にも、翔子と同じ決意が滲み出ていた。名草は、どちらにせよ信じるしかないと考えていた。この話からするに、もうこの世に母は存在しない。父と妹も『あの一件』から、この世を去ってしまったのだ。身寄りは、もういない。
「ありがとうございます」
名草は涙を流さず、笑顔を作ることもなく、無表情のまま声を出した。ただの無表情ではない。諦めと悟りを含んだ、年頃の娘と思えぬ表情だった。男が名草に近づき、翔子の隣に立った。
「俺の名前は松崎海斗。お前の父親代わりになる男だ」
男が照れくさそうな顔をしながら自己紹介をした。「あっ!」と翔子が声を上げ、名草の手を自身の両手で握りながら、自己紹介を始める。
「私は香月翔子。ナグちゃんのお母さん代わり。お母さんって、呼んでね」
名草は、ぽかんとしながら二人の顔を見た。名草から見て、この二人は夫婦なのかと思っていたが、名字が違う。ああ、『ふうふべっせい』というやつなのか。名草はなるほど!と頭の中で納得した後、二人に向かって「お父さん!お母さん!」と呼びかけた。二人は感極まって泣き始めてしまった。その光景を見て、猫は「にゃ~…」とあきれた鳴き声を発した。猫は名草のベッドに飛び乗り、それから名草の膝上に立ち、頬を摺り寄せてきた。
「にゃーはスージー。動物型『グライフ』にゃんよ!小娘、困ったことがあれば、にゃんでもにゃーに聞くにゃよ!」
まんまるとしたスージーの瞳が名草の心を射る。名草が頭を撫でてやると、スージーは気持ちよさそうにごろんと横になった。
名草に、新しい家族ができた瞬間だった。
----------------------------
再び名草が寝付いた後、翔子と海斗は研究室で二人、名草について話をしていた。
「馬鹿なのか!?『事故という“殺害”』だなんて!ナグに話してどうするんだ!」
「だってそうじゃない!グライフによる殺人は全て、グライフ側のプログラム損傷による“不慮の事故”になるんだもの!」
「だからそれをあの時のナグに話したところで、余計混乱するじゃないか!」
「もっと大きな嘘をついているくせに、よく正義ぶれるわね!」
「それは…!!」
「小娘が起きるにゃ!静かにするにゃ!」
名草が眠っている部屋からスージーが入ってきた。尻尾を振り回しながら、翔子と海斗に向かって威嚇する。
「小娘が従順におみゃーらのことを親だと思うわけがない。『記憶』の捏造が必要かもしれないにゃ」
スージーの一言で、二人は冷静を取り戻し、お互いを見た。確かに、あの子がそんな都合よく自分たちを親だと思うわけがない。『親』というのは、本来唯一無二の存在であり、代替など存在しないはずなのだ。あの時自分たちを父母と呼んだのも、自身の立場を考え、もう自分の身寄りはどこにもいないことを理解しての、自身の悲劇を少しでも和らげるための、自身に対する『諦め』のまじないであったに他ならないであろう。名草は、年相応の姿かたちをしていながら、判断力はそれ以上の能力を持っている。それらは全て、『俺たち』が起こしたことなのだが…。
「小娘の能力値を引き下げるにゃ。さすがにこのままじゃ中学に上がった時、周りに溶け込めないかもしれないにゃ。あと、十二になるまで小娘はここで面倒を見た方がいいにゃ。中学に上がる前に、もう一度記憶を書き換え、中学は小学校の校区外から来たことにしておけばいいにゃ。当分の間、小娘のメンテナンスをしておくにゃよ。…“関わらせたくない”のであれば、にゃけど」
二人はスージーの話を聞き、静かに頷いた。それからそれぞれパソコンの前に座り、翔子はとある共有フォルダを開き、海斗はビデオ通話画面を開いた。
「私が考えるから、話合わせときなさいよ、海斗」
「あんまり俺の株下げてくれるなよ、翔子」
海斗の通話画面が、通話相手の顔を映し出した。通話相手は不機嫌そうな声で応対した。スージーは二人を見て安心したのか、再び名草の元へと戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます