中編

   

 先ほど述べたように、ウイルスなんて『遺伝子という設計図の入ったカプセル』のようなものだ。

 だから、その設計図をちょこちょこっと書き換えてやれば、新しいウイルスを作ることも可能。いわゆる組換えウイルスの作製だ。

 もちろんウイルスは微小なので、既に完成されたウイルスに対して「パカッとカプセルの蓋を開けて、中の設計図を書き直して、元のカプセルに戻す」なんてことは難しい。だが、そこは発想の転換で「細胞内でウイルスが作られるタイミングで、あらかじめ用意した設計図――勝手に書き換えた設計図――を紛れ込ませる」という組換えウイルス作製技術が確立されている。

 この技術を用いて「病原性に関与するウイルス部品タンパクしつ設計図いでんしを書き換える」なんて研究も行われているが、俺の研究は、それとは少し違う。ウイルスの設計図に、ウイルスの部品タンパクしつのものではなく、宿主の遺伝子を書き加えてしまおう、という研究だった。

 この研究テーマは、俺が今所属する部署ラボで過去に行われた、二つの研究が背景となっている。

 まず、第一に。

 強毒型Rウイルスを感染させた場合と弱毒型Rウイルスを感染させた場合、動物の脳内でどのような遺伝子が活発になるのか――どの遺伝子にコードされたタンパク質が大量に作られるのか――、それを比較する研究があった。一応説明しておくと、『強毒型』とは病気を強く引き起こすウイルスであり、逆にあまり病気にならないのが『弱毒型』だ。

 ウイルス感染に応じて、体内では様々な遺伝子が活発になる。特に、免疫に関わる遺伝子なんかは、ウイルスを追い出すためにも、とにかく頑張るしかないからね。そんな中、いくつかの遺伝子は、強毒型感染ではそこまで高くはないものの、弱毒型感染では、非常に高いレベルで活性化が観察された。だから、弱毒型Rウイルス感染で病気にならずに済むのは「強毒型感染では十分に働けなかったけど、弱毒型感染では頑張った遺伝子たち」のおかげではないか……。この研究では、そう考察していた。

 そこで、第二の研究だ。

 今度は「強毒型感染では十分に働けなかったけど、弱毒型感染では頑張った遺伝子たち」の中でも、免疫反応に関わると想定されている遺伝子たちに着目した。いくつかの免疫遺伝子をピックアップした。免疫関連の遺伝子である以上、どんなウイルス感染でも多少は働くはずだが、上記の研究で引っ掛かってきた遺伝子ならば、確実にRウイルス感染で免疫反応を引き起こすはずだからね。

 その研究では、そうした宿主側の免疫系の遺伝子をRウイルスの設計図に書き加えてやって、何種類かの組換えウイルスを作ってみた。この組換えウイルスは、感染と同時にウイルスの部品タンパクしつだけでなく、免疫遺伝子にコードされたタンパク質をも大量に作らせることになる。だから、これをウイルスワクチンとして投与すれば、大量に作られたタンパク質が働いて、高い免疫効果が期待できる。

 それも、特にRウイルスに対して、強い免疫効果を発揮するはずだ。なにしろ、単なる免疫系の遺伝子ではなく、第一の研究の中で『弱毒型感染において頑張った』実績のある免疫遺伝子だからね。

 ところが、いざ作って実験動物に投与してみると、期待通りに有効なワクチンとなるものもあれば、そうでない場合もあった。「どれも免疫に関わる遺伝子なのだろう? それは変じゃないか」と思われるかもしれないが、ちょっと次のような状況をイメージして欲しい。


 Rウイルス感染により、Aという遺伝子が活発になる。

 A遺伝子が活発になると、その刺激により、B遺伝子とC遺伝子が活発になる。

 B遺伝子が活発になると、今度はD遺伝子とE遺伝子が活発になる。

 D遺伝子が活発になると、また同じように様々な遺伝子の活性化を経て、最終的にRウイルス排除の方向に向かう。


 生体内のシステムは、こんな感じで、結構「風が吹けば桶屋が儲かる」的なものが多いのだけれど……。

 アルファベットの羅列では「イメージしにくい」とか「眠くなる」とかいう人は、適当にギターのコードでも、バストのカップ数でも思い描いて、考えてみてくれ。『A遺伝子』『B遺伝子』といった単語を『Aメジャー』『Bマイナー』とか『Aカップ』『Bカップ』とかに置き換えたら、頭の中が少しは華やかになるだろう?

 ともかく。

 この場合、A遺伝子とB遺伝子とD遺伝子は、Rウイルスに対して有効に働く。一方、C遺伝子やE遺伝子は、確かにRウイルス感染により活性化されたものの、別ルートの免疫反応に行ってしまって、もうRウイルス排除には関わらない。

 こんな感じで、Rウイルス感染により細胞内で活性化された遺伝子が、必ずしもRウイルスに対する免疫効果を発揮するとは限らないのだ。だからこそ、実際に「これ効果ありそう」と思われる遺伝子で組換えウイルスを作り、試してみることも必要になるわけだが……。

 この第二の研究は、これはこれで、今でも続けられている。特に、期待通りの結果を示してくれた遺伝子に絞って。生存率や中和抗体、ウイルス産出量の変化といった基礎的な研究から、免疫遺伝子そのものや病理学的な解析などに進んでいる。


 そうした第二の研究の発展段階と並行して、第三の研究が始まった。つまり、俺の研究テーマだ。

 ウイルス設計図いでんしの書き換え、組換えウイルスの作製、基礎的な動物実験といったノウハウは、既に第二の研究で確立されていた。一般的に報告されている技術であっても、いざやってみると「うちのラボでは難しい」なんて場合もあるが、こうやって類似の研究をおこなった後であれば、もう『確立されていた』と言い切れるレベルで、簡単に出来るわけだ。

 基本的な手法は同じで、違うのは、標的ターゲットとなる遺伝子だった。今度の研究では、第一の研究で判明した「強毒型感染では十分に働けなかったけど、弱毒型感染では頑張った遺伝子たち」の中から、第二の研究で扱わなかった遺伝子に着目するのだ。つまり、免疫系以外の遺伝子である。

 こう言ってしまうと「それでは意味がないではないか。免疫に関係ない遺伝子ならば、ウイルス遺伝子に加えたところで、高いワクチン効果は望めないではないか」と思われるかもしれない。うん、ごもっともだ。

 しかし『免疫系以外の遺伝子』といっても、絶対に免疫に関わらない、と断言されているわけではない。今のところ「免疫反応に関与した」という報告がない、というだけだ。別の機能が報告されている遺伝子だって、副次的な機能として、免疫に関わっているかもしれない。そもそも、解読はされたものの、機能が同定されていない遺伝子はたくさんある。

 そう「遺伝子が解読された」なんてニュースを聞くと、その遺伝子について丸々わかったかのように誤解される場合もあるが、遺伝子の配列を解読するのと、遺伝子の機能を同定するのは、全く別次元の話だ。埋蔵金の地図を読み解くことと、埋蔵金発掘を成功させること、くらいの違いがある。いつまでたっても出てこない埋蔵金の発掘番組をテレビで延々と見せられた昭和世代ならばともかく、平成世代にはピンとこない例え話かもしれないが。

 俺の研究テーマで扱うのは、そうした機能未知の遺伝子たちだった。明確な機能は同定されていないものの、第一の研究において『弱毒型感染において頑張った』という実績がある以上、もしかしたら免疫反応に関与しているかもしれない、と考えたわけだ。また、仮に免疫効果は発揮されないとしても、組換えウイルス感染という形で、その遺伝子にコードされたタンパク質を強制的に大量に作らせた結果、何が起こるのか。それを調べることで、今まで『未知』だった機能がわかるかもしれない、という期待もある。

 正直、俺としてはワクチンとしての効果云々より、この後者の方に興味があった。やはり研究者の基本は、未知への探究心・好奇心だからね。その意味では、第二の研究ではなく第三の研究が俺のテーマとなって良かった、とつくづく思う。「優れたワクチンとなるはず」と予想できる組換えウイルスを作って、その効果を確かめるだけなんて研究、言っちゃ悪いがゾッとする。



 そんなわけで。

 今この部屋で、飼育ケージ内で暮らしているマウスたちこそ。

 そうした組換えウイルスを投与されたマウスたちなのだった。


 俺が調べている遺伝子たちは四つある。だから組換えウイルスの種類も四つ。しかし感染の効果を調べる以上、比較対象として、何も感染していない場合や、組替えではない正常ノーマルなRウイルス感染の場合も必要となる。つまり合わせて六つのグループが必要となる。

 さらに。

 一応「ウイルスワクチンとして使えるかどうか」という研究なので、組換えウイルスを接種してしばらく経った後で強毒型Rウイルスも感染させる必要が出てくる。ワクチンとして効果があるのかどうか、それを調べるためには、やはり予防接種を模した形に――ワクチン接種後に危険なウイルスに感染してしまったという形に――しなければならないのだ。ただしワクチンとして使うといっても生ワクチンなので、いくら弱毒型とはいえ、組換えウイルスそのものにも毒性があるかもしれない。だから「ワクチンだけ接種して、強毒型ウイルスは感染させていない」というグループも必要になってくる。つまり、上記の六グループに対してそれぞれ「強毒型ウイルス感染のある時」「強毒型ウイルス感染のない時」の二通り。合計で十二ものグループが必要となってしまう。

 動物実験においては、それぞれの個体差も影響してくるので、もちろん一つのグループにつき一匹や二匹というわけにはいかない。飼育ケージは六匹ずつなので、とりあえず今回の実験では、各グループ六匹ということになっている。

 これで合計七十二匹。

 俺は毎日二回、七十二匹のマウスたちを観察するのだ。

 だが、組換えウイルスの効果を調べる上で『観察』だけでは不十分だ。血液中の中和抗体価を測るための採血は、まあ観察途中のマウスからでも可能としても、他にも必要なものが出てくる。脳内のウイルスの増殖、目的の遺伝子の活性化などを測定するためには、サンプルとして脳そのものを使うことになるのだ。当然、脳を取られてしまえばマウスもお陀仏となるため、しばらく観察し続けたいマウスの脳は、絶対に使えない。サンプル回収用に、別のマウスが必要となってくる。これも個体差を考慮して、それぞれ複数を用いることとなる。

 というわけで。

 俺は、ゆうに百を超えるマウスを、この研究のために飼っているのだった。


 先ほど『毎日二回観察』といったが、十二時間おきということで、俺は、昼と夜にこの作業をおこなっていた。

 まずは、生きているか、死んでいるかを見る。そして生きている場合、健康状態なのか、麻痺状態なのか、それも確認する。

 麻痺というのは「生きているけれど、もう動けないから、健康とは言えない」という状態だ。しかし、この判別が、意外と難しい。ほら、例えば人間だって、健康だけれど疲れて熟睡している人と、病気で昏睡状態に陥っている人は別物だろう? でも、揺すっても起きなかったら、どちらか区別しにくいじゃないか。

 マウスも同じで、つついて確かめる。

 ああ、ぴょんと動き出した。これはわかりやすい。眠っていただけらしい。まあ、夜だからな。すまん。

 こちらを睨み返したようにも見えるが、さすがに、気のせいだろう。

 続いて、体重測定だ。毒性の弱いウイルス感染ならば元気なはずだが、もしも組換えウイルス感染で何らかのダメージを受けた場合、マウスは食欲がなくなり、体重も減ってしまう可能性があるからだ。

 以上が、十二時間おきの定時業務ルーチンなわけだが……。

 今回この時間は、いつもとは違う作業もあった。

 サンプル回収。つまり、生きたマウスから――まだピンピンしているマウスから――脳を取り出すのだ。

   

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