夏の終わり、灰色ノルと
「……。」
二人が帰った後もなお、眠っている猫。ほっぺをぷにぷにしてみた。けれど起きない。
今度は、耳を突いてみるものの、猫の耳が反応するだけで、起きようとしない。
「ふ~……。」
その猫の耳に向かって僕は、息を吹きかけた。
「ふにゃぁあああああ!!」
驚いた灰色ノルは飛び起きて、僕を見た。さらに、周りを見渡している。
「……おはよう。」
そんな灰色ノルに掛ける一言。
「……にゃう。……えと、今そこら辺に、巨人がいて、あたしの耳をいじって、息吹きかけるの見なかった?」
まだ寝ぼけているのか、変なことを言う。
「……いや、見てない。気のせいなんじゃない?」
僕がしたとは気づいていないようだ、僕は気のせいなんじゃないと誤魔化した。
……意地悪かな?まあ、気づいていないなら、そっとしておこう。
「……びっくりしたぁ。あ、そう言えば、英吉くんと歩ちゃんは?」
ちょっと時分を落ち着かせて、周りを見て、英吉と歩がいないことに気が付いた。
「もう、夕方だから帰ったよ。」
僕は言う。
「……そっかぁ……。」
少し寂しそうに、頷く。
「!そうだ、博士やその他に連絡とか、してみる?」
寂しそうな灰色ノルを見て、僕はぱっとそう思いついた。
もしかしたら、その、博士とか心配しているかもしれないし、僕としては、博士や他、灰色ノルを見守る人たちとか、どうなっているのかはっきりしない以上、その情報収集も兼ねてで、不安や心配など、何事もないなら彼女の寂しさも緩和するかもしれない。
「!そうだね!じゃあ、連絡してみるよ。……ええと、電話とか持ってる?」
僕の提案に乗り、灰色ノルはぱっと明るくなった。
「?自分のは持っていないんだね……。」
「……うん。実は……。だって、学校内なら、内線電話で済んでたし……。」
「……ああ。」
ただ、自分のケータイやスマホなど、連絡、通信機器を持ってはいない。
そのために、灰色ノルは少し悲しそうに項垂れた。多分、博士といい、自らの所在を明かさないために、持たせたりしなかったのかもしれないね。
なら仕方ない。連絡のためにと、僕は自分のケータイを貸し出す。
受け取った灰色ノルは、自分の覚えている番号を押して、連絡を試みる。試みるものの、聞こえてくるのは、留守の音声や、つながらないという連絡ばかりで、それは彼女と、僕を不安にさせてしまう。
学校にも連絡したが、もう時間外で通じない。
ここにきて、残念ながら手段が尽きた。
彼女は不安に、また、その様子を示すように、その頭の猫耳が、平たくなっている。僕は……。
「もしよかったら、この家にいる?雪奈や叔母さんにも相談してみるよ。」
提案した。昼前に思ったことの繰り返しだが、このまま野放しも可哀そうだ。
なら、これでもいいんじゃないかな。
「!!いいのっ!いいのっ?」
灰色ノルはぱっと顔を明るくする。僕は頷いた。
噂をすれば、と玄関の戸が開く。登場したのは、帰ってきたのは雪奈だ。
部活で疲れた様子であったが、灰色ノルを見るなり、その顔が一気に明るくなるのを見た。
「あ……ああ……!!」
「にゃにゃ?!」
明るくなるや、愛でる視線を送り始める雪奈に、何か感じた灰色ノルは、びくりと体を跳ねさせた。雪奈の視線から察するに、昨日のような、あの激しい抱擁が待っていそうで。つまりは、〝雪奈の世界〟が展開されかねない。
今にも、灰色ノルに飛び掛かりそうだ、体がいつでも飛び出せるよう震えている。
「……お帰り、雪奈。話があって……。」
このまま、雪奈ワールドに入られるのも、面倒で、せめて僕は一声掛けて、帰還と事情の説明をしようとした。
「……ね、猫さぁぁん!!」
「!!うにゃぁぁぁ?!」
「……。」
僕の声掛けは間に合わなかった。雪奈の歓喜が上がり、挨拶もどこかへ、僕を横目に、灰色ノルへと飛び掛かっていった。悲しいかな、僕はただ雪奈にもみくちゃにされる様子を、ただ見守るだけでしかなく。
話をできるようになるまで、それから時間が掛かった。
やっと話ができるようになった頃、僕の叔母さんも帰ってきて、丁度いい機会となった。
叔母さんは、雪奈とそっくりな人だ。一緒に出掛けていたら、姉妹と思われるほど若く見え、とても高校生の子供がいるようには見えないほど。僕も、〝おばさん〟と言うより、お姉さんと言った方がいいかもしれないね。
灰色ノルの説明を簡単にして、また、話に少々フェイクを入れて、しばらく泊めてくれないか聞いてみる。
叔母さんはとても嬉しそうな顔で。
「了解!」
頷いてくれた。様子から察するに、叔母さんはまるでもう一人娘ができたみたいなようで。
雪奈もその了解に目を輝かせて、妹ができたみたいに喜んだ。灰色ノルに至っては、雪奈を見て若干怯え気味に。
その日から、灰色ノルもまた、僕と同じ家で暮らす、素敵な日々の始まり。
その日から、学校には行かず、僕の家での宿題の見せ合い会があり、いつものように英吉と歩が訪れ、さらに、いつものように英吉が僕をからかう、そんな日が過ぎていく。
灰色ノルは、その度に夕方、博士や、他知り合いに連絡を取っていたが、やはりつながらず、ずっとこの家に泊まり続けた。
やがて終わる、僕らの夏休み。
やがて始まる、学校。その日の朝。
「うにゅううう!!遅刻、しちゃう!!どうして何でぇ!!」
僕にとってはいつもの光景で、雪奈は朝から慌ただしかった。始業式のこの日に、やはり朝寝坊だ。僕は、ちょっと悪そうに微笑しながら、彼女を横目に食事をとっていた。
「い、行ってきまぁす!!ゆ、優くん急いで!!遅刻、しちゃうぅぅ!!」
「……。」
いつも一緒に行っていたから、彼女は朝の支度もそこそこに、僕を急かしてきた。
にも拘わらず、僕は急ぐこともない。
その慌てない様相に、雪奈は焦りに焦って、苛立って。
「うぅぅううう!優くん何て知らない!!遅刻しちゃって、博士に怒られればいいんだ!」
「……。」
乱暴に言い捨てて、彼女は駆け足で家を出ていった。僕は、しかし余裕な表情で。
また、傍らの灰色ノルは、眼を点にして、僕と時計をキョロキョロ見比べていた。
混乱もしているようだ。
ならば、と僕は種明かしを。今の時間は、遅刻ギリギリの時間じゃない。むしろ、いつもよりかなり早い時間だ。仮にこの時間に家を出たら、あまりにも早く学校についてしまって、何をしようか迷ってしまう。
なら、雪奈はなぜ慌てて?朝の練習ギリギリだから?違う。
実は僕は、彼女の遅刻するそれを見越して対策を取っていた。
〝最終手段の奥の手〟よりもさらに奥、〝禁断の一手〟、それは、雪奈の部屋の時計という時計を進めていた。こうすることで、彼女が飛び起きても、遅刻しない時間、ということだ。
……ただ、余裕を持たせている時間なのだが、雪奈を止めなかったら、凄まじく早い時間に学校についてしまう、そういう欠点があり、この手はまだ改良の余地がありそうだ。
灰色ノルは、その慌て様から口をパクパクさせる。
「気にしなくていいよ。きっと雪奈は、遅刻する、と寝ぼけていたんじゃない?」
ちょっと意地悪そうに笑い、僕は状況を説明した。灰色ノルは、キョトンとしていても、頭をこっくり動かし、頷いた。
灰色ノルと二人で、通学路を余裕を持って歩く。
夏の本番は過ぎた日だというのに、まだ残りの暑さはあって。こんな日に、雪奈と一緒に全力疾走なんて、死にに行くようなものだよ。
これぐらいが丁度いいんだよ。そんな清々しさに、体を伸ばした。
灰色ノルと他愛もない話をしながら歩く道、その途中にて、すっと気配なく姿を現す誰かが目の前に。
「!」
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