宿題見せてくださいお願いします、からの怪異(灰色ノル)

 さて、その翌日、英吉はあんなことを言ったのに、僕に向かって物凄く頭を下げてきた。夏休みも残り少なくなった、その日の学校にて。

 「ほんっと!すんません……!宿題、見せてください!!!マジで……。」

 「……。」 

 英吉は、昨日のことを深々と頭を下げて詫び、顔の前で両手合わせ、僕に懇願してくる。

 終わっていない夏休みの宿題、それはよりにもよって、博士が担当の教科のもの。僕は、呆れた顔をする。

 「本当に?」

 僕は聞いてみた、英吉の本心、本当に反省しているか。

 「マジです。マジマジ!オオマジです、本当です!……優も分かっているだろう?俺これやらなかったら、あの行き遅れと結婚させられるかもしれん!!頼むっ!」

 その必死さから、多分本気なんだろうねと僕は思った。

 「けど、いいんじゃない?英吉、お幸せに!」

 確信はない。こう、言ってみることで英吉の本気度を僕は計ってみよう。少し意地悪そうに微笑して。

 「ああああああああああああ!!!やめて!!!マジやめてっ!!あんなのと一つ屋根の下って、いやぁあああああ!!!」

 僕に懇願していた手を自分の頭にやり、悶え苦しむ。発狂さえしそうな雰囲気。

 これくらいに、しようかと僕は、これ以上追撃することをやめる。

 「……分かった。見せてあげる。けど、今僕宿題持ってきていないんだ。家にあるんだけど、どうする?僕の家に来る?歩も誘ってさ、皆と宿題見せ合いって感じで。」

 僕は英吉へ救いの手をと、懇願を聞き入れ頷く。ただし、今この場で見せることはできないでいる。

 僕は家で夏休みの宿題をやっている関係上、いつも持ってきてはいない。

 それに、距離もある関係上、帰ってここに持ってくるのも正直つらい。

 「おおぅ!構わねぇ!何なら、〝夫婦生活〟も覗けそうだぜ!」

 救われた顔をした英吉の一言。構わないらしいけれど、ある一言に僕はむっとした。

 「……やっぱりやめる。英吉に色々いじくられそうだから。」

 「!!嘘嘘嘘!!気にしない気にしない!単なるジョークジョーク!だからさ……。」

 「……はぁ……。」 

 突き放してやろう、その一言を放ったが、英吉はまた懇願したので、呆れた溜息を一つ。

 仕方なく承諾したところで、空き教室の戸が開き、丁度噂した人物が登場した。歩。

 今日は何事もなかっただろう、いつもの、ちょっと怯えた表情。

 「おう!おはよう、歩。今から優の家に行くぞ!」

 「にぅ?!え、ええ?!」

 朝の挨拶と一緒に英吉に言われたことに、意表を突かれ、目を丸くする歩。説明不足だからと僕はことの経緯を説明したら、そっと頷いてくれた。

 

 移動しようと、教室を後にしたその瞬間に、突然僕らを襲う悪寒。異様な気配。

 何だか、飢えた獣のような感じ。突然のそれに、僕ら三人とも立ち止まり、身をすくめてしまう。

 見渡しても、誰の姿も見えない。校舎内は静かで、遠くブラスバンドの練習音がするだけで、それ以外のものはなさそうだ。まさか、レンの組織とかがまだ、ここにいて、いつでも博士や灰色ノルを処分するためにいるのか?

 ……いや、何か違う。だって昨日、その組織、〝保健所〟だっけ?の面々の内、姿を見せていたのはレンだけだし、そのレンも、言われて姿を現すまで気配すら感じられなかった。

 ならば、何?まさかのまさか、ここにきて、学校の怪談よろしく、〝怪異〟の登場か。

 「う~……。ううぅぅ~……!」

 「!!」

 「にぅぅぅ?!」

 呻き声が聞こえる。這いずり回る音も聞こえる。それは歩をより恐怖させ、僕は緊張に、生唾を飲み込む。

 「オイオイ!ここで……マジかよっ……。」

 英吉に至っては、怖いもの見たさで、この緊張状態を楽しんでもいる。

 這いずる音がこちらに近づいてきたなら、その姿さえ分かるようになった。分かったその時に、僕は緊張から、逆に呆れに変わってしまう。

 今この瞬間に訪れた〝怪異〟の正体、それは、……皮肉にも僕らが〝怪異〟と思って肝試しのあてにした、灰色ノルだった。何だか、飢えた獣のようになっていて、獲物を求めるように這いずり回っていた。僕らを見付けるなり、瞳が一瞬きらりと光る。

 光ったなら、その伏せた体勢から一気に跳躍し、僕に飛び掛かってくる。

 「うぉあああああ!!た、食べないでください!!!」

 押し倒された挙句、僕は変なセリフを口走る。

 「……っはっ!はぁっ!!はむっ!」

 上に乗っかる灰色ノルは、そのままかぶりつきそうな勢いで、甘噛みを仕掛けてくる。

 「~!ちょ、ちょっとぉ!!」

 ぞくりとした思わぬ感覚に、体を仰け反りそうになり、彼女の体を若干押し返す。

 「ど、どうしたの?!」

 「……お腹……空いて……。はぁ……はぁ!!」

 「……何で?」

 理由聞いたなら、……お腹が空いているらしく。

 また、同時に彼女のお腹が鳴った。

 「と、とにかく、落ち着いて……。」 

 僕は体から退けさせ、床に座らせる。体を撫でて、落ち着かせてから事情を聞いてみることにした。

 「……何でまた、お腹が空いたなんて……。」 

 出会ってからそんな言葉、聞いたことはない。

 今までどうしていたのか、そんなこと僕は気にも留めていなかったし。

 「……博士も……バンドの二人も……他の人たちも……いなくて……。あたし、昨日からずっと、何も……食べてにゃい……。」 

 「えっ?!」

 聞けば、昨日から何も食べていないらしいし、また、博士はおろか、博士や灰色ノルを守っていたであろう二人も、他の関係者もいないらしい。

 その回答に僕は目を丸くした。 

 突然いなくなったそれに、心の整理がつかない。そりゃ、昨日のあの時点で、多分命を落とす覚悟があって、矢面に立ったんだろうけど、そうじゃなくなったのだから、なぜ?

 「……でも博士は、昨日……。」

 助かっているはずだ。ならその後、どこに?灰色ノルを置いて……。

 灰色ノルのは、弱々しく首を横に振るだけで、それ以上聞き出すのは無理そうだった。

 「……博士を訪ねてみようか、職員室とか。」

 僕はとりあえず、その提案をしてみることに。

 「俺はあんまり乗り気じゃないが、一応、博士と知り合いのこいつに、何か事情があるなら、まあ、断る理由はないな。歩もそうだろ?」

 「……うん。」

 英吉はあまり乗り気ではないが、一昨日見たあの底なしの明るさが一転したこの様子をはっきりさせたくて、僕の提案に乗る。

 歩も断る理由がない、頷いた。 

 職員室を訪ねてみる。夏休み期間中だからか、人がまばらで。その中で僕は、博士の机がどこか見渡して、視線を送る。

 「!……。」 

 探し抜いた先に、僕は絶句した。机に物が一切ない、まっさらな状態だったのだ。

 まさか……と思ってしまう。この前、聞いた、〝辞める〟ということが、現実になったとでもいうのか……?

 「……マジか……。そこ、博士のだろう?」

 空っぽの席に、英吉が空しそうにコメントを。

 衝撃が走った故の、無言による職員室からの退出。この状況にまず口を開いたのは、いつもの英吉だ。

 「……あれは……まさに、辞めたって感じだよな……。」

 ややシリアスな言葉遣い。

 「……ってことは。あの宿題やらなくていいんだ!ひゃっほぉ!」

 ……からの、一転してハイテンションに。僕は肘で小突いて、不謹慎なことは言わないと、威圧した。

 「……冗談だって。まあ、何があったにせよ、今どうすることもできないしな。とりあえず、この娘に食べ物でもやろうか。……誰か持ってる?」

 いつもの英吉らしいや。言っている通り。今この場では、何があったとかを把握することは難しい。ならまず、灰色ノルの空腹を満たしてあげよう。英吉の提案だが、僕は持っていないと首を横に振る。歩も同じく。 

 「……どっかで何か買うしかない、か。でもよ、こいつ外出ていいんだっけ?」

 では、どこかで買うしかない、にしても障害が一つと英吉は続ける。灰色ノルが、果たしてこのまま外に出ていいものか、というもの。

 「……学校から出ても大丈夫なのかな?」

 僕は灰色ノルに聞いてみる。

 「……分かんにゃい……。」 

 元気ない灰色ノルの返答。聞いた僕は考え込んでしまう。

 ……僕らが買ってここに戻ってきてもいいけれども、その後、……例えば、夕ご飯とか、明日の朝ごはんとか……どうするんだろう。

 そっと元気のない灰色ノルを見て、つい思ってしまう。

 何だか、お昼だけってのも、可哀そうな気がする。ここに博士もいなさそうだし、昨日から食べていないとすると、今日の夕方や明日も……。

 僕は歩を見る。

 「?!」

 歩はびくっと反応した。そう言えばと僕は思い出す。

 以前灰色ノルは、歩に扮していた。

 つまり、灰色ノルと分からなくなれば、可能なんじゃないかと僕は考え抜く。

 「……変装してみるってのは、どう?ほら、前、この娘やってたじゃないか。」

 「!おっ。ナイスアイデア。そうだったな。こいつ、歩に変装していたよな。じゃあ、そうしてみよう。灰色ノルと分からない変装……ねぇ。」

 僕のアイデアを英吉に告げるなら、深刻さを置いて、英吉はいい考えだと言ってきた。そこから英吉は、発展した考えを出すように頭を巡らせているようで。

 「よしっ!演劇部から衣装を借りるってのはどう?」

 「!いいね。……で、どんな衣装を考えた?」

 「ほらさ。動物が擬人化して、一緒に冒険するアニメみたいなやつ。こいつ、猫の耳があるから、似合うかなって。その、メインキャラクターの衣装がさ……。」

 「……。」 

 考え抜いた策はよかったが、最後自分の趣味を出すとは。僕は呆れてしまうし、そもそもそれじゃ……。

 「……余計に目立つよ。普通の衣装を借りるとか、この場で何とかするとかの方が返って自然だと思うよ。」

 余計に目立つと、英吉の言ったアイデアを却下する。怪しすぎる。それよりも、もっとシンプルにやれるやつをお願いします。

 「あ、あの……!」

 そんな中、歩が手を挙げる。

 「……ボク、帽子を持ってきているんだ。それと、おしゃれなメガネも……。これなら、どうかな……。」

 恐る恐る述べる内容、僕と英吉二人顔を合わせ、なるほどと互いに言う。

 「そいつぁいいな。……けど、よくそういう物持ってきたな。また、何で……。」

 「……な、何でって……それは……。にぅぅ~~~。」

 いいアイデアへの賛同だが、よくもまあ、このタイミングで用意できたねと英吉。

 歩は、何だか恥ずかしそうにした。

 「はっは~ん。さてはオシャレか。女の子してますねぇ~。」

 「にぅぅぅぅ!!」

 その回答と、歩の赤面に冷やかしを加える英吉。歩は冷やかされ、瞳を閉じ、頭をプルプル横に振るものの、閉じた瞳の端から涙が滲むのが見えた。

 「……。」

 僕は無言で、英吉の横っ腹をつねった。

 「いててっ!!じょ、冗談だよ。ちょっとした日常会話のようなもんだろ……。」

 痛みにしかむ英吉と、その言い訳。

 「……悪かったって。ごめんよ。」

 「……もうっ……。」

 その言い訳もダメなものだと、英吉は謝った。涙ぐむ歩は、まったくいつもいつもと少しだけ呆れ気味だった。

 

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