夏の暑い空の下で捕まえて?

 玄関を抜けたなら、僕らは校舎の外へ。とうとう、校舎内だけではなく、外にまで波及するか。僕は、変わらずその全力疾走をやめない。たとえ、炎天下の中であっても。

 「ひぃぃぃ!!」

 悲鳴、僕から漏れる。

 「まーーーーてーーーー!!」

 地獄から響く声、英吉から。鬼の形相で追いかけてくる。

 「わーい!たーのしー!!」

 楽しそうな声、灰色ノル。

 僕は必死なのに、この能天気様。相当なほどのポジティブだ。

 「!」 

 僕が追われるその道の果てに、見知った姿を見掛ける。体操着で、いつもの長い髪を、ポニーテールでまとめてはいるものの、雪奈だった。

 部活の休憩か、スポーツドリンクを飲み、ストレッチをしている。

 「ゆ、雪奈っ!!た、助け……てっ!!」

 救いを望み、僕は懇願の声で、言う。息が切れていても、必死に。

 だが……。

 「!あっ!優くん。それと英吉くんと、……あと誰だっけ?ま、いっか。三人一緒にマラソン?私も、加わっていい?」

 「えっ?!」

 何をどう見ればマラソンに見えるのだろうか、雪奈は相変わらずの能天気振りの返事。僕は心が折られそうになる。

 「いっくよぉ!」

 僕らが擦れ違った後の一瞬、雪奈は構えて、同じく疾走を始める。

 「……はぁぁぁ?!」

 大分後方だったはずの雪奈の姿が、一気に縮まってくる。その様子に僕は、驚きの声を上げてしまう。

 「わーい!いっちばーん!」

 「は、速いっ!」

 そして、あっという間に僕らを抜き去る、ごぼう抜きしてしまう。

 あの時と同じセリフを僕は呟き、……雪奈のそのすごさにまた、呆れもする。 

 やっぱりそれは、大会で出しましょうよって。

 だがそれ以前に、……僕への救いは?その疑問は、多分届かず、結局僕は救われないまま、この疾走を続けるしかない。

 「……ふっ、ふにゃぁぁぁ……!も、もうだめ……!」

 脱落者が出た、灰色ノルだ。やはり、猫なのだ、……体力が長続きしない。

 僕を追う音が減る。どこへ行ったか、その姿を僕は見れずに。 

 「ふー!ふー!」

 「ひぃぃ!」

 ちらりと後方を見れば、未だその鬼気迫る様子が衰えない英吉。ここで僕が速度を緩めたなら、あっという間に追いつかれてしまうだろう。追い付かれたら、……どうなるだろう?

 「!うっ!」

 しかし残酷だね、この時になって、僕の腹部に痛みが走る。苦痛に顔を歪め、速度が落ちていく。思えば僕は、何て無茶なことをしているのだろう。未だに、この傷はあって、無理は禁物だっただろうに。

 「ははっ!はははははっ!ついに、追い付いて……お前を……ひひっ。ふははははっ!」

 その様子を、野獣のごとき気迫を発する英吉が見逃すはずがない。

 これを好機と、ここにきてその速度を速めた。僕は、もうダメだと思い、目を瞑った。

 「おぉう!この炎天下に元気な青少年たち!!先生感動した!!」

 しかし僕を救う?手が現れる、博士だ。僕らの眼前に現れ、また、僕らの疾走にいたく感動したようで、この胸に飛び込んでくれと、その体を広げてくる。

 「さあ、先生の胸に飛び込んでおいで!!そしてさ、先生と夜にあんなことやこんなこと、その汗で蒸れた体で楽しませてくれよぉ!!」

 この炎天下に、博士は精神攻撃よろしく、嫌な想像を僕らにさせる。

 「……うげぇえええええ!!!」

 僕は、先のあの、嫌な妄想、妄言を耳にしていることもあり、気分が悪くなった。さらには、吐きそうにもなる。

 「ぁぁぁああああああああああ?!!!いやぁあああああああ!!」

 僕以上に気分が悪くなったのは、他でもない英吉。

 トラウマから発狂しそうになっていた。

 無理矢理な急制動を掛け、反転。また、その際に僕の首根っこを掴む。

 それには逆に、ようやく追いついたと思わせてくる。

 「……しまった!」

 僕はまだ、追われていると思っていて、英吉に捕まって、……あれ、どうなる?

 酷いことをされそうになる?

 「……に、逃げるぞ、優!!あの年増に捕まったら……。うぁあああああ!!!」

 「?」

 ……あれ、何か様子が違う。僕に追いついて、ボコボコなり何なりしそうな雰囲気だったのに、ここにきて何か違った。何か変わった?

 「!!あぁあああああああ。し、失礼しましたぁぁぁ!!」 

 その答えを知る前に、僕は英吉に引きずられて退場していく。博士に僕は、失礼のないように、挨拶は残して去る。

 「……先生、ショボーン……。」

 僕らがいなくなったことに、博士は項垂れ、その場でいじけてしまった。


 「はーっ!はーっ!はーっ!」

 「ひーっ!ひーっ!……。」

 僕と英吉二人、息も絶え絶え、日陰になっている玄関まで戻っていた。

 全力疾走を終えたその時に、全身に来る疲労感に、少し動けない。けれども、僕ら二人、這うように動きながら、近くの水栓へ。

 「……。」

 「……。」

 「……ヴァァアアアア!!」

 「……ヴァァアアアア!!」

 二人同時に、頭から水を浴び、一気に体を冷却する。その際、変な雄叫びのような声を上げてしまった。

 さらには、玄関の石畳に、僕ら二人、汚れることを気に留めずに、仰向けに寝転がってしまう。その時感じたのは、日陰に冷やされた石畳の、冷たさ。

 心地よく、多分、今まで感じたことのないものだ。

 「……俺、何のために走ったんだっけ?」

 二人寝そべった後、英吉が呟くように口を開く。

 「……僕が冗談を言ったことに怒って。」

 続ける僕。

 「……バカバカしい……。何してんだろう、俺ら……。」

 「……うん。何してるんだろう。」

 途端、何だかバカバカしくなってきた。二人そのバカバカしさに、何だろう、笑いたくもなってくる。

 「……しかし俺は思う。優のさっき言ったこと、多分冗談じゃない。」

 「?」

 ただ、気が気じゃないようで、英吉は懸念を抱いているようで、何か真剣だ。

 「……考えてもみろ。この茹だるような暑さに、また、いいタイミングで出現するなんて、狙ってしかできないだろう?……俺ら、あの行き遅れに狙われてる。でなきゃ、絶対あの時現れないって……。」 

 「……だね。英吉だけじゃなく、僕までも……。」

 「……ああ。」

 その根拠に、僕も頷かざるをえない。

 「……。」

 「……。」

 二人一瞬の、考える間と、沈黙。

 「おぇぇ!!」

 「うげぇぇ!!」

 二人して、吐き気を催してきた。軽い熱中症の感もないこともないが、それ以上に、ぞっとする想像が、そうさせる。

 「チャンネルを変えろっ!俺はもうこのネタやだ。」

 「分かった。……けど、何かあるかな……。」 

 話を変えよう。このままだと、英吉はおろか、僕まで気分が悪いままだ。けれども、僕は何も思いつかない。

 「……。」

 「……。」 

 お互い沈黙してしまった。

 「!!あ、いたいた!」

 「!」

 そんな僕らの沈黙を砕いたのは、雪奈の声。僕らを見付けて、駆け寄ってくる音を耳にする。すっと、僕の眼前が影に覆われたと思うと、雪奈が顔を覗き込んできた。爽やかな笑顔を僕に向けながら。

 また、その腕の中には、スポーツドリンクが三本ほど収まっている。

 「はいっ!差し入れ!優くんの分。それと、英吉くんの分!すごいね。こんなに暑いのに、よく頑張ったね。」

 「!あ、ありがとう……。」

 僕と英吉にそれぞれ、言って、手渡してくる。僕と英吉は起き上がってそれを受け取る。

 励ましの言葉に、つい心が和らぎそうで。

 「おぉう……。天使だ。天使がいるぜぇ……。ありがたや、ありがたやぁ。ああ、雪奈、俺と結婚してくれぇ!!」

 雪奈の励ましは、荒んだ心を癒してくれる。英吉は感動し、涙を流し、歓喜する。その勢いで、挙句告白までする始末。

 ……僕の目の前で、よくできるね、と呆れてしまう。

 「だめだよぉ。英吉くんには、もっといい人が見つかるから。」

 ……やんわりとその告白を、受け流す。

 「うはぅっ?!」

 心にダメージが。また、仰向けに倒れる。

 「あと、あの、もう一人の女の子の分。一緒に走っていたよね。今日も暑いから、熱中症には、気を付けないと。」

 「あ、うん。」

 僕にさらに一本、渡してくる。それは、灰色ノルの分。また、熱中症には気を付けましょうと忠告を。

 「と・く・に、優くん。怪我しているんだから、もっと注意しないと。」

 付け加えに、僕には少し厳しく。心配そうな顔をついでに見せていた。

 ……何だか、ちょっと矛盾しているような気がする行動。それならば、さっき僕とかを止めていたらよかったんじゃ……。ただまあ、もう過ぎた上、雪奈の性格上、多分気にも留めないと思う。

 「はぁ~い。」

 僕は子供みたいに、間延びした返事をした。

 「じゃあ、私は部活に戻るね!」

 最後、そう言い残して、笑顔で立ち去る。その際、手を振りながら、駆け出して。僕も小さく手を振って、見送った。

 姿が見えなくなったら、そっと、手渡されたスポーツドリンクを口にする。甘酸っぱい味わいで、また、体に浸透していく感覚が、時に心地よく感じた。

 「ふにゃぁぁ……。あ~つ~い~……。」

 「!あ、来た。」

 後ろから、熱せられ、茹で上がった感じに登場してくる灰色ノル。制服まで汗で濡れていた。

 ふらふらした足取りで、僕と英吉二人と同じように、玄関先の水栓に向かったら、同じように水を浴び始めた。

 「……うにゃぁああ~~……。」

 気持ちよさそうな声が上がる。そうしたなら、僕らと同じように、日陰で休もうと入ってくる。

 「!うっ?!」

 「!!」

 その時見せる、濡れに濡れた制服から、映りこむ彼女の体つき。

 僕と英吉は、熱せられた後遺症も相まって、鼻血が出そうになり、思わず鼻を押さえる。

 視線も、逸らす。

 「?」

 灰色ノルは気にもしていないようで、不思議そうに首を傾げた。

 僕は、と、雪奈に渡されたスポーツドリンクで、開いていない方を手渡すものの、なるべくそんな彼女の姿を見ないようにしていた。

 「ゆ、雪奈から。……その、君に……。」

 「!ありがとう!」

 僕のその行為の意図を汲んだ灰色ノルは、お礼を言って、……なぜか僕が手向けた方ではなく、僕の傍に置いていた、僕が開け、口をつけた方を取った。

 「……えっ……。」

 そっとその様子を見て、また、灰色ノルが手にした、僕の口づけドリンクとを見て、絶句。

 灰色ノルは、美味しそうに、僕の口づけした所から、スポーツドリンクを一気に飲み干していく。

 それはつまり、間接キス。

 「あっ……。あぁ……。~~~~~~!!」

 悟ったなら一気に僕の顔は真っ赤になり、挙句、その勢いで鼻血まで噴出した。

 慌てて、僕は鼻を押さえ、止血に徹する。

 「?どうしたの、優くん?」

 僕の様子の変化に、首を傾げる灰色ノル。

 「お?どうした?……あれ、未開封のが優の手にあるってことは……。まさか、間接キスだとぉ?!ヘイヘイヘイ!!ここでラブシーンは勘弁してくれよぉ!」

 僕の様子に、英吉が気づかないわけがない。これ幸いと冷やかしてくる。

 「……ぐはぁっ!俺まで鼻血が……。ったく、いいもの見せてくれる……。眼福眼福。」

 反動はあるようで、英吉もまた、鼻血を出す。同じく押さえる。

 「?これってもしかして、飲みかけだった?あたしが飲んじゃった?」

 どうしてこうなったのかと、僕に聞いてくる灰色ノル。僕は、こっくりと頷いた。

 「~~。」

 ときめきだす、灰色ノル。

 「!」

 「それって、あたしと優くんが、こいび……むぐぅ?!」

 「わー!わー!!」

 ときめきの果てに紡がれる言葉を、僕は反射的に、遮るように彼女の口を手で押さえた。

 押さえられた灰色ノルは、どうして?何で?と瞳で、そんな風に上目遣いで訴えてくる。

 「い、言いたいことは分かったから。お願い、この場では言わないで。……今言われると、倒れそう……。」

 多分、続けられると、僕は、今度は鼻からの出血で倒れそうだ。懇願するように僕は言い聞かせた。

 「ふにゅぅ……。」

 少し寂しそうな声が、漏れ聞こえた。

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