本物(皐月 歩)と偽物(灰色ノル)が出会うと

 噂をすればと、いいタイミングで戸が開いた。幸いだね。

 入ってきたのは、歩だ。

 ただ、さっき会った時とは違い、制服が乱れ、リボンもやや解け、顔が泣きべそ状態だったが。

 鼻をすすり、少し零れた涙も拭っている。

 「……。」

 その状態を見た英吉は、僕を睨み付ける。

 その睨み付けたるや、僕が酷いことをしたんじゃないかの眼差し。

 「僕じゃないよっ!何もしてない!と、とにかく、お、おはよう。」

 一応、釘刺しと挨拶を言っておく。

 「……えっぐ!ひっぐ!!ひ、酷いんだよぉ!お、追いかけてきて、軽く噛みついたり、獣みたいに、乗っかてきたり……。ぼ、ボク、もうお嫁に……い、いけない……っ!!」

 「……。」

 挨拶はともかく、誤解される言い方がやけに気になった。英吉は、僕のさっきの言葉を捨ておいて、余計威圧してくる。 

 やっぱり、酷いことしていたんじゃないかっ!の確信だ。

 「ええと……。英吉?」

 「なあ。俺は、お前のことを誤解していたのかもしれないな。こんな、女の子に酷いことをする奴だとは、思わなかったよ。」

 「?!」

 すっと立ち上がったなら、僕を見据え、何かカッコつけるような言い回しをして、格闘家のような構えを見せる。

 「羨ましいを通り越して、今の俺は、怒りに燃えるっ!!」

 「いや、あの……。」

 言って、何か、体全体からオーラを発し始めた。視覚できる色合いは、炎のような、紫色の何かのような……。 

 「……おぉぉぉぉぉぉぉ……!」

 「?!」

 唸り声のような、すごく低い音が英吉の口から漏れる。呼応するように、周囲の空気がなぜか震えだした。

 いつもの英吉じゃない、何か、違う、別の存在に。これほどの力を、英吉は隠し持っていたのか?!

 「ひ、ひぇぇ!!!」

 構え、僕を睨み付けた英吉に、僕ができることはただ、悲鳴を上げて、死を覚悟するだけだ。

 この状況を打開できる策は、……あった。その怒りにも似た空気を打開する、それは……。

 ……灰色ノルだった……。

 その空気振動が頂点に達したその瞬間に、戸が開き、状況なんて無視して、笑顔で僕に飛び込んでくる。

 「どーん!」

 「?!うぼぁ?!」

 「ええっ?!ちょっと……!!」

 ダッシュで踏み切り、ダイブしてくる灰色ノル。その反動で、道中にいた英吉は、灰色ノルの体に当たり、跳ね飛ばされる。その灰色ノルのダイブの到達点は僕だった。

 その、すれ違い際に、跳ね飛ばされた英吉の姿を見た。

 女の子の体、……それも胸に当たり飛ばされたそれに、途端満足そうな笑みで。昇天しそうな勢いだった。

 「ハグっ!」

 「むぐぅ!!」

 灰色ノルの衝撃に、僕は強い痛みを感じた。昨日の怪我の痛み。

 遅れて、派手に崩れ落ちる音、多分、英吉が、跳ね飛ばれて壁に激突した音だ。横目に見れば、確かにその姿が転がっており、それでいて、満足そうで、動かない。

 僕は、抱擁状態で手を合わせられないが、目を瞑り、英吉の冥福を祈った。

 ……いい奴だった。女の子好きで、傷つく所なんて見たくないと、優しい奴だった。彼は、大好きな、女子の胸に当たり、逝く。……魂が救われますように……。

 「……にぅぅぅ?!」

 僕が、灰色ノルに抱擁されたその姿に、思わず顔を赤らめ、歩は軽く悲鳴を上げた。

 灰色ノルの抱擁を解き、英吉を蘇生させる。

 「はっ!!」

 大袈裟に飛び起きたなら、僕への怒りはどこへ行ったのやら、英吉を跳ねた人物をまじまじと見だす。

 「……こいつは?」

 確か、初めてだったよね、そう聞いて来る。

 「……レンの言っていた、『灰色ノル』。この前まで、僕らの前で〝歩〟のフリをしていた女の子。ついでに、今日歩を襲った犯人。」

 僕は、丁寧に説明した。

 「……おk、分かった。んで、何でこの、偽歩がいるんだ?本物もいるのに。」

 「僕に聞かれても。」

 ただ、灰色ノルがいる理由は分からない。僕は、知ってそうな二人に目配せした。

 灰色ノルは首を傾げている。

 歩は、何か言いたそうだ。

 「……うぅ~。分からないけど、ボク、博士から来ていいって言われただけだから。」

 涙目ながら、言ってきた。 

 「……はっきりしないな。」

 英吉は釈然としないようだ。

 僕は何となく事情は知っている。この夏休み中、灰色ノルの社会見学を兼ねて、歩に扮して僕らのグループに入っていた、ということ。歩はその間、自宅にずっといたみたいで、あまり僕らと接触はしていない。 

 それが今、本物と偽物が、同時に存在している。奇妙な感覚だ。僕が知っている以外の事情があるのかもしれない。 

 「……てか、歩、今まで何やっていたんだ?」

 ここ数日、本物に会っていないから、英吉は当然のことを続ける。

 「えっ。ボク、ずっと家にいたよ。」

 歩の回答。

 「……そうだろうけどな、ほら、肝試しの後、優たちとはぐれて、さ。その後。」

 今日までは確かに家にいたのだろうけれど、例の肝試しの直後は、と。僕も聞きたいと思った。

 「僕も聞きたい。」

 言ってみる。

 歩は、ちらりと灰色ノルを見て、ぽつりと口を動かす。

 「……ボクね、そこの、ええと、猫耳?さんに驚かされて、気絶しちゃって。で、気が付いたら家にいて……。その後、博士から電話があって、自宅に待機しててって。だから……。」

 やっぱりずっと、この間家にいたらしい。

 だから事情も、よく理解してはいないのかもしれない。

 「なるほど、それだけか。で、この灰色ノル?ここにいる理由は?」

 回答としては不足と、英吉は灰色ノルに話を振ってみる。 

 「?なぁに?」

 「……いや、さ。人前に出て大丈夫、なのかなって。」

 「!うん!大丈夫だよ。今は、昼でも学校内ならどこでもいいって、博士が。だから、いるんだよ。」

 「そっか。」

 博士の許可があるから、学校内なら出歩いていい、ということらしい。灰色ノルは、このことを、ときめきながら言う。いつも、出歩くのを規制され、さらには、自らを偽って、窮屈だったのかもしれない。

 「それに、学校って楽しいし。」

 笑顔で言う灰色ノル。

 「そうか?俺は退屈だぜ?だって、俺たちの担任は鬼教師だし、俺に至っては、女の子に全然モテないし。面白くないったらありゃしない。あーあ。どこかの異世界にでも転生して、女侍らせハーレムしたいなぁ。」

 反対意見に、人生詰まらなさそうに自らの願望を述べる、英吉。僕は苦笑した。

 「かー!モテる男はいいよなぁ!!この間は、一緒にお菓子食べあいっこしたりとか。」

 「って!ちょ……何でその話を振る?!」

 僕の苦笑に、さらに自らの不満を加えた反撃を英吉がしてきた。僕は笑顔から一転、恥ずかしさに顔を赤くする。

 「い、一緒に食べ合いっこって……?!」

 歩もまた、顔を赤くして言ってきた。

 歩は、知らない。いや、知らなくていいよ。それで、色々と丸く収まるなら。 

 「あれ良かったねぇ、優くん!でも、同じお菓子を一緒に食べよう、ってしたら、レンくんに邪魔されちゃったし。」

 「うっ……。」

 この状況に、火に油を注ぐように、補足してきた灰色ノル、僕はその言葉に何のコメントも返すことができない。

 「同じお菓子を一緒にって?!優、おま……。」

 「~~~~!!」

 結果、火が勢いよくなった。英吉は言葉を詰まらせ、歩は顔が沸騰しそうなほど真っ赤になっていく。

 英吉は勢いよく立ち上がったなら、また同じように気迫を発してきた。

 「許せん!!貴様ぁ!!この、女たらしめっ!!この俺様、最上英吉が成敗してくれる!ぉおおおおおおおおおお!!!」

 「ってなんでぇ?!こんなことになるの?!うぅ……これだから言いたくなかったんだ。」

 僕もまた、椅子から飛び上がり、臨戦態勢に。

 僕と英吉、視線合う教室中の空気がまた揺れ始めた。

 「!」

 その様子に、何か興味深いものを感じた灰色ノルは、目を開き、じっと僕と英吉の様子を伺った。

 猫のように、その口角が上がったと思ったなら、英吉に飛び掛かってくる。

 「〝取っ組み合いごっこ〟だね!負けないよぉ!うーがおー!!」

 「?!後ろからだとっ?!ぐわぁああああああああ!!」

 取っ組み合いになり、押し倒され、英吉は下敷きに。悪役みたいな声を上げ、羽交い絞めにされてしまう。灰色ノルは、楽しそうに笑んでいた。

 英吉は、その取っ組み合いに、次第に嫌らしく笑みを浮かべていく。その……、胸が当たって、女の子の柔らかさに、満足していっているようで。

 「……あ、あはぁっ♪」

 突如、変な声を上げ、……やがて体は力を失い、すっと、腕が下りた。

 「?うゅ?」

 力が抜けきった英吉に、不思議そうに首を傾げる灰色ノル。すっと、羽交い絞めを解いたなら、英吉の体は、同じく崩れ去る。

 「にぅぅ?!」

 羽交い絞めの光景を何と解釈したか知らないが、沸騰した顔の歩は、とうとう湯気が噴出していた。

 「に、にぅぅぅわぁあああああん!!!」

 いつもの鳴き声を出したなら、また蒸気機関車のような音を立てながら走り去ってしまう。

 「!」

 元が猫だからか、その動きに反応する灰色ノル。さっと歩を見たなら、また、同じように疾走しだす。

 「〝狩りごっこ〟だねっ!負けないよぉ!」

 「……。」 

 朝のやり取りを思い起こすように。

 「にぅぅぅわぁぁぁん!!やーめーてーよー!!」

 「たーのしー!!」

 遠くからの声。……デジャヴ……。

 僕は、黙って見届けるだけだった。そっと、視線を、傍で幸せそうに眠る英吉に向ける。

 あんな状況であれ、女の子に抱擁された、それは男冥利のようで、どれほどのものかは、その幸せそうな〝死に顔〟が語る。

 僕はそっと、手を合わせ、英吉の冥福をまた祈った。

 ……いい奴だった。女の子好きで、傷つく所なんて見たくないと、優しい奴だった。どうか、魂が救われますように……。

 そうして、空き教室にて孤独となった。

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