違和感が日常に変わって
翌朝、早い時間。
「……それじゃ、行ってくるね。きちんと、ご飯食べてね?」
「!」
そっと、囁くような声が響き、僕はそっと目を開く。見れば、部活着の雪奈が、僕の顔を覗き込み、聖母のような笑みで僕に行っていた。僕が目を覚ましたと気づいたなら。
「おはよう!」
優しそうに言うのだ。
「……おはよう。」
僕も同じく返す。
そっと、笑みも返したなら、雪奈はまた、出掛けて行った。
雪奈から遅れて、僕もまた出掛ける。もちろん、夏休みの学校へ。不思議と傷は痛まず、僕一人で学校へ行けるほどだ。案外、雪奈のおまじないが効いたのかもしれないね。
道中特に何もなく。だが、校門で……。
「優く~んっ!おはようっ!ハグっ!にゃひひ!」
「?!」
こっそり隠れていたあの娘に、抱きつかれた。灰色の髪の、あの女の子。……灰色ノルだ。
変装用の用具も付けず、僕の前に現れているのは、もう必要がないからか。
「……ええと、変装しなくても大丈夫なの?」
僕は聞いてみた。
「うなぁ!そうじゃないよ!朝は、〝おはよう〟だよっ!」
「……あ、はい。」
それは今返す言葉じゃない、と僕は逆に諭される。素直に頷いた。
「……おはよう。」
素直に、きちんと朝の挨拶をする。したなら、灰色ノルは抱擁を解き、きちっと姿勢を正して僕に向き直る。
「……他には?」
「……うん?」
可愛らしく首を傾げて、期待込めて聞いてきた。
何が欲しい?何を求めている?意図が分からず僕は灰色ノルと同じように首を傾げた。
「……ええと、他に?」
「む~……。ほらほら、〝今日もきれいだね〟とか、〝今日も可愛いね〟とか、そういうのないの?」
「え~……。」
朝の挨拶だけじゃなく、その先も求めてきたようで。
僕は残念ながら、困惑するばかり。
……他に何の話題を出そうか。朝のニュース?
……やばい、今日の朝の見てなかった……。
「……じゃあ、今日は何する?僕は特に予定がないから。」
「わぁ、いいね。じゃあ、あたしは、またお菓子食べたいっ!えへへ、この前みたいに、お庭で、テーブルに座って、一緒にぃ……。これでいい?」
「……ええと……。」
適当な話題が思いつかない、僕の手段、それは今日何しよう。彼女の返事としては、前に、僕と二人でやった、お菓子会のようだった。
それに余計、僕は困惑する。
「むふ~!じゃあ、ハグっ!」
「!!」
何かの嬉しさに灰色ノルは、また僕に抱擁をしてきた。困惑も相まって、僕は余計混乱してしまう。
どうしようと、救いを求めるよう周囲に視線を振りまいた。
「あっ!」
と、見知った誰かと僕は視線が合う。
ボブカットの、……幼い体つきの、皐月歩だ。……もちろん、本物だよ。
少し、俯き加減の歩は、僕の視線を感じるなり、そっと顔を上げて僕を見た。
「!!」
「あ、歩!お、おはよう。……ええと、その。……ちょっと、ヘルプ……。」
久しい気がするが、何事もないように、僕は手を上げてまずは挨拶。そして、この状況をどうにかして欲しいと、助けを求めた。
だが、僕と灰色ノルの、ハグをしている様相を見るにあたって、その瞳は震えだし、相まってその体も震える。
「ゆ、優くん、それって……!それって!!!に、にうぅぅわぁあああああああん!!!」
「あ!!」
何かの感情が臨界点に達し、爆発。歩は堰を切ったように泣き出し、顔を真っ赤にし、蒸気機関車のように湯気を出しながら疾走する。
僕は、しまったと救いの手を失ってしまう。
「!〝狩りごっこ〟だねっ!負けないよぉ!」
歩のその様相を見た灰色ノルは、その突発的な動きに、猫の本能からか、反応し、僕との抱擁を解き、素早く駆け出していく。その疾走は速く、やっぱりこの娘も、陸上競技なら大会新記録を目指せそうだ。
あっと言う間に遠くまで走り去っていく。
「わーい!たーのしー!!」
「にぅぅぅわぁあああん?!やぁだ!やーめーてーよー!!」
「……。」
遠くから、やたら賑やかに聞こえてくる、二人の声。置いてきぼりの僕は、ぽつりと一人、何も言葉なく、佇む。何だか朝から、混乱することばかりと、複雑だ。
少し、呼吸を整えるように溜息一つ、二人そっちのけで、校舎に入っていく。
その校舎に入ったすぐの掲示板に、僕の視線は釘付けとなる。
「……何だろう……。」
『校舎内で、花火を打ち合ったバカたれがいる!怪我人も出た。夏休み中だからと、羽目を外して危険なことをしないように。なお、今後危険なことをしたバカたれは、後日先生の所に来るように。〝ドキッ!美女と一緒のレッスン、夜までやるよっ!〟、堪能してね♪』
「……うっ?!」
内容は多分、僕とレンが酷い目にあったそれをカバーするストーリーのようで、また、これ幸いと注意喚起にも用いられている。いるのだが、途端痛みよりも吐き気を僕は催してしまう。
罰が想像でき、……僕は元より、英吉にもダメージが来る内容だ。
……気分悪くても僕は、多分英吉がいるであろう空き教室に向かう。
「……おはよう。」
戸を開け、第一声。ついでに見渡すと、英吉ただ一人座り、かつ、気分悪そうに項垂れていた。その気分悪さは、大方あの注意書きを見たからだろうね。
なお、レンは、いない。
「!お、おう!おはよう。」
僕の声に遅れて気づき、英吉はぱっと頭を上げ、返事をする。
「……優、大丈夫か?その、怪我……。」
「!う、うん。大丈夫、痛みも引いたし。……心配してくれてありがとう。」
続くのは、僕の安否。昨日夕方、去り際僕を心配していた。
僕は、大丈夫だよ、と、さらにあの時はありがとうと、言う。
「それよりも、英吉、何か元気ないね。……まさか……。」
「……そっちに行く?自分のことより。まあ、元気そうで何より。……そのまさか、さ。」
「……絶対、あの注意書き、博士だよね?」
「ああ。絶対だ。行き遅れが祟って、とうとう生徒にまで手を出しそうだぜ!」
今度は英吉が元気ないその理由、やっぱりのようで。
言われて、互いまた青冷める。挙句、吐き気までしてきた。
「……ごめん、話題変えるよ。」
言って、椅子を持ってきて座る。
「……レンは、見掛けた?」
口直しに、僕は別の話題を振る。
「いや、見てないな。何かあったか?」
「……う~ん……ちょっとね。」
今日も見ていないとのこと。ただ、昨日の場合は、英吉も知っている通り、レンの任務のことがあり、姿を見掛けていなかったが、今日は。また、何か理由を知っているか聞かれる。
どう言おうか、困ってしまう。何せ、僕共々、レンもまた銃撃されたのだから。
あ、困るほどでもないや。同じ理由で、誤魔化せるかもしれない。
「……花火撃ち合いで、怪我でもしたからかな。けど、平気そうだったし……。」
と。
「……。」
僕が少し困りながら紡いだものの、言い訳だなと見抜いたか、途端押し黙る英吉。
「……そっか。」
が、間を開けて、その呟きで強引に納得してみせる。
「レンも……また、火遊びが好きな奴だ。優といい、な。へへっ。面白そうだったら、俺も参加したいぜ。」
「あはは……。」
納得の後のコメントには、僕は苦笑しかできない。
「……けど、あんまり火遊びしたら、それこそ、英吉の大好きな博士の特別レッスンが待ち構えていると思うな……。」
「あ~そうだな。それなら、あんまりしたかないな。……てか、待て。いつ俺が博士のことを好きだなんて言ったか?……やめろ……。」
「?」
「……悪寒がしてきた。吐き気もする。……おぇぇ……。」
続く会話に、また僕は、先の注意書きの件まで戻ってしまい、それは、英吉を気分悪くさせてしまう。
「……分かった。話題変えるよ。」
「……そうしてくれ。これ以上、俺の心にトラウマを植え付けないで……。」
また、お口直しを。……英吉は懇願してきた。
「今日、歩を見たんだ。学校に、来たよ。」
「おっ!そうか。……本物だよな?」
その話題に、今朝会った歩を引き合いに出す。英吉は食いついてきた。
「本物だよ。あの怯え様や、恥ずかしがる姿とか。……泣き虫な所とか。」
「ほ~ん。……で、何でここに来ない?会ったんなら、ここまで来そうなものだが。」
「ええと……。」
本物なのは確かなんだけど、何でここに来ないのだろうかと問われると。……また僕は、困惑してしまう。
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