黄昏に博士は語る

 「……。」

 深海から意識が浮上するような感覚と共に、僕の聴覚が蘇りつつある。

 「……オイオイ!……マジかっ……。優が……。」

 英吉の声。それより先は、紡がれず。

 「……帰りな。もがみん、お前に話すことは、ない……。いや、どこかのバカたれが、花火、それもロケット花火をふざけて腹にぶちかました、とでも言っておこうか。……それとも、死ぬ覚悟があって、本当のことを聞きたいか?」

 「うっ……!ぐぐ……。」 

 「……。」

 「……。」

 博士に制される英吉、悔しそうに。

 沈黙の一瞬。

 「……いや、そうじゃないか。最も聞きたいのは、優の体だろう?なら大丈夫だ、問題はない。傷口も塞がり、状態も安定している。呼吸も安定している。……無事さ。」

 見抜いたか、英吉にそのことを告げる。

 「……本当なんだろうな?」

 「……嘘をついてどうなる?何なら、あたしの〝教師生命〟を賭けてもいいぞ?」

 「……分かった。」

 信用するには物足りない、しかし、博士は誓って、嘘ではないと言う。

 この口調は、いつもの口調で、だからか、英吉は理解したみたいだ。

 「……優、……その、俺はもう帰るから……。また、明日な。」

 博士を信用するしかない。僕に声掛けをし、いつもの挨拶を。が、その口調は寂しそうで、いいや、祈るかのようだ。踵を返し、足音が遠退いていく。

 「……〝教師生命〟を賭けてもいい、か……。そうだな、何の罪もない、いいや、あたしがいる世界にゃ、関係のない奴を殺しかけたんだ。……責任は……。」

 一人になったのだろう、博士は独り言を呟きだす。

 その頃に僕は、体の感覚が大分戻っていたみたいで、少しピクリと動いた。瞼をゆっくり開いてみれば、目に付いたのは、まだら模様の天井。

 鼻についたのは、色々な薬品の香り、フェノール臭に近いもの。ここは、病院だろうか?

 どこだろうと僕は体を起き上がらせた。

 「!!」

 見渡そうと少し首を動かした僕に飛び込んできたのは、夕刻の陽の輝き、オレンジに似た、色合いの光、部屋をその色に彩っていく。周辺を見るものの、病院というには、あまりにも貧相すぎて、応急の処置はできても、集中して治療ができるものではない。

 いきなり僕が起き上がったのを見て、目を丸くする博士。その様子も、僕の目に飛び込んできた。ただ、いつもの白衣姿ではなく、その下に隠された服の姿だが。

 理由それは僕に、あの時止血を施した際に使用したからか。

 「なんとっ!……もう起き上がれるのか。」

 「……ええと、ここは?」

 第一声は変なもので、けれど僕は、ここはどこだろうの疑問。明らかに、病院じゃないだろう。

 また、よく見える。周囲には、古びた体重計や、骨格標本、どこかレトロさえ感じるここは、もしや保健室か。

 「……まあいい。ここは保健室だ。あたしや灰色ノルが表立つと色々と問題があってね、病院じゃなく、ここを借りた。それに、銃撃戦なんて……。そこのところ、……理解してくれよ。」

 「……。」

 答えはやはりで。博士は、申し訳なさそうな顔だった。

 「多分、自分の体のことが気になっているだろう。」

 「……。」

 僕は聞かれて、頷く。確かに、体を撃たれた故に、今自分の状態が気になっているのは事実。

 「できる処置は施してある。傷の縫合も、あたしがやった。確認してみるといい。」

 「……。」 

 博士に言われ、僕はそっと自分の制服を上げてみる。そこには、包帯が巻かれていて、傷は残念ながら見えない。ただ、心配ではある。 

 「……心配そうな顔だな。」

 「……。」

 また、聞かれて頷く。博士は、信用されていないか、と言いたげで、頭をポリポリ掻いた。

 信頼のために、博士は口を開く。

 「……信頼されていないようだな。まあ、医者じゃないってのが痛いね。……一応これでも、大学時代に解剖も縫合もやったことあるんだ、……人間以外のな。だから、心構えも、技術もあるつもりさね。本当なら、本業の人間にやらせた方がいいんだけどな……だが、あたしは、いやあたしと灰色ノルは……。」

 複雑そうな様子だった。

 表立って姿を現すわけにはいかない、かといって、他の誰かを待っていては、出血多量で僕が死んでしまう。ならば、との、やむをえない処置。

 「……。いえ、大丈夫です。分かりました。」

 「……。」

 僕は、意識を失っている間に何が起きていたのかを理解することはできない。けれど、博士は必死に処置を行った、その心に偽りがないのなら、理解を示すための頷きを。

 「……優しいな、お前は。レンも救いもした。もし、人類全てが、お前みたいな奴ばかりだったなら、あたしも灰色ノルもこんな目にはならなかったろうにな。お前、あたし、いや、灰色ノルのこと、どれだけ知っている?レンと何か、情報共有をしたのだろう?」

 「!」

 優しさに触れたからか、博士は何か、言いたそうで、始めの質問をしてくる。

 言われた通り、僕は口を開く。

 「僕は……。」

 レンから聞いた、灰色ノルのこと。

 レンの、こと。これらつまり、今日の複雑カオスの原因。

 「……そこまでか。あいつら、無関係の人間さえ利用するか。……まあ、仕方ない。優、覚悟して聞けよ。これは、生半可な与太話で済むもんじゃない。人類そのものを脅かしかねないことだから。」

 「……。」 

 博士は僕の話を聞いて、自ら何か語りだす、その前置きに、覚悟を要求してきた。僕は固唾を飲んで、頷く。

 「……それは、あたしの研究テーマだった。……。」


 再生医療、あるいは、遺伝子治療にさえ関わる分野だった。その応用は禁断で、新しい生命体さえ作り出してしまえるだろうというものだった。受精卵の遺伝子融合、改変技術、駆使した果てに生まれたのが、灰色ノルを含む、動物の特性を内包した人間。

 だがな、神様は残酷さ。

 灰色ノルには、沢山の姉妹が、兄弟がいた。けれど、胚の段階から、成長し、人の姿を象り、個体になったのは、灰色ノル、あの娘だけだったんだ。他のは、……成長する前に、いや、成長しても、この世には誕生できなかった。それは、奇跡だったんだよ。

 多くの研究を、観察をあの娘にした。どれもこれも、ノーベル賞ものだったよ。

 だがな、やっぱり神様は残酷さ。

 あの娘を、認めるわけにはいかない。そういう連中は沢山いた。

 存在を認めてしまったなら、人類全てが、その地位を揺るがしてしまう。今まで、生物界の頂点に君臨し続けてきた構図が、瓦解する。

 人類のために設計されたシステムは、急激に陳腐化する。

 それが、多くの人間には、耐えられない。

 だから、成長しきる前に、排除してしまおう。その流れのままであったなら、あの娘はもうこの世にはいない。だが今、生きている。

 あたしは、神様に反発した。

 殺されるぐらいなら、この命の灯を消すぐらいなら、あたしが犠牲になって、この娘共々生きていける方法をとる。そのために、名前さえ捨てたさ。何せ、あの娘には、〝未来〟があるから。〝未来〟があると、確信したから。

 今この国はね、人口減少に向かっている。失った人口を、機械やAIで補っている。言うなれば、この国は、社会は、〝サイボーグ〟さね。

 そこに生物としての〝未来〟はない。それを可能にしてくれる、未来の存在、それが、それこそが、『灰色ノル』だよ。この社会の、廃れるこの国の未来を、歴史を継承する、それこそが、『灰色ノル』さ。

 あたしは、神様に反発して見せる。

 多分、優も知っているだろう、レンたちがあたしを殺しに来るだろうね。そう、彼らこそ、その彼女を認められない存在、組織の一つさね。


 「……神様に、反発してみせるさね。〝未来〟のために。」

 「……。」

 博士は、多く喋り、ふっと、一息をつく。

 その様子は普段見せる表情ではなく、異様に真剣な表情だった。

 僕は、黙して聞いていた。

 「……脅威っていうなら、レンは他にも病原体のことを言っていたけど、それはどうなんです?」

 灰色ノルの話を聞き、快く思わない人間もいる、これは理解した。ただ、僕が聞いた脅威の一つ、病原体についての言葉がない。未来とか、人類を凌駕するとか何とか、僕はあんまり理解できない、想像できないし。博士は、灰色ノルの研究者であったのなら、聞いておくのもよしか。僕は、問うてみた。

 「ああ、そのことね。別に何ともないさ。あの娘は、人間の免疫よりも高い。人類の脅威になるような病原体を媒介することもない。というか、ベースは人間だぞ。突然変異して病気が蔓延するなら、灰色ノルがいないこの瞬間でも、その可能性はあるぞ。……大方、レンとかに、さもありなんと、言い訳を言ったんだろうよ、奴ら。人類の脅威を際立たせる意味でもね。」

 「はぁ。」

 「安心しろ。あたしを誰だと思っているんだ?普段は生物、化学の教員だが、今は、あの娘の研究者、そのあたしが言うんだ、……少しは信用しろよ。ともかく、安全だよ。」

 「……。」

 あっけらかんとした感じで、答えてくる。先の真剣さはない。 

 「……他に何かあるか?一応、機会は大事にしておいた方がいいぞ。」

 「あ、じゃあ。……この学校にいる理由って?」

 「おお、それか。」

 ついでにと、博士がこの学校にいる理由。

 「いいねぇ。理由ねぇ。深堀してくるなんて、まるで、あたしと結婚したいみたいじゃないかぁ、先生嬉しいよ。」

 「……。」

 いつもの博士の調子に戻ってきている。僕は、言葉に背筋を凍らせる。

 それは、英吉にお願いします。

 「理由は、匿われているってのが大きいな。この世界はな、どうもあたしを、あたしの研究を必要とする奴もいてな、その一つがこの学校さ。あたしの知識、研究、それを喪失させたくはない。そういうこともあって、あたしはここにいる、灰色ノルと共に。まあ、匿う代わりとして、あたしに教員をやれ、っていう条件もあったがな。」

 「はぁ。」

 レンもあの時言っていた、〝匿われている〟というのは、こういうことだったらしい。だから、今日この日まで、灰色ノルも博士も生きてこれた。誰にも知られることなく。何だか、僕らが色々したせいで、灰色ノルと博士の、守られる結界を壊してしまった感じだ。

 この時、罪悪感が沸き起こった。

 「……何だか、すみません。僕たちが〝肝試し〟なんかするから。」

 「……。」

 この謝罪によって、元通りになることでもないのに、僕は頭を下げた。博士は、黙って聞いている。

 「……本当なら、市中引きずり回しでもしてやりたいほどさ。だが、いずれ嗅ぎ付けられただろうさね。レンだって、お前たちと関わらなくても、いずれ辿り着いたかもしれんさ。もういい。もう、お前が心配したりすることもない。……優、お前はまだ大人の世界を知らない、こっからは、大人の世界さ、どうにか、いい着地点でも見つけるよ。」 

 「……はい、……すみません。」

 許す、なんて言葉はない。だが、どちらにしろ、判明してしまうこと、今更どうにもならないと。ここから先は、大人の仕事だ。どうにかする。そう締め括られて、けれど僕は、申し訳なさに頭を下げて。

 「……そんな顔すんな。もう過ぎたこと、お前じゃ何もできんさ。……それに、あんまりそんな顔していると、灰色ノルも悲しむな。あいつ、人のそういう顔を見ると、悲しくなる奴だからさ。」 

 「はぁ……。」

 博士は制し、けれど僕は溜息を一つ。

 「……さて、噂をすれば、だ。お前さんを好いている、〝あいつ〟が来るぞぉ!」

 「?」

 期待を込めた一言が、博士の口から漏れる。と、駆け足が遠くから。扉が思いっきり開く音が聞こえたと思えば、息も絶え絶えに、誰か登場。

 振り返り見れば、灰色ノルだ。

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