ブッチャー

 使い古されたタイヤが鳴らすギュルギュルといじけた音を奥歯に感じながら、縁石を乗り上げ、私は肉屋ブッチャー前に車を路駐させた。まだ時刻は4時を回ったところだが辺りはすでに薄暗く、夕焼けを背景にカラスがしたたかに鳴いている。

 車から降り、顔写真の添えられた肉が並ぶショーケースの上の呼び鈴を叩く。

「あいよ」奥でテレビを見ながら寝転んでいた店主がのそのそと起き上がった。「少々お待ちを……腰が悪いもんで」

 なかなか這い出て来ないので、ショーケースに肘を預けて路地を眺める。ほとんど一車線しかない路地に面したこの裏通りで、シャッターが降りていない店は他に一軒だけだ。閉ざされたシャッターの前では野良猫が空き缶を転がして遊んでいたり、薄汚れた電信柱に日付が一月前の祭りの告知が貼られていていたりする。

 咳払い。店主が出てきた。

「ご用件は?」眠たそうな眼でこちらを眺めている。若いんだか老けているんだかさっぱりわからない顔をした、色白の男である。

「……祝餐エウカリスト」手短かにそう伝えた。

「ああ、はいはい。あんたね」ハンっと、鼻から息が漏れる。「毎度どうも……すまんね、最近遠視がひどくて」

 店主は厚手の手袋をはめ、足元から小型のダンボールを持ち上げた。「義眼にしたいんだが、お医者さんが言うにあんたはなんたらニウムがアレルギーでどうたらとかで……」喋りながら蓋を開け、律儀に中身を一つ一つ確認していく。

 包丁。

 糸鋸。

 ロープ。

 食用ナイフ。

 腸詰め用のゴムパック。

 樹脂粘土。

 スライサー……。

 ドンっと、爆発するような音が鳴る。裏のテレビが東京での戦争風景を映していて、浅黒い肌の軍人が中学か高校くらいの歳の子どもの髪を引っ張りながら、カメラに向けて不明な言語でまくし立てていた。きっと処刑のライブ配信だろう。これから殺されるであろうテレビの少女の運命に思いを馳せる。頭を撃ち抜かれた死体は、少なくとも祝餐エウカリストには使えない。”理念”に反するのだ。

「……どのあたりだい?」道具をチェックしながら、店主が話しかけてきた。

「何が?」

「いや、つまり……」

「ああ……カント区の西街」

「第三小学校ってことか」

「そこに、通ってるね」

「わざわざご苦労さん……」パンと手を叩き、店主は咳払いをする。「OKだ。必要なモンは全部入ってる」段ボールの蓋を閉め、ビニールテープでピッタリと口を留めた。「ステーキでもソーセージでもなんでも作れるよ」

「ありがとう」

「他に入り用なモンは? 臀肉のバラ売りもやってるよ」ショーケース内の赤身肉を指しながらねっとりと笑う。

「いや、大丈夫」

「裏にゃ目玉とか足とかもあるが……タンはどうだい?」

「結構だよ」

「スパイスは?」

「揃えた」

「まあ、そうだよな、丸々一人分使うんだもんな。車ん中かい?」

「……うん」

「名前は?」

 ダンボールを抱えて、店主を見る。「……マナ。日本人だよ」

「いいね、可愛い名前だ」

「見たい?」

 ぴくりと店主の眉尻が動いた。上目遣いに私の顔を二秒ほど見据え、そして何かを察したように黒い歯を見せてニッコリと笑ってみせた。

「いや、いいさ……きれいに飾ってやってくれ」

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