第3話 チャチャと子猫
『ここだよ。私がその子猫を見つけたのは。』
港を離れてチャチャと共に塀の上をしばらく歩いていると、チャチャがある場所を指し示した。
そこは周囲を高い塀で囲まれた、小さな空き地のような場所だった。
『この箱の中にな、ソイツはいたんだ。』
チャチャは塀の上からその空き地へと軽やかに降り立つと、トットットとまた慣れた足取りで空き地に投げ捨てられていた木箱の横へと向かった。
コルクもチャチャと同じようにストンと塀から飛び降りると、小走りでチャチャの元へと向かった。一方ポトフのほうはコルクの肩に止まっているよりも、自分で飛んでいった方が早いと判断したようで、いち早くコルクの肩から大きな翼を広げて空へと飛び立つと、チャチャの頭上の木の枝へと止まった。
この空き地は、もともと建物か何かが建っていたのだろう。この空き地自体は木やら雑草やらがやたらと生い茂った、単なる原っぱのようにしか見えないが、その周囲は全て高い塀で囲われているため、一見してここが人目につきにくい場所なのだということが容易に判断できた。
『…この街の人間は、比較的我々猫にとってもかなり優しい人々だとは聞いていたんだがな。やはり中には平気で子猫を捨ててしまうような残酷な人間だっているって事さ。』
そう言ってチャチャは、悲しそうな表情でその箱を見下ろした。
『…こう見えて私は、最近体の調子がかなり悪くてな…年のせいっていうのもあるんだろうが、今は食事があまり欲しくない…というか、今ではもうほとんど食事が喉を通らないんだ。だけどもそれを、ミモザにだけは悟られたくなくってな。アイツは本当に私に対して、昔っから異常なまでに過保護な人間だったからな…。』
そう言って力なく微笑むチャチャの瞳からは、より一層悲しみが溢れ出していた。まるで遠い昔話でも読み聞かせるかのようにそう静かに語るチャチャの話に、コルクとポトフは黙って耳を傾けていた。
『だからいつもミモザにその事を悟られてしまわないように、私はミモザが用意したエサを無理矢理口の中に押し込んでは、毎日外に出かけていたんだ。散歩に行くフリをして外で吐き出せば、ミモザにバレる事なんて、まずあり得ないからね。』
そう言ってチャチャは箱の横に腰をおとすと、前足で自分の顔をひとしきり洗ってから話を続けた。
港の時とは違う緑を含んだ暖かい風が、チャチャのヒゲを優しく撫でる。
『…ちなみに吐き出す場所は特に決まってはいなくてね。その日その日で毎日気まぐれに場所を変えていたんだが、その日はたまたまこの空き地の端で吐き出したのさ。そしたらこの箱の中からピーピー鳴きながらソイツが出てきてさ。腹をすかしていたのか、まだおぼつかない足取りで地面に必死にへばりつきそうになりながら、一生懸命こちらへと近づいて来るのが見えてな。思わず私は、欲しくもないご飯のおかわりをミモザにねだってすぐにまたこの場所にまで戻って来たものさ。』
そう言って懐かしそうな笑顔を浮かべるチャチャに対して、コルクはようやくその重たい口を開いた。
「…お優しいんですね。その子の名前は、なんていうんですか?」
『チビだよ。本当に小さかったからね。初めはもちろんただの戯れのつもりだったさ。むしろ自分の変わりにいつも処理に困っていたはずの私の餌を、毎日喜んで食べてくれるありがたい存在くらいにしか思っていなかった。だけどね。初めは真っ黒で芋みたいだなって思っていたその子の毛並みが、体が少しずつ大きくなるにつれて、うっすらと私と同じような縞模様が出て来た事に気がついてね。…そこからは一気にその子に対しての情が生まれてしまったよ。』
「…まるで自分の子供のように思っていたんですね。」
そう言って、少し切なそうな表情で尋ねるコルクに向かって、チャチャは軽い笑みを浮かべながら答えた。
『…自分の子供…というよりは、正直純粋にその子を家に連れて帰ってミモザと三人で暮らせればいいなと思っていたよ。三人で暮らしていれば、もし万が一私が急にいなくなっても、ミモザがいきなり一人ぼっちになるという事は避けられるからね。けれどもこの街にはすでに猫拐いが出るという噂で持ちきりだからね。まだ自分でまともに歩くことすらできない小さな子を、ミモザの家まで私がくわえて移動させるには、とにかくリスクが高すぎたんだ。だからせめてこの子が自分で走って逃げれるくらいになるまでは、このままここで一人で育ててみようと考えていたんだよ。…そんな時だったね、子猫が拐われてしまったのは。』
そう言ってチャチャは、遠くの空を眺めはじめた。その瞳はどこか虚ろで、そして憂いに満ちている。多分、そのチビと呼ばれた子猫に、深く思いを馳せているのだろう。
普段は人の話を遮るのが大好きなお調子者のポトフも、この時ばかりはチャチャの話に真剣に聞き入っていた。
『迂闊だったね。多分男達は普段から私がこの辺をうろついていた事を、前々から知っていたんだろうね。この辺では縞模様の猫はかえって目立ってしまうという事をすっかり忘れてしまっていたよ。多分奴らは私の事を捕まえようとしてこの空き地にまで足を伸ばして来たんだろうが、その時に奴らは先に子猫の方を見つけてしまったんだろうね。私も必死に追いかけはしたんだか…その後の事はさっき港でアンタ達に話した通りの
そうチャチャが言い終えた瞬間、木の上にいたはずのポトフが、ギャーギャーとけたたましい鳴き声をあげながら、大きな翼をバサバサと羽ばたかせて地上にまで降りてきた。
『あまりにもカワイソウすぎるヨ!コノ話!!助けてアゲようヨ!コルク!絶対助けてアゲよう!絶対!絶対ダヨ!』
そう言って自分の翼を羽ばたかせながら、片言混じりにコルクの事をまくしたてるポトフを、自分の肩に止まるように促したコルクは、少しでも彼が落ち着けるようにポトフの頭を軽く撫でながらこう言った。
「…分かったよ、ポトフ。大丈夫だよ。僕の心もすでにチャチャの事を助けてあげたいって気持ちでいっぱいだからね。」
コルクのその言葉に、ポトフは満足そうにクルルルとその喉を鳴らした。
「…では今日からさっそくこの街の調査を行っていこうと思うんですが、その前に一度あなたに確認しておきたい。あなたの最終的な目標はなんですか?」
コルクのそんな質問に、チャチャは瞳を鈍く光らせると、少し険しい表情となりながらこう答えた。
『…一番はチビの奪還だね。あとは猫拐い達の壊滅。組織ぐるみとならば、なおさらだ。もし猫拐い達が横行している最中に私が死期を迎えてしまったら、ミモザは私が猫拐いにさらわれたと思って、血眼になって奴らの事を探しかねないからね。…ミモザを危険な目に合わせる事だけは絶対に避けたいと思っているんだ。』
自分の死期が近い事よりも、常にミモザの事を最優先に考えるチャチャのそんなまっすぐな姿勢に、コルクとポトフは熱く胸を打たれ続けていた。
「それ程までにあなた、ミモザさんの事を…。」
『…小さい頃からいつも二人で肩を寄せあって暮らして来たからな。ミモザはああ見えてかなりの泣き虫なんだ。昔から寂しがって泣いているミモザを寝かしつけるのが、私の役目だったからな。今度はその役を…あのチビに任せたい。』
まるで「当然だ」とでも言うかのように、優しい微笑みを浮かべたチャチャに向かって、コルクは顎に手をやりながらしばらく考え込んだ後にこう言った。
「…あとはあなたの言ったクリフの事も気になりますね。チャチャさん、この地域を取り仕切っている猫がいるならば、一度会わせてはいただけませんか?」
この地方の人間は、いまだこの猫拐い事件が人間の手による犯行であるという事すら掴めていない状況のようだ。コルクはそんな人間達にむやみに話を聞いてまわるよりかは、チャチャのように猫達の話を聞く方が、何か有力な手がかりに繋がるのではないかと考えた。
…それに猫達に話を聞いてまわる方が、猫拐いの犯人達にこちらの動きを知られなくて済むしな…
そうした事も踏まえて、コルクはチャチャにその提案を申し込んだ。
『…お頭の事か…?
まぁいいだろう。…ただ…』
「…ただ?」
あれだけ流暢に話していたはずのチャチャが、急に言葉を濁しはじめたのがやけに気になる。
『アイツは…その…今ものすごくひよってしまっいるんだが、それでもいいか?』
「…ひよっている…?」
こうしてコルクは、チャチャのその言葉の真意も分からないまま、『猫のお頭』とやらに会うこととなったのだった。
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