第六章 発動! 最後の作戦 4


       * 4 *


 息を吐いた後大きく息を吸って、少し乱れた息を整える。

 誰かがいる気配はない。

 授業が終わってまだ二分と経っていない。少し早すぎたかも知れないと思いつつ、ひかるは注意を怠らずに周囲に気を配る。

 体育館と体育倉庫の間に生まれたデッドスペース。

 高い壁があるためあちらからこちらを見ることはできないが、壁の向こうは一般家屋がある。もう一面は道路に面しているものの、蔓が生い茂っているため見通すことはできなくなっている。

 日差しがほとんどないため湿気が強いこの場所は、男女の告白の舞台に使われることも、いじめの現場にも使われることもない、まさにデッドスペースになっていた。

 おそらくコルヴスからだろう手紙には、放課後にここにひとりで来るように書かれていた。

 もうすぐ期末試験だというのにひかるは授業に身が入らず、終礼が終わってすぐに走るくらいの速度でここにやってきていた。

「いたずらだったのかしら」

 少し待っていても誰も来る様子も、人の気配がすることもない。

 諦めて返ろうとしたとき、声がした。

「ずいぶん早かったね、シャイナー」

 その声は反響があってどこからしているのかわからなかった。もしかしたらどこかにスピーカーでも仕込んでいるのかも知れない。

 体育倉庫の上からなのか、それとも体育館の中からなのか、微かに人の気配はするけれど、ひかるは声の主を見つけることはできなかった。

「ワタシはふざけた手紙をよこした相手を確認しに来ただけよ」

 変身スーツを身につけていないのか、いつもと少し違う感じのする声だったが、口調からするとコルヴスだった。

 人の気配はひとつだけで、おそらくひとりだろうとひかるは判断する。

 たとえコルヴスに正体がバレていても、それを認めるわけにはいかない。シャイナーの力を失うわけにはいかなかったから。

「何故ワタシがシャイナーだと?」

「それは……」

 言葉を濁したコルヴスが次の言葉を発するまで、わずかな間があった。

「類い希なる運動神経と頭の回転の速さ。努力を惜しまない行動力。それから――」

「それから?」

「……シャイナーという、君らしいすばらしい名前から、だよ」

 そこまでコルヴスに評価されていたとは、ひかるはまんざらでもない気分だった。

 シャイナーであることを認める気はなかったが、そうしないまでも話はできる。

 どこにいるのかわからないコルヴスに向かって、ひかるは胸を張った。

「ワタシが、それを認めると思うの? 正体を晒せば失格になるのよ」

 自分がシャイナーであることを認めているに等しい言葉であるのはわかっていたが、明確に肯定をするのは避けた。

「それについては大丈夫だよ。言葉で正体を晒しても失格の条件はならないからね。何しろ仲間を集めるときには変身していないときに正体を明かして、参加を呼びかけないといけない。そっちの取扱説明書にも書いてあると思うよ」

 必要を感じなかったので詳しくは憶えていなかったが、確かに仲間となる人物に参加を呼びかける場合は、コルヴスの言ったとおりにしなければならないはずだった。

 それでもひかるは、彼の言葉を鵜呑みにする気はない。

「それでいったい何の用なのかしら? シャイナーの正体がわかったなら、変身していないときに襲撃でもかければ済むことでしょう?」

「出撃すればおそらく感づかれて、すぐに対応されるだろうしね。それにいま僕は君を倒したいと思ってるわけじゃない。少し、話をしたいと思ってね」

「話?」

 決着を付けるための挑戦状でも叩きつけてくるのかと予想していたひかるは、拍子抜けしていた。

 コルヴスと話したいことなんてなかった。

 トライアルピリオド終了までにもう一度戦って、ステラートを倒す機会ができると思っていたひかるはため息を漏らす。

「貴方としたい話なんてないわ。さっさといつもの通り役に立たない戦闘員を引き連れて街に出てくればいいのよ」

「ひどいことを言ってくれるね。まず最初に報告を。ルプスは、一命を取り留めたよ」

「……そう」

 一瞬、膝の力が抜けそうになった。

 残念だったから、だとひかるは考える。

 敵であるステラートの幹部を殺せていなかったことを、安心する理由は見つからない。

「君がずいぶんひどいことをしてくれたからね。戦線に復帰するのは難しそうだけど」

「当然でしょう。殺すつもりで刺したんだから。良かったわね、コルヴス。可愛い恋人が死ななくて」

「そういう関係ではないんだけどね」

 ルプスに感じた必死さは、コルヴスによく見られようとしてのことかと思っていたが、違ったのだろうか。

「それからもうひとつ。君が、シャイナーの力を使って何をしたいか、を。僕は今日、それが知りたくて君をここに呼び出したんだ」

 ――そんなことを訊いてどうするつもり?

 答える必要を感じない。

 答えたいと思うことができない。

 ネズミーにも言っていない、シャイナーの力を真の意味で手に入れた後に何をするのかを、コルヴスに教える気はなかった。

 ――でもいいかも知れない。

 トライアルピリオドをパスした後には、コルヴスに代わって街を破壊して回るのは自分なのだから。

 正義の味方は、悪へと鞍替えするのだから。

 まともに悪の秘密結社として活動をしていないステラートを、いまのうちに諦めさせるにはいい機会かも知れないと、ひかるは思っていた。

「簡単なことよ。すべてを――、すべてを破壊するために」



「簡単なことよ。すべてを――、すべてを破壊するために」

 どうしたら彼女からそんな重々しい言葉が出てくるのか、僕にはそれがわからなかった。

「街も、学校も、家も、全部を壊すために、あの力がほしいのよ」

 斜め上から見る月宮さんは、いつもの澄まし顔と違って、邪悪な笑みを浮かべていた。

 体育館の中の、上段の窓を開閉したり、照明を置いたりするために設置されてるキャットウォーク。そこに座っている僕は、手鏡を使って上から彼女のことを見ていた。

 朝の内に仕込んでおいた無線接続のスピーカーで携帯端末経由で話してるから、いまのところ彼女が僕の位置に気づいている様子はない。

「なんでそんなことがしたいの?」

「なんで?」

 僕の言葉がツボにでもはまったのか、うつむいて肩を震わせる月宮さんの表情は上からでは見えない。

「……そうね、いいわ。教えてあげる」

 顔を上げた月宮さんは、笑顔を浮かべていた。

 何を映してるわけでもない瞳で、何を見ているわけでもない視線を投げかけている彼女は、笑っているのに泣いているように、僕には見えていた。

「すべてが、嫌になったのよ。もう全部いらないのよ。だから全部壊すの。ワタシの周りにあるものを全部、全部壊して、ゼロにするの」

 笑みの形にゆがめた唇から吐き出される言葉は、まるで泣きじゃくる子供から発せられてるようだった。

「そのために、力がほしいのよ」

「そんなことをしてどうなるって言うの? そんなことをした後、どんなことになるのか、想像できないことはないでしょう? 何が目的なの?」

 矢継ぎ早に思いついた疑問をぶつけてみる。

 月宮さんの瞳の奥に、何か黒いものがあることに、僕は気づいていた。でもそれがこんなにもどす黒いものだったとは、想像もしていなかった。

 ――いったい彼女は、どんなことを抱えているんだろう。

「そんなことどうでもいいでしょう。ワタシは貴方を倒して、力を手に入れる。それだけのことよ。それよりもコルヴス。貴方はいったい、ステラートの力を使って何がしたいの? これまでいったい、何ができてきたっていうの?」

「僕は……」

 逆の問われて、僕は口ごもる。

 ステラートで、僕の悪を示してこれたとは思ってない。

 ステラートブリッジ計画のことは気になってるけれど、それがステラートで実現したいものかと考えると、頷くことができない自分にもう気づいていた。

「そんなんだったら、今すぐに貴方の首をワタシに差し出しなさい。いまなら殺したりはしないであげるわ。ステラートの解散だけで済ませてあげる。どう? 悪くない話だと思わない? このままだとどうせ、ステラートはトライアルピリオドをパスできる可能性はないでしょう?」

「それはできない」

 僕は即座にその提案を突っぱねる。

 突っぱねた理由は、僕にもよくわからない。

 でもそれができない相談だと、僕は判断していた。

「だったらこういうのはどう? いまはステラートが作戦行動中にしかワタシは出撃できないのよ。だから、貴方はワタシの隣にいて、見ているだけでいい。その間にワタシは、街を破壊するわ。もう残りの時間は少ないけど、ワタシだったら貴方よりも効率よく街を破壊できると思わない?」

「そんな提案には乗れない」

 月宮さんの中にあるどす黒い物。

 それを彼女はまだ全部は話していない。

 ――僕はそれが知りたい。

 でも暗い笑顔を浮かべている月宮さんは、もうそのことについて話す気があるようには見えなかった。

「よほど、ワタシの方が貴方よりも、効率よく悪を世に示すことができると思うけど?」

「違うよ、それは」

 僕は彼女の言葉を否定する。

 彼女の言っていることが、悪だとはどうしても思えなかった。

「街を破壊し、人を殺し、征服する。それが悪でしょう? ちまちま廃墟を壊してるだけの貴方のどこが悪だっていうの?」

 いつもなら見惚れそうになるほど綺麗な月宮さんは、いまは目を背けたくなるほど醜く見えていた。

「ひとつ訊きたい」

「なに?」

「何故君は、ステラートと戦うの?」

 下らないことを、というようにため息をついた彼女は、言う。

「正義の味方が悪の秘密結社を倒す。それ以上に、自分の正義を示す方法があるとでも言うの?」

「……」

 彼女の言葉は、疑う余地のない当然のことのように思えた。

 ――でも違う。それは、正義じゃない。

 自分の悪も知らない僕が、彼女の正義を否定することなんてできるはずがない。

 それなのに、僕は月宮さんの言葉に、正義がないように思えていた。

「決着をつけましょう。ワタシの正義と、貴方の悪。どちらが残るべきなのか、戦ってはっきりさせましょう」

「……考えておく」

 はっきりしないことを言って、僕は黙り込む。

 しばらくその場に留まっていた月宮さんだけど、僕がそれ以上何も言わなくなったからか、不満そうな息を吐いて立ち去っていった。

 ――僕はもっと、月宮さんのことが知りたい。

 知ることができなかった彼女の想い。

 それが知りたいと、僕は思っていた。

 でもそれは僕の悪なのかどうなのか、よくわからなかった。


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