第六章 発動! 最後の作戦 5
* 5 *
「月宮さんは、本気だった」
ソファに身体を預けて天井を仰ぐ。
家に帰ってきて、僕は今日の月宮さんのことを考えていた。
僕には彼女の言う正義も、悪も、肯定することはできない。
それは違うのだと、そう感じている。
でも僕には、彼女の言葉に言い返す言葉がない。
「はぁ……」
だから僕の口からは、ため息しか出てこなかった。
月宮さんは、言ったとおりにシャイナーの力を手に入れた後、自分の周りのすべてのものを破壊するんだろう。
そう思わせるだけの強さが、彼女の言葉の中にはあった。
いまの僕は、それを止めることができない。
確かに、アクイラとピクシスの力を借りれば、止められるかも知れなかった。でもいまの彼女は、そのふたりすらも打ち破って、自分の望みを達成するんじゃないかと思う、強さを秘めていた。
確かにそれは黒い強さかも知れない。
僕は彼女のその強さの前に立ちはだかっていいのかどうか、わからないでいた。
「あと二週間ちょいか」
壁にかかったカレンダーで残りの日数を数えて、僕はまたため息を漏らす。
何かをしていいかどうかわからないなら、いっそこのまま諦めてしまおうかとさえ思う。
彼女の前に立ちふさがるだけの強さを持てない僕は、このまま終わってしまうのが一番かも知れない。
そんなことを考えてしまっているときだった。
「遼平さん」
リビングに入ってきたのは、樹里。
胸元に左手を当て、少し焦っているようにも見える彼女が言う。
「マリエさんが、目を覚まされました」
急いでアジトに転移して第二待機室に向かう。
「どうぞ、お待ちです」
ほんの少し先に転移していた樹里が扉を開けてくれる。
一歩部屋に入るけど、樹里が着いてくる様子はない。少し目を伏せて僕を見ようとしない彼女の様子に、僕はひとりで部屋に入って扉を閉めた。
生成槽の脇に置かれた病院にあるような質素なベッドの上に、マリエちゃんが横になっていた。僕の姿を認めた彼女は、少し弱々しい感じがありながらも、微笑んでくれる。
変身スーツのヘルメットだけを解除して、僕は早足でベッドに近づいていった。
「マリエちゃん、あの、僕――」
「謝ろうとしてるなら、聞いてあげないよ。遼平はいつもとりあえず謝ろうとするんだから」
「……」
口にしようとした謝罪の言葉を言えずに、僕はぱくぱくと口を開け閉めすることになってしまった。
ずっと寝ていたからか、少しやつれた様子のあるマリエちゃん。でも僕の間抜けな顔を見てクスクスと笑う彼女は、僕の知ってるマリエちゃんだった。
「怪我は跡ひとつ残らず治るって」
「うん」
「期末試験も替え玉が受けるし、記憶も共有されるから、何の心配もいらないよ」
「何か不思議な感じがするけど、学校であったことも、家であったことも全部知ってるよ」
唇に笑みを浮かべて僕の言葉に応えてくれるマリエちゃんに、少し泣きそうになる。
二週間近く、彼女は眠り続けていた。
容態が安定したと言われても、目が覚めないままの彼女が心配で、僕は毎日彼女の様子を見に来ていた。
僕の様子にいろんなことを考えてるだろう彼女の瞳が、いろんな感情の色を浮かべるのを見ていて、僕は本当に彼女が生きていることを実感していた。
まだ傷は完全に治ったわけじゃない。
内臓のダメージは本当にひどくて、皮膚の傷はほとんど消えているけど、人間用じゃない戦闘員生成用の物を転用した治療槽では、樹里のレポート通りならトライアルピリオド終了ぎりぎりまで処置に時間が掛かるという。
それでも彼女が生きていると、帰ってきてくれるんだと実感できたいま、それまでわだかまっていたものが全部が消えてしまったようにすっきりした気分になっていた。
「ねぇ、遼平。ステラートは、この後どうするの?」
「それは……」
問われても僕は返事ができない。
マリエちゃんをこんな目に遭わせてしまったステラートを、シャイナーとの戦いを、誰かを巻き込んで続けるのはためらわれたから。
「シャイナーのことは放っておいていいの?」
毛布から肩から上だけを出してるマリエちゃんは、僕に睨むような視線をかけてくる。
「遼平は、彼女のことをもう気にしてないの?」
「えぇっと――」
少し不満そうな色を瞳に浮かべながら、マリエちゃんは頬をふくらませる。
「気づいてないとでも思ってたの? 遼平はシャイナーが出てくるといつも嬉しそうにしてたよね。そりゃあヘルメット越しじゃどんな顔してるかわかんないけど、シャイナー出現の連絡入ると右手を握りしめてたのって、手を挙げてないけどあれ、たぶんガッツポーズだよね」
ぜんぜん気づいてなかった。
確かにシャイナーの転移反応があったときに「よしっ」と思ってるときがあったのはわかってるけど、そんなことしてるなんてちっとも意識してなかった。
「気にしてないっていったら、嘘になるけどね」
「何かあったの?」
「うん、まぁ……」
話すかどうか少し迷って、僕はアジトの監視機能をオフにする。待機室の扉も僕の承認がないと開かないようにロックする。
「今日、シャイナーに会ってきた」
「会ったって、出撃はしてないよね、今日は」
「うん」
僕はかいつまんで彼女との会話をマリエちゃんに話す。正体が月宮さんだということは伏せて。
「彼女は僕なんかよりずっと強い想いで正義の味方をやってる。僕はまだ、僕の悪すら見つけ出せていないのに……」
「ん~~」
少し考え込むようにうなり声を上げているマリエちゃん。
何かを決意したのか、「うん」とひとりで頷いた後、彼女はずいぶん懐かしい話を始めた。
「遼平。あたしと出会ったときのこと、憶えてる?」
「出会ったときのこと? そりゃあまぁ、憶えてるけど」
マリエちゃんと出会ったのは中学一年のとき。ちょうど同じクラスで、入学直後の自己紹介のときには、彼女は恥ずかしがってみんなに聞こえる声で自分のことを言えないくらい恥ずかしがり屋で、引っ込み思案だった。
でも小柄で意外に活発に動く身体も、ふわふわの髪も、本人は嫌がってることがある可愛らしい丸顔も、それからその性格も、男子には人気が出る要因となった。
そのとき僕はとくにマリエちゃんに興味がなくて、遠くから見ていただけだった。
そんな距離のある関係が変わったのは、夏休みが終わった頃だったと思う。
中学の頃から女子のやっかみに遭っていて、軽くいじめられることがあったらしいマリエちゃんだけど、先輩を味方に付けて気を大きくしたクラスの女子に本格的にいじめられるようになった。
内容的にはたいしたことのないものだけど、本人には相当辛いものだったろう。それがエスカレートしたのは秋頃の話。
ある程度裕福なマリエちゃんの家に目を付けたクラスメイトたちは、彼女に金銭を要求するようになった。最初のうち渋っていたマリエちゃんだったけど、たまたま僕が目撃したとき、彼女ははっきりとそれを拒絶した。
群れると自分が強くなったように思ってしまう人はどこにでもいる。
数日後、クラスメイトたちは男子の先輩たちとともに、マリエちゃんを人気のない場所に連れて行った。
そこに割り込んでいった僕は、マリエちゃんに訊いた。
何故要求を拒否したのか、と。
「強くなりたいから」と答えた彼女の言葉を、僕はよく理解できなかった。
それからその後、クラスメイトたちにも問うた。
金に困ってるなら何故頭を下げて恵んでもらえるようお願いしないのか、と。
僕はそのとき、たぶんマリエちゃんの不可解な答えに苛立っていたんだと思う。僕の問いに返ってきたのは、言葉ではなく拳だった。
その後は勘づいた竜騎が駆けつけてくれなかったらどうなっていたのか、あんまり想像したくはない。たまに喧嘩くらいすることはあると言っても、先輩五人は僕ひとりでは相手にできる人数じゃなかったから。
「あのとき、なんで遼平はあんなことを訊いたの?」
そう問われて、僕はそのときのことをもう一度思い返す。
「……ただ、知りたかったんだ。あのままでいいとは思ってなかった。でも、勝てる人数じゃないのになんで拒否したのか、僕には理解できなかったから」
もし僕が同じような状況に置かれたとしたらどうするだろうか。
たぶんどうにかして要求をかわせないかと考えるんだと思う。
でもマリエちゃんはあのとき、はっきりと拒絶をしたんだ。引っ込み思案で気弱な彼女にどうしてあんな強さがあったのか、僕は不思議でならなかった。
「――うん。そうだよね」
左手で毛布が落ちないよう胸元に引き寄せながら、マリエちゃんが身体を起こす。
「あのとき遼平にあったのは、好奇心。ただ知りたいっていう、本当に純粋な好奇心」
目を細めながら笑うマリエちゃんの身体の後ろが露わになった。
治療用の生成槽から出たままの姿らしい彼女は、開いた自分の手のひらを見つめる。
「でも、でもね? 遼平。あのときあたしもわからなかったの。どうして拒否したのか。ただ、イヤだと思った。その言葉には従えないと思った。どうしてイヤなのか、あたしもよくわかってなかった」
言ってマリエちゃんは、僕のことを見る。
微かに揺れる彼女の瞳が、真っ直ぐに僕のことを見つめていた。
「遼平に問われて、あたしは気づいたの。誰にも迷惑かけないような強さがほしいって。あの言葉に従ってたら、パパとママに――。うぅん、それだけじゃなくて、もっとたくさんの人に迷惑がかかる。だからあたしはあのとき、拒絶するしかなかった。そうしても、ひとりじゃどうにもできなかったんだけどね」
苦笑いを浮かべるマリエちゃんが、もう一度自分の手を見つめる。それから、その手を僕へと伸ばした。
「あのときそのことに気づかせてくれたのは遼平。あたしはあのとき、……そう、悪の秘密結社風に言うなら、遼平に征服されたの。あたしの生まれ育った小さな世界は、あのとき遼平に征服されたんだよ」
伸ばされたマリエちゃんの手に、僕は自分の手を伸ばす。
――やっと、わかった。
僕はいま、自分の悪を理解した。
ただあのとき僕は知りたかったんだ。マリエちゃんと、彼らのことが。
――そしていま僕は――。
シャイナーのことが、月宮さんのことが知りたい。
マリエちゃんに伸ばした手を、彼女の手に重ねることなく、握りしめる。
「ありがとう、マリエちゃん」
「……うぅん」
左手に右手を添えたマリエちゃんは、顔を伏せてしまう。
「あたし、もっと遼平の役に立ちたかったのに、ぜんぜん役に立たなかったね。むしろ、迷惑かけちゃったね」
「うぅん。マリエちゃんはいっぱい役に立ってくれたよ。いまも、ね」
「ありがとう、遼平」
そう言ったマリエちゃんの声は微かに震えていた。
「僕も、ゴメン」
その後に言葉を続けようとしたけど、言葉が出てこなかった。
「時間、ないんだよね」
「うん」
「だったら行って。あたしはもう少し寝るね」
僕に背を向けてマリエちゃんはベッドに横たわる。
マリエちゃんのバイタルモニターが警告を発していた。彼女はまだ、無理をしていい身体じゃない。
「あたしは手伝えないね」
「大丈夫だよ、マリエちゃん。次目覚めるときには、全部終わらせておくから。でもやっぱり、ゴメンね。もっと早くに、僕は僕のやるべきことを見つけておくべきだったんだ」
「そう、だね」
マリエちゃんに背を向けて解除していたヘルメットを装着する。
「行ってらっしゃい、遼平。あたしは、待ってるから」
「うん。行ってきます、マリエちゃん」
もう僕は振り返らなかった。
微かな音がしているのは聞こえていたけど、僕はロックを解除して待機室の扉を開ける。そこで待っていた樹里に言う。
「アクイラとピクシスをアジトに招集。可能な限りすぐに」
「――はい。かしこまりました」
少し驚いたような顔をした樹里だったけど、すぐに表情を引き締めて頷く。
残りの時間は少ない。たぶん時間との勝負になるはずだった。
*
夕暮れに染まる街を、ひかるは少しハイペースで走る。
比較的人通りの少ない道を選んで、いつもトレーニングで使っている運動公園よりも遠い公園に向かって、ひかるは走っていく。
「いつもよりもハイペースじゃねぇか。ったく、寒ぃなぁ」
ジャージの代わりに羽織っているパーカーのフードにしがみついているらしいネズミーが、かろうじて聞こえる程度の声で言う。
――寒いなら家で待っていればいいのに。
家を出てからずっと、寒い寒いと繰り返すネズミーがどうして着いてきたのかは、わからない。フードに潜り込んでいることに気づいたのがある程度走ってからだったから、わざわざ家に戻って置いてくるのも面倒だった。
たどり着いた広い公園は、家からずいぶん遠いのでトレーニングのために使ったことはない場所だった。
それほど遊具があるわけではなく、広い敷地にはランニングコースがあり、主に雑木林と芝生がある。週末ともなると子供を連れた人たちであふれかえっていた公園は、ひかるが子供の頃連れてきてもらったことがある場所だった。
いまは人影もない公園に入ったひかるはポケットから端末を取り出して操作する。
「どうしたんだ、ひかる。今日はえらくご機嫌みたいじゃないか」
「そうかしら?」
端末に示された方向に向かって歩き始めたとき、ひかるは自分の脚が高く上がってることに気づいて、一瞬吹き出しそうになっていた。
「コルヴスに会ったのよ、今日」
「会ったって……、って、正体がばれたのか?! だ、大丈夫なのか? おめぇ。こんなところにうろついてたら、いつ襲撃を受けるかっ」
肩に乗って周りを見回すネズミーの様子に、ひかるはもう一度吹き出しそうになっていた。
「大丈夫よ、たぶんね」
「なんでそんなことがわかるっ」
「さぁ、なんででしょうね?」
理由はひかる自身よくわかっていなかった。
迷いながらも、コルヴスは信念を持って悪の秘密結社をやっているように、今日話して感じていた。
敵でありながら彼のことを信じられる理由はわからない。
けれど卑怯な襲撃によって結末を迎えようとはしないだろうと、ひかるは考えていた。
「この辺だけど……」
マラソンコースを外れ、枯れた芝生の上を歩いて少し。木が密集している雑木林が目の前にあったが、道らしいものは見当たらない。
「ネズミー」
「んだよ」
「あの先、ちょっと見てきてくれる?」
フードの中に潜り込んでいたネズミーに声をかける。
「イヤだよ。寒ぃんだよ。このままだとエネルギー切れるって。早く帰ろうぜ」
「勝手に着いてきたのは貴方でしょう? 少しは役に立ってみせたら?」
「ちぇ」
諦めたように舌打ちしてフードから出て服を伝い下り、ネズミーはひかるの示した茂みの中に入っていく。
「おう、こっちだ。飛び越えてきてみな」
その声に助走を付けて茂みを飛び越えると、落ち葉が折り重なって柔らかいと思われた地面は、思いの外固くなっていた。
あまり頻繁に使っている様子はないが、以前は人の行き来があった様子の小道を歩いていくと、広場に出た。
「あった」
高さにしてひかるの身長ほど。
広場の真ん中には、見覚えのある木が一本、生えていた。
キットの木。
公園の雑木林の中にある小さな広場に生えていたのは、ステラートのキットの木だった。
悪の秘密結社の解散方法のひとつは、アジトの中枢の破壊。
取扱説明書に方法は書かれていたが、どのようにアジトを探せばいいのかはひと言も書いていなかった。
書いていなくても見つける手段がある。そう考えていたとき、見つけたのは転移の痕跡。変身スーツのセンサーを通して記録される転移の痕跡は、方向を示していた。
ある程度の方向しかわからなかったが、複数の痕跡を照合すれば、どちらの方向にアジトがあるのかが見えてくる。
「よく方法から見つけたもんだな」
「書いていなくても、方法はあるみたいだったからね」
感心するネズミーがひかるの身体を駆け上ってきて、フードには戻らずパーカーの胸元に入ってきた。
「どうすんだ? いまから襲撃でもかけるのか?」
アジトの中ならば、ステラートの活動中でなくても変身はできる。
しかし夕方前のいまの時間、コルヴスだけならばともかく、アクイラとピクシスまで揃っていたらやっかいなことになる。
「いいえ。今日はこれで帰るわ」
踵を返したひかるは、雑木林を出て、人に見つからないよう気をつけながらマラソンコースへと戻った。
「近いうちに襲撃かけんだろ?」
「さて、どうしようかしらね」
胸元から聞こえる声に、ひかるは曖昧に答える。
今日のコルヴスの様子では、もう一度彼が出撃してくるかどうかはわからなかった。
それでもひかるは、最後に彼が何か動きを見せるだろうと信じていた。
――さぁ、早く出てきなさい。決着を付けましょう、コルヴス。
キットの木が生えている方向に振り返って、ひかるは心の中でコルヴスに呼びかけていた。
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