第三章 招集! 悪の幹部 4
* 4 *
英彦が長机の上に置いた端末に表示された文字列を読んで、僕たちはお互いに顔を見合わせる。
『シャイナー 敗北か?!』
僕たちの住む街のローカルな話題を扱うニュースサイトの記事には、そんなタイトルが踊っていた。
遠くに人が何人かいるのには気づいてたけど、そのうちの誰かが撮ったらしい。シャイナーがソードを地面に叩きつける写真も掲載されていた。
「よっしゃ!」
最初に声を上げたのは竜騎。
「うん。ぼくたちの勝利だね」
「やったね、遼平」
「まだまだ先は長いけどね」
三人と一緒にシャイナーと戦ったのは、昨日のこと。遅い時間の活動だったから、アジトに戻ってすぐ解散にしていて、改めて今日部室に集まったところで、英彦が見つけてきた記事を見せてくれた。
口々に喜び合う三人に、僕の顔にも笑みがこぼれてきていた。
「よぉ。この先はどんなことしていくんだ?」
「ダメだろう。ここでその話をするのは。さすがにね」
「あ、まぁ、そっか」
興奮したままの竜騎の言葉を英彦がたしなめる。
部活の自粛が言い渡され、部室棟にもほとんど人がいないとは言え、さすがにステラートの活動についての話は、この場所ではまずいだろう。
ふわふわした髪を揺らして近寄って来たマリエちゃんが僕を見上げて言う。
「今日はどうするの? 遼平。あっちに集まる感じ?」
「うん。まだいろいろやることあるから、来られる人は来てくれた方がいいね。それからもうひとつ」
少し前屈みになって僕はマリエちゃんに顔を近づける。
「りょ、遼平?」
それから竜騎と英彦の顔を見て、言う。
「昨日はできなかったけど、初の作戦成功と、初めてのシャイナーの勝利を祝して、家で樹里がちょっとした料理をつくってもらってるんだ。やることやった後、軽い夕食程度のをね」
「ア、アタシ、一度帰って夕食いらないって言ってくる」
「ちょっと驚きだね。ナビゲーターって、食事までつくったりできるんだ」
「うん。僕と一緒にけっこう料理とかつくってたしね」
「マリエッち、自転車の後ろ乗ってく? 人が少ないとこまでだけど。急いで帰んだろ?」
「あぁ、うんっ。お願い、竜騎」
わいわいと騒がしいくらいの会話を続けている三人を見て、僕はステラートに新しい風が吹き始めたことを感じていた。
それは先週、三人が幹部の招集を受けてくれてからずっと感じてたことではあったけど、こうして初めての作戦を成功させて、無事シャイナーを撃退させたいま、改めてそれを実感する。
「さぁ、とりあえず学校を出よう」
弾んだ会話を続けてる三人と一緒に、早期下校を言い渡されていてすっかり人のいない校舎の中を昇降口に向けて歩いていく。
夏が終わったと思ったら、秋を通り越して冬になったんじゃないかと思うほど寒い今日、まだ早い時間だけど夏とは明らかに違う高さから降り注ぐ日差しの下、僕は三人の会話を耳にしながら、妙な満足感にみたされていた。
――探研部を結成したときと似てるな。
奥村先生が顧問に決まって、懸念材料だった四人目の部員に英彦がなってくれて、最初に部室で他愛のない話をしたときと同じ感覚があった。
廊下を歩いて下駄箱が並ぶ昇降口に着いたとき、人がいることに気がついた。
斜めから差し込む日差しが、細い黒髪の間から金色の光を放っていた。
うつろに虚空を見つめているのに、その瞳はどこか目標があるかのように、しっかりと何かを見つめていた。
微かに開いた口は何かを言っているようだったけど、声にならない言葉の意味はわからなかった。
スカートから伸びる細くて、でも引き締まった脚。下駄箱に伸ばされた指は、折れてしまいそうにも見えるのに、神々しいまでの存在感を放ってるように感じるのはなんでなんだろうか。
――月宮さん?
ほんのわずかな時間だったけど、まるで彫像にでもなってしまったかのように、月宮さんは動かなかった。
僕たちに気づいたらしい月宮さんがゆっくりと振り返る。
でもその表情は見えない。
ちょうど彼女の後ろから差し込む日差しが、彼女の顔に濃い影を落としまった。
それなのに彼女の瞳だけは、静かに、でも沸騰するような強い感情を湛えた瞳だけは、はっきりと見えていた。
それも一瞬のことで、月宮さんは声を掛けてくることなく、踵を返して校門の方に向かっていってしまった。
「どうしたんだ? 何かすげぇ怒ってたよな」
「うん。ちょっと心配だね」
「初めてだね。あそこまで彼女が感情を露わにしてるのは」
確かに、月宮さんは怒っているように見えた。
怒りの対象が誰なのかはわからない。
今日の朝に月宮さんが楽しみにしてたんじゃないかと思う文化祭の中止が発表されたときも、そこまで怒っている様子はなかった。今日は何か妙に静かにしていたのは気づいてたけど、月宮さんがあそこまでの怒りを向ける対象を、僕は思いつくことができなかった。
視線を向けられたとき、全身に鳥肌が立った。
怒りの対象は僕ではないように思えたけど、その強烈な視線には憶えがあるような気がしていた。
「どうしたんだろうね、月宮さん」
もう見えなくなってしまった彼女の背中を想いながら、僕は妙な不安に取り憑かれていた。
*
「ただいま」
脱いだ靴を揃えてから三和土に上がると、すぐさま母親が顔を出した。
「遅かったのね、ひかるさん」
強い口調で言いながらも、どこかおどおどした雰囲気をまとわりつかせる自分の母親に、ひかるは見られないようにわずかに背けながら顔をしかめていた。
「少し図書館で勉強していましたので」
「たいした用事がないなら早く帰ってくるように言ってあるでしょう? いつ悪の秘密結社? なんてのが出てくるのかわからないんですから、言われたとおりに早く帰ってきなさい」
「はい」
取り合うのも面倒くさくなって、ひかるはまだ何か言いたそうにしている母親の脇をすり抜けて階段に脚をかけた。
部屋に入って鍵を掛けたひかるは、鞄をベッドに投げつけるように放り出す。
脱ぎ捨てたい衝動に駆られつつも、脱いだ制服をハンガーに掛けて衣装掛けに吊し、クローゼットの中からシンプルなデザインのブラウスとスカートを身につけた。
この後はどこかに出かける予定はなかったが、ちゃんとした格好の方が何かをするには気合いが入る。
放り出してしまった鞄から授業用の端末と個人使用の端末を取り出したひかるは、机の上の据置端末の電源を入れ、今日の分の宿題と復習、それから明日の授業の予習を始めた。
「よぉ。遅かったじゃねぇか。またお前の母さんがずいぶん怒ってたな」
ベッドの辺りから聞こえてきた声を、ひかるは無視して予習を続けた。
「寄り道して帰ってきたのか? あんまり遅くなるなよ」
「静かにして」
耳障りな甲高い声に、ひかるは眉を顰めていた。
声はするのにベッドの上には何かがいる様子はなかった。
「どうせまた図書館にでも寄ってたんだろ? 何かいいものでもあったのか?」
言いながら声は机へと近づいていく。
「いくつか参考になりそうな資料があったから借りてきただけよ」
「どんなんだ?」
近づいてきた声は、ついに机の上から発せられていた。
勉強を邪魔するように据置端末の前に立ったのは、ハツカネズミともハムスターともつかない、奇妙な生き物だった。
「どれどれ」
使っていない個人用の端末を小さな身体で操作したネズミらしき生き物。
「なるほど。割と役に立ちそうだな」
期限付きの表示のある書籍と映像資料の一覧には、軍隊格闘術や古流剣術などの文字が並んでいた。
「勝手にいじらないで、ネズミー。まだ予習が終わってないの」
ひかるに睨み付けられて、ネズミーと呼ばれたその生物は、机の端まで逃げ出して、どこから取り出したのか、ビスケットの欠片をかじり始めた。
「その食べカス、自分で片付けておきなさいよ」
「へいへい」
不満そうに返事をするネズミーにため息を吐きながら、据置端末の電源を切ったひかるは机の引き出しを開ける。
隠すように引き出しの奥底から取り出したのは、簡素な表紙の分厚い本だった。
色とりどりの付箋によって本来より一割ほど分厚くなっているその本の表題は「正義の味方キット 取扱説明書」。
「なぁ、まだ昨日負けたこと気にしてんのか?」
その言葉にひかるは一瞬ネズミーに目を向けるが、何も言わない。
気になっていた項目のページを開いて、書かれた文字を追う。
「あんま気にするなって。あいつらとは初めてやり合ったんだ。コルヴスと違って純粋戦闘タイプの奴とやり合うのは初めてだったじゃないか。負けたって仕方ねぇだろ」
今度の言葉には怒りとも悔しさともつかない表情を浮かべるが、それでもひかるは何も言わなかった。
取扱説明書の内容は何度も読んでいたのでほとんど頭の中に入っていたが、すべてを記憶しているわけではなく、まだまだ試していないことが多くあった。
すでに付箋を挟んであるページを開いて、ひかるは改めて内容を確認する。
「勝てねぇってんだったら、お前も仲間を集めてみるってのはどうだ?」
「必要ないわ」
ネズミーを睨み付け、ひかるは即答していた。
仲間など必要だとは思えなかった。
アクイラについても、ルプスについても、対策はすでに考えてある。次戦えば負けるようなことはないはずだった。
ピクシスについては戦っていないのでその力は未知数だったが、戦闘タイプのようには見えない。頭脳タイプの幹部であるのなら、直接の戦闘で遅れを取る可能性は低いとひかるは考えていた。
――次は、絶対に負けない。
奥歯が音を立てるほど噛みしめ、ひかるは強くそう誓う。
負けてなんていられなかった。
立ち止まっている余裕などなかった。
必ずコルヴスを倒し、ステラートを壊滅させなければならなかった。
そのためにはもっと、強くならなければならない。
「学校に友達のひとりやふたり、いるだろ?」
仲間の話を続けていたネズミーの言葉に、ひかるはそれまで胸の中にわき上がっていた怒りが引いていくのを感じていた。
――友達?
学校で親しくしている人なんて、ひとりもいない。
そう思ったとき、ひかるの脳裏に楽しそうな笑顔を見せる男の子の顔が浮かんだ。
高校に入って一番最初にひかるに話しかけてきたのは彼で、一番最初に校舎裏に呼び出したのも彼だった。
クラブのメンバーと教室に集まってはいつも楽しそうにしていて、ホームルームが終わると笑顔を浮かべながらたいてい急いで教室を出て行ってしまう彼。
天野遼平。
中学の頃から男子に告白されることが少なくなかったひかるにとって、彼の告白も何も感じない言葉のひとつだったはずだ。
だから振ってやったのに、なんでなのか、彼はいまでもひかるを気に掛けている様子がある。
まだ好きだとでも言うのか、ただの未練なのか、それともどこか違うように思える彼の様子に、他の男子とはどこか違う雰囲気を持つ彼に、ひかるはその笑顔を目で追っていることがあることに気づいていた。
――別に友達でも、親しいわけでもない。
首を振って遼平の顔を頭の中から追い出したひかるは椅子から立ち上がる。
「友達なんて邪魔なだけよ。それよりもいくつかやっておきたいことがあるの」
ネズミのような姿をしているのに、器用にやれやれと呆れたような仕草をするネズミーを目を細めながら睨み付ける。
「夕食前に片付けたいから、秘密基地に転移させて」
小さな身体で大きなため息をつくネズミーを、ひかるはさらに強い視線で睨み付けていた。
*
東にある都市の影響を受けやすいこの場所では、まだ地平からそれほど上がっていないオリオン座大星雲は、望遠鏡を使っても微かに青みを帯びた背景に沈んでよく見えなかった。
仕方なく僕は、アイピースから目を離して肉眼で星空を眺める。
十月もまだ半ばだというのに、はき出す息は微かに白かった。
「そのままでは風邪を引きますよ」
そう言いながら屈まないと出られない出口から屋上テラスに降り立ったのは、樹里。
彼女が広げてくれた厚手のジャケットの袖に腕を通して着せてもらう。
「どうかされたのですか?」
少し離れたところにある街灯の光で微かに見える樹里の顔には、僕を心配しているのか、微かに陰りがあった。
「なんでもない。ただちょっと騒ぎすぎたみたいで、身体がまだ熱くてね」
樹里のつくってくれた料理による夕食会が終わったのは、ついさっきのこと。楽しくて時間を忘れてしまいそうな時間だった。
でも僕の中には、どうしても拭えない思いがあった。
――僕の悪って、なんだろう?
それを探しながら始めたステラート。シャイナーという障害が現れてどうなるかと思ったけど、予断は許さないにしても、幹部の参加でどうにかできるようにはなった。
トライアルピリオドも残り半分と少し。
焦り始めるには充分すぎるほどに残り時間は少なくなっている。
でもやっぱり見つからない僕の悪。
僕はステラートをどうしていっていいのか、悩んでしまっていた。
「ねぇ樹里。正義の味方って、いったいなんなの?」
初めてシャイナーに遭遇したときにもした質問を、もう一度してみる。
「正義の味方は、悪の秘密結社と同等の力を持ち、悪の秘密結社に対抗しうる存在です」
微かに見える樹里の表情には、自分の言葉に疑問を抱いている様子はない。いや、ナビゲーターである樹里の表情も言葉も、人のそれと同じと考えていいのかどうかはわからないけど。
けれどその言葉には強く疑問を感じていた。
取扱説明書には一切、正義の味方を倒せとは書いていない。
もし、この悪の秘密結社のトライアルピリオドをゲームと考えれば、正義の味方という障害は排除されるべき敵だと考えるのが正解だと思う。正義の味方が出てきたなら叩きつぶす。それは悪の秘密結社の首領である僕にとっては至極単純な理屈のように思えた。
――でもそれが、僕の悪を示すことにはならないように思えるんだ。
言葉には出さず、僕の表情から考えを読み取ろうとしてるみたいに顔を見つめてくる樹里を見つめ返していた。
書いてないことは読み取れとでも言うのか。それとも常識で判断しろとでも言うんだろうか。
――でもシャイナーは、僕のことを倒そうとしている。
自分の悪に迷う僕と違って、シャイナーは明確に、僕を倒そうとしている。
出会った最初のときに彼女が宣言した通り、彼女の目的は僕を倒し、ステラートを壊滅させることなのは確かだった。
「樹里。正義の味方キットの序文は、なんて書いてあるか知ってる?」
「それはわたしではわかりません。わたしの中に正義の味方キットの取扱説明書に関して情報はありませんし、実物を見たこともありません」
――それはつまり、僕の悪の秘密結社キットと同じで、シャイナーも正義の味方キットを持ってて、あっちにも取扱説明書があるってことだろうか?
明確に肯定もしなかったけど、樹里は否定もしていない。むしろあることを前提に返事をしたように思える。
あえて僕は樹里にそのことを問わない。
たぶん樹里は、主催者の意図に沿わないことを、答えることができないようにできているから。
望遠鏡を動かして、ずいぶん高く昇っているプレアデス星団、すばるに向ける。
アイピースを覗き込むと、望遠鏡の決して広くない視界の中に、たくさんの星がぎゅっと集めたみたいにたくさん見える。
青白い輝きを見せる星々は、シャイナーそのもののようにも思えた。
――シャイナー。正義の味方キットの取扱説明書には、なんて言葉が書いてあるの?
ここにはいないシャイナーに、僕は心の中で問う。
――君はどんな理由と目的を持って、戦っているの?
僕にはそれが気になって仕方がなかった。
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