第一章 結成! 悪の秘密結社 4
* 4 *
自分でつくった夕食を食べた後、リビングで天井を見上げていたら眠気に襲われていた。
家のどこにそんなものがあったのか、お盆に白いティポットを乗せて来た樹里が、ソファに身体を預けたままの僕の前にティカップを置いて、紅茶を注いでくれた。
「いかがでしたか?」
「……疲れた」
それは当然のことだろう。
何しろ合宿から帰ってきたのが今日の朝だったんだ。それから樹里と出会って、さらに悪の秘密結社の活動なんてこともやっちゃったんだ。
これまでで一番身体も気持ちも疲れた一日だったと言っても過言じゃない。
紅茶のいい香りがしてきて、僕はソファから身体を起こしてひと口飲んでみる。
香りとともに少し渋みのある紅茶が、ほんの少しだけ疲れを忘れさせてくれた。
「僕はこの後、どうしたらいいんだろう?」
ぽつりと、そんな疑問を口にしてみる。
正直今日みたいな活動は、もうあまりやりたいとは思えなかった。
人並みに僕は人に迷惑をかけるのも、人を傷つけるのも、好きじゃない。悪の秘密結社の首領らしくないと言われればそれまでだけど、僕が期待していたのはそんなことじゃないように思えた。
「すでにステラートは結成されていますが、今後一切活動を行わないと言うことも可能です。その場合、トライアルピリオドをパスすることはできないものと思いますが。またアジトの玉座を破壊し、能動的にステラートを解散させることも、遼平さん次第です」
微笑んでるわけでも、悲しそうにしているわけでもなく、ソファのすぐ側に立つ表情のない樹里を僕は見上げる。
「その場合、樹里はどうなるの?」
少し驚いたように瞳を揺らして、樹里は答えた。
「わたしは、あくまで悪の秘密結社の付属品であり、人間ではありませんから、トライアルピリオドをパスできなかった場合も、ステラートを解散させた場合も、消滅します。この姿も個性も、すべて遼平さんのナビゲーターとして一番ふさわしいものとして、遼平さんの記憶から構成されていますから、もしもう一度どこかで同じキットに出会う機会があっても、わたしはこの姿も性格もしていませんし、遼平さんのことを認識することもできないと思います」
「そう、なんだ……」
少し温くなった紅茶を飲み干して、僕は考える。
僕には悪の秘密結社をやりたいと思うほどの強い気持ちはない。
ステラートの力は強大で、トライアルピリオドの間には難しくても、パスした後なら使い方次第では世界征服も、人類滅亡だってできてしまうかも知れない。
でも僕はそんなことをしたいわけじゃない。
ステラートの力を使って、世界に示したい悪があるわけじゃない。
僕の言葉を待つように、唇を引き結んだ樹里が僕のことを見つめてきていた。でも彼女が下ろしている両手は、彼女の気持ちを表しているのか、握りしめられていた。
「悪の秘密結社では、何をしなくちゃいけないの?」
「やらなくてはならないことは、とくにありません。取扱説明書の序文にある通り、遼平さんの悪を世界に示すこと、それがすべてです」
樹里に夕食の買い物に行ってもらってる間に少しだけ取扱説明書を開いてみたけど、取扱説明書は本当にあくまで取扱説明書だった。
序文のあの一文を除けば、キットの取り扱い方についてしか書いてない。
「トライアルピリオドの判定基準とかは、わかる?」
「それについてはわたしの中には情報がありません。四ヶ月という期間と、制限事項については情報がありますが、誰がどのような基準で判定するものなのかは不明です」
荷物として送られてきてるんだから、悪の秘密結社キットは誰かが造り、ルールを決めたもののはずだ。判定についても何か基準がありそうなものだった。
そのことについて書かれていないことで、僕は何となく主催者の意図を読み取っていた。
好きにしろ、ってことなんだと思う。
ステラートの力を使って、好きに自分の悪を示してみろ、と言われてる気がして、僕はやっぱり悩んでしまう。
「なんで、僕が選ばれたんんだろう?」
序文の言葉に期待していた。樹里が生まれたのを見て、僕は待っていたものに出会えた気がした。
でも僕には言うほどの悪はなくって、世界に示せと言われても、それほど強い想いがあるわけじゃない。
たとえトライアルピリオドをパスできなくても、何もしないでいる方がいいんじゃないかとさえ思えてくる。
「遼平さんにキットが送られてきた理由は、わたしにはわかりません」
少しうつむき、考え込み絞り出すように樹里が言う。
「ですが――」
顔を上げた樹里の瞳は、何かを求めるように濡れていた。
「イメージドライバーは悪の心に反応して芽吹きます。悪の秘密結社キットの種を芽吹かせた遼平さんには、遼平さんなりの悪が必ずあります」
「僕なりの悪、かぁ」
考えてみても、思いつくものがない。
自分や世の中に不満がないと言ったら嘘になるけど、そこそこ波乱はあるにしても、僕はそれなりに普通に育ってきたと思う。
悪の秘密結社キットを使って実現したい悪なんて、思いつくことができなかった。
――あぁ、でも。
ないこともないことに気づく。
「星海への架け橋をつくるようには、できるかな?」
「ステラートブリッジ計画ですか?」
「うん」
月や捕獲した小惑星を資材採掘場にして、軌道エレベータのカウンターウェイトに宇宙港つくるはずだったステラートブリッジ計画は、いまでは新しい大型宇宙ステーションのみの計画と成り果てて、実際それすらも怪しい情勢だった。
でもその計画は、人類が夢を見続けるならば、いつかは実現しないといけない計画なんだと、僕の父さんは熱く語り続けていた。
計画に深く関わっていたらしい父さんが交通事故で亡くなった後くらいから、計画は縮小の一途を辿ることになった。
人類の夢であり、父さんの夢であるステラートブリッジ計画は、僕にとっても夢だったんだと思う。
「そうですね……」
唇に指を当てて、樹里はしばし考え込む。
「様々な障害があると思いますし、膨大なエネルギーと、かなりの時間が必要となります。活動範囲も現在は隣接市までに制限されているのもあります。ですからトライアルピリオドに実現することは難しいですね」
「可能ではあるんだ?」
「はい」
即答した樹里は、にっこりと笑んだ。
「悪の秘密結社キット、イメージドライバーには、この世界において不可能なことはほとんどありません。その力を持つ人が実現のための道筋を思いつくことができ、実現を目指すならば、必ずそれは実現します」
逆に考えれば、どんなに望んでいても、実現方法が思いつけなければ可能にはならないということだろう。
イメージドライバーは何でも実現してしまう奇跡そのものではなく、魔法使いの杖なのかも知れない。あくまで魔法の杖は魔法を使うための道具であって、魔法の方は僕が考えないといけない。
「それにわたしは」
下ろした右手を軽く握り、自分のことを示すように左手を胸元に添えた樹里の瞳が、僕だけを映す。
「遼平さんが実現を望み、それに向けて実行したいことがあるならば、全力で手伝わせていただきます」
言って彼女の顔に浮かんだ笑みは、いままでで一番魅力的だった。
「僕はまだ、何をどうしていいのかわからない。でも僕の望みが四ヶ月で終わらないものなのだとしたら、僕はまずステラートがトライアルピリオドをパスできるよう、活動してみようと思う」
「はい」
何かを噛みしめるみたいに一度閉じられた瞳が再び開けられたとき、深緑の瞳に安堵の色が浮かんでいた。
立ち上がった僕は、少しだけ上にある樹里の目を見つめながら、言う。
「僕は僕の世界征服を始めてみよう」
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