第五章 現代勇者の決戦事情 2


       * 2 *


 金の毛に覆われた手が勢いよく振り下ろされた。

 磨き上げられた石の台の上に置かれた、わずかに白く色づく球体は、拳による打撃を受けても割れることはなかった。

 傷ひとつなく、歪むこともなく、まるで恐ろしく硬い物であるかのように、球体は石の台を砕き、三分の一ほどが沈み込むだけだった。球体の中で身体を丸めるようにして眠る少女、鈴代さやかも、その衝撃を感じた様子もなく眠り続けている。

「なかなかに強力な障壁よの」

「まったくで。よもやあの小娘にこれほどの力があろうとは……」

 座るように削り込まれ、誰が施したものなのか精緻な装飾がなされた椅子の形をした岩に座る金毛豪腕の魔人、魔人王ペスティバンは、玉座の脇にある台の上に手を伸ばす。

 幾度試しても壊れることがなかった球体を拾い上げ、手のひらで転がし、その中に納められたさやかを金に光る目で見ていた。

 ペスティバンの脇に立ち、その言葉に同意の返事をした黒体無貌の魔人、メモルアーグは考え込むように腕を組む。

 三メートル近いメモルアーグと、座ってもなおメモルアーグより頭ひとつ高いペスティバンが並ぶ姿は、まるで縮尺の異なる人形を置いてあるかのように現実感がなかった。

 古びていて、ギリシアにあるような古びた柱と梁が並ぶその場所は神殿のような造りをしている。元からなのか天井はなく、二体の魔人の頭上には瞬く星々があった。

「知る限り、これほどに硬い障壁は長く保ちはしないでしょう。しばらく待っていれば、あの小娘の力も尽きるかと」

「いや、待つ必要はなさそうだ」

 ペスティバンは球体を台の上に戻し、立ち上がる。玉座に立てかけてあった剣を手に取った。

「で、出迎えが必要でしょうか」

「いらぬ。そこを退け」

 玉座の前で小さくなってひれ伏していたのは、魔人教団の教主。

 ペスティバンの足に踏みつぶされそうになり、彼は慌てて立ち上がって柱の陰へ逃れた。

「礼を言うぞ、記憶の魔人よ。目覚めて早々、楽しい余興となりそうだ」

「そろそろお目覚めになる頃合いかと思っておりましたので。余興については残念ながら」

「聖女も来ているようだ。機会はあろう。さぁ、久々の戦いじゃ。楽しませてもらおうぞ!」

「はっ」

 金毛豪腕の魔人は胸を反らせて声を放ち、黒体無貌の魔人は付き従うように隣に立つ。

 まもなく姿を見せるであろう、勇者一行を迎えるために。


          *


 魔人の寝所は、想像してたよりも大きな島だった。

 エリサに乗せてもらって空を飛行していると、突然視界が開けたかのように島が見えた。

 正確な広さは夜の闇の中では測れないが、町ひとつかふたつ分になりそうな島には、元々は人が住んでいたのか、生い茂る木々の間に道と思われる筋が見て取れた。とくに港の痕跡らしき場所から島の中央に伸びる白い筋は、石畳か何かが敷かれているように見える。

 高度を取ってもらって見た島は、星と月の明かりに照らされてどこか幻想的で、けれど島の中央に位置するパルテノン神殿か何かかと思うような古い神殿と思しき建物からは、禍々しいとしか言いようのない気配が放たれている。

「神殿の手前辺りに下ろしてくれ」

「う、うんっ」

 装備にしがみつく格好のためにすぐ近くにあるエリサの耳にそう言うと、緊張してるらしく月明かりの下手も若干赤くなっている彼女は、スムーズな動きで降下を開始した。

 降り立ったのはやはり、石畳だった場所。

 どれほどの時間が経っているのか、雑草によってでこぼこになり、砂や土で覆われつつあるが、そこは確かに人が造った道だった。

 果たして最初からここにあった島だったのか、それともペスティバンの力で島ごと移動されてきたのかは推測もつかない。とにかく古いことだけがわかる石畳の痕跡に立ち、下ろすのを手伝ってやったときにつないだ手をそのまま握っている詞織と一緒に、上り坂になってる先にある神殿を見つめた。

「行くぞ。覚悟はいいか?」

「も、もちろん」

「……はい」

 言い淀みはするが、俺たちと同じように真っ直ぐに神殿を見つめているエリサ。

 俺の手をさらに強く握り、しかし神殿を見据えた視線を外そうとはしない詞織。

「詞織は離れた場所で見ていてくれ。鈴代さんの障壁は?」

「大丈夫です。破られてはいません」

「もし破られることがあったら、もう一度障壁を張ってくれ。それから間違えるなよ。俺たちの目的は鈴代さんの救出であって、戦うことじゃない。逃げ出すタイミングがあればすぐにでも逃げ出す。いいな?」

「はいっ」

「わかってる」

「じゃあ、行くぞ」

 頷くふたりの顔を確認して、詞織の手を一度強めに握り返してから離し、俺は先頭に立って神殿に向けて歩き出す。

「作戦とか、罠対策とか、何か考えたりしないの?」

 宙に浮いたまま滑るように移動するエリサが俺の行く手を阻んで言った。

「必要ない。結界の内側に入った時点で奴らには気づかれてる。それに俺の知る限り、記録上のペスティバンは相当なバトルジャンキーだ。すでに俺たちの到着を待ってるさ」

 メモルアーグはもちろん、ペスティバンの放つ力の波動は、少し離れたこの場所でも感じることができていた。とくにペスティバンの力の脈動具合は、俺と戦いたくてうずうずしているようにすら感じる。

 不満そうな顔をしつつ後ろに下がって詞織と並ぶエリサとともに、俺は神殿へと歩く。

 神殿のすぐ側まで来て、俺はふたりに振り返った。ここまで来れば、もうペスティバンの力の大きさは、肌に何かが触れているんじゃないかというほどに感じる。

 エリサはもう不安と恐怖の表情を隠そうともせず、詞織もまた、エリサとつないだ手を強く握っているのがわかった。

 それでも、ふたりとも俺のことをしっかりと見据えている。「逃げるならいまだ」という想いを籠めて睨みつけても、視線を外したりはしない。

 ふたりの決意を確認して頷いた俺に、エリサも詞織も頷きを返してきた。

 そのまま振り返り、神殿へと踏み込む。

 木々が生い茂った道から開けた神殿内に入ると、月明かりしかないのに一気に明るくなったような気がした。

 うちの学校の校庭ほどもある広さの真ん中に立っているのは、金毛豪腕の魔人王ペスティバンと、黒体無貌の魔人メモルアーグ。

 奥には玉座のような椅子があって、その横に置かれた台の上には白く色づいた球体があった。

 ――よし。

 鈴代さんの無事を確認して、俺はエリサに目配せをする。俺はペスティバンに、エリサはメモルアーグに正対した。

「時間を稼いでくれればいい。できるだけ早く決着を付ける」

「またあたしの獲物を奪うつもり? まぁ何でもいいから早く済ませてちょうだいね」

 エリサの微かに震えた言葉が強がりなのはわかっていたが、俺は彼女に微笑みをかける。

「勇者よ、前置きなどはいらぬ。さぁ思う存分戦おうぞ!」

「わかっってるよ!」

 ペスティバンの神殿を揺らすほどの大声に応え、詞織が柱に寄り添うように下がったのを確認してから、俺は地を蹴った。

「さぁ、戦闘開始だ!」


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