第四章 現代勇者の縁故事情 4
* 4 *
目覚めると部屋の中はすっかり暗くなっていた。
ベッドから身体を起こし、ため息を吐く。
「時間がないな」
机の上の時計を見ると、鈴代さんが掠われてからもう四時間近くが経過している。闇の世界にも通じている病院にはすでに連絡済みだから、鈴代さんが家に帰らない理由については苦しいものの言い訳は立つ。
詞織が張ってくれた障壁のことも考え合わせても、朝方までがタイムリミットだろう。
それ以降はおそらく鈴代さんの両親が捜索願を出して、彼女の行方を光の住人が本格的に捜し始めることになる。そうなるまでには鈴代さんを取り戻さなくてはならなかった。
もう一度ため息を漏らした俺は、ベッドを出て部屋の電灯を点け、寝間着代わりに着ていたトレーナーと緩いズボンを脱ぎ捨て、クローゼットへと向かった。
ベッドと机と棚と、棚には書籍版の雑誌やマンガや小物がある程度の部屋は、普通の高校生男子の部屋とあまり変わるものではない。
クローゼットの奥の壁。そこに隠された秘密の扉を開けて、俺は納められた服を取り出した。
コスプレ服にも見える華美なデザインの青いその服は、俺の戦闘服。
特殊な素材をさらに姉貴の魔法で強化し、お袋の髪を糸に編み込んで縫われた戦闘服は、高校入学祝いに親父につくってもらったものだ。
俺の勇気を通し、第二の皮膚のように機能する。
――でも、ぼろぼろにしちまうかもなぁ。
どんなに強靱と言っても服はやはり服だ。戦いのときに着ていれば破けることもある。
鎧の類いも家にはあるが、機敏な動きを見せる魔人王との戦いでは、そこらの鎧では動きの妨げにしかならない。追加でタンスから取り出した服をベッドの上に並べた俺は、着替えを開始した。
衝撃吸収と防刃効果のあるアンダーズボンを穿いたとき、静かにノブを回して部屋に入ってきたのは、詞織だった。
傷を癒やすためにも寝ていた方がいいと詞織に強く主張されて、一時間経ったら起こしてほしいと頼んでおいたが、もうそれだけの時間が経っていたらしい。
「もう起きてらっしゃったんですか」
「あぁ」
返事をしながら、包帯だらけの上半身にアンダーシャツを着て、戦闘服を身につけていく。
部屋に入ってきて黙ったままだった詞織は、しばらくして口を開いた。
「どうして、ですか?」
「何がだ?」
「どうしてあの魔人と、戦おうとするのですか?」
一歩俺に近づいてきて、眉間にシワを寄せながら問うてくる詞織。
「俺が巻き込んだことだからな。俺が助けに行かないと」
瞳が揺らめいているように見える詞織は、俺のことを心配してくれてるんだろう。そんな彼女に俺は笑みを見せて応える。
それでも、彼女の顔は晴れることはない。
「あの魔人は、とても強い力を持っています。わたしのことを食べようとした魔人と比べものにならないくらいの力を」
「わかってる。俺でもさすがに、俺だけの力じゃあいつに勝つのは難しいだろうな」
「わかっているのに、何故行くんですかっ!」
詞織にしては珍しく、叫ぶような口調だった。
「紗敏さんが強いのはわかっています。でも、それでも、あの魔人の持つ力は、本当に恐ろしいものですっ。もし戦ったら、無事では済まないかも知れません! 怪我をするくらいだったらともかく――」
抱きつくように駆け寄ってきた詞織が、戦闘服をつかんですがりつく。
「紗敏さんは、死んでしまうかも知れないのですよ」
「そうならないようにはするが、その可能性も否定できない」
「それでも、行かれるのですか?」
「あぁ。鈴代さんのことは、なんとしても助けないといけないからな」
瞳を揺らしていた涙が、目尻からあふれて零れた。
頬を伝って顎から滴っていく涙は、辛そうな、苦しそうな顔をしてる詞織が流しているものなのに、きらきらと光って落ちていった。
「行かないでください」
「それはできない」
「嫌です。わたしは、戦ってほしくありません」
「鈴代さんのことは、俺が必ず助ける」
唇を噛み、戦闘服をつかむ手を震わせている詞織。
彼女がここまで感情を露わにするのは、出会ってから初めてのことだった。
よく笑っていたし、楽しそうにしていたし、泣くこともあったけど、自分の感情を俺にぶつけてきたのは、初めてだった。
涙に揺れる瞳をまぶたで隠し、大きく息を吸った後に詞織が見せた瞳には、いままでに見たことがない光が宿っていた。
「わたしは、紗敏さんのことが好きです」
詞織の、真っ直ぐな言葉だった。
言葉の意味を理解していながら、突然過ぎて俺はしばらく受け止めきれずにいた。
そうして俺が黙っている間に、詞織は畳みかけるように言葉を続ける。
「わたしは紗敏さんと一緒に生きていきたいと思っています。そう思える人だと気づきました。紗敏さんと一緒に幸せを見つけたいと思っています。わたしは、貴方と一緒にこの先ずっと、歩いていきたいんです。だから……、だから行かないで」
俺の身体に両腕を回し、胸に顔を埋めた詞織は肩を震わせる。
「わたしと一緒にいてください。わたしと一緒に生きてください。責任を取ってくれると言ったじゃないですか。その言葉を、約束を、嘘にしないでください。わたしを……、わたしを最後まで守ってください」
わずかに声を涙に揺らしながら、詞織は俺の胸の中で言葉を綴る。
詞のように想いが織り籠められた詞織の言葉が、俺の耳を打ち、頭に染み渡り、胸の中に暖かさをくれる。
俺の身体にすがりつく詞織の柔らかな身体に、暖かな体温に、もう慣れていたはずなのに改めて感じる甘く心地よい香りに、俺は下ろしていた両手を伸ばしていた。
「詞織」
呼びかけて、きらきらと光る滴を零している彼女に笑いかける。
そして、彼女の両肩に手を置き、俺は言った。
「同じなんだ」
「……同じ? 何がですか?」
「あのとき詞織を助けたのも、これから鈴代さんを助けるのも、俺にとっては同じことなんだ」
俺の身体に両腕を回したまま詞織は、わからないかのように小首を傾げてみせる。
「俺の拳の届く場所で、詞織は生け贄にされそうになってた。鈴代さんは掠われた。前にも言っただろう、俺は俺の拳の届く範囲のものを守るって。俺にとっては詞織のことも、鈴代さんのことも同じなんだ。いや、いま掠われてるのが鈴代さんじゃなくても、俺の拳の届く範囲にいて、俺が掠われたことに気づいたなら、俺はそいつのことを助ける。それが勇者だ。それが俺にとっての勇者の力と、勇者というものの意味なんだ」
身体に回されていた両腕の力が緩み、肩を少し押して詞織との距離を取る。
少し腰を屈めて同じ高さで彼女の目を見つめる。
「それに、詞織の言ってくれた言葉は嬉しい。でも違う」
「わたしは!」
「うん。わかってる。でもやっぱり違う。嘘を言ってるわけでも、自分を偽ってるわけでもないというのは感じてる。それでも違う。いまは、違うんだ」
「いまは?」
「あぁ。詞織の言ってくれた言葉は忘れないし、俺も自分で考えてみる。だから詞織も、もう一度いまのことが終わってから、考えてほしいんだ」
わかってくれたらしい詞織は、でも唇を震わせていた。
こみ上げてくる何かに顔を歪め、また泣きそうな顔で口を開くけど、悲しそうに長いまつげを伏せた彼女はため息を漏らしていた。
「来たみたいだな」
家の外に滑るように近づいてくる闇の力を感じて、詞織から顔を上げた。
「行こう。出迎えなきゃならない」
「……」
表情を暗く沈ませてうつむいている詞織の髪をいつもより少し強くかき回してから、俺はステラの使いだろう家の前で止まった奴らのことを出迎えるために部屋を出た。
*
外の門のところにある呼び鈴が鳴らされ、闇の力を持った者を感知・迎撃するための結界を一時解除して玄関の扉を開けると、解除を感じたのか来訪者は門を開けて玄関前まで来ていた。
「なんじゃ。意外と元気そうではないか。ん? 聖女の娘と乳繰り合っていたところだったか?」
親父臭い物言いをしながら俺のことを見上げてくるのは、ステラ。
ただでさえ小学生くらいだろう彼女は、黒と白に彩られたフリルや飾り気の多いゴシック調の服に身を固め、おそらくかなりの実力を持った怪人だろう、ガタイのいい男を供に連れて、セクハラ親父のようなニヤついた顔を見せていた。
「一体何歳なんだ、あんたは」
「見た目通りの歳だがな」
「……」
冗談で言っているのか本当なのかわからず、俺は返す言葉がなくなって黙り込む。
ゴスロリの服装は似合っていて見た目は可愛いが、ただでさえつり上がり気味の目尻をさらにつり上げて笑うステラの瞳は、笑っていながらも悪の首領らしい強い力を感じるものだった。
「そんなことよりあんたが直接来て大丈夫なのか?」
「問題はない。これはワシらにとっても重要な案件だからノ。報告は直接来るしかあるまいて」
声は高くて可愛らしいのに、口調は年寄りにしか聞こえないステラはそう言って唇の端をつり上げて笑った。
「詞織、お茶を頼む。とりあえずこちらへ」
スリッパを二セット用意してステラとその護衛をLDKに招き入れる。
ソファとセットのローテーブルには広さも高さも足りないと思って、俺はふたりをダイニングテーブルまで連れてきた。
「さて、報告じゃが」
詞織が淹れたお茶をひと口飲んだステラは目配せをし、護衛の奴が持ってきていた鞄から大きめのスレート端末を取り出した。
電源を入れて表示されたのは、地図。
「いまいる場所がここ」
俯瞰図で町並みが表示されている地図には、現在地を示す印が描かれていた。
「そしてあの魔人王めが現在いるのがここ」
細い、というより小さいと感じる手でスレート端末を操作し、一端地図の表示範囲を広げたステラは、ずいぶんスクロールさせてから、現在地とは違う印のある場所を指さした。
「ここ、なんですか?」
隣に座る詞織が疑問の言葉を口にするのも当然だろう。
地図には印の他には青一色に染められている。
海だった。
島すらない海の一点に、印が描かれていた。
「まぁ、地図を見ても何もないノ。実際この場所の近くまで行っても海が見えるだけじゃ。しかしワシら闇の住人の間では、ちょっと有名な島がこの場所に隠されておる」
「有名な島だって?」
「うむ。奴の居場所がわかったのと同時に、奴も正体もわかったぞ」
スレート端末から顔を上げると、ステラの凄みを感じる笑みにぶつかった。
「魔人の結界によって江戸かそれ以前の時代から隠されているその島の通称は『魔人の寝所』。寝所で眠る魔人の名はペスティバンと伝えられておるよ」
「ペスティバン……」
「お主とて名前くらい聞いたことがあろう。メモルアーグが記憶の魔人、夢魔の魔人とするなら、ペスティバンは病魔の魔人。古くから数百万、数千万の人々の苦悶と絶望を食らってきた、堂々たる魔人の王のひとりヨ」
何が楽しいのか、ステラは目を爛々と光らせて笑っている。
対して俺は、敵の正体を知って奥歯を噛みしめることしかできなかった。
魔人の中の、それも王と呼ばれるものはどれも伝説級の力と名を持っていて、ペスティバンは魔人王の中でも最も有名と言っても過言ではないほどの名を誇る。
中世後期から近世にかけて猛威を振るい、その後も幾度か暴れ回ったという話はあったが、二百年だか三百年前に討伐が行われ、倒されたという話が伝わっている。
魔人王クラスの力を持っているのは感じていたが、そこまでの奴だとは思っていなかった。
さらにその場にはペスティバンの他にメモルアーグがいて、俺は鈴代さんを傷ひとつなく助けなくちゃならない。
想像していた以上の難易度に、俺は大きなため息を漏らしていた。
「時間がないのだろう? 送ってやるヨ。勇者様には売れるときに恩を売っておきたいからな」
「頼む。……まぁ、恩を返すには無事に帰ってこなくちゃならないがな」
打算なのか親切なのかいまひとつ判断がつかないが、唇の端をつり上げて笑うステラの提案を受け入れ、椅子から立ち上がる。
「早速だが移動しよう。時間がないんだ」
「手ぶらか? 武器の類いは持たぬのか?」
「まぁ、ないこともないんだが、俺にはこれがあるからな」
グローブよりもごつい、戦闘用の手甲を填めた右腕を突き上げるようにし、握った右手をステラに見せる。
戦うための武器がないわけではないが、メモルアーグならともかく、ペスティバンに通じるようなものはいま家にないし、下手な武器を使うよりも俺の聖拳の方がよほど威力がある。
――いざとなれば使うことになるか。素直に使わせてくれりゃいいが。
計り切れていないペスティバンの力を想像しつつ、俺はそんなことを考えていた。
「なるほどな」
目を細めて俺の聖拳を見つめていたステラは、納得したように頷き、スレート端末を護衛に仕舞わせて立ち上がった。
「じゃあ行って――」
「わたしも行きます!」
振り返って詞織に「行ってきます」と言おうとしたが、遮られた。
「ダメだ」
「嫌です。一緒に行かせてくださいっ」
「ペスティバンだけじゃなく、その場にはメモルアーグもいる。どちらか一体だけならともかく、一緒にいるなら俺は詞織を守ってる余裕はない。足手まといだ」
目尻に涙を溜めながら俺の服をつかんでこようとする詞織の手を受け止める。唇を震わせて、怒ったような瞳で見上げてくる詞織を、でも俺は突き放すように凍った目で見つめる。
「これから、紗敏さんは帰ってこられないかも知れない戦いに行かれるのでしょう? でしたらわたしは、貴方に着いていきたいんです」
「詞織を守る方法がない。絶対にダメだ」
言い返しながらちらりとステラの方を見ると、彼女は肩を竦めて見せていた。
「その小娘も一緒に近くまで着いてくるのは、構わんのじゃがな。こちらから戦力は出せん。近くに送るだけでも感づかれる危険があるのに、戦力まで提供して目を付けられて、勇者が討伐に失敗してはどうなるかわかったものではないからノ」
「さすがに俺も、そこまで頼るつもりはないさ」
できれば詞織を捕まえておいてもらえるか、説得してもらえればと思ったが、ニヤニヤと笑うステラにはその気はないらしい。
「わたしは……、わたしは絶対に紗敏さんに着いていきます!」
「だったらあたしが一緒に行くわ!」
諦める様子のない詞織をどう説得しようかと思っていたとき、庭に面したLDKの掃出し窓の方から声がした。
見てみると、レースのカーテンの向こうに人影があった。
「……なに立ち聞きしてんだ、エリサ」
「聞こえちゃったんだから仕方ないでしょ」
「人の家の庭まで踏み込んでおいて、よく言う」
ステラを招き入れたときに結界を解いたのをすっかり忘れていた。それよりも気が急いてたとは言え、家の敷地に侵入されてたのに気づかないなんてかなり間抜けな話だ。
カーテンと窓を開けてやると、ふわりと広がってるミニスカートを穿き、薄手のPコートを着たエリサが意外に行儀良く座って靴を脱いでから家に入ってきた。
「いったい何しに来たんだよ」
「いま言ったでしょ。あたしが一緒に着いていってあげるって」
「ペスティバンはもちろん、メモルアーグですらまともに戦えるかどうか」
「そこんところは大丈夫っ。それ用にぎっちり武装強化してきたんだから!」
膨らみをあまり感じない胸を叩いて得意そうにするエリサ。
「どうして、ですか? 危険なんですよ?」
「あぁ。それに武装を強化したって、かなりポイント使ったんだろ?」
「それは、まぁね……」
自分が行くと言ってるくせに心配そうな顔をする詞織と、心配もそうだがいろいろと気がかりな点がある俺に見つめられて、エリサは言葉を濁す。
「記録情報だけで直接のデータがない魔人王の記録を近くで取れればそれだけでかなりのポイントになるし……、運良くでもメモルアーグの方でもトドメが刺せれば使ったポイント分くらいは回収できるし……」
確かに打算はあるんだろうが、視線を逸らして言い訳がましい声音で言うエリサの言葉を信じることはできない。
「それに……、それに必要なんでしょ、戦力が。詞織がどうしても諦めないって言うなら」
近づいていったエリサが詞織の手を取って、ふたりで並んで俺のことを見つめてくる。
「あたしの知ってる勇者は、相手が魔人王であっても負けるような奴じゃない。それから、言ったでしょ? あたしはあんたと一緒に戦える人だって。それをこれから証明して上げるから」
「紗敏さん……」
願う想いが籠められた視線をふたりに向けられて、俺は自分の負けを悟った。
「戦うのはいいが、時間稼ぎでいい。それ以上は俺がやる」
「うん。わかった」
「それから、俺の劣勢がはっきりしてきたら、詞織を連れて逃げること。それも無理なら、ひとりででも全力で逃げること。それが約束できるなら、……頼む。一緒に戦ってくれ」
「約束する」
にっこり笑ったエリサは、詞織と顔を見合わせて嬉しそうにしている。
ふたりが接触していたのは鈴代さんの最初の告白のときに気づいてたし、詞織自身からも話を聞いていたが、いつの間にこんなに息を合わせられるようになっていたんだろうか。
――女の子はわからん。
元々お袋と姉貴以外の女子には避けられることが多くて、あまりその生態がわかっていなかったが、さらにわからなくなって俺はため息を漏らすしかなかった。
「決まったようだな。さぁ、急ぐぞ」
「あぁ」
もう楽しいんだか嬉しいんだかよくわからない、唇の両端をつり上げて笑うステラに促されて、俺は玄関へと向かった。
決戦の地へと、出発するために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます