第四章 現代勇者の縁故事情 1



第四章 現代勇者の縁故事情


       * 1 *


「痛つっ」

 詞織に巻いてもらった包帯が傷に染みて、思わず声が出てしまった。

 戦闘中で勇気を通してるときは気にならないが、普段はやはり傷が痛む。

「す、すみませんっ」

「いや、大丈夫だ。ありがとう」

 すまなそうに俯いている詞織の髪を軽く撫で、俺は脇に置いてあったトレーナーを羽織った。

 爪によるものだけじゃなく、針のような金毛でも身体のいろんなところを傷つけられた俺は、数だけはけっこうな傷を負っていた。それでも常人であれば内臓破裂どころの騒ぎでない攻撃を食らって耐えられたのは、俺が勇者だからだった。

 魔人王に逃げられ、いったん家に帰った俺はLDKで詞織に手当てをしてもらっていた。

 まだ鈴代さんを掠われてから、一時間と経っていない。

「あの、わたし……」

「謝るのは後だ。そんなことより、鈴代さんを包んだ、あれは?」

「あらゆる力を拒む術です。解除しない限り、空気は通っても他の何物も通すことはありません。たぶん、あの魔人でもしばらくは鈴代さんに干渉することはできないと思います」

「しばらくってのはどれくらいだ?」

「正確な時間は何とも言えませんが、たぶん一日くらいです。わたしの意識が途切れると維持できなくなってしまうので」

「わかった。よくやってくれた」

 泣きそうな顔をしてまつげを伏せている詞織の髪を、立ち上がった俺は優しく撫でてやる。

 震えて立っているのも辛そうだったにも関わらず、詞織はよくやってくれたと思う。

 ここから先は、俺がやるべきことだった。

「ちょっと出てくる」

「どこに行かれるんですか? 紗敏さんは怪我をして、ゆっくり休まなければ――」

「時間がないんだ。俺は後悔なんてしたくない」

 LDKを出て玄関に向かうと、詞織も後を着いてきた。

「わたしも着いていきます」

「……わかった」

 目を赤くしながらも俺の目をじっと見つめてくるいまの詞織を、拒絶できそうになくて、俺は了承の返事をしていた。


          *


 家から少し歩いて向かったのは、バトルパーク。

 土がむき出しのボール広場に踏み込んで、俺はいつも通り結界を素手で引き裂く。

 赤黒い空の下で対峙していたのは、機光少女エリサと悪の秘密結社といういつもの面々。

 長大な剣を両手で持ち、肩で息をしているエリサに対して、悪の秘密結社側は戦闘員の半数が戦闘不能になっているらしく、仲間に助けられてかろうじて立っていて、以前も見た気がする、前よりひと回り筋肉質になった感じがあるアリ怪人も、無数の傷ができている状況だった。

 結界の残り時間にはまだ余裕があり、もうすぐ決着がつきそうな状況であるにも関わらず、俺は歩いて戦場の中心に向かっていく。

「あ……、あんた何やってんのよ! 状況考えて介入しなさいよ!」

「すまない。今日はちょっと事情があるんだ。戦闘を止めるぜ」

 俺を発見したエリサが鋭い言葉を発してくるが、それに動じずに、怪人の方に足を向けた。

「な、何しに来たっ、勇者! 我らはいまお前の相手をしている余裕はない!」

 声こそ大きいが、腰の引けたアリ怪人の前に立ち、俺は深々と頭を下げた。

「今日はお願いがあってここに来た。お前たちの首領に会わせてほしい」

「いまはそんな話をしてる余裕はない!」

 俺ではなく、俺の後ろに向かって言っている様子のあるアリ怪人。

 エリサがスラスターを噴射して空に飛び上がったのは、勇者の感覚が捉えていた。

 おもむろに振り返って、俺はエリサが通過しようとする場所に手を突き出す。

「いつもいつも同じようにつかまれてるんだから、読めてるのよ!」

 言ってエリサは腰のスラスターの他に追加したらしい、背中の噴射口から光を放出して俺の手の下を通り抜けようとする。

「くそっ」

 あと一撃でも食らえば倒されそうなほど弱ってる怪人のトドメを刺させるわけにはいかず、咄嗟に勇気もほとんど使わずに、俺はエリサに飛びついていた。

「んんっ」

 ほっそりした身体に抱きつき、もつれ合う格好でスラスターによって得ていた速度が失われるまで地面を滑る。肩や腕の傷が痛んで、漏れそうになるうめき声を目をつむってやり過ごす。

 エリサが頭を打たないように左腕を彼女の後頭部に回し、右腕で身体を抱き寄せる格好で、俺は倒れていた。

 割と重厚な機光アーマーの部分はごつごつしていたが、魔力による防御があるとは言えほとんど素肌と変わらない感触の生身の部分は、見ていた以上に痩せていて、頼りない感じすらする抱き心地だった。

 痛みが過ぎ去るのを待っていたとき、目をつむっている俺の唇に、何か柔らかい感触があるのに気づいた。

 嫌な予感がして、ゆっくりと目を開ける。

 すぐ目の前にあったのは、エリサの見開いた目。

 唇が触れているのはもちろん――。

「な、何しているんですか、紗敏さん!」

 駆け寄ってきた詞織がいつもと違って強く肩を引っ張り、エリサから俺を引きはがしていた。

 不可抗力とは言え俺とキスすることになってしまったエリサは、呆然とした目のまま自分の唇を指で撫でて、動かなくなっていた。

 どう言い繕うかと思っているとき、復活したエリサが立ち上がって言った。

「こ、この責任は取ってもらうからねっ!」

「……わ、わかった」

「紗敏さん!」

 怒りなのか恥ずかしさからなのか、顔を真っ赤にして俺を睨んでくるエリサ。

 俺の腕に抱きつくようにして立っている詞織もまた、俺のことを睨んできていた。

「……あー、それよりも、さっきの話なんだが」

 ここで話をこじらせるよりも、俺には先にするべきことがある。

 エリサが再び武器を構える気配がないのを確認してから、俺はアリ怪人と対峙する。

「首領に会わせてほしい。いますぐに」

「で、できるわけがないだろうっ。我らはお前と敵対しているのだし、お前は先代首領を!!」

「わかっている。それでも会いたい。現首領に話を着けてほしい」

「断る! そこにいる機光少女以上に、我らはお前に――」

 大顎を開いたり閉じたりしながら怒りの声を上げていたアリ怪人の言葉が突然止まった。

「は? いえ、しかし……」

 誰かと通信を始めたらしいアリ怪人の呟きが聞こえる。この姿のときにはあるのかどうかわからないが、舌打ちのような音をさせて俺を睨みつけ、アリ怪人は言った。

「首領様が会うと言っておられる。感謝しろ!」

 もし人の姿をしていれば苦々しい顔をしていただろうアリ怪人に、俺は深く頭を垂れ、「ありがとうございます」と返事をしていた。


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