第三章 現代勇者の怨恨事情 4


       * 4 *


「一昨日のようなことだって、俺にとってはけっこう普通のことなんだ。そんな世界に、鈴代さんを巻き込むことなんてできない」

 興味がないように俺に背を向けている鈴代さんに、そう呼びかける。

 今日は鈴代さんに時間をつくってもらって屋上に来てもらっていた。

 放課後の屋上には人影はなく、さらに用心のためにガーデニングがされていない広場の方で、俺は鈴代さんの説得を試みる。

 詞織は少し離れた場所で心配そうな目を向けてきていて、鈴代さんは俺の説得を聞く気がないように、フェンス越しに町を見ているばかりで、こっちを向いてはくれなかった。

「力のない私は、貴方の邪魔にしかならないってこと?」

「はっきり言うと、そういうことだ」

「あの子はどうなの? あのときは私と一緒に逃げてるだけだったけど」

「詞織にはまだ充分に使いこなしてないが、かなりの力がある。この先も闇の世界で生きていくかどうかは詞織次第だが、鍛えれば俺に頼らずとも闇の世界で生きていける」

「そうなの」

 気のない鈴代さんの返事に、俺はため息を吐く。

「襲ってきた奴らのひとりには逃げられてるから、また襲ってくるかも知れない。鈴代さんは顔を見られてるし、もしかしたら鈴代さんに危険が及ぶ可能性もある。できる限りそうならないようには気を付けるし、逃げた奴のことは早めに捕まえるつもりだけど、できればしばらくは俺に近づかないでほしい」

「……」

「俺はいまは詞織を守らなくちゃならない。何かあればできる限り鈴代さんのことも助けるけど、俺の力は万能じゃない。いざとなれば、詞織を守ることを優先するかも知れない」

 残酷な言い方なのはわかってるし、たぶん実際そうなったら俺は全力を尽くして鈴代さんのことも守るだろう。でも俺にだってできることとできないことがある。俺が守れるのは、俺の拳が届く範囲のことに過ぎないのだから。

 やっと振り向いてくれた鈴代さんは、目を細めながら唇を震わせていた。

「それでも、私は力がほしいの」

「なんで、鈴代さんはそこまで力を求めるんだ?」

 ずっと疑問に思っていたことを問う。

 闇の世界のことはひょんなことから知る機会はあったりするものだし、そこから足を踏み入れてくる人がいないわけじゃない。

 でも、いま現在闇の住人でもない鈴代さんが力を求める理由が、俺には見えなかった。

「私の家は、人から見れば羨ましいところかも知れないけど、現実はそうでもないの。息苦しい上に、もう未来もないような場所なの。私はそこから外に飛び出す力がほしい。踏み出すための力がどうしてもほしいの」

「そうした力は、闇の力に頼らずに、鈴代さん自身が自分で手に入れるべきものだと思う。それに鈴代さんなら、すでにそれだけの力はあると俺は思う」

「そういうことではないの。私はいまの自分を壊して、新しい自分になるための力が、きっかけがほしいの」

「それこそ闇の力なんかに頼らず、光の世界で見つけるものだよ。ひとりでできないと言うなら、俺も手伝う。やれることは少ないと思うけど、できる限りは。だから闇の世界に踏み込んで来ることだけは、考えないでほしい」

 うつむき、握りしめた両手を震わせていた鈴代さんが顔を上げる。

 その目には、涙が湛えられていた。

「そうじゃないっ。そうじゃないの! それだけじゃないの!! 私は、貴方の隣に立てる人になりたいの! ずっとそう思って生きてきたの! それが私の夢だったの!!」

「ずっと?」

 言われたことの意味がいまひとつつかめなかった。

 鈴代さんと出会ったのは、高校に入ってからだった。一年の頃には別のクラスで、有名だったから存在も知っていたし、ちょっとだけなら話をしたこともあった。

 でもそれだけの関係でしかなかった。

 二年になってからクラス委員になって、話す機会も増えたけど、そこまで鈴代さんに想われるようには感じられなかった。

 単純に、俺が鈍感だっただけかも知れないが。

 どちらにせよ俺は彼女が闇の住人になることを反対する。その立場を貫く。

 彼女の幸せは闇の世界になんてない。光の世界でこそ、あるべきものだと思うから。

 ――でも「ずっと」って、本当にいつからなんだ?

 疑問を払拭できなくて、手の甲で涙を拭っている鈴代さんに訊いてみることにした。

「鈴代さん。ずっとって意味は……。いや、ちょっと待って」

 口にし始めた言葉を言い切れず、俺は沈黙していた。

 勇者の感覚に、何かが触れていた。危険を感じていた。

「詞織!」

 憶えのある感触に、俺は詞織へと駆け寄る。

 彼女の身体を抱きしめると同時に屋上に吹き荒れたのは、黒い風。

 風が収まったとき、俺たちの目の前に立っていたのは、黒体無貌の魔人、メモルアーグ。

「性懲りもなくまた現れ、た、か……」

 ――違う。

 翼を折り畳み三メートルはある身長から、目のない顔を向けて見下ろしてくるメモルアーグ。

 奴から感じる力とは別に、俺の勇者の感覚が別の危険を感知していた。

「詞織、下がれ! 鈴代さん、こっちへ!」

 詞織に指示を飛ばしつつ、俺はフェンスをつかんで震える身体を支えている鈴代さんに駆け寄り、膝に力を溜めながら彼女の手に自分の手を伸ばす。

 俺の手は、空振っていた。

 俺よりも早く鈴代さんの身体をつかみ上げたのは、メモルアーグよりさらに大きな魔人。

 メモルアーグなど比べものにならない力を感じた俺は、距離を取るために膝に溜めていた力を解放し、一気に詞織の側まで跳ぶ。

 黒体無貌の魔人と並ぶように立つのは、おそらく五メートル近くはあるだろう、魔人。

 人のように二本の脚で立ちながら、その顔は犬かネズミのように鼻が突き出ていて、針のような金色の毛で全身を覆い、誰がつくったのかぼろぼろのズボンとベストを、恐ろしく筋肉質の身体に身につけていた。

 縮尺がおかしいんじゃないかと思うほどに筋肉で盛り上がった腕をし、右手には鉄の塊から削り出したような、メモルアーグの身長ほどもありそうな粗雑な剣を持ち、開いた左手にはぐったりと意識を失って倒れている鈴代さんの姿があった。

 ――強い。

 剣が届く距離からかなり外れているのに、身体が緊張するのを止められない。後ろに隠れるように立つ詞織が俺の背中に手を当て、上着を強くつかんでくる。その手は、震えていた。

 それも仕方ないだろう。

 強いなんてものじゃない。俺がこれまでに敵として戦ってきた闇の住人の中でも文句なく最強と言える力を持つ魔人だった。

 ――魔人王か。

 魔人はそもそも発生原因とか正体とかが妖怪変化以上に不明で、人間に関係する事柄の性質を持ち、人を模した姿をしていることが多い、ということしか知られていない。

 そうした正体不明の魔人の中でもメモルアーグはまだ有名で、少なくとも三百年前には名前を変えつつ存在し、夢魔から力をつけ、人の記憶を食らうようになった魔人と言われている。

 過去に存在したものも含め数百体が確認されている魔人の中でも、数体から十数体についてはとくに強大な力を持ち、魔人の中でも王のような存在、魔人王と呼ばれている。

 おそらくいま鈴代さんを捉えている金毛豪腕の魔人は、魔人王の一体だ。

「詞織。もう少し離れてろ。鈴代さんを取り戻す」

「でもっ!」

「早く」

 静かに、でも強く言った言葉に、詞織は上着から手を離した。

 勇気を全身に満たし、俺は進み出る。

「儂の姿を見ても逃げずに進んでくるか。聞きしに勝る勇者ぶりよの」

 突き出た鼻の下にある口を裂けるほどにつり上げて、魔人王は鋭い牙を見せながら笑う。

 ――この場所は、まずいな。

 学校の中で、それも屋上というシチュエーションは戦場としてはかなりまずい。

 俺の力を出し切ることも、俺の中にある以上の力を使うことも困難な場所だ。

 エリサがまだ学校に残ってるなら結界を張ってもらうよう頼みたいところだったが、魔人王に目を付けられるような行動を頼めるわけもない。

 ――さっさと鈴代さんを助けて逃げるしかない。

 覚悟を決めた俺は、拳を握りしめる。

「その子を……、その子を離せ!!」

 強く屋上の床を蹴り、俺は魔人王へと跳ぶ。

 迫ってくる魔人王との間を阻んだのは、鈍く光る銀色の剣。

 振り被っていた拳を躊躇なく叩き込むが、鉄の塊を殴ったような重い音を立てるだけで、剣が砕けることはなかった。

「ほう。これに跡を残すか」

 拳の形に凹みができた剣が引かれ、その影から迫ってきたのは、鋭い爪を生やした足だった。

 見えたと思った瞬間には目の前にあった蹴りを避けきれず、俺は両腕で身体を庇いながら受け止めようとする。

「ぐっ」

 脚だけでも俺の質量を遥かに超えるだろう蹴りを受け止めることができず、屋上の床では踏ん張りも利かず、俺は空中に投げ出される結果となった。

「紗敏さんっ!」

「大丈夫だっ。近づいてくるな」

 爪によって制服は切り裂かれていたが、その下の身体についた傷は決して深くない。勇気を通した身体はそう簡単に深手を負うことはない。

 ――だけど、近づけない。

 図体の割に機敏な動きを見せる魔人王。目で追えないほどの速度ではないが、その剣も、足も、ひとつひとつが範囲に対する攻撃になっていて、避けるのは容易じゃない。

「伏せろ、詞織!」

 呼びかけて俺は腕を頭の上で組む。

 振り下ろされて来たのは剣。

 大きく一歩踏み出した魔人王は、刃ではなく、剣の腹を俺に向かって叩きつけてきた。

「ぐぅ」

 背骨が軋む音が聞こえるほどの強烈な打撃を、俺はどうにか受け止める。

 ゴムのように柔らかい素材の屋上の床は耐えきれず、俺の足はその下にあるコンクリートを割って沈み込む。三階の天井までぶち抜かなかったのは魔人王が手加減をしたからか。

「これを受け止めるとはさすがは勇者。面白い。面白いぞ!」

 響き渡るような声で笑う魔人王に再び攻撃をかけようと、埋まった足を引っ張り出すが、膝を突いた俺はそれ以上動けなくなっていた。

「鈴代さんを、離せ……」

 それでも俺は魔人王を睨みつけ、そう主張する。

「こやつから聞いていたが、面白いぞ、勇者! この場で殺すのは惜しい。お前はその折れぬ心を苦しめ、最高の怨嗟の言葉を吐かせてから殺してやろう。儂を追ってくるがいい!」

 鈴代さんを左手につかんだまま、足下から消えていく魔人王。

「待て!」

 全身の痛みに立ち上がることもできない俺を飛び越すように、何かの力が飛ぶのを感じた。

 ――聖属性の力?

 腰までが消えた魔人王の左手に取り付いた詞織の術は、鈴代さんを包み、シャボン玉のような白い球体となった。

「ふんっ。小賢しい真似を」

 意を介した風もなく、魔人王はメモルアーグとともに姿を消し、二体は空へと消えていった。

 叩きつけた拳が、校舎を震わせる。

 ――助けられなかった。

 人類最強の勇者などと言われながら、俺は魔人王とまともに戦えなかったどころか、鈴代さんひとり助け出してやることができなかった。

 悔しさに零れる涙と、攻撃の負荷に耐えられなかったどこからかだろう、口から滴る血が、屋上の床を汚していた。

「紗敏さん」

 寄ってきた詞織に肩を貸してもらい、立ち上がる。

 ――必ず、必ず俺が助けるから!



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