第三章 現代勇者の怨恨事情 1



第三章 現代勇者の怨恨事情


       * 1 *


「ふっ。英雄色を好むと言うが、勇者であるお前もそうなのか?」

 蔑みの笑みを見せる教主は、詞織と鈴代さんの方に視線を走らせてそう言った。

 その言葉には応えず、俺を取り囲んで来ようとする教団の祭司の連中を目で威嚇する。

「詞織。鈴代さんを連れて俺の家まで逃げろ」

「でも!」

「ここは俺ひとりでなんとかなる。それよりこの人数に襲いかかられて詞織や鈴代さんを守り切れない方が問題だ。家まで逃げればいまのこいつらならそう簡単には手が出せない。行け!」

「は、はいっ!」

「結城君、気をつけて!」

 遠ざかっていくふたりの足音を振り向かずに聞いて、俺は構えを取った。

 追いかけようとする祭司に拳を向けると、怯んだように立ち止まる。

「まぁいい。こやつの家はすでにわかっている。後でじっくり迎えに行けばよい」

「いまのお前たちじゃ敷地に踏み込むことすらできないがな」

 短槍を構えた祭司たちを見渡して、俺はズボンのポケットから手袋を取り出す。

 それは格闘専用の手袋。

 勇者の力を持っていると言っても、刃物で斬りつけられれば怪我もするし、何より服が斬れる。表面に金属が縫いつけられてあり、防刃素材を使用した格闘グローブは、ちょっとした戦闘には便利で、常時ポケットに忍ばせている一品だ。

 それからもうひとつ、戦闘の準備のために視線をそのままに声を上げる。

「エリサ! どうせいるんだろ。頼みたいことがあるんだ!」

「何よ。やっぱり気づいてたの?」

 パークに入るときから気配を感じていた彼女に声をかけると、あっさり出てきてくれる。

 いつも制服のスカートはけっこう短くしてたりとかおしゃれをしているエリサだが、私服の今日は裾が広がるようにしてあるらしい黒のミニスカートと緑のシャツと、丈が短めなベージュのジャケットを組み合わせた割と可愛い格好をしていた。

 ちょっと痩せすぎなんじゃないかと思う彼女の脚は細くて長い。それに合う黒いストッキングに包まれたスラリとした脚をちらりと見て、詞織たちが安全な場所まで逃げられたのを感じた俺は緊張感もなく言う。

「そんな格好して、誰かとデートだったのか?」

「そんなわけないでしょ! あたしはだって、あんたに……。じゃなくて、何?! こんな奴らと戦えっての?」

「いや、見ててくれればいい。ただ、結界を頼む。必要になると思うから」

「ひとつ貸しだからね」

 不満そうに鼻を鳴らすエリサだが、携帯端末を空にかざして結界を張ってくれる。

 青かった空が、赤黒く染まり、春先の清々しい匂いが、重苦しい空気に入れ替わる。

「怯むなっ。あの小娘が張った結界だ。いざとなれば小娘を殺して解けばいい」

「あんたらなんかに負ける気はしないけどね」

 エリサが俺から離れて傍観の体制を取り、祭司たちが俺を囲むように足を進めてくる。

 手袋を填め終えた俺は深呼吸をして、これから始まる戦闘のために勇者の力を意識した。

 勇者の力を、勇気と呼ぶ。

 気持ちの勇気ではなく、気功とか、魔力とかと同じような使い方で、勇気と呼んでいる。

 勇者の力はとにかく希少で、歴史上にも何人もいなく、俺の知る限り現在では俺の他にはお袋しかいない。勇者の力を勇気と呼ぶのはお袋の命名で、名前なんてどうでもいいらしいんだが、力をイメージするときには名前があった方がやりやすいんだそうな。

 短槍の歩先を向けてくる祭司のことを見渡しながら、俺は自分の中に曖昧に存在を感じるだけの勇気をはっきりと意識する。勇気を体内に通せば筋力や骨格、感覚や思考速度を強化することができるし、肌や身体の外に意識すれば攻撃を防ぐことができる。

 しかしながら問題もある。

 突き出された槍の歩先をグローブ越しにつかんで引っ張り、手放すのが遅れた祭司の顔面に裏拳を決めてやる。

 勇気を通さず、姉貴に通わされることになった各種武術の技のみで打ち込んだが、普通の人間なら充分気絶するくらいの力を込めた。

 それなのに、祭司はわずかに鼻血を滴らせてよろめいただけで短槍を構え、フードの奥に見える血走った目で俺のことを睨んでくる。

 ――やっぱりか。

 次々と突き出される槍を避け、手で受け流し、つかんで祭司の身体ごと投げ飛ばす。

 喧嘩なら数人は脱落してもおかしくないだけのダメージを与えてやっても、九人の祭司たちは立ち上がり、俺のことを取り囲んできた。

「てめぇら、魔人の力を借りてやがるな」

 祭司たちが倒れないのはそれが理由だ。

 奴らが姿を見せる前から存在を察知できたのは、魔人の闇の力を薄く感じていたからだ。可愛らしい服装のことはともかく、エリサがパークに来たのも、奴らが町にうろついていたからだろう。

「何を言っている。我らは魔人を封印するという正当なる行いによって――」

「最初見たときから気づいてたんだよ。あの宝石は封印の石なんかじゃない。メモルアーグの寝床だ。てめぇらは魔人を封印すると騙って、借り物の力で驚異を演出し、何も知らない人たちから金品を巻き上げて、自分たちはその金と力で好き勝手やってたんだろ」

「さてな」

 つまりそういうことだ。

 魔人を封印すると言いながら、本当はメモルアーグと協力し合っていただけだ。さしずめ詞織は借りた分の力の支払いなんだろう。

 指摘されても教主はもちろん、祭司たちにも動揺がないところを見ると、ここにいる奴らは全部知った上でただのカルトじゃない、闇の威を借りた悪質カルトをやっていたんだ。

「最強の勇者と言われようと、我らの力をもってすればたいしたことはない! 魔人が敗れたのはこやつを人間と侮っていたからに過ぎない! さぁ、我らの力でこやつを血祭りに上げ、聖女を取り戻し、魔人の封印を成そうぞ!!」

 教主の声に奮起してか、気合の声とともにさらに激しい攻撃が俺に殺到する。

 勇気を身体に通して攻撃のすべてを躱しつつも、俺は徐々に追い詰められていった。

「何をそんなに無様な戦い方してるの? いつもみたいに吹っ飛ばせばいいじゃない!」

 応援、のつもりはなさそうなエリサの言葉が飛んでくる。

「そういうわけにもいかないさ。魔人の力を借りてても一時的なもので、身体は普通の人間だからな、こいつらは」

「相変わらずそういうところは甘いのね」

 エリサの憎まれ口に振り向かないままに肩を竦めて見せて、俺は全身に勇気を通す。

 気合いの声を上げ槍を振り下ろす祭司に大きく一歩近づいて、鳩尾に聖拳を打ち込んだ。

 今度はうめき声を上げ、意識を失ったらしい祭司は、身体を左手で押しのけるとそのまま地面に転がった。

 教主たちの驚きの声が上がる。

 勇者の問題点は、力加減だ。

 最初から倒すつもりの魔人なら全力だし、機光少女のエリサはけっこう丈夫だから大雑把な力加減でも問題はない。

 だが魔人に借りて多少力を持っているとは言っても、勇者の全力を乗せた右手の聖拳を叩き込めば、祭司の身体なんで文字通り跡形もなくなってしまう。借り物の力がどの程度のもので、どれくらい使いこなしているかを計らないと、虐殺することになりかねない。

「さて、そろそろ覚悟してもらうぞ」

 怯んだ様子を見せながらも同時に突き出された三本の槍の歩先を、をまとめて左手でつかみ取り、右の聖拳でそれぞれ数発ずつ食らわせてやる。

「ひ、怯むなっ! 力をすべて使うのだ!!」

 声もなく倒れ込む三人に他の祭司たちは一瞬硬直するものの、教主の叱咤によって復活する。

 俺に向かってかざされた手から放たれたのは、雷のような軌道を見せる黒い怪光線。

「へぇ」

 こんな力まで使えるとはちょっと驚きだが、エリサの使う機光シューターほども威力がなさそうな攻撃では、驚く程度の効果しかない。次々と放たれる黒い怪光線のほとんどを避け、一部を手のひらの前方に張った勇気の不可視防壁で受け止める。

 戦えると思っていた奴らの腰が引けて来始めた辺りで、俺は風となった。


          *


「ふぅ……」

 追っ手もなく無事紗敏の家に帰り着いて、玄関の内側に駆け込んだところで詞織は安堵の息を吐いていた。手を引っ張ってきたさやかもまた安堵の息を吐いているのを見て安心して、けれど紗敏のことを思う。

 ――大丈夫ですよね、紗敏さん。

 また魔人教団のことで、自分に関係したことで迷惑を掛けてしまったと、詞織は気持ちが沈みそうになる。

 けれどもいまはひとりではない。事情を知らないさやかに暗い顔を見せるわけにはいかないと思った詞織は、努めて明るく声をかけた。

「すぐに紗敏さんも帰ってこられると思います。お茶を飲みながら待っていませんか?」

「えぇ」

 さやかを家に上げていいのか、と思ったが、玄関先でこのままの方が良くないと思い、詞織は彼女をLDKまで誘う。

 いつもは自分が座っているふたり掛のソファに座ってもらい、急いでお茶を淹れてきた。

 来客用の湯飲みにお茶を注いだ後、紗敏に買ってもらった自分用の湯飲みにも注ぎ、ひと口飲んで乾いた喉を潤したとき、さやかにすごい目で睨まれていることに気がついた。

「貴女は、結城君の何なの?」

 睨んでくる理由を問う前に、さやかの方から口を開いた。

「えっと、わたしは紗敏さんに助けていただいて、いまは学校に通えるように取り計らってもらったり、守ってもらったり――」

「そうじゃなくて、結城君は貴女を助けた責任を取るって言ってたけど、どういう意味なの?」

「それは……」

 テーブル越しに強い視線で睨まれながら言われた言葉に、詞織は返事ができなかった。

 いつも紗敏に言われていることだったが、その意味をあまり深く考えたことがなかったことに思い至る。

 同時に、何故紗敏が自分のことを助けてくれようとするのかがわからなかった。

 突き刺さるような視線から少し目を伏せて考え、詞織はできる限りの言葉で答える。

「わたしは、本当は紗敏さんに助けていただいたときに、死ぬはずだったんです」

「死ぬはずだったってどういうこと?」

 細めていた目を驚きに見開くさやかを見据えながら、しかし詞織は曖昧な言葉で説明する。

「あまり詳しいことは言えません。紗敏さんは鈴代さんに闇の住人になってほしくないようですし。とにかくわたしは、そこで死ぬはずで、わたし自身も、死ぬことが当たり前だと思っていました。でも紗敏さんに救われて、わたしは未来を、そのときよりも先の時間を得たんです。与えてもらったんです」

「貴女はそれで、どうするつもりなの?」

「どうするか、は、わたしにもまだよくわかりません。死ぬはずだったわたしはやりたいことも、やろうと思うこともなくて、この家に住まわせてもらえることになって、最初はどうしたらいいのか本当にわかりませんでした」

 言葉を紡いでいる間に、詞織は紗敏のことを思い出していた。

 彼の言葉を。

 彼の笑顔を。

 迷惑ばかりかけているのはわかっていた。けれど彼がそれを許してくれる間は、彼の言葉を聞き、彼の笑顔を見ていたいと思った。

 そう思えた詞織は、自分でも頬が緩んでいるのを感じていた。だから笑顔をさやかに見せながら言った。

「――でも紗敏さんは言ってくれました。やりたいことを見つけて行こうと。わたしの幸せを探そうと。それを見つけるまでは、ここにいていいと」

 そんな詞織に、さやかは怒っているような鋭い視線を向けてきていた。

 それでも詞織は笑顔を崩さなかった。

 紗敏の言葉と笑顔が、胸の中でとても暖かく残っていたから。

 彼と一緒に過ごしながら、いまはまだ見つけることができない幸せを探す時間は、とても大事なものだと感じられていたから。

「……貴女は、結城君のことが好きなの?」

「え? わたしが、ですか? 紗敏さんのことが好き? え?」

 訝しむように細めた目で言われて、詞織は戸惑ってしまった。

「好きって、えぇっと、恋人になりたいとか、結婚したいとか、そういう意味のですか?」

「えぇ、そうよ」

「うぅーーん」

 腕を組んで考え込んでしまう。

 正直、そんなことは考えたこともなかった。

 迷惑をかけてすまなくて、いろいろしてくれることが嬉しくて、紗敏の笑顔を見ると胸の中が暖かくなるのを感じているだけだった。好きという言葉の意味はわかっていても、紗敏のことが恋人や結婚の相手として好きかと問われても、よくわからない。

 逆に紗敏が、自分のことをどう見ているのかも、わかっていなかった。

「わたしには、よくわかりません。……でも、紗敏さんは言ってました。好きな人は、結婚したいと思える人は、一緒に幸せをつくって行きたいと思える人だ、って」

「……そう」

 視線を外したさやかは、何故か少し嬉しそうに微笑んで、けれどすぐに険しく眉を顰めた。

「そう思えば、結城君は大丈夫なの?」

「大丈夫、だと思います。紗敏さんは強い力をお持ちですから。闇の力を持っていても、あの人たちには負けたりはしないと思います」

 魔人を素手で撃退してしまう力を持っている紗敏だから、魔人に似た力を感じてはいたが、その場に現れた教団の人たちには負けるわけはないと思っていた。

 けれども今回の件は、彼が詞織を助けたことによるもの。

 そのことを思うと、詞織は暗い気持ちになって顔をうつむかせていた。

「わたしは、紗敏さんに迷惑をかけてばかりですね……」

「どういうこと?」

「えっと、さっきの方々は、わたしのことを……、その、捕まえていた人たちで、その人たちが襲ってきたのは、わたしを助けたからなんです。わたしにはたいしたことができなくて、紗敏さんに頼ってばかりです……」

「やっぱり、その闇の世界というところでは、力がないと生きていくのが難しいものなの?」

「わたしもあまり詳しいことは知りませんが、そうだと思います」

「だったらやっぱり、わたしは力がほしい」

 握りしめた右手を見ながら、さやかが呟くように言う。

「でも! 紗敏さんは、鈴代さんには光の世界で幸せをつかんでほしいと言っていました」

「そんなのイヤなの。私はいまの私を壊して、新しい自分を手に入れる力がほしいの」

 強く手を握り、決意したように顔を上げたさやかは、詞織に新たな問いを投げかけてきた。

「さっき貴女を助けたから、結城君はその責任を取って貴女を守るって言ってたよね?」

「あ、はい。そう言われています」

「それなら、私のことも責任取ってもらわないと」

「どういうことですか?」

 顎を少し反らせて笑いながら、さやかは言う。

「私は、結城君のことが好き。彼とずっと生きて、幸せをつくって行きたいと思ってる。結婚できるなら、したいと思ってる。それに、彼は私の責任も取らないといけない」

「それは――」

 ちょうどそのとき、玄関の扉が開かれる音がした。

「あ、戻られたみたいです」

 紗敏の持つ勇気の力を感じて、詞織はソファから立ち上がる。

 それよりも素早く立ち上がったさやかが、何か勝ち誇ったようにも見える笑みを残して、詞織よりも先にLDKから飛び出していった。

 その後ろ姿を、詞織はほんの少しの間、追いかけることができなかった。


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