第二章 現代勇者の生活事情 3


       * 3 *


 昇降口で待っている詞織に軽く手を挙げて挨拶をして、俺は靴を履き替えるために自分の下駄箱へと向かう。

「ぅが」

 携帯を近づけてロックを解除し小さな扉を開けた瞬間、俺は微妙な悲鳴を上げていた。

 靴の他に手紙が入っていた。

 詞織がこちらを見ていないのを確認してから、黄色い封筒を開いて便せんを取りだし、素早く内容を確認する。概ね予想通りの内容に軽くため息を吐いて、便せんを封筒に収めて革鞄の外側にあるポケットにねじり込んでから、詞織の元に行って一緒に家へと歩き始めた。

 帰宅時恒例の闇の世界や光の世界に関するレクチャーを詞織にしながら、バトルパークの入り口にたどり着いたとき、俺は立ち止まった。

「すまない詞織。今日はここから家までひとりで帰ってくれ」

「あ、はい。……わかりました」

 バトルパークから俺の家までは目と鼻の先。広いパークを通り抜けた方が近くなるくらいだから、道のりでいくとちょっとあるが、今日はいまのところ周囲に不穏な闇の気配はない。むしろ詞織の場合不良とか不審者に絡まれる方が心配だが、もしそういうのに出くわしたときの対処法についてはレクチャー済みだ。

 若干、あの天然ボケを通り越した詞織の世間知らずに、いざというときの判断基準について不安がないわけではないが。

「えっと、お気をつけて」

「できるだけ早く用事を済ませて帰る」

 何かを察したのだろう、自分から手を伸ばして俺の鞄を受け取った詞織は、心配そうな表情を見せながらも、小走りに家に向かっていった。

 詞織が角を曲がって見えなくなったのを見計らって、俺はパークへと踏み込む。

 手紙で指定された場所は、いつも戦いの場となる一番広い広場じゃなかった。そこから少し雑木林に踏み込んだ、もう少し狭くて人目につかない芝生の広場。

 罠や仕掛けがないかを気をつけつつ、パークの中にどれくらい光の住人がいるかに気を払いながら、俺は指定された場所に歩いていく。

 たいした管理がされず、雨宿りがせいぜいな古びた庵がある広場に、人影はなかった。

 でも、気配はある。

「隠れてないで出てきたらどうなんだ」

 周囲に聞こえるように少し大きな声で言うと、木の陰から現れたのは制服姿の女の子。

 何か俺に恨めしそうな目を向けてきている彼女を、俺は睨めつけた。

「手紙なんてよこしやがって、今度はまた何を考えてる?」

 鈴代さんはもちろん、詞織に比べても女の子らしいボリュームが少ないが、同じ制服を身につけているのは、エリサ。

 俺は過去に一度、エリサから呼び出しを食らったことがある。

 詞織を助け出す数日前だったそのときは、自宅の郵便受けに手紙が入っていて、指定された場所に行った俺は、彼女に決闘を申し込まれた。

 三月上旬くらいにこの町に引っ越してきたらしいエリサは、早速機光少女の活動を始めたが、悪の秘密結社と戦うのは初めてだったらしい。決して手際がいいわけではなかった。呼び出しを食らうまでの間に発生した三回の戦闘のうち二回は、結界の制限時間近くになったために、俺が介入して戦闘を終了させていた。

 戦闘で得られるポイントがあるという機光少女の活動を邪魔したからか、恨まれた。

 結局そこそこの力でエリサを叩き伏せて、彼女の要求を飲む形で闇の住人への対抗は主にエリサがやり、結界の時間超過や手が足りない場合は俺が出る、という約束をしていた。

 ただ機光少女としては防御を重視して攻撃力が低めの彼女は、度々結界の時間超過の危機をやらかして、戦闘に介入することになったのは何度になったか。

 約束を反故にして内容を変更したい場合はまた決闘を申し込んでこいとは言ってあったが、とくに力を大幅に伸ばした気配のないエリサに呼び出されても負ける気はしない。

 ――新しい装備でも手に入れたのかな。

 機光少女は得たポイントで装備を買い揃えることができるという話は聞いていた。

 俺が闇の住人への対抗で楽させてもらっている分、ポイントを稼いでるはずのエリサは、もしかしたら俺と戦える装備でも手に入れたのかも知れない。

「こっち来なさいよ」

「なんだよ。決闘するなら広い場所の方がいいだろ」

「……今日は戦うつもりなんてない。いいからこっち来て座りなさい」

 言ってエリサは庵の方に足を向ける。

 わけもわからず、変身するわけでもないらしいエリサに、俺も庵へと近づいていく。

 腰程度までの高さの壁、柱と屋根で構成されたオープンな感じの六角形の庵の中のベンチに少し距離を離しつつ並んで座ると、今日のエリサはなんだか様子がおかしかった。

 俺の顔を睨みつけたかと思うと顔を赤くしてうつむき、短いスカートから出ている膝をもじもじと擦り合わせたかと思うと、もう一度顔を上げて何かを言おうと口を開いて、でも何も言わずに唇を引き結んで押し黙る。

「いったい何だよ。詞織をあんまり長い間ひとりにしておきたくないから、早く帰りたいんだ。決闘にしろ、他の用事にしろ、早くしてくれよ」

「詞織の、ことはあの子から少し聞いた」

「もう呼び捨てかよ。まぁいいけど。話を聞いて状況わかってるなら仲良くしてやってくれ。いろいろズレててまだまだ予断を許さないところがあるんだ。それより今日の用事はなんだよ」

「わかってる、わかってるから、ちょっと待ってっ。心の準備をさせて」

 ない胸に手を当てて何度も深呼吸をするエリサ。

 顔を赤くして目を潤ませている気がする彼女は、俺のことをじっと見つめながら、言った。

「勇者。じゃなくて、紗敏」

「俺のことも呼び捨てかよ」

「うっ。えっと、じゃなくて、邪魔しないで!」

「へいへい」

 耳まで真っ赤にしたエリサが改めて口を開く。

「あたしと付き合いなさい、結城紗敏」

「ど――」

「どこに、とかそんなありきたりな冗談はいらない! お、男と女として、恋人として、あたしと付き合いなさいっ」

 もう目まで真っ赤にして、真剣というより必死な顔でエリサは言い切った。

「……へ?」

 言われたことの意味は問い返さずとも理解していたが、理由がわからなかった。

 いつもあれだけ俺に突っかかってきていた彼女が、なんでこのタイミングで告白してくるのか、俺には理解できなかった。

「本気?」

「本気よっ! もちろん!!」

 詞織が見せるのとは違う、必死で、でも俺にすがるような表情を見せるエリサ。

 祈るように胸の前で両手を握り合わせている彼女の目に、嘘を吐いている色は見えない。

「詞織のことが好きなの?」

「好きっていうか、まぁ可愛いのは確かだけど、それよりもいまは助けたからには責任取って守らないといけないし、状況が落ち着くまでは、な」

「状況が落ち着いたらあの子は紗敏の家を出るの?」

「どうなるかは落ち着いてからだけど、詞織が望むならそうなると思う」

「じゃああの鈴代さやかのことは、どう思ってるの?!」

「うっ……」

 重ねて問われた質問に、俺は言葉に詰まる。

 正直なところ、俺の知ってる女の子の中では一番気になる人であるのは確かだが、鈴代さんが願っている闇の住人になること、ってのは叶えてやるつもりは絶対にない。突き放すしかないんだろう、というのがここのところ考えていた俺のとりあえずの結論だった。

 離していた距離を詰めてきて、膝と膝が触れあうほどに近づいてきたエリサに、逃げ場もない俺は質問を投げかける。

「どうして俺なんだよ。別に俺たち、仲いいわけじゃないってか、むしろ半分敵対関係だろ」

「だって……、だってあたしがあんたに一番ふさわしいと思うから」

 寒いかのように肩を震わせ、うつむいたエリサは泣きそうにも聞こえる声で言う。

「力を使いこなしてない詞織よりも、あの光の住人でしかない鈴代さやかよりも、背中を守って戦えるあたしが一番紗敏にふさわしいと思うから」

「でも確か機光少女は、就任期間に制限あるだろ」

「うん。就任期間が終わる頃にはあたしの魔力はあんまり残ってないらしいけど、いまは就任期間が終わっても戦えるよう、いろいろ勉強してるの。戦う力は減っても、詞織よりも、鈴代さやかよりも、あたしがあんたの側に一番ふさわしい女の子になるから!」

 必死すぎるのか、顔を上げたエリサは涙を零し始めていた。

 上着をつかんできて、いまにも抱きついてきそうな彼女が、真剣なのはよくわかった。

 真剣で、真面目で、嘘偽りない気持ちを俺にぶつけてきていると、俺は感じていた。

 でも――。

「俺は、そういうのはあんまり求めてないんだ」

 エリサの肩に手を置き、彼女の身体を少し遠ざける。

 抵抗することなく両手を離して、エリサは深くうつむく。

「どうして……、どうして紗敏は自分の力を活かして生きていこうとしないの? あんたの力は比べる者がないくらい強い。それだけの力があればいくらでもお金を稼げるし、その稼いだお金で幸せになることだってできる。なのになんで! あんたはそれを望まないの? 小さな幸せしか望まないの?!」

 立ち上がって涙を零すエリサが叫び声を上げる。

 ツーサイドアップの髪が可愛らしく揺れ、零れた涙が庵にさしかかる陽射しに光って消えた。

 いつもは憎たらしくすら感じてるエリサのことが、今日はなんだか可愛く見えていた。

 睨んできたり、しかめっ面をしてるばかりの彼女だが、今日はひとりの人間をしていて、ひとりの女の子をしていた。

 可愛いと感じるエリサの申し出に、でも俺の心は揺れることがない。

「それが俺の求めるものだからだよ。一番、ほしいと思ってるものだからだよ」

 ベンチから立ち上がった俺は、エリサに背を向ける。

「諦めないから! あんたに、紗敏の口からあたしのことが好きだ、って言わせてみせるから!」

「わかった」

 軽く手を上げて別れの挨拶をし、振り向くことなく庵を出て、家へと向かって歩き始めた。


          *


「ただいま」

 玄関の扉を開けてそう声をかけると、LDKからいつもより大きなバタバタという足音が聞こえてきた。

「お帰りなさい、紗敏さん」

 靴を脱ごうと座ったところで、背中にかけられる詞織の声。

 首だけ振り向かせて彼女のことを見ると、どうやら着替えもせずに俺のことを待っていてくれたらしい。制服のまま、心配そうな顔を向けてきていた。

「大丈夫だったんですか?」

「ん? あぁ。エリサの奴にちょっと呼び出されただけだから」

「戦われたんですか? エリサさんと」

「いや、話をしてきただけだ」

「そうですか……」

 立ち上がった俺は、胸に軽く手のひらを当ててほっと息を吐く詞織の頭に軽く手を乗せて、LDKへと足を向けた。

「すぐお茶を淹れますね」

 後ろから着いてきた詞織が俺を追い越してキッチンへと入っていく。お茶を淹れてくれると言われたからには着替えに二階の部屋に上がるわけにも行かず、ソファに腰掛ける。

「どうぞ」

「いつもありがとう」

 何となく古夫婦がするようなやりとりだな、と思いつつ湯飲みを受け取りひと口お茶を飲む。

「あの……、エリサさんに、告白でもされたのですか?」

「ぐふっ」

 誤魔化して済まそうと思っていたことをずばりと言い当てられて、俺は喉を通り過ぎようとしていたお茶を吹き出していた。

「大丈夫ですか?!」

「うっ。大丈夫……。それよりも、どうしてそんなこと思ったんだ」

「いえ、何となくだったんですけど……」

 さっきのエリサと少し似て、泣きそうな気配のある顔でうつむく詞織。

「この前も鈴代さんに呼び出されていましたし、今日もそういうことなのかな、と思って」

「俺はむしろ闇の住人からも光の住人からもけっこう嫌われることが多いと思うんだが……。まぁ今日、エリサに告白されたのはその通りなんだけどな」

「エリサさんと付き合うのですか? 一緒に、暮らしたりするのですか? そのうち、結婚を……、したりするんですか?!」

 テーブルを乗り越えてきそうな勢いで前景姿勢になってる詞織に圧倒されそうになる。

「待て、待て。一足飛びにそういう話になるな。とりあえず落ち着いてくれ、詞織」

 怒っているのか、泣きそうなのか、よくわからない表情をしている詞織を両手でソファに座るよう促す。

「とりあえずお茶でもひと口」

 自分の分を持ってきたままだった湯飲みに、俺が代わりに急須からお茶を注いで、無理矢理彼女の手に持たせる。

 湯飲みを傾けてひと口飲み、深く息を吐いた詞織は少し落ち着いたようだった。

「エリサの告白については、断ってきた」

「そう、なんですか?」

「うん。俺はそこまであいつのことを知ってるわけじゃないし。まぁ、付き合ってから知ればいいってのはあるんだが……。いまは詞織、君を守るので手一杯だからな。助けた以上は俺は助けた責任を取る。前からそう言ってるだろ」

「はい……。そうですね」

 俺の言葉に安心したように小さく息を吐き、笑みを返してくれる詞織。

 でもすぐに考え込むように目を細め、さらに困ることを言った。

「それはもし、鈴代さんに言われても、同じですか?」

「うっ……」

 詰まった息をお茶を飲み干して誤魔化す。

「もちろん。少なくとも魔人教団の教主が捕まえるかぶちのめして、魔人教団を完全に潰してからかな。そういうことを考えるとしても、な」

「そうですか……」

 今後は本当に安心したように息を吐いた詞織に、俺も安心する。

 正直、これ以上追求されるのは心臓によくない。

「でも、ちょっと不思議なんです」

 いつもの調子に戻ったらしい詞織が、頬に指を添えながら小首を傾げる。

「何がだ?」

「どうして紗敏さんは、……こう言っては何なのですが、もっと大きな幸せを求めることもできると思うんです。貴方の力はとても強いものです。それだけの力があれば、前に話していただいたような幸せよりも、大きなものを手に入れられるのではないかと思いまして。それを望まないのには、何か理由があるのではないかと……」

「ん……」

 ついさっきもエリサに言われたことを問われて、俺は鼻の頭を掻くしかなかった。

「まぁ、詞織になら話してもいいか。詞織のことは、俺もいろいろ聞いたわけだしな。……俺は昔、大きな失敗をしたことがあるんだ」

「失敗?」

「あぁ」

 両肘をソファの肘置きに突き、組んだ手に顎を乗せ、俺はそのときのことを思い出す。

「俺が三歳になったときのことだった。誕生日の日に勇者の力に目覚めた俺は、即座にその力を最低限使いこなせるようになるために、修行をやらされた。そのときちょうどお袋が忙しくて手が離せなくて、姉貴に修行をつけてもらったんだが、要領がよかったのか、最低限の使い方はすぐに身につけることができた。それでまぁ、調子に乗ったんだな」

 そのときのことを思い出すと、苦笑いが出てきて仕方がない。

 テレビの中に出てくる特撮ヒーローの強さを、遥かに超えるレベルで、ある日突然手に入れてしまったのだから。

 それほどまでに、俺が使えるようになった力は、俺の勇者の力は強かったのだから。

「修行はちょっとした山の中でやってたんだが、最低限の使い方を身につけた後は、滝行とか座禅を組んでの精神集中とか、次の段階に入って、俺は正直退屈だった。それで夜になったら抜け出すようになったんだな。そうして俺は女の子に出会った」

「どんな子だったのですか?」

「普通の女の子だったよ。光の世界の住人で、歳は落ち着き具合からすると一歳か二歳か、もう少し上だったかも知れない。どっかの家のお屋敷で、夜になると部屋を抜け出して星を眺めては何でか泣いてたその子を、俺は抱え上げて連れ出して、かなり遅い時間まで山を駆け巡ったりして遊んでたんだ。結局数日だけの付き合いで、名前も聞かなかった仲だけど、楽しかったよ。いろんな話もした。広い世界を見せてくれてありがとう、ってその子は俺に礼を言ってたことだけは憶えてる。そうして、俺は失敗をした」

「何が、起こったのですか?」

 興味津々というより、不安そうな目をしている詞織をちらりと見て、俺は苦笑いを漏らす。

 奥歯で噛みしめた苦虫は、口元で見せているのの何十倍何百倍の苦さをしていた。

 楽しかった想い出がすべて吹き飛ぶほどの、勇者となった俺の、最初の失敗だったから。

 詞織の真っ直ぐな目を見ていられず、斜め下に視線を外しながら、俺は話を続ける。

「月が登る姿が綺麗に見える崖の上にその子を連れて行ったときだった。月が見えるのを待っていたが、なかなか登ってこなかった。そりゃ当然だ。月は一日ごとに登る時間が変わる。その日は前日にその場所を見つけたときよりも、もっと遅い時間に登るようになってたんだ。子供だった俺はそのことを知らず、待っている間に退屈になってあくびをしたときだった。一瞬目を離した隙に、その子は足を滑らせて崖の下に転がり落ちていったんだ。すぐに助けに飛び降りていればよかったのに、俺は怖くなった。勇者の力に目覚めても、高くジャンプすることはそう怖くなくても、崖の高さにはまだ慣れていなかったんだ」

「その子は、どうなったのですか?」

「生きてるよ。たぶんいまも。その後は会ってないから詳しいことはわからないけどな」

 組んでいた手が震える。

 あのときの自分の失敗と、血を流してどんどん冷たくなっていくあの子の身体のことを思い出すと、いまでも震えが来て止まらない。

「意を決して飛び降りてその子のことを助けたときには、全身を打ち付けて傷だらけだった。幸い頭はあんまり打っていなかったらしくて、意識はかろうじてあったから、急いで姉貴に助けを求めた。記憶と精神を保護するために脳を身体から魔力の障壁で隔離して、全身を新しくつくり直すほどの大きな魔法を使って、その子の命は助けることができた」

 ゆっくりと視線を上げ、俺は詞織の悲しそうにしている視線を受け止める。

 あのとき俺は、たくさん泣いた。

 泣いて泣いて、姉貴に助けを求めた。

 姉貴は俺を怒らなかった。でも、わかっただろう、と言った。

 そうして俺は気づいたんだ、とても大切なことに。

「俺の力は結局、俺の拳の届く範囲のものしか助けることができない。怪我してる女の子ひとり、俺の拳の力じゃ、勇者の力じゃ助けることができない。俺の力は所詮敵を叩き潰すだけの力だ。叩きのめすだけのものだ。癒やすことも、元に戻すこともできない。万能なんかじゃない。でも、守ることはできる。光の世界の住人を、幸せを求める人の生活を、闇の住人から守ることができる。そんな人々の笑顔を守ることなら、俺はできるんだ。いま、あの子が笑ってるかどうかはわからない。でももし、俺の力であの子の笑顔を守ることができるなら、そのためになら勇者の力を惜しみなく使う。俺の勇者の力はそうしたものだと思ってるから、拳の届く範囲の幸せしか、俺はほしいとは思わないんだ」

 俺の話を聞き終えた詞織はしばらくの間、目をつむっていた。

 目を開けた彼女は、優しく微笑んだ。柔らかい笑みだった。

 そんな詞織の笑顔に、俺も微笑みを返す。

 笑みをかけてくれる詞織に、まだ元気な笑みとは言い難いが、精一杯の笑みを返す。

「鈴代さんにも、もう一度話そうと思う。いや、何度でも話す。光の住人である彼女は、やっぱり光の世界で幸せを探すべきだと思うんだ。そのことをわかってもらえるまで」

「そうですね」

 頷く詞織に、俺も頷いていた。

「いまは詞織を守ることが優先だ。俺が守った命だ。俺は、詞織の命を守りきるよ。最初に約束した通りに」

 詞織を真っ直ぐに見てそう言うと、何故か彼女はみるみるうちに顔を赤くしていった。

「よ、よろしくお願いしますっ」

 テーブルに頭が着きそうなほどにお辞儀をする詞織に、俺はさっきよりももう少しだけ、普段通りの笑みをかけていた。


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