第二章 現代勇者の生活事情 2


       * 2 *


「何なの? あいつ。知能低そ」

 赤黒い空の下、バトルパークのボール広場に戦闘員に引き連れられるように現れた悪の秘密結社の怪人は、直立歩行する黒い犬か何かのような形態をしながら、闇のように黒い霧状のものをまとっていて、形が安定していない様子があった。

 白いアンダーウェアの上に、アメ細工のような光沢を放つワインレッドのアーマーを身につけたエリサは、敵との距離を慎重に取りながら、今回使う機光武装を選択する。

 左手に持った機光少女専用のフルタッチタイプの携帯端末に右手の指を走らせ、選択した武器を魔力によって維持されている異世界、装備を格納している魔法拡張空間から喚び出す。

 携帯端末を握りつぶすようにして小さな虹色の光とともに拡張空間に収納した後、彼女の両手に現れたのは剣と盾だった。

 細身ながら切れ味重視の五型機光ブレード・タイプ七は、日本刀をベースにした形をしていて、それに準じた扱い方は決して簡単とは言えないが、いつも使っている重量をも攻撃力とする機光クレイモア・マーク四よりも小回りが効き、片手でも使うことができる。

 左手の鍋の蓋サイズのバックラーは、大きさはたいしたことはないが、物理形状よりも広い範囲に対して、盾に蓄積された魔力で封入された術式を発動でき、衝撃やエネルギー攻撃を防御することができる、機光アーマーの防御をさらに向上させることができるものだった。

 男子からは男じゃないかと揶揄される胸をボリューム良く盛り立てている胸部アーマーや、左右にヒレのように伸びる可動式ジャンプスラスターを装着したミニスカートタイプの腰部アーマー、肘から下を覆うガントレットや膝下を包むハードブーツの他はアンダーウェアや肌が露出しているように見える。しかし肩から上腕、太股などは肌が見えているようでいて、アーマーに蓄積された魔力による物理干渉障壁、エネルギー干渉障壁が張られていて、エリサはとくに標準タイプの機光武装よりも防御力を強化していた。

 それでも未知の敵と対するときは防御力を高くしておくに超したことはない。

「いったいなんなの? その怪人」

「ふっ。我ら結社の最新の技術を結集して生み出した新型だ! その力をとくと見よ!」

 十人ばかりいるアーマーつきの全身タイツ風の格好で統一された戦闘員たちのうち、頭に金の飾りがあるちょっと偉そうな奴が、エリサの問いに返事をする。

 首輪のようなものを首に填め、金飾りの戦闘員に首輪から伸びる鎖をつかまれている怪人は、鎖を離せばすぐにでも襲ってきそうなほどエリサを赤い目で睨みつけ、うなり声を上げていた。

 ――まさに犬ね。

「行け!」

 鎖が放たれ、四つん這いになりそうなほどの前傾姿勢で黒犬怪人が駆け寄ってくる。

 ――速いっ。

 主に人間の身体を改造していることが多い怪人の中でも相当な速度を持つ黒犬怪人は、十メートル以上あった距離をアッという間に詰めてくる。

 思考で制御して腰部の左右のジャンプスラスターを前方に向け、魔力を転換して噴射とした光を強く放ちながら、後ろ斜め上方へと飛び上がるエリサ。

「ちっ」

 溜めの動きもほとんどなしにジャンプしてきた怪人を、バックラーから展開した宝石のような光を放つ魔力の物理干渉障壁で受け止める。

 左腕で障壁と拮抗した怪人は、右手を振りかぶり、叩きつけてきた。

「意外と強い……」

 バックラーの障壁のみで受け止めることができた黒犬怪人の爪だったが、その爪からも放たれる黒い霧が徐々に障壁を浸食し、無力化していくのがわかった。

「でも!!」

 ジャンプスラスターに魔力を注ぎ、さらに上空へと舞い上がったエリサは、戦闘員たちが豆粒ほどになったところで噴射口を天に向け、一気に光を噴射する。

 バックラーの障壁に拮抗したままだった黒犬怪人は、彼女とともに急降下を開始した。

「させないっ」

 障壁に引っかかっている爪を引く抜こうとしているのに気がついて、エリサはフリーになっている右手の平を、機光ブレードの柄を親指で支持しながら怪人に向け、新たに張った物理干渉障壁でその身体を固定した。

 ズンッ、と腹に響く衝撃とともに、怪人とエリサは地面に激突した。

 大きすぎる衝撃を吸収して弾け飛んでしまったアーマーの障壁を張り直しつつ立ち上がったエリサは、どうやら激突によって目を回したらしい怪人の胴体の真ん中に機光ブレードを突き刺し、地面に縫いつける。

 ――何? この感触。

 ブレードを突き刺したときの感触は、手応えこそあったが、肉を突いたときのようなものではなく、砂場に棒を突き刺したときのような、妙な感触があった。

 大きめに後ろにジャンプして爪の攻撃範囲の外へ逃れたエリサは、頭を飾る装飾品のような頭部アーマーの額にはめ込まれた深紅の宝石から、緑色の光を放った。

「コアサーチ!」

 横一線の光が怪人の頭から足先までをスキャナのように縦断する。

 スキャンの間に目を覚ましたらしい怪人がうなり声を上げて睨んできているが、不確かな身体をしていても魔力の籠もった剣からは逃げることはできないらしく、爪を伸ばしてきては地を引っ掻くばかりだ。

「そこね」

 言ってエリサは空の右手を怪人に向かって伸ばし、何かをつかむように動かす。

 プリセットしてある拳銃型の機光シューターが瞬時に現れ、ためらうことなく引鉄を絞った。

 ズレもなく額の真ん中を貫いた光の弾丸。

 その一瞬後、表情を凍り付かせた黒犬怪人は霧となって散り散りになり、結界内の空気に溶けて消えた。

「新型なのはわかるけど、ぜんぜん歯ごたえないじゃない」

「ま、まさかっ。こんな短時間で倒されるだと?!」

「そりゃあまぁ、長引かせるとまたあいつがあたしの稼ぎの邪魔しに来るかもしれないしねぇ」

 悔しがっているらしい戦闘員たちに冷たい視線を向けつつ、消えた黒犬怪人の後に残った機光ブレードを引き抜いて彼らに向けた。

「まだやる?」

「くっ。今日は撤退だ!」

 いつも逃げ足だけは速い戦闘員たちは、すたこらと結界内を走ってバトルパークの林の中へと姿を消した。

 機光武装を解除し、制服姿となったエリサはポケットから携帯端末を取り出す。

「怨念を集めて弱小妖怪をコアにした怪人、かな?」

 先ほどのコアサーチの情報を表示させてみると、そんな感じの結果が出ていた。

「ま、何にせよ、新型ってのはポイント高いからいいか。弱かったからバトルのポイントは高くなさそうだけど」

 携帯端末を天にかざして結界を解除したエリサは、鼻歌を歌いながらバトルパークの外へと歩いていった。



「ただいまー」

 いつものクセでそう声をかけて、エリサはマンションの一室の扉を開け部屋へと入った。

 誰もいない部屋の中は真っ暗で、それがわかっていてもいつものようにため息が出る。

 学校指定のローファーを脱いで揃え、フローリングの床に上がったエリサは照明を点ける。

 廊下の途中にあるキッチンにはほとんど何もなく、流しの縁に引っかけてある水切りカゴの中にあるのはコップと箸と平皿がひとつずつ。コンロの上にあるのはヤカンだけで、他の調理器具は見える場所にはなかった。

 水切りからコップを取って、奥の扉の手前にある冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出して部屋へと入る。部屋にあるのはベッドとテーブルと簡素な勉強机。机の上には卓上の鏡とメイクキットが少々、それから据置端末が一台しか置かれていない。

 クローゼットの中には換えの制服の他、私服がひと通り入っているが、部屋の片隅に置いてある旅行用のキャリーバッグひとつにほぼすべての持ち物が入ってしまう。

 それがエリサの部屋のすべてだった。

 お茶とコップを机に置き、制服を脱いだエリサは綺麗にシワを伸ばしてからハンガーに掛け、服の少ないクローゼットの中に納める。ベッドの上に畳んであったジャージを身につけた彼女は、そのままベッドに寝転がった。

「情報送信、っと」

 制服のポケットから取りだしておいた携帯端末を操作し、機光少女アプリを呼び出して、今日の戦果情報を送信した。

 すぐ戻ってきた戦果の算定結果は、おそらくこれまでにないタイプの黒犬怪人のコアサーチの結果からだろう、戦闘ではたいしたことはしなかったのに、かなりのポイントとなっていた。

「さてと」

 寝転がったままアプリを操作して、エリサはポイントショップの画面を表示する。

 機光少女は全国の女の子のうち、魔法の素質を持つ者から選別され、機光少女機関という組織からかけられた招待を承認した者だけがなれる、闇の世界の戦闘集団。

 戦闘の対象は魑魅魍魎や妖怪変化、悪の秘密結社などの光の世界に影響を及ぼしている存在、及ぼす可能性の高い存在で、光の世界の守り手として、各地の機光少女が活躍している。

 戦闘によって闇の住人を倒すこと、闇の住人の戦闘情報などの戦果をアプリを通して機関に送ることによってポイントが得られ、ポイントを使って機光少女の武装である機光武装を新たに手に入れたりすることが可能であった。

 他にも月二回までしか対象とならないが、チュートリアルバトルなどの訓練によってもポイントが得られ、エリサは自分ができる限りの方法でポイントを得ていた。

「うぅー。先月はやっぱり少ないなぁ」

 ショップ表示の右上に記載された現在持っているポイントを見てみると、思っていた以上に少ないポイント残高しかなかった。

 中学三年のときに機関からの招待を受け、機光少女となったエリサは、現在は生家から離れて独り暮らしをし、高校に通いながら機光少女をやっていた。

 中学の頃に比べるとひと月の獲得ポイントは増えていないどころか若干減少していた。

「まったく、あのヘタレ勇者め……。この町ならもっと稼げると思ったのになぁ」

 エリサが移り住んだこの町には悪の秘密結社「レベリスタ」が本拠アジトを構えていて、本拠地では表立った活動はあまり行っていないものの、山に近いこともあって魑魅魍魎なども多く、もっとポイントが稼げるだろうと予想していた。

 しかしこの町には結社の他に勇者である結城紗敏が住んでいて、光の世界に干渉しようとする闇の住人を片っ端から叩き潰している。

 勇者を恐れてか、たくさんいるはずの魑魅魍魎はあまり光の世界に出てこず、結社の活動も週に一度か二度程度。一番ポイントが得られる場所だと思って移り住んできたというのに、予想以下のポイントしか得ることができていない。

 紗敏とは話し合いの上、手が回らないとき以外は、自分が光の世界に出てきそうな闇の住人と優先して戦うという約束を交わしていた。

 それでも結界の制限時間近くになると決着がつきそうかどうかも気にせず介入してくるし、力の弱い闇の住人もさほど出現することはなく、エリサにとって紗敏は邪魔者以外の何者でもなかった。

「とりあえず、っと」

 携帯端末に指を走らせて、エリサは機光武装のうち消耗する物品の補充を行う。

 次に操作して表示したのは、武器や防具ではなく、その他の項目。

「限界一杯までで、OK」

 その他の項目に表示されているのは、武装や消耗品以外のもの。役所への届け出の代理などの便宜をポイントで購入したり、ポイントを現金に換金したりといった内容だった。

 上限があるポイント換金を、エリサは迷うことなく上限値にして、OKボタンを押した。

「やっぱり厳しいなぁ」

 ポイント残高は消耗品と換金で消費した分よりもかなり大きな数字が表示されていたが、エリサは大きなため息を吐く。

 機光少女アプリを終了させて口座を持っている銀行のアプリを立ち上げると、貯金残高に早速換金した分の現金が振り込まれていることが確認できた。

「まだまだ、足りないなぁ」

 七桁となっている残高表示に、しかしエリサはもう一度大きなため息を漏らす。

 機光少女はずっとやっていられるわけではなく、就任期間が決められている。

 少女とついているからなのかどうかはわからなかったが、エリサの就任期間は高校三年の誕生日前日まで。まだ二年以上時間があるのはわかっていたし、もっとポイントを稼いでいくつもりではあったが、最低でもいまの五倍、できれば十倍の現金を得たいと思っていた。

 現在はひと月に換金できるポイントには制限があるが、就任期間終了時には残りポイントを全額換金することもできる。一発逆転で大金を手に入れるにしても、生活費などで支出のある現在、もっと稼がなくては目標最低金額に達するのも困難になる可能性があった。

「本当、邪魔なんだよね、あいつ」

 ベッドの上で転がってうつぶせになったエリサは、端末の表示を消して脇に置き、枕を両腕で抱えながら足をバタバタとさせる。

 紗敏の勇者の力が人間の闇の住人の中ではほぼ最強であるという話は、戦闘対象ではない闇の住人の知り合いから聞いたことがあった。

 それほどの力があれば、例えば闇の住人の被害に苦しむ光の住人から依頼を受けたりすれば、相当なお金を稼いでいけるはずなのに、紗敏は無償で、それも依頼すら受けずにトラブルを見つけ次第叩き潰すだけだ。闇の住人の中にはヤクザや不良といった影の住人を闇の力で襲ったり、逆に協力して儲けている奴もいるくらいなのに、紗敏はそんな応用も利かせずに、影の住人すら守るために戦ってしまう。

 もちろんエリサ自身も、光の住人は当然として、影の住人を襲うとか協力するといった影響を及ぼせば紗敏の戦闘対象になる。

 勇者という、闇の住人の中でも希少で、特殊で、強大な力を持っていながら、それを自分のために活用しない紗敏に、エリサは疑問を感じていた。

「あいつは本当に、何考えてんだろ」

 もう一度転がって、ベッドの上で大の字になって天井を眺める。

 詞織のことについても、いくら自分で助けた彼女に行く場所がないからといって、家に引き取ってまで面倒を見る必要などない。

 勇者ほどでないにしろ希少な聖属性の力を持つ詞織を引き取りたいという人は多いだろうし、いまは町にいないらしいが、紗敏の母親も姉も闇の住人で、それなり以上に有名な歴戦の人らしいから、そちらのツテを使えば信頼できる預け先も見つかるだろう。

 家に住まわせて学校に通わせている理由は、エリサには考えつかなかった。

「あいつが協力してくれれば、もっと稼げるのになぁ……」

 光の世界を大切にしているらしい紗敏。

 そちらの世界での生活を重視しているなら、お金は重要なもの。

 紗敏が協力してくれればいまよりも効率よく機光ポイントを貯めることもできるし、機光少女の就任期間が終わっても、稼いでいくことができるはずだ。

 ――でもあいつ、本当にそういうことに興味ないのよね。

 唇を尖らせたエリサには、紗敏の考えがよくわからなかった。

 お金を求めず、けれど幸せを求めているらしい彼。

 彼が求めている幸せが、エリサには想像することができなかった。

「だからってなんで、あんな光の住人にデレデレしてるのよ」

 さやかに呼び出されたとき、本当に緩みきった顔をしていた紗敏のことを思い出す。

 紗敏がさやかを好きなのは確実だったが、彼女は彼に釣り合わないと、エリサは思っていた。

「貴方にはもっとふさわしい人がいるでしょ。一緒に……、一緒に戦うことができる、背中を預けられる人ってのが、けっこう近くに、さ」

 口に出して顔が急速に熱くなるのを感じたエリサは、布団の中に潜り込んで身体を丸める。

「紗敏の莫迦……」

 彼女の他に誰もいない部屋で小さく呟いて、エリサはぎゅっと目をつむった。


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