第一章 現代勇者の恋愛事情 2


       * 2 *


「中世やさらに昔の時代は、光の世界も影の世界も闇の世界も混じり合った暗黒時代、って呼ばれてる。正確なところは記録が残ってないしよくわからないんだが、暗黒時代は近世とか近代の頃にはだいたい終わって、それ以後は光の世界が人間社会の中心になった」

「なぜ暗黒時代は終わったのですか?」

「それがよくわかってない。記録に残ってないのもそうなんだが、いろいろ説があるらしい上、だいたいは証拠がない。闇の住人同士で大きな戦いが何度かあったのは確かって話なんだけどな。ある説によると、人間が地球に生まれる前も暗黒時代で、闇の世界や闇の住人の力は徐々に弱まりつつあって、その過程で中世の頃に暗黒時代が終わったんだ、って話がある。本当かどうかはわかんないんだけどな」

 授業が終わって放課後、俺は詞織と一緒に家路に就いていた。

 帰りがけにするのはたいてい闇の世界についてとか一般常識とかの話で、まだまだ世間に疎い詞織には必要な事柄だ。

 ――傍目に見たら闇の世界とか闇の力とか、中二病患者か、って感じだけどな。

 あまり大きな声を出してないから、近くをすれ違うか聞き耳でも立てないと聞こえないだろうが、詞織との帰宅時の話は、頭を疑われても仕方がないものが多かった。

 俺の話が荒唐無稽に思われる程度には闇の世界の認知度は低くて、光の世界は平和だ。

 詞織と並んで歩く帰り道の町並みも平和そのもの、春真っ盛りという感じだった。

 都心部までのアクセスも悪くないが、電車で数駅も行けばハイキングコースだとか登山道の入り口がある程度には田舎な俺の住んでる町は、建ってる家こそ都会のそれとあまり変わらないが、緑はかなり多い。

 緑の葉を茂らせ始めた木々や、花を咲かせる草は、五月下旬の春の匂いを感じる。

「なかなか難しいんですね」

 革の鞄を持っていない右手の人差し指を頬に当てながら、詞織は小首を傾げていた。

 入学前にいろんなレクチャーをして、こうやって毎日のように登下校の際にいろいろ話して、やっと詞織も光の世界に馴染んできたと思う。

 けっこういいデザインをしてはいるが、一種類しかない男向けのブレザーに対し、数タイプある女子用制服のひとつである、詞織が着ている折り返しの襟と、一年生を示す深緑のリボンが特徴的なセーラーブレザーのスカートは、標準丈よりも若干短くなっている。

 黒のニーハイソックスと落ち着いた赤系のスカートがつくる、健康的ながらも肌の白さが光る太股の絶対領域は、まぶしさを感じるほどだ。

 並んで歩いてる詞織にそんな、ほんの少しだけど変化が見られるのは、高校に入学してひと月ちょいの間に、天然ボケなところはあれど、クラスに馴染んでスカート丈の調節の仕方を教えてもらえる友達ができたりしているからだろう。

 そんなちょっとした詞織の変化に、俺は安心を覚えていた。

「ちょっと今日はここを通るから」

「はい」

 言って俺は詞織とともに、いつもは通らない広い公園へと足を踏み入れる。

 けっこう大きな池があったり、芝生の広場や雑木林があったりするこの公園は、少しだか通ると俺の家までショートカットになる。

 でも俺は口を酸っぱくする勢いで、もしひとりで外を歩くときはこの公園に入らないよう、詞織に言いつけていた。

「闇の住人ってのはけっこうどこにでもいる。決して数は多くないんだが、闇の住人同士はお互い気づくことがあるから、危険な場所にはできるだけ近づかないのが無難だ」

「わかりました。……えぇっと、いつもはここには入らないよう言われていましたが、今日は何かあるのですか?」

「まぁ、ちょっと見ててな、って」

 向かったのは、一番広い広場。

 土がむき出しになっていて、いつもなら放課後のこの時間はボール遊びなんかをしてる家族連れなんかがいたりするんだが、いまも近くにそうした人々の姿はあっても、広場の中には誰もいなかった。

「よっと」

 おもむろに右手を上げた俺は、何もない空間を引っ掻くように指を立てて振り下ろす。

「……え?」

 詞織が驚きの声を上げる。

 それもそうだろう。何しろ俺が引っ掻いた場所は、壁紙を引き裂いたかのように、空間に裂け目ができているんだから。

 裂け目の中には赤黒い空をした、少し薄暗い公園の風景が見える。

「この公園は俺たちの間じゃバトルパークって呼ばれててな、たまにこうやって結界を張ってその中で戦いをやってる奴らがいたりする」

 閉じ始めた裂け目を素手で押し広げて、俺は詞織の手を引っ張りながら中へと入る。

 空が赤黒い他は結界の外と変化のないように見える空間だが、違っていたのは、広場の中に人がいることだった。

「あの方々は?」

「あっちの女の子が魔法少女で、あっちの集団が悪の秘密結社の方々」

 背丈自体はけっこうあるが、中学生か、下手すると小学生にも見える貧弱――細身の身体をしている女の子は、前に話したときに確か詞織と同じ高校一年生と言っていたはずだ。

 セミロングの髪をツーサイドアップにまとめ、自分の敵となる奴らのことを睨みつけている彼女が着ているのは、学校の制服でもなければ私服でもない。

 思いの外露出度の高い白いアンダーウェアの上に、赤い鎧のような金属質の装備を身につけ、手甲のようなグローブを填めた手にはアニメにでも出てきそうな幅広な上、地面から彼女の貧弱な胸の辺りまで長さのある剣を持っていた。

 イメージとしては、防護部分が少なめなものの、機動戦士か何かを思わせる武装をしている彼女の名前は、確かエリサだったと思う。

 対する秘密結社の奴らは、そういう法律でもあるのか、テレビで見たことあるような黒い全身タイツのようなものを身につけ、髑髏をかたどった感じのヘルメットに胸や腰や手足にプロテクターのある統一した戦闘スーツを身につけている。

 一体だけ、たぶんアリかハチをベースにしたんだろう、他の奴らよりも大きな身体をした黒い人型の異形がいた。

 両方とも戦闘で疲弊しているようだが、すぐに決着がつきそうな様子はない。

「よぉ」

 俺が片手を上げながら声をかけると、奴らは一斉に俺に目を向けてきた。

「何しに来たのよ! この勇者!! またあたしの邪魔でもしに来たの?!」

「お前は勇者!! 何をしに来た!」

 それぞれの言葉こそ違うが、俺のことを邪魔者扱いをする両陣営。

「文句を言うのもいいが、浮き上がってるときに脚開くとパンツが見えるぞ、エリサ」

 ミニスカート形状の腰部アーマーの両サイドには、ヒレのように伸びる板状の噴射口があって、そこから光を噴射して魔法少女ことエリサは、俺の身長より高いくらいの位置にふわふわと滞空していた。

 高低差があるから見えてしまうスカートの中は、飾り気のない白い三角が見えていた。

「ぱ、パンツって?! 違うわよっ。そこもアンダーウェアの一部! パンツじゃないんだから見られても大丈夫なの!!」

 言いながら高度を落として着地したエリサ。

「そんなことよりいったい何しに来たのよ!」

「今日はちょっと紹介に、と思ってな」

 言って俺は背中に隠れる位置にいる詞織を前に押し出す。

「この子はいま俺が訳あって保護してる白澄詞織だ」

「あ、あの! よ、よろしくお願いしますっ」

 緊張した声で深々と頭を下げる詞織に、両陣営はどう反応していいのかわからないように目を泳がせていた。

「まぁ、俺が保護してる、ってんだから、言いたいことはわかるよな?」

 少し目に力を込めて、二陣営の連中を睨みつけてやる。

 魔法少女と悪の秘密結社は、結界内が主な戦場だとしても、この街で光の世界に近い位置で戦うことが多い二大勢力だ。

 他にも町の中や周辺には闇の住人がちょこちょこといるが、この二大勢力に挨拶をしておけば、詞織に降りかかる危険は大幅に減ることになる。

 勇者である俺にちょっかいを出してくる奴は、この町の周辺にはほぼいないのだから。

「この子の紹介に来ただけなの? だったらさっさとここから出て行って!」

「いや、もうひとつ用事があってな、魔法少女」

「あ、あたしは魔法少女じゃないの! 機光少女。き、こ、う、しょ、う、じょ!! 機光武装が使えるあたしをただの魔法少女と一緒にしないで!」

 魔法少女と機光少女はけっこう違うものらしいが、俺は詳しいところは気にしていない。

 魔法少女の根源である魔法の力、魔力。それを機光武装というもので強化したり、属性を転化できたりするらしいが、その姿は魔法少女より変身ヒロインの方が近そうだった。

 エリサの叫び声を聞き流しつつ、俺は彼女の元へと近づいていく。

「な、なによ! 近づかないでよ!!」

「まぁなんだ。お前、戦闘時間長すぎ」

 主にエリサが張っている結界は、その中で戦う分には外の世界に全く影響を与えない優れものであるが、いかんせん制限時間がある。

 それを越えて戦闘を続けると、外の世界への影響が、光の住人に影響が出てきてしまう。

 今日の戦闘は、その制限時間が過ぎようとしていると、俺の勇者の感覚が告げていた。

「く、来るなーーーーっ!!」

 悲鳴のような叫びを上げたエリサが、腰のヒレ状のスラスターから光を噴射させて逃走を図ろうとする。剣を振り回して接近を防ごうとするエリサに、俺は地面を蹴って彼女までの十歩の距離を一瞬で詰めた。

 顔面をわしづかみにしてそのまま勢いをつけて地面に叩きつける。

「ぐあっ」

 女の子らしくない悲鳴を上げたエリサは、意識こそあるものの、身体を叩きつけられて全身の半分ほどを地面にめり込ませていた。

「おのれ勇者! 積年の恨みをこの場で晴らしてくれよう!」

 口をぱくぱくさせながら何も言えないでいる詞織に向かっていく奴がいないことを横目で確認しつつ、戦闘員で取り囲んでくるアリ怪人のことを見据える。

 ――まぁ、そう簡単には終わらないか。

 エリサを片付けて結社が撤退するならいいと思ったが、その気はないらしい。

 結社の奴らとは以前から度々ぶつかることがあった。俺に恨みを抱いている奴がいるのもわかっていたが、アリ怪人はその中でも強い想いを持ってる奴のようだった。

「行くぞ!」

 戦闘員に先んじて槍のような武器を構えて突進してきたアリ怪人に向かって、俺は少しだけ本気を出して跳んだ。結界の限界時間まであとわずか。時間はかけられなかった。

「がっ……、ふ……」

 アリ怪人の懐に飛び込みつつ繰り出した右の聖拳。

 下手な装甲よりも強固だろうアリ怪人の全身を覆う硬質の皮膚は砕け、腹の真ん中に俺の右手が突き刺さっていた。

 大顎のある口から泡を吹き出して悶絶するアリ怪人。

 身体から右手を抜いて、赤ともピンクとも言えない微妙な色をした体液を振り払い、俺は取り囲んでいる戦闘員をぐるりと睨みつける。

「まだやるか?」

 一斉に首を横に振る戦闘員たち。

「じゃあこいつを回収して撤退しろ」

 普通の人間なら内臓破裂どころか即死に近い時間で死ぬようなダメージを受けているはずだが、怪人の身となっているアリ怪人はこの程度で死ぬことはない。

 相当重いらしいアリ怪人の身体を四人で肩を貸すようにして戦闘員たちは離れていき、残った戦闘員は挨拶するようにぺこぺこと頭を下げてから結界のいずこかへ消えていった。

「お前も結界を解除して、さっさと家に帰れ」

「く、この……。憶えてなさいよ!!」

 苦しそうにしながらもめり込んだ地面から身体を起こして立ち上がったエリサも、どこか見えないところに飛び去りつつ、結界を解除してその気配も消えてなくなった。赤黒かった空が元の青色に戻る。

「まぁこんな感じで、たまにこの公園では闇の住人同士の戦いが起こることがあるから、とくに夜なんかは、例えこの街での生活に慣れても絶対にひとりで入らないようにな」

「はい……」

 まだ驚いている様子の詞織が近づいてきて、訊いてくる。

「あの、機光少女の方は、悪い人を退治するために戦っていたんじゃないんですか?」

「確かに悪の秘密結社はいろいろ悪いことをしてるわけなんだが、奴らも、機光少女も等しく闇の住人だ。さっきの結界には時間制限があって、それを過ぎると光の世界に影響が出る。光の世界に影響を及ぶす奴は、正義だろうと悪だろうと、同じように叩きのめす。それが俺のやり方なんだ」

「そういうものなんですね……」

 納得できていないらしく、頬に人差し指を上げながら小首を傾げて考え込んでいる詞織。

「まぁそういうとこも全部、これからゆっくり教えていくことにするから。光の世界に影響を及ぼす奴は、勇者である俺にとってはすべて敵、ってことを憶えててくれればいい」

「わかりました」

 まだ考えている様子の詞織に、俺は笑みを投げかけていた。


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