ミステリアスと帰り道

 あまり人に話しかけるのが得意じゃない。

 上尾あげおさんやしろがねさんのように男の人にも気さくに話しかけることが出来たら今どれだけ良かっただろうなんて思いながらどうにかして気が付いてくれないか、と考えて意を決する。


川内かわうちくん、……川内くん、あの、」


 机に突っ伏して、話しかけた人は多分眠っている。そろそろ帰らないと暗くなってしまうというのに(男の人だから、暗くなっても帰るのは怖くないのかなとは思うのだけど)、川内くんはすっかり眠っている。

 同じクラスだけど、話しかけたのはこれが初めてだった。川内巌かわうちいわおくん。休み時間はずっとイヤホンをつけてなにか聞いているし、伸ばしっぱなしなのかわからないけど前髪が目を隠してしまうほど伸びていて、襟足も随分と長いのをいつも結っている。

 カフス、というらしいアクセサリーを耳につけていて、ほとんど自分の席から動いたのをみたことがない。時々、十条さんがなにかお話をしているのはみたけど。

 どういう人なのかもわからないし、どちらかと言えば怖い人かなと思ってしまっている。笑ったところも見たことがないし、授業で当てられて話した声、くらいしか聴いたことがない。


「川内くん、もう夕方になるよ」


 シャカシャカとイヤホンから音が漏れている。何の曲を聴いているのだろう。多分、曲の筈。トークラジオとかじゃない感じはしている。私も電車に乗るのにそろそろ帰らなくてはいけないのだけど、川内くんを起こしてから帰ろうとは思っている。

 少し考えて、申し訳なく思いつつもとんとん、と腕を叩く。

 静かに、ぬうっと頭が動いて、やっと顔が見える。


「あ、良かった、かわ…」


 待って、という風に左手で制されて口を閉ざすと、川内君がポケットを探った後(多分機械を止めたのかもしれない)、イヤホンを片耳だけ外した。


「……えっと、川内君、もう帰らないと危ないよ」


 カフスがついている左耳の後ろを右の人差し指でかりかりとひっかきながら窓の外をみた川内君は、机の横に引っ掛けていた鞄を気だるそうに持ち上げる。


「川内君、具合悪かったりするの…?大丈夫?」


 髪型はだいぶ、変わってはいるけれど制服はきちんと着ているのだと立ち上がった姿をまじまじみてこっそり思う。こういうときくらいしかあまり男の子の全身ってみないし、あまり見ても失礼な気もして普段は注意して見ることもない。

 怠そうにしながら立ち上がった彼にそう尋ねても、彼は無言だし、動かない。


「あの、……その、大丈夫なら、いいの、ごめんね、」

山崎やまざきさん」

「あ、えっ、は、はい」


 同じクラスだから、それは、そうなのだけど、私の名前を彼が知っていた、というのが少し驚いてしまう。返事をして次の言葉を待ったけれど、一向に川内君は口を開かない。


「え、っと」

「会話浮かばなかった」

「え?あ、ご、ごめんなさい」


 別に、と返した彼は、すぐに「山崎さんは謝る必要ない」と付け足した。


「ありがとう、起こしてもらって」

「う、ううん、いいの、おせっかいしてしまって…ごめんなさい…」

「電車でしょ、山崎さん」

「ぅ、うん、そう、です」


 何で知っているのだろう、と思ってしまう。私は川内君と今日初めて話したのだけど。


「俺も電車」

「そう、なの?」

「降りる駅一緒」

「えっ」

「帰ろ、もう出ないと乗れないでしょ」


 行こう、と言われ、歩き出した川内君の背中を慌てて追いかける。

 電車通学なのも初めてしったけど、降りる駅が一緒なのも初めて知った。私は登下校で彼を見たことがないんだけど、時間が違うのかそれとも私が見てないせいなんだろうかと思いながら、方向が一緒だし、正直暗がりを一人歩いて帰るのは心細かったのでおずおずと後ろをついていく。


「隣来たら」


 ふいに立ち止まって振り向いた川内君がそう声をかけてくれる。


「い、いいよ、気にしないで」


 折角の好意なのだけど、そんなに親しくないのに男の子の隣を歩くのはちょっと怖い。一生懸命首を左右に振るけど、気がつけば川内君の歩き方がどんどん遅くなっていく。


「川内くん?」

「女の子ひとり、後ろ歩かせられないから…嫌だろうと思うけど我慢してて」


 そういってまた右の手で左耳の耳たぶを触っている。


「で、でも…」

「うん、まあ、困る事言ってるとは思うんだけどさ、でもまだ日が長くないから、……暗いと短い距離でも危ないし」


 気がつけば道路側の道を川内君が歩いている。どぎまぎしながら、危ないからと思ってくれているのは本当なのかなと思う。疑っている、わけじゃないけど川内君の事は良く知らないから、わからないのも本当。


「あ、ありがとう…」

「ギブアンドテイクだと思って」


 俺も起こしてもらったから、と聞こえた声は少し小さい。

 道路を走る車の音のおかげで会話が無くてもなんとか気まずい雰囲気にはなってない、と思う。


「昨日ゲームしてて」

「え?」


 突然の発言にびっくりして見上げても、川内君は前髪が長いから目が見えない。


「夜更かしした」

「……眠かったんだ」

「そう」


 少しだけぶっきらぼうに言葉を短く発するのは、私に気を使って会話をしてくれているのかなと思う。


「ちゃんと寝ないとダメだよ」

「うん」


 ふわ、と大きな欠伸をした彼についくすっと笑ってしまう。ちょっと怖いけど、そんなに怖がることはないタイプの男の人なのかもしれない。


「じゃあね、山崎さん」

「あ、う、うん」


 駅周辺は比較的明るくて、川内君は駅に着くと物静かな声でそう告げて売店の方に歩いていく。まだ少しだけ時間があるから何か買うんだろうな、と思いながら、川内君と小さく声をかけたのに聞こえたらしかった。振り向かれて、自分で呼んだけどちょっとびっくりしている。


「今日は夜更かししちゃダメだよ」


 無言のまま、ピースサインを向けてくれたのを見て、またちょっとだけ、くすりと笑ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る