第60話 やるしかねえんだ

「サイ。お前は、今すぐ荷物をまとめて村を出ろ。もう縛られる必要はない」

 体験したことがないほど地面が大きく揺れた後、農作業をしていたサイは面食らって畑に座り込んでいた。そこへ、驚いた様子もないエスペロの父が言った。とうとう来たか、と言わんばかりの顔だった。

「はぁ?」

 当然サイは大口を開けるしかなかったが、説明もなく、そこへ取り残された。エスペロはさすがに戸惑っていたものの、父に手を引かれてどこかへ行った。

 三年以上寝食を共にしておいて、そんなひと言だけで村を出られるはずがない。

 サイは集落を走り回ったが、神隠しに遭ったように誰もいなかった。最後に王の館へ行くと、そこに国民全員が集まっていることを知った。

「……だがまだ、エスペロは」

「……他に方法は」

「……もし駄目なら、そのときは」

 国の重鎮ら(と言っても普段は気のいい老人やおっさん)の会合に、サイは乱入した。

「俺も混ぜてくれ」

「サイ! お前……村を出ろと」

 その中にいたエスペロの父が言った。

「うるせえオヤジ。なにが起きている? 今さら他人面するんじゃねえ」

「っ……お前には関係ねえ」

「なあ、じいじ。教えてくれ。なんだこの空気は? 経緯はともかく、俺だって三年ここで生きてきたんだ。ダチだってたくさんいる」

 この場の最高権力者であるアシュラド王に言った。王は牙を生やしながらも温和な顔立ちをしていたが、表情には平時にない緊張が浮かんでいた。

「……話してやれ」

「じいじ!」エスペロの父が舌打ちせんばかりの顔になる。

「だがサイよ。聞けばもう、後戻りはできんぞ?」

「そんな都合のいいことを考える男だと思われていたなら、がっかりだ」

 観念したように、エスペロの父は部屋を出るように促し、別室で話をした。

「アシュラドってのは、竜の名だ」

 唐突過ぎる切り出し方にサイが「は?」と眉根を寄せると、「黙って聞け」と睨まれた。

「これから語るのは、信じられなくても無理はねえ話だ。が、全て真実だ。そう思えないなら、ここでやめろ」

 どちらかというと普段ちゃらけていて、毎晩酔っ払って適当なテンションで冗談ばかり言っているようなエスペロの父が、今は全く笑っていない。サイは無言で頷いた。

「エスペロの『操作』以外にも、俺たちはほとんどの者が不可思議な力を持って生まれる。それは古代、竜と盟約を結んだことによると伝わっている。この牙と眼球はその証だ。

 時代が流れるにつれ詳細は失われたが、決して忘れてはならんと伝わることが三つある。

 ひとつは『我々が竜の上に暮らしていること』。

 ひとつは『竜の下に《絶望》が眠っていること』。

 そして最後は……『いつか《絶望》が蘇るかもしれないこと』」

「ちょ、ちょっと待ってくれ……この土地が竜の身体だって言ったか?」

「そうだ。疑うな」

「疑っちゃいねえが、り、理解が及ばねえ」

「かつて竜は《絶望》と対峙し、そのとき共に戦ったのが俺たちの祖先だ。

 死闘の末、竜は勝利と引き替えに言葉と意識を失った」

「……死んだってことか?」

「違う。生きているが、決して目を覚まさない状態に陥ったのだ」

「脳死……」

「ノウシ?」

「あ、いや、俺の故郷ではそういう言い方をするんだ。けど、さすがにもう死んでるだろ?」

「竜は呼吸さえできれば生命維持ができるらしい。南に、常に風が吹き荒れる洞窟がふたつあるだろ? 立ち入り禁止の」

「……まさか」

「あれは鼻だ、と言われている」

「マジかよ……」

「最後の力で、竜は《絶望》をその身体で封じた。だが滅したわけではなく、いずれ復活する……そう言い伝えられてきた。そのときのために、俺たちは受け継いだ力を磨き、ここで監視を続けるのだ、と。そして我々の力や竜のことが知れれば体よく利用しようとする者たちが現れると危惧し、この国はただの過疎地だということになった」

「それで、力のことを知った俺を外に出さないと言ったのか」

「そうだ」

「あのさ……その、《絶望》ってのは一体なんなんだ?」

 エスペロの父は一瞬口を閉じ、それからサイに顔を寄せ、はばかるように小声で言った。

「魔王だ」

 想像だにしなかった単語に、全ての説明を信じ、受け入れるつもりだったサイは反応に窮する。魔王、などというのは物語の中にしか存在しない、いわば偶像である。世界征服を企み、あるいは達成し、世界を恐怖のどん底に陥れることそのものを存在目的とする、脅威そのものである。つまり『神様』『悪魔』『天使』と同じニュアンスの存在だった。

「……疑ったな?」

「疑ってねえ! 疑ってねえよ! ……ただ、魔王って、なに?」

「詳しくは推測するしかない。ただ、かつて世界はそいつによって、一度滅びかけたらしい。人類は十分の一以下まで減った」

「おいおい……てこたあ、この国だけの問題じゃねえってことか」

「そうだ。俺たちが復活する絶望を討ちもらせば、世界が滅びる」

「なら、他の国とも協力すれば」

 真剣に言ったつもりだったが、一笑に付された。

「誰がこんな話を信じ、この辺境まで戦力を派遣する? 俺たちだって、先祖代々伝わってる話じゃなきゃあ、笑っておしまいさ。人間、目の前に脅威がなけりゃあ動かねえ」

「オヤジ……」

「言い伝えには、《絶望》が蘇るとき、竜の呼吸が止まり、でかい地震が起こるとあった。つい先日、洞窟の風が一時的に止んだんだ。そしてとうとう」

「地震が来た、ってわけか」

「そうだ。サイ、お前は共に戦うつもりかもしれねえが、能力を持たない普通の『人間』が出る幕はねえ。じいじはああ言ったが、今からでも」

「勝算はあるのか?」

 遮って、サイは言った。話を聞いても村を出ようなんて全く思わなかったし、そのことについて言い合うつもりもなかった。それを察したのか、相手も渋面になりながら、答えた。

「……エスペロ次第だ」

「坊主?」

 そしてサイは、以前聞いた言葉を思い出す。

『あんなクソガキだが、我々が待ち望んでいた存在らしい』

「まさか、『操作』の力ってのは」

「ああ。古代に戦力の要だった竜はもう、自立行動ができない。竜をどこまで自在に『操作』し、戦えるかが勝敗を決めると言っても過言じゃねえのさ」

「だ、だが坊主は、まだ」

「そうだ。あいつはまだ七歳。いや、七歳にしては能力を十分に使えている……サイ、その点についちゃ正直お前が訓練に付き合ってくれたお陰かもしれん。

 それでも……まだ、若過ぎる。古代、竜が倒しきることができなかった魔王を前に、どこまでやれるかは解らねえ。だが」

 エスペロの父は悲壮に顔を歪めている。息子への気遣い、信じたい気持ち、未知への脅威への恐怖などが複雑に絡み合いながら、それら全てを押し殺す顔で言った。

「やるしかねえんだ」

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