第57話 コバヘイ

 キリタが戦場に飛行して現れたのには、もちろん経緯がある。少し前、

「……や、やっと着いた」

 よろけながら、肩で息をしてナウマの部屋にキリタが入った途端、向けられたのは

「キリタ、おねがい」

 パニーの潤んだ目と懇願する声だった。

「喜んで!」

 内容など関係ない。疲労もなにも考慮する必要はない。

 パニーの願いを叶えることは、キリタにとって呼吸と同じかそれ以上の優先順位である。ましてや普段気持ち悪がられているパニーが手を取って握り締めてくるくらいの願いだ。聞かずしてのうのうと生きることなどできはしない。が、

「アシュラドをたすけて」

 と聞いて、とっさに渋面になってしまった。

 パニーはごくごく短い説明で、とにかく台地でアシュラドとサイがふたりだけで百人以上の軍服を相手にしていることを伝えた。自分は頼まれたことがあるから加勢できない、と。

 キリタは複雑な気分だった。

 だが、だからと言って、パニーの願いを断る選択肢はない。

「解った。でも……実際問題、台地へ行くのは至難の業だ。またこの塔を降り、あの岩壁を登るのは時間がかかるし、この装備じゃ……」

 言い訳のつもりはなかったが、そういう言い方になってしまった自分に眉を潜める。だが、

「ありがとう」

 パニーはそれが聞こえていなかったように短い礼だけを言い、「こっちに来て」と、キリタの手を引いてから、梯子を上り始めた。

 そして屋上に出て、おもむろに

「いくよ」

 と言った。

「行くって……」

 到底跳んでなんとかなる距離ではない。どう助走を付けても投身自殺にしかならない。

 ということを口にしようとした瞬間、キリタは空を飛んだ。

「てぇえええええええええいっ!」

 正確には、蹴り上げられた。聞いたことがないくらい、気合いの入ったパニーの声と共に。

 超重量の自分がみるみる上昇することに驚愕する。しかし飛んだ方向はほとんど真上である。このままではやはり身投げ……と思ったとき、目の前にパニーが現れた。

「たああああああああああっ!」

「パ」

 ニー、というところまで言えず、今度は横薙ぎの衝撃に見舞われる。

 なにが起きたかは瞬時に理解した。凄まじい勢いで、恐らくは全力で蹴られたのだ。

 苦痛と衝撃を全身に感じながら、自然と笑みが浮かんだ。やせ我慢ではない。

(パニーがくれる痛みなら、むしろ快感ッ!)

 と本気で思っている。そして飛びながら背中から二本の重剣を抜き放つ。

 まるで放たれた矢の気分で、キリタは進行方向に目を向ける。アシュラドに襲いかかる十数名の軍服たちが見える。パニーの正確なコントロールを賞賛しながら、

「キリタアタァァァアアアアック・ウィズラブッ!」

 絶叫は空気の流れにかき消された。次の瞬間、敵の側面に激突する。

 愛の覚悟は激突の衝撃やダメージを一切無視することを可能にした。そのまま回転し、剣の重さに身を任せ、舞った。激痛など意に介さず、いやむしろ堪能してキリタは笑みを浮かべてみせた。

 そして飛んできた勢いが弱まったとき、一旦片足立ちで止まる。

 膝を突くアシュラドを叱咤した。

「立てアシュラド! パニーを心配させるんじゃない!」

 言い終える寸前、目が回って横倒しになった。顔面から落ちるがそれでもめげず、

「立てぇええええええええっ!」

 と今一度奮起を促したのだが、

「お前もな」

 と呆れた声が返ってきた。

 なにが起きたのかにわかに理解できなかったのだろう。軍服がすぐさま襲いかかってくることはなく、キリタはその隙に立ち上がることができた。まだ少し目眩がするが、おくびにも出さずガダナバのほうを睨む。

「僕が来たからには、もうお前の好きにはさせない!」

 正義の味方のような台詞を臆面もなく吐く。

「咬ませ犬臭が物凄いぜ、キョーダイ」ガダナバは鼻で笑った。「出てこなければ、殺さずに済んだのにな。だが同胞をやられた以上、もう見逃すわけにはいかねえ……お前ら!」

 ガダナバに声を掛けられると、硬直していた軍服たちは構え直す。

「酒場での僕と同じと思うなよ。あのときはなんの武装もしていなかったし、酔ってた」

 キリタは二本の重剣の切っ先を地面に付けている。一見、無防備だった。

「今の僕を、『人間』だと思わないほうがいい」

 取り囲む軍服たちへ語りかけるように言い、不敵な笑みを浮かべる。

「僕の戦う姿を見た者が、なんと呼ぶか教えてやろう」

「チェェエエエエエエエイッ!」

 言葉の途中で、軍服のひとりが軍刀を大上段に構え、飛び出す。

 目にも止まらぬ速さと命を叩き付けるような気迫に、キリタは余裕を持って、軽く跳んだ。

 一瞬の後、中空に置かれたキリタの重剣に吸い込まれるように軍服が激突し、盛大に跳ね返った。軍刀は砕かれ、骨のひしゃげる音がする。

 着地したキリタは片方の重剣の先をガダナバに向け、叫んだ。

「ひと呼んで『タツマキリタ』!」

「……かっけぇ」

 呟いたのはサイである。いやそれ馬鹿にされてないか? とは誰も突っ込めない。忌々しげにガダナバが「殺れ!」と命じると、我に返った軍服らがキリタへ襲いかかる。あっけに取られかけていたサイの周囲も、襲撃を再開した。再び混戦になる。

 しかしアシュラドは、『操作』を躊躇ったままである。

 それでもキリタの参戦により、潮目は変わる。ネーミングセンスはともかく、実際竜巻のように戦場を乱舞するキリタを止められる者はおらず、軍服は次々に蹴散らされた。勢いを得たサイは濁流の川のごとき動きでステップを踏み、ひととひとの隙間を縫うように走り抜け、その間に敵を屠っていく。

 対照的なふたりの軌道はやがてアシュラドを守るような線となり、確実に軍服の数を減らした。そして劣勢と見たガダナバが踏み込んだそのとき、ふたつの線が、ガダナバへ向けて集束する。

 サイはガダナバの左手側から青竜刀を振りかぶり、キリタは逆側から重剣を横に払う。

 ガダナバは、丸腰である。服装も他の軍服と変わらず、武装していないように見えた。ふたつの襲いかかる武器に対し、掌を突き出す。次の瞬間、

「なんだと……!」

「ぐっ……!」

 サイとキリタが同時に呻く。両方の剣が、素手で掴み取られていた。弾くことすらできず、衝撃を吸収された。しかも、動かない。引くことも押すこともできなかった。

「……やってくれたな。同じ『人間』だってのに……酷えじゃねえか」

 ガダナバは無表情である。その目は全く笑っていない。

「なあ」その声が、危険なほど低くなる。「『コバヘイ』って知ってるか」

 ほんのコンマ一秒以下の時間、キリタとサイの視線が交わった。同時に、掴まれている武器を手放す。サイは拳で、キリタはもう一本の重剣でガダナバの身体を打ち据える。

 ふたりとも確かな手応えを覚えた……が、指先から衝撃が全身に伝い、痺れる。

 とっさにサイとキリタは後方に跳び、体勢を立て直そうとする。

 ふたりの身体を、ガダナバの

「ぅえっ……!?」

「なにこれっ!?」

 とっさに防御を試みるも、防ぎきれず、吹っ飛ばされて倒れる。

 サイとキリタの身体は、ガダナバから数メートル離れている。

 なにが起きたのか正確に解らず、呆然としながらふたりともなんとか起き上がり、構え直す。その顔が驚愕に歪んだ。

 ガダナバの手首から先が、地面に落ちていた。

「別の大陸のベストセラーだから知らねえか? 国際社会でも翻訳され、一部ではカルト的人気を得てるんだがよ。

 故郷を悪魔に滅ぼされた男が、悪魔の軍勢に対抗するため、戦い傷付くごとに一カ所ずつ、己が身を機械に取り替え、復讐に邁進する物語だ」

 ガダナバは淡々と語る。拳が外れた腕の断面から、細い金属の糸が伸びていた。

「正式なタイトルは『ルトブルーの機械』。

 モデルになったのは、俺だ」

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