第56話 お前もな
声もなく、ただ両頬には雪解けの滝のように液体が流れ滴っている。
しかしそれでいて、瞳に浮かぶのは憐憫でも悲痛でも、ましてや罪悪感などではない。
とてつもなく純粋な怒りだった。
「向かってくる者は、全て敵として殺せ!
それが同胞だった場合、殺した者も殺された者も、恨みを鬼へ向けろ!
悪いのはお前らではない。友が死ぬのは、全部鬼のせいだ!」
操られているだけの部下を躊躇いなく屠り、そう、言い切った。
やったことはそれだけだ。
それだけで風向きが変わったのを、アシュラドは肌で感じ取る。
軍服たちの目の色が変わる。混乱が収束し、ひとつの共通した感情を宿す。ゆっくりと、狂気をはらんだ覚悟と殺気がアシュラドとサイに向けられた。
「全部鬼のせいだぁぁぁああああああああああああああああああああああああああっ!」
誰かがときの声を上げるように、叫んだ。
たちまち唱和となり、全部鬼のせいだ! 全部鬼のせいだ! 全部鬼のせいだ! 全部鬼のせいだ! という声が呪詛のように叩き付けられる。そしてアシュラドに、再び軍服たちが襲い掛かる。アシュラドは気圧されながらも、先程と同じようにそのうち八人を『操作』して防戦を試みる……が、
「やれ! 俺はもう駄目だ!」
「必ず仇を取ってくれ!」
操られた者が自ら申告し、その近くにいた軍服たちは、一斉に刃を突き立てた。
アシュラドは『操作』を解く。目は見開かれ、口から笑みは消えていた。
「何故だ! 何故殺す!?」
たまらず叫んだ。だがもちろん、軍服たちの燃えさかる怒りに油を注ぐ結果にしかならない。貴様のせいだろうが! というような罵声が大量に浴びせかけられる。
「アシュ!」
後退し、悲痛に歯を食いしばるアシュラドに気付いたサイが駆け付けようとするが、軍服たちに阻まれかなわない。サイも、一瞬気を抜けばいつやられてもおかしくない状況だった。
「う……ぅぁ」
敵であれひとりも死なせず、ここまでやってきた。
目の前で命が奪われるのがたまらなかった。
それを防ぎながら目的を達成することがアシュラドの、いわば信念だった。
しかし今、それは脆くも崩れ去ろうとしていた。
同士討ちで命を奪い合った結果を、全てアシュラドの責だと軍服たちは次々に叫んだ。そして確かにそれは、的外れな言いがかりとは言えない。
迷いが生まれ、『操作』を躊躇った。
「やめろ……やめろぉおおおおっ!」
圧倒的な戦力差はたちまちアシュラドを呑み込もうとするが、かろうじて『操作』する相手を一瞬ごとに変えることで防御だけを続け、凌ぐ。
しかしやられるのは時間の問題だった。
アシュラドの指が震え、顔から血の気が引く。
幾つもの憎悪に串刺しにされ、膝が崩れる。駄目だ、今は考えるな、受け流せ、戦え、と己を内心で叱咤するが、ままならない。
その隙をガダナバは見逃さない。
「鬼が怯んだぞ! 今だ、殺せぇっ!」
響いた怒号に軍服たちの気迫は目に見えるほどに高まり、アシュラドへ十数の刃の切っ先が向き、襲いかかる。それはまるでひとつの巨大な獣のようだった。
アシュラドの身体を貫く寸前、
「な」
不意に、獣の横っ腹へ鉄塊が激突する。
「なんだとぉおっ!?」
ガダナバが叫ぶ。予測しようもない角度から強襲された獣はたちまち軍服の群れに戻り、宙を舞う。アシュラドは目の前で分解される人間たちを、呆然と見るほかない。
鉄塊は空から飛んできた。
色は鮮やかなターコイズブルーだった。
サイが軍服らと切り結びながら叫んだ。
「キリたぁぁぁああんっ!」
回転しながら着地したのは、キリタだった。
「立てアシュラド! パニーを心配させるんじゃない!」
そして勢い余って、無様に顔面から倒れる。
「立てぇええええええええっ!」
「お前もな」
と、アシュラドの口から反射的に呆れ声が出た。
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