第55話 目を覚ませ!

「ぎゃぁああああっ!」

「なんだっ!?」

「同士討ちだ!」

「や、やめろっ!? 突然どうしたんだ!」

「いや、敵襲だ! 鬼だ!」

 軍服たちが口々に叫び出す。それを聞いた周囲がざわめき、混乱する。

 サイはその隙を突き、片刃の青竜刀を振るった。幅広で、刃は潰してあるので模擬刀に近い。それで軍服の武器を破壊し、通りがかりざま顎を正確に拳で撃ち抜いていく。人混みの中、誰にも衝突せず、まるで川に流れる木の葉のように鮮やかな動きで巨体を操り、一秒と同じ場所には留まらない。


「サイって、戦えたんだ」

 塔の中から様子を見ていたパニーが裏切られたような顔をした。ヴィヴィディアの視力は並の『人間』とは比べものにならない。

「ああ……まあね」マロナは半眼で薄笑みを浮かべた。「大昔は、なんかの球技の選手だったらしいよ。そこに気功術と拳法を組み合わせたとか。あいつ、この前ケツネギ状態でもなんだかんだ言って動き回れてたでしょ? あれも気功を駆使してたんだって」

「ふぅうん」

 パニーは眉に皺を作った。

「よくわからないけど、なんかイラッとするね」

「でしょ? サイのくせにだよね」


 アシュラドは周囲の八人を『操作』し、それぞれに隣の軍服に斬りかからせた。不意打ちを受けた者のほとんどが一刀のもとに沈み、戸惑いは派生していく。

「やめろ、やめてくれぇえええっ!」

 涙を流すのは、仲間を斬った軍服だ。やめろと言いながら、さらに軍刀を振っていく。

「止まれ! 俺たちは仲間じゃないか……! 目を覚ませ!」

 対抗する軍服の中には、説得を試みる者もいた。

「思い出せ、あの厳しい訓練の日々を! 精神を研ぎ澄ますんだ! あの過酷な戦場を生き抜いた貴様が、鬼の術程度で……がはっ!」

 気合いで『操作』をはね除けろという理屈自体は、間違いではない。脳から発する電気信号のほうが、アシュラドが無線で飛ばすものより本来優先されておかしくないのだ。意志力次第では、身体の自由を取り戻せるだろう。

 だが、アシュラドは『操作』の戦いに慣れており、微妙に『操作』の締め付けには緩急を付けている。常には『操作』せず、秒単位で操ったり操らなかったりしている。

 操られるタイミングが解らなければ、抵抗すべきタイミングもはかれない。実のところ、アシュラドの強さの神髄はこの、『操作』を使う練度にある。『身体の主導権を奪い合う』などという経験を持つ者はほぼ皆無であり、普通は抗いようがない。

 そして、例えば剣を振り下ろすところだけ操れば、遠心力と剣の重みから、途中で止めるのは難しい。最後まで『操作』しない分、多少は急所を外し威力が弱まるが、むしろアシュラドはそれを狙っていた。ひとりも殺すつもりはないというのもあるが、刃を止めようとして止められなかった、という体験は、『操作』によってではなく自らが仲間を斬ったという意識を身体に植え付ける。戦意を萎えさせるには十分だった。

 まだ無傷の周囲にとっても、隣にいる仲間が、いつ『操作』されて斬りかかってくるか解らない。いや、自分がいつそうするかも解らない。そうなれば当然、止めるために仲間から斬られてもおかしくない。

 疑心は恐怖へと変わり、軍服たちの半数以上はまともに動けなくなった。サイはその間を駆け抜け、薙ぎ倒していく。もはや戦場はたったふたりの男に掌握されつつあった。

「奴は同時に八人までしか操れん! 一斉にかかれ!」

 そう檄を飛ばす者もいたが、動こうとする者から次々と『操作』され、むしろ壁になる。アシュラドも『操作』する相手を変え続けているので、傍目からは八人以上を操っているように映っていた。

 当然、全軍にアシュラドの能力の説明は為されている。

 だが、伝言ゲームのように、複層の人間を介して伝わる情報の正確性など知れている。十人いれば十とおりの理解度があり、またそれを他人に伝えるときには十とおりの説明になる。末端の軍人になればなるほど、理解の内容と目の前の事象との乖離に驚愕し、動揺した。

 やがて軍服たちの間に、なにをしても無駄だという諦観が蔓延する。彼らの目には、アシュラドとサイが得体の知れない、まさに鬼のように見えた。

 ひとりは黒い眼鏡で目元が見えない。浅黒い肌が露出する頭の天辺へドリルのように捻られおっ立つひと房の銀髪は、まるで角だ。

 もうひとりは剣山のように尖った黒髪を持ち、それ以上に鋭い牙と、瞳孔の開いたような黒目を剥き出しにして、笑っている。

「来……来るなぁあああっ!」

 とうとうひとりが恐怖に負けて後退した途端、そこから波打つようにたちまち伝播した。

 軍服たちは鉄板の上で踊り狂う海老のように逃げ始める。押し合い、揉み合ってその中で倒れる者もあった。

 それを止めたのは、たったひとつのシンプルな言葉だった。

「全軍に命ずる」

 騒乱の中、よく響き、通った声に、それこそ操られたように軍服たちは動きを止めた。

 声の主は無論、ガダナバだ。逆側にいたはずが、アシュラドから見える位置に立っている。

「ガダナバァァアア!」

 アシュラドが八人の軍服を『操作』し、襲い掛かる。

「すいません、大隊長!」

「逃げてください!」

 涙ながらに、悲痛な声で訴える声と共に、死角を含めた四方八方からガダナバへ渾身の刃が振り下ろされる。部下の態度が健気であればあるほど行動を躊躇うはずだった。これで決着がつくと思うほど楽観的ではなくとも、幾ばくかのダメージを与えることは半ば確信する。

「あぁ?」

 だがガダナバは充血した目を見開いて首を傾けると、

「ハァッ!」

 腰を落とした。

 と見えた瞬間、八人の軍服が血飛沫を撒き散らしながら一斉に吹っ飛び、倒れる。起き上がる者はおろか、微動だにする者もいなかった。手足や身体があらぬ方向へ曲がっている。

「全軍に、命ずる!」

 再びそう言って天を仰いだガダナバは、泣いていた。

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