第53話 肩を引き寄せた

 どういうことだ、と訊く前に、ナウマはヘレナスの身体を離すと、ベッドから下りる。

 背筋を伸ばして立つその両目は先ほどまでと違って酷く真面目で、憐憫を漂わせていた。

「バルディン。バルディン・バラッサを知ってるね?」

「……TKGの作者、か」

 間髪入れず答えたアシュラドに、ナウマは微かに口の端を上げる。

「今、どうしてるか知ってる?」

「……ああ」アシュラドは一瞬、躊躇うような間を作る。「安らかに眠っていることを祈る」

 アシュラドとナウマの視線が交差する。

「……そこまで知ってたか」

 その口調からも顔からも、ナウマがなにを考えているかは読み取れない。

「俺たちがここへ来ることになったきっかけだ。

 だが誤解するなよ。

「ああ。解ってる。

 アシュラドの怪訝な顔に答えるように、ナウマは続ける。

「こんな場所にいても、世界情勢を把握できるように網を張っていてね」ナウマは自分を落ち着かせるように軽く息を吐く。「別に、題材にするまでは良かった。しかしあの馬鹿は、とある出版社の取材を受けて、無邪気に答えたんだ。『時の賢者』が実在する、ってね。それを決して言ってはならないと、解っていたはずなのに……」

 そこまで聞いてアシュラドはナウマの言いたいことを理解した。だから

「どういうこと?」

 訊いたのはパニーだ。アシュラドが答える。

「記事を読んだ『奴ら』は、バルディンに目を付けた。居場所を掴み、さらい……拷問した」

「そんな」パニーが息を呑んで瞳を揺らす。

「かくて『奴ら』は『時の賢者』の実在を確信した。

 だが、バルディンは結局、居所は吐かなかった。死んでもな」

 アシュラドは改めてナウマを見る。

「仇を取れ、ということか?」

「違うよ。現実的に、ここに迫っている危機を回避したいのさ」

 伏せがちな目で真面目な顔をすると、ぼろを纏っていてもナウマから『時の賢者』の名に相応しい威厳を感じる。アシュラドは無言で言葉の続きを待った。

「ここはたまたま通過するような場所にはないし、国際社会の外にある。存在自体が知られていないからこそ、幸福な循環が維持できる。

 バルディンは自らが蒔いた種とは言え、ぎりぎりのところでこの町を守ろうとした。

 けどあいつを殺した連中は、悪意と欲望を持って遠くない未来、ここへ辿り着くだろう。少なくともあいつがこの島にいたということは、調べればすぐに解ってしまうからね」

 パニーの頭の中で、一連の流れが繋がった。

「それで……『奴ら』はこの島に」

 ガダナバたちセルクリコ軍の残党は、『時の賢者』の存在を知って居所を調べた。

 その過程で、そのうちのひとりが昔の知り合いであるサイに出会い、過去に戻って『色鬼狩り』をやり直す計画に誘い……そこからサイの仲間のアシュラドを巻き込み、一戦交えた。

 決着はつかなかったがアシュラドは『時の賢者』の情報と、『色鬼』の生き残りであるパナラーニ姫をガダナバらが狙っていることを知り、阻止に向けて動き出した。

「馬鹿なバルディンが守ろうとしたこの町を、守り切ってくれ。

 それができれば、わしにできることはなんでもするよ」

 言ったナウマの顔は、無表情に近い。しかし隠しきれない悲痛が滲んでいた。

 アシュラドはそれ以上の無表情で、ぽつりと言った。

「……何故、俺たちにできると思う? 目星が付いてるなら解るだろう。『奴ら』は残党とは言え、軍隊だ。俺たちは、ここにいるだけしかいねえ。しかもマロナは戦えないし、パナラーニだって戦わせたくはねえ」

「アシュラド……」

 パニーが複雑な顔をする。気遣われていることを嬉しく思いながらも、腑に落ちない。

 なお、キリタのことは誰も言い出さない。

「君『たち』に頼んだつもりはない。君だけだ」

 ナウマは表情から感傷を消す。

「……なに?」

「気を悪くしないでよ? さっきは本当に解らなかったんだ。実際、わしは打つ手がなくて途方に暮れていたし、余裕がないんだ。

 名前を聞いて、話しているうちに思い出した。

 君は、『』だね?」

 横で聞いていたパニーが「え?」と唇を動かさずに漏らす。

 当然否定するものと思いきや、アシュラドは

「……そういうことなら、承知した」

 と、全てを理解したように頷く。

「ちょっと待ってくれ」と話に入ったのはサイだ。「俺が一緒に戦うのは駄目なのか?」

「好きにすればいいよ。彼だけで戦えって言いたいわけじゃない。あ、でも……そこの女の子ふたりはやめといたほうがいいかな」マロナとパニーを示す。

「な、なんで。わたしは!」

「いいんだ、パナラーニ。俺も同感だ」

「わたしが……子どもだから? 女だから?」

「違う。いや、そこの賢者はそういうつもりかもしれないが」そこでアシュラドはパニーの頭に手を置き、微かに笑う。「戦力としては申し分ないどころか、誰よりも頼りになる。だが、忘れたわけじゃないだろ? 『奴ら』の狙いは、お前だ。特にガダナバは、どんな手を使ってでも、お前を殺そうとするだろう。そんな連中の前に、姿を見せないほうがいい」

「そ、それを言ったらアシュラドだって!」

「俺は、大丈夫だ」

 根拠はなにも言わず、アシュラドは賢者に向き直る。

「ナウマ。連中はこの島内をしらみつぶしに探しているところだ。分散している奴らを個別に叩くのが一番だと思う。そうしてる間にここが見つかっちまうリスクもあるが……それでも俺は、見つかるのをここで待つよりはいいと思うんだが、どうだ?」

「方法は任せるよ。人間、自分のやりたいようにやるのが一番力を発揮できるからね」

「解った。サイ」

「おう」

「……悪いが、一緒に来てくれるか?」

「はっ」

 いつになく愁傷な態度で言ったアシュラドの声を聞いて、サイは鼻で笑う。

「今さらなに言ってんだ? 

 おどけた呼び方に、アシュラドは懐かしそうに目を細めた。

「マロナ。パナラーニと一緒に待ってろ。だが……もし奴らが来たら、俺たちの味方はやめろ。早々に下れ。自分の身を一番に」

「うざい。いいからさっさと行って帰ってきなさい」

「……はい」

 アシュラドは情けない顔になりながら、口の端を上げる。

「アシュラド。やっぱりわたしも」

 そのマントの裾を引っ張って、パニーが見上げる。見返したアシュラドは困ったように笑い、おもむろにパニーの肩を引き寄せた。

「ア、アシュラドッ?」

 赤くなるパニーに気付くこともなく、部屋の隅に引っ張り、小声で言う。

「お前には、賢者の説得を頼みてえ」

「……え?」

「条件は呑むが、正直ガダナバに勝てるかどうかは五分五分だ。いいか、俺が時間を稼ぐ間に賢者に言うことをきかせて、お前は先に過去へ戻ってやり直せ。過去が変われば、そもそもこんなことしなくてもいいだろ?」

 照れていたことも忘れ、パニーはアシュラドを丸い目で見つめる。そこには悪戯を誘うような笑みがあった。

「頼んだ」

 思わずパニーが頷きかけたそのとき、

「出てこい色鬼! 牙鬼! この町は俺たちが完全に包囲したッッッッ!!」

 外に怒号が響き渡った。

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