第52話 娘に呆れられる母親かっ

「あなたが……『時の賢者』なの……ですか?」

 口火を切ったのは、マロナだ。

 信じられない、という口調なのは、そのひとがあまりにあっさりと姿を現したからでも、まさか女性だったとはという意味でも、三ツ目に物怖じしていたのでもない。

 通された部屋が汚部屋だったからである。

「自分からそう名乗ったことはないんだけど……」

 ナウマ、と名乗った女性は広々とした室内の隅にあるベッドへ無造作に腰掛け、頭を掻いている。照れているわけではなく、痒いらしい。

「あーまたこんなに散らかしてー」

 しょうがないなあ、という口調でヘレナスが、床の見えないほど散乱する紙屑やら衣類やら食べ残しやらを片付けていく。ナウマは「えへへ、ごめんね」とはにかんでいる。

「仕事が忙しくて家が荒れ放題なのを、娘に呆れられる母親かっ!?」

 やけに具体的な描写で突っ込みを入れたマロナに、ナウマは怯えるような上目遣いで

「違うけど……?」

 と真面目に返す。戸惑いを隠せず、

「あなたが……『時の賢者』なの……ですか? マジで?」

 マロナは同じ台詞を繰り返した。呆れきった半眼で。

「……ヘレナス」手招きをして呼び寄せると、ナウマは身体の小さなヘレナスをすっぽり覆うように後ろから抱き寄せる。「あのひと、怖いよ。会話が成立しないよ」

「ええと……うーん」

 ヘレナスは困ったように笑うだけだ。

「アシュ。なんか、落ち着くなこの部屋」

「ああ。俺もそう思ってた」

 サイとアシュラドがひそひそ言葉を交わす。

「お前ら……」

 マロナが目尻を引きつらせる。マロナがふたりに会ったころ、家はこんな有様だった。

「あの……」パニーが口を開く。「目が後ろにあると、寝るときどうするの?」

「最初の質問がそれ!?」マロナが突っ込む。

「別に? 君らだってうつぶせで寝ることあるだろ?」

「ああ……!」パニーが納得する。

「ちなみに言っとくけど、この目に特殊能力とかないからね? 『第三の目が開くとき、その目は過去と未来を見通す』とか思ってるでしょ?」

「TKG……」

「そうそう。あれ書いた奴は昔この町にいたんだけどさ、あくまで題材だから。物語的な演出を随所にかましてるわけ。許可なく書きやがってさ、初めて読んだとき噴いたよ」

「なら、その目はなんのためにあるんだ?」アシュラドが訊く。

「それは君の牙にも同じ質問をしてみたいけどね、キバ君」

「アシュラドだ」

「アシュラド?」不思議そうに首をかしげてから、「まいっか」という顔になる。「もちろん物を見るためにあるんだよ。前のふたつだけじゃ、全方向は一度に見られないだろ? わしに言わせれば、死角がある時点で不完全な進化さ。額にもうひとつ目がある生物の伝説は結構あるけどさ、あれ意味不明だよ? あんなとこにあったって視界、広がらないから!」

 声に実感が籠もっている。

「訊かれる前に答えるけど、わしが特別なんじゃなくて、そーいう種族だから。まあ、もうとっくの昔に滅びたけどね。もしかしたら世界のどこかには細々と生き残りがいるかもしれないけど、わしみたいに」

 アシュラドが知る限り、後ろに目を持つ種族なんて聞いたことがない。ただ、目の前にいる以上そのことについてとやかく言うつもりはなかった。

「あんたが『時の賢者』なら、単刀直入に言うが」

「やだ」

 言葉の途中で、ナウマは抱き締めているヘレナスの影に隠れる。目だけ出して続けた。

「まずはわしの話を聞いてもらおうか」

「……なんだ」

「一応確認だけど、君たちは、わしやこの町への害意はない、と思っていいね?」

「ああ」

「ま、そうだよね。カードナーダたちが通したんだもんね」

「カードナーダ?」

「門番さ。いただろ? 岩場の門にふたりひと組で」

「ん……んー、うん」アシュラドは目を逸らす。

「なんで生返事なのさ? まあ、いいや。彼らはね、この町の秩序を乱さないと判断した者だけを通すんだ」

「ふはは」意味もなくアシュラドが笑った。

「この町に流れ着くような奴は、わけありさ。行き場をなくしたか、噂を聞きつけてきたか……あんたたちは後者だろう。

 いずれにせよ、この町のおもてなしを受ければ、大体の奴はそこで目的を果たす、というかどうでもよくなる。時を忘れて幸せになれるからね。

 わしは人見知りだし面倒くさがりだから、町を維持する代わりに住民たちにはその、おもてなしを実行してもらっている。全ての看板に『時の賢者』の名前があったと思うけど、あれは酔狂ってわけじゃなくて、『時の賢者』代行っていう免許みたいなものなんだ。過去の痛みを忘れ、時を忘れ、穏やかで幸せな生活を取り戻す……そうやって住民が少しずつ増えてきて、サービスを受ける側から与える側になって、互いに互いを癒し、幸せにする……そういう理想的な循環ができた」

「なるほど……」マロナが素直に感嘆する。

「そんな町を体験しておきながら、わしのところまで来るっていうのは、それでも満たされないなにかを持つ、厄介な奴らってことさ。当たってるだろ?」

「……否定はしない」アシュラドが真面目に答える。

「だからあんたの単刀直入な話っていうのは、聞くまでもなくわしへの願い事だと解る。けど、わしもただでそれを聞いてやるほど生きる気力がない」

「なんだその理由……」

「そこで、まずはわしの願いを叶えてもらいたい」

 そのひと言に、とっさにアシュラドは「よかった」と思った。

 目の前の賢者の願いを叶えれば、こちらの頼みを聞いてくれる、ということだ。展開としては非常にシンプルだった。牙を見せて笑う。

「なにをすればいい?」

 どんな無理難題でもこなしてやる、という覚悟を向ける。

 しかしヘレナスの肩に顎を載せて笑ったナウマは、すぐには理解し難いことを言った。

「この町を、守り切ってくれ」

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