第19話 やり直すのは、誰だ?
「あ?」
唐突に食ってかかられる形になったアシュラドが牙を剥き出して、半眼になった。
「だっておかしいよ。
君たちは過去をやりなおすために『時の賢者』を探すんでしょ? 軍の残党が同じように、君たちよりもずっと多い数で探してるんだから、なりふり構ってちゃいけないはずだよ。
なのにわたしが命を狙われてると知ってこの国に寄り道したり、敵を殺さないことにこだわったり、挙げ句、城に行ってサバラディグ王家をたすける……? 意味がわからない。
わたしとあなたは赤の他人だし、ここの王家もそうだ。それに、どうせ時を戻すなら、今誰が死のうが関係ないはずでしょ? だからこのひとたちは『いつ死んでもいい』って言ったんじゃないの?
あなたの『操作』はすごいけど、そんなので奴らより本気だって言えるの?
それともなに? わたしに同情してるの? だったら……舐めないでよ!」
桃色の髪を振り乱し、パニーはアシュラドに詰め寄って真っ直ぐ見上げた。
まくし立てながら、パニー自身、どうしてこんなに腹が立つんだろう、と思った。しかしどうしても腑に落ちなかった。
「あ……う……?」
アシュラドが、完全に想定外だという顔で目を白黒させる。マロナが噴き出した。
「ふっ……ふふ、あははっ。やばい、うける」
困り果てた視線をアシュラドに向けられたマロナは、にやけながら目を逸らした。
「最初に見たときとは別人みてえだな」
「あら、サイ」
マロナの横に、這ってきたサイがいた。いつの間にか腕の縄は解けたようだが、尻にはまだクリムゾンネギが刺さっている。
「少なくとも人形には見えねえ」
「そうだねえ」
はぐらかすことを許さない、という様子にアシュラドは容易に口を開けない。
「こたえてよ!」
とうとうパニーはアシュラドの胸ぐらに手を伸ばし、その怪力で引き寄せる。
「え、えっと、パニー。早く城に行かないと」
傍らのキリタが、見たことのない剣幕のパニーを前に、おずおずと口を出すが、
「キリタはだまってて!」
と一喝されてしゅんとする。
「いそぎたいけど、信用できないひとと一緒には行けない」
そのひと言に、アシュラドが観念したように息を吐く。意図したわけではなかったが、その息が前髪にかかってパニーは僅かに目を細める。そのくらいの距離だった。
「……容易に、やり直せるとは思ってねえ」
「うそ、なの? 『時の賢者』を探すっていうのは」
「そうじゃねえ。過去に戻ったとき……やり直すのは、誰だ?」
パニーは眉を潜める。言っている意味がよく解らなかった。
「どういう……」
「俺だ」
そこでようやく、アシュラドは真っ直ぐパニーを見返した。目が合う。
「今の俺が過去に戻れるなら、そこは過去であって過去じゃねえ。
パニーはアシュラドの言いたいことが解った。解って、だが疑った。
そんなことを本気で思えるひとがいるのか? と。
目に映るその疑念を感じ取ったアシュラドは、静かに続ける。
「全てを犠牲にしてやり直す、程度の考えで変えられるほど、過去は甘くねえ。
あのとき俺は……俺たちは間違いなく全てを懸けたんだ。
だが、駄目だった。
過去を変えられるだけの俺になってあそこに戻らなきゃ、また何度でも繰り返す。
だから俺は、遠回りをしているつもりはねえ。お前に同情しているわけでもねえ。
俺は俺がやりてえことを、やるべくしてやっている」
息が詰まった。
信じ難かった。信じ難かったが……嘘ではない、と心が受け入れた。パニーの中で、形を変えまいと硬く強ばっていた部分がまたひとつ、その縛りを解いたのが解る。喉の奥が引きつり、胸の辺りから熱いものがせり上がってくる。嗚咽を堪えてパニーはアシュラドの眼球から目を逸らさないよう、目一杯瞼を開いた。紅い瞳は黄昏時の光をよく反射した。
(このひとは、本気だ。
ただ『過去に戻ろうとしてる』んじゃなくて、本気で『過去を変えようとしてる』)
あのときああすれば、という思いは、多くの人間が生きている間一度は抱くだろう。
その思いの大半は後悔であり、どうにもならないことをくよくよ思い悩む行為に過ぎない。そこには「過去を変えられたらいいのに」という願望はあれど、心底「過去を変える」という意志はない。そもそも過去をやり直すことは不可能だと、どこかで諦めているからだ。もしくは「戻りさえすればなんとかなる」と甘く見ている。
具体的に、戻ったときのために今を必死に生きるのが唯一の道だと、心底本音で語る目の前の男を、もはや疑う余地はなかった。
「アシュラド」
パニーは初めてその名を呼んだ。
「わたしは……城のみんなをたすけたい。力を貸して」
その言葉に、今度はアシュラドの表情が変わる。
まさかそんな反応が返ってくるとは思いもしなかった、という呆然とした顔。
ただそれも一瞬のことで、すぐに、笑みに変わった。牙を端まで剥き出しにする満面の笑顔は、やはり多種族から見れば悪人顔であり、化物じみている。だがパニーはもうそれを恐ろしいと思わなかった。
「よし、行くぞ」
「うん!」
それは、ごく短いながらも、ふたりの会話が初めて噛み合った瞬間だったかもしれない。
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