第20話 国の名は

 アシュラドから手を離したパニーはすぐに駆け出そうとする。それをアシュラドが止めた。

「待て。走る必要はない」

「え?」

「飛んだほうが早い」

 言うが早いか、アシュラドはおもむろに仰向けに、大の字になって寝転がった。

 奇行としか思えず、パニーは大口を開けて「な、なにやって」と言いかけ……。

 そのとき、地面が動いた。

「地震!?」

 それも、体験したことがないほどの揺れだった。よろけて倒れそうになって、身体ごと受け止められる。顔を向けると、マロナだった。

「大丈夫?」

 パニーの身体を受け止めると、マロナは一緒にしゃがみ込む。これほどの揺れなのに、動揺していないどころか慣れた様子だ。キリタは装備が重いからか、その場に膝を突いてはいるものの倒れてはいない。

 パニーとマロナのところまで匍匐前進で移動してきたサイが苦笑する。

「初めてじゃ、驚くよな。せめて予告しろっての」

「な……なんなの?」

 訊いたパニーに、マロナは「喋らないほうがいい。舌噛むよ」と言って口を閉じた。

 次の瞬間、内蔵が落下した……ような感覚に襲われる。揺れが収まり、代わりに身体が何倍にも重くなったような圧迫感を覚え、だがそれも数秒でなくなる。耳の奥が痛んで、顔をしかめるとサイが言った。

「気圧が変化したんだ。唾飲んでみ」

 言われたとおりにすると、少し楽になった。しばらくすると揺れも収まる。

 不思議な感覚だった。景色はなにも変わっていないのに、なにかが違う気がした。

「さっきここへ来たとき、『旅をしてるんじゃないのか』と訊いたな? パナラーニ」

 アシュラドが起き上がって言った。

「え……うん」

 生返事をしたパニーに、アシュラドが手を伸ばす。そのまま、反応する間もなく両腕で抱きかかえられる。

「な、なに!?」

「貴様ぁああああっ!」

 すかさずキリタが反応して立ち上がろうとするが、ふらついてよろける。その間にアシュラドは身軽に跳び、家の屋根に上っていく。一番高いところまで来て、パニーを下ろした。

 声が出なかった。

 雲が間近に広がっていて、大地が遠くに見える。夕陽が横から照りつけてきて、雲を鮮烈に染めている。こんな光景を、もちろん一度だって見たことはない。

 パニーは間違いなく、空にいた。

「ブレディアたちの国には、古代の竜が住むと言われていた」

 アシュラドがぽつりと言う。

 パニーが驚いた顔のまま振り向くと、反応に満足したようにアシュラドは目を細めた。

「国と言っても小さな集落くらいの国土……その営みを維持できたのは、竜がその土地を守護しているからだと。だがその言い伝えは、正確じゃない。

 ブレディアは、竜の上に国を築いた」

「……え」

 もう解っただろう? と言わんばかりにアシュラドは口の端を上げる。

「その国は近年、地図から消えたと言われている。確かにそのとおりだが、セルクリコとは意味が違う。今そこには抉り取られたように大きく陥没した穴がある。山も木々も建物もなにもかも……土地ごと、その場所から『いなくなった』んだ」

 パニーは開いた口が塞がらず、息をするのも忘れていた。

「国の名は、アシュラド。

 アシュラドは、ここにある」

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