第9話 性的な悪戯とか
そしてここまでの出来事を話した結果、
「この馬鹿野郎どもがぁあああっ!」
鞭を持ち出したマロナに、アシュラドとサイは容赦なく背中を打ち据えられた。
「痛でぇええっ!」
「素肌はやめてぇっ!」
パナラーニはアシュラドに『操作』されて、一見普通に卓袱台の前で出されたほうじ茶を飲んでいたが、アシュラドが打たれた瞬間こぼれて手にかかった。
「熱っ!」
「……ん?」
マロナが不思議そうにパナラーニを見て、なにかに気付いたように目を開く。
「まさか……アシュ」
見られたアシュラドは気まずそうに視線を逸らし、額に汗を浮かべる。マロナが顔を近付け、観察するように目を細めた。
「あんた……この子に『操作』使ってないでしょうね?」
「……う……はは」
曖昧に笑うと、マロナは茶の入った急須を手に取って、アシュラドの背中に注ぎ込んだ。
「うぁ熱っちゃぁああっ!」
当然アシュラドは悶絶し、床を転げ回る。
「な、ななななにすんだ!?」
悲痛な目を向けると、マロナは冷ややかな目で寝転がったままのアシュラドの頭上に行って、急須の注ぎ口を眼球の上に添える。
「あんた、目で飲むの好きだったよね?」
「そんな嗜好ないわぁああっ!」
微動だにしないマロナの両目に、アシュラドの眉が情けなく歪む。
「……いや、あのな」
「言い訳は聞かない」
「違うんだ。この姫はこう見えて戦えば俺たちより」
「聞かないっつってんだろ」
容赦なく急須を傾けた瞬間、アシュラドが身を捻る。頬を熱い茶が流れ、また悶絶する。
「少しは躊躇しろぉ!」
「な、なあマロナ。その辺で……」
サイが間に入ろうとするが、一瞥されただけで黙った。
「ねえアシュ。あたし前に言ったよね? 女の子にその力を使って無理矢理言うこと聞かせようとしたら、嫌うって」
「そ、そういうのと違うだろ。性的な悪戯とかじゃ」
「そんな条件は付けてない」
「う……」
「嫌う、ってことはさ、どういうことか解るよね? あたしは嫌いな奴の食事を用意したりしないし、服も洗わない。そもそも同じ空間に住みたくない」
「……どうすれば許してもらえる?」
叱られた少年そのもののしおらしさで、アシュラドが困り顔の上目遣いになる。
「とにかく解きなさい。今すぐ!」
「うっ……はい……」
観念したように、アシュラドはあぐらをかいてからパナラーニの動きを止めていた『操作』を解いた。しかし、パナラーニは特に体勢を変えない。
「……早くしろ」
声を二段階は低くして、マロナが凄む。
「と、解いた! 解いたって!」
何故パナラーニが動かなかったかというと、あっけに取られていたからである。
闘技場に現れたときから自信満々な上から目線で事を運び、実際にそれを行うだけの力があることを見せつけていたアシュラドが、完全にやり込められているのに驚いていた。
マロナが呆然と座るパナラーニの傍に膝を突き、手を取って覗き込む。
「大丈夫? 動ける?」
その声には気遣い以外の感情はなにもない。自分を誘拐した男ふたりの仲間だ、ということは解っているのに、パナラーニは言葉どおりの意味だということを疑わず、
「あ、うん」
素直に頷き、掴まれていないほうの手を開いたり閉じたりしてみた。
ふと冷静になって、パナラーニは自分がまるで夢の中にいるみたいだと思う。
(いや……逆、かな?)
随分長い間、混濁した意識で過ごしていたのだと、ようやく自覚した。故郷セルクリコの内乱が最悪の形で終わったのを知ったことも、その後多くのひとが自分を気遣い、元気づけようとしてきたことも、度重なる宴会も、おふれによって集まった芸人たちも……全て、覚えてはいる。意識がなかったわけではない。
しかしそれはまるで客席から壁を隔てて遠い舞台を眺めているように、現実感の伴わないものだった。恐らく自分の心が、防衛本能からそうしたのだということは解っている。
そして同時に、それこそが、自分の置かれている現実なのだと、知っていた。それだけのことが起こっている、と。そうでなければならない、とすら思っていたかもしれない。
だから今、経緯はどうあれ、こんな風に、周りのやり取りに呆然としたり、頷いてみせたりする自分が、自分でないような感覚だった。同時に、いやこれこそが本当の自分だという思いもあって……宙に浮いているような感覚とようやく地に足が着いたという感覚が同時に存在している。
アシュラドの言った、『時の賢者』のくだりを信じていないのは本当だ。
しかしパナラーニと舞台を隔てていた壁が崩れた瞬間がいつなのか考えれば、アシュラドがヴィヴィディアの名前を出し、「やり直すことができるなら、どうだ?」と問うたあの瞬間なのだろう、と思う。なにも考えられなくなって泣き叫んだ後、落ち着いたパナラーニの頭は、ゆっくり、動き始めた。そしていつの間にか、アシュラドと同じ舞台に立って言葉を交わしていたのだ。
手に触れるマロナの指から、久しく感じなかった温かさが伝わってくる。
「あの……わたし」
「うん。なに?」
穏やかに微笑むマロナに、パナラーニは戸惑いながら思ったことをそのまま言う。
「もう一杯、お茶をもらってもいい?」
軽く驚いた顔をしてから、「もちろん」とマロナがもう一回笑った。
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